2017年07月28日

フェアなんていらない。ただ元通りになってほしいだけ フレンズ1-3改その37

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20:27
モニカ: Look, I- I can go on pretending-- (ねぇ、私は(彼のことが好きだという)ふり(お芝居)を続けることもできる…)
ジョーイ: Okay! (よし![そうしてくれよ!])
モニカ: No. That wouldn't be fair to me, it wouldn't be fair to Alan, it wouldn't be fair to you. (いいえ(だめよ)。そんなことは私にとってフェアじゃないし、アランにとってもフェアじゃないし、あなたたちにとってもフェアじゃないわ。)
ロス: Well, who wants fair? Y'know, I just want things back, you know, the way they were. (ねぇ、誰がフェアを欲しがるの?[フェアを望む者なんていない]。僕はただ、物事が元通りになってほしいだけだ、前のように[前のままに、以前の通りに]。)
モニカ: I'm sorry. (ごめんなさい。)
チャンドラー: (SARCASTIC) Oh, she's sorry. I feel better. ([皮肉っぽく]おぉ、モニカが謝ってるよ[申し訳ないって思ってるんだってよ]。気持ちがましになったな。)
レイチェル: (TEARFUL) I just can't believe this! I mean, with the holidays coming up, I wanted him to meet my family. ([涙ぐんで]ただこんなこと信じられないのよ! だって、休みがやってきたら、彼に私の家族と会って欲しかったのに。)
モニカ I'll meet someone else. There'll be other Alans. (私は誰か別の人に出会うわ。別のアラン(みたいな人)が出てくるわよ。)
みんな: Oh, yeah! Right! (あぁ、そうだね! その通りだよ(全く)!)
モニカ: Are you guys gonna be okay? (みんな大丈夫?)
ロス: Hey hey, we'll be fine. We're just gonna need a little time. (おいおい、僕たちは大丈夫だよ。僕たちにはただもう少し時間が必要になるだけだ。)
モニカ: (DUBIOUS) I understand. ([不審そうな顔で] わかるわ。)

pretend は「〜のふりをする、見せかける」。
go on pretending-- でモニカのセリフは切れていますが、pretending to like him みたいな言葉が続く予定だったのでしょうね。
彼のことを好きでいるふりは続けられる、お芝居はできる、ということです。

「好きなふりをして、このまま付き合い続けることはできる」と言いかけた時に、ジョーイがすかさず Okay! と言ったので、やはりそんな無理はできないと思ったのでしょう、モニカは即座に否定し、wouldn't be fair to という形の文章を3つ続けています。
That wouldn't be fair to me の that はその前の発言が示している「好きなふりをして付き合いを続けること」。
not fair to me は「私にとってフェアじゃない」。
wouldn't のように would が使われているのは、「もし彼を好きなふりをして、このまま付き合いを続けたりしたら、その場合には」という「仮定」の意味が込められています。
好きでもないのに好きなふりをして、偽った関係を続けたりしたら、それは、自分にとっても、相手のアランにとっても、そしてあなたたちにとってもフェアにはならない、と言っていることになります。

ロスの Who wants fair? は反語表現で、「誰が fair を欲しがるんだ?」→「誰も fair なんて欲しがらないよ。fair かどうかなんて、この際どうでもいいことなんだよ」と言っている感覚。
「誰が〜を欲しいっての?」と日本語で言った場合にも「〜なんて誰も欲しがらないよ」という意味になりますので、そういう反語の感覚は日英同じですね。

I just want things back, you know, the way they were. の the way they were は「物事が元の通りである状態、かつてそうであった様子」。
ビリー・ジョエルの名曲 Just The Way You Are (邦題:素顔のままで)も、「ただ君が今あるそのままの状態で」という意味なので、こういう邦題になっているのですね。

「僕らはただ、元の状態に戻って欲しいだけだ」と言われても、アランと付き合うつもりのないモニカは「ごめんなさい」と謝ることしかできません。
モニカの謝罪の言葉を聞いて、チャンドラーは I feel better. と言っていますが、これも皮肉ですね。
謝ってもらったって、アランとよりを戻すわけじゃないし、謝ってもらっても、こっちの傷は癒えないんだよ、みたいな感じでしょう。
sorry と口で言うだけではなく行動を起こせ、実際によりを戻してくれないと意味がない、と言いたいようです。

レイチェルは涙声になりながら、「休みがやってきたら、アランに私の家族と会って欲しかったのに」と言っています。
レイチェルのセリフは、まるで、彼女自身が別れた彼女のようですね。
家族に会わせたいと言っていますが、モニカの恋人を自分の家族に会わせてどーすんの?! とツッコミを入れたくなるところです。
彼は素敵な人だから、私の家族もきっと彼を気に入ると思っていた、というようなことでしょうが、モニカがアランと別れることを告げた後の他のフレンズたちの反応では、「付き合っていた当事者のモニカよりも、他のフレンズ5人の方がアランを好きになりすぎてしまった」ことがよく表れています。

「私はまた別の人に出会うわ」とモニカは言って、There'll be other Alans. と続けています。
直訳すると「他のアランたち(複数)が(将来的には)いるでしょう・存在するでしょう」と未来の状態を語っていることになりますね。
Alan という固有名詞がこのように複数形になっているのは「アランのような人」が将来また出てくる、と言っているニュアンスになります。
今回フレンズたちが大絶賛していた彼氏のアラン、そういう人がまた将来的に、一人と言わず何人も出てくることになるわ、今回アランと別れても、また同じような人がきっと現れるから心配しないで、みたいにモニカは言っているわけですね。

それを聞いたフレンズは、口々に Yeah, right! のような言葉を言っていますが、この Yeah, right! は文字通りの意味としては「あぁ、そうだよね」と言ったことになりますが、「ほ〜んと、全くその通りだよねぇ〜」と大袈裟に言ってみせることで皮肉感を出し、実際には「まさか、そんなことあるわけない」という意味で使っている感覚になります。
このような皮肉っぽい Yeah, right. は、前座のコメディアンみたいなもの フレンズ1-2改その1 にも出てきました。
アランを大絶賛しているフレンズたちは、「ここでアランと別れたら、アランみたいな人はもう二度と現れない。アランみたいなすごい人が他にいるわけない」と思っているので、そのように皮肉っぽく返事したわけですね。

モニカがアランと別れると聞いて、フレンズは動揺を隠せない様子なので、モニカはみんなに「大丈夫?」と尋ねています。
ロスは「あぁ、僕らは大丈夫だ」とは答えていますが、その後、「僕たちにはただ少しの時間が必要なだけだ」と続けます。
それを聞いたモニカは「わかるわ」と同意はしていますが、その表情は明らかに「信じられない」という顔付きですね。
当事者のモニカが何のわだかまりも持っていないのに、アランの恋人でもないフレンズたちが必要以上にショックを受け、落ち込んでいる様子を見ていると、観客や視聴者もモニカと同じように「なんでみんながそこまでショック受けてるの?」という気持ちになってしまうところで、そこが今回のエピソードの笑いのポイントでもあるわけですね。


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posted by Rach at 14:34| Comment(4) | フレンズ シーズン1改 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは

モニカは I can't go on pretending と言っているのではありませんか?「(しようと思えば) ふりを続けることもできる」を肯定形で言うなら could になるところだと思います。
Posted by mq at 2017年07月29日 22:05
mqさんへ
こんにちは。コメントありがとうございます。

コメントをいただいて、このシーンを見直してみました。
まずセリフの「音」から判断すると、私はやはり、I can go on pretending-- と言っているように聞こえます。
もし、can't という否定形であったなら、I CAN'T go on のように can't 部分が強く発音されると思うのですが、モニカの言い方はどちらかと言うと、I can GO on のように、can より go の方をやや強めに発音しているように思えます。

また、字幕などの表記の方面から確認してみますと、、、
実はこの部分に関しては、非公開コメントにて、「Blu-ray では、I could go on pretending-- と表記されている」という情報を教えていただきました。
確認すると、確かに Blu-ray では、I could になっています。
そして、Blu-ray 以外の他のメディアでは、
DVD, Netflix, ネットスクリプトで、I can go on pretending--
と can が使われていました。
字幕は実際の音声よりはしょられたり、違う表現に置き換わったりすることも多々ありますが、「セリフでは否定文なのに、字幕では肯定文になっている」というようなことはないと思います。
これまでDVDを見てきた経験からも、「not を使わずに否定表現している場合に、シンプルに not を使った否定文に書き換える」(その場合、結局言っている内容は同じになる)ということはあったとしても、「セリフの音声」と「文字の字幕」とで意味が全く正反対になるようなことはありませんでした。

「音も can't ではなく、can に聞こえる」し、「全てのメディアの字幕において、can't という否定文表記をしているものはなく、can または could という肯定表現になっている」という理由から、このモニカのセリフは、I can go on pretending-- だと私は思います。

そして、mqさんのご意見にあった、「(しようと思えば) ふりを続けることもできる」を肯定形で言うなら could になる、というお話と、実際に Blu-ray では could が使われているという件について。

これについては「モニカの気持ちは could に近いものだけれど、実際には can と表現したことで、このような一連のやりとりが自然に繋がる」と私は考えています。

この記事の前のシーンで、フレンズたちは口々に「他に好きな人がいるの?」「それで終わりなの?」「せっかく心を開いて、好きになり始めたっていうのに、、」と、モニカがアランと別れることに反対の姿勢を見せていました。
これ以降のやりとりを、話者の気持ちを含めて解釈してみると、

あまりにみんなが自分を責めるので、
モニカ: Look, I- I can go on pretending-- (ねぇ、私は(彼のことが好きだという)ふり(お芝居)を続けることもできる…)
と「そりゃあ、好きなふりを続けて付き合うことも可能…」と言いかけたところ、
話し終える前にジョーイがすかさず、
ジョーイ: Okay! (よし![そうしてくれよ!])
隣のチャンドラーも「是非そうしてくれ」という顔。
モニカは、とんでもない! という口調で、即座にそれを否定して、
モニカ: No. That wouldn't be fair to me... (いいえ(それはダメよ、無理よ)。もしそんなことをしたとしても私にとってフェアじゃないし…)

仮にモニカのセリフを、I can't go on pretending だとすると、誰も「好きなふりをすればいいじゃん」とも言っていないのに「好きなふりをすることなんてできないわ」と自ら言い出したことになり、「好きなふりをするという案を自分から出した上に、それを自ら却下している」というのが流れ的に不自然な気がします。
誰かにそうしろ、と言われたわけでもないのに、いきなり「そんなことできないわ」と言うのは唐突な感じがする、ということですね。
モニカはみんなが責めるので「そりゃあ、こういうこともできるけど」のように、I can go on pretending to like him, but... のような逆接を続けたかったのだろうと思います。それを言う前に、ジョーイがモニカの話を遮る形で Okay! 「よし! できるって言うんなら、是非そうして!」と言ったので、「いやいや、ちょっと待って。最後まで私の話を聞いてよ」という感じで、モニカの方も即座に、問答無用という感じで、No. と言ったのだと思います。
「こういうこともできる…」「よし(そうして)!」「いえ、だめよ」という流れになっているということですね。
pretending-- の -- という表記は、本当はこの後セリフが続くはずだったのに、別の人が会話に入ってきて遮られたという状態を示しています。「できるけど、実際にはできない」という話になる前の「できる」という時点で相手が口を挟んできたため、本当に言いたかった No. 「だめ、できない」ということをきっぱり言っている感じですね。

ここが could であれば、mqさんのおっしゃる通り「(しようと思えば) ふりを続けることもできる」というニュアンスが出せると私も思います。
実際のモニカの気持ちを表現すると、could の方が近いと思うのですが、ここで could と言ってしまうと「しようと思えば」というニュアンスが含まれてしまい、それは言外に「実際には無理だけど」ということを示してしまうように思うのですね。
モニカが I could go on pretending と言えば「そりゃあ、しようと思えば好きなふりをし続けることができなくもないけれど」という「物理的には可能であっても、そういうことをするつもりはない」というモニカの気持ちが出てしまって、ジョーイが「ぜひそうして!」と言う流れにならない気がしました。
ここでモニカがシンプルな can を使ったことで「できるって言うんなら、是非そうして!」というセリフに自然に繋がる気がするわけです。

Blu-ray で could になっていたのは「モニカの実際の気持ちとしては、could が近い」からだと思います。でもセリフとして could にしてしまうと「しようと思えばできる」というニュアンスになり、could と聞いた時点で「あぁ、これは、ふりをする気はないんだな」とわかってしまうので、ジョーイたちが藁(わら)をもすがる思いで、最後の可能性(好きじゃなくてもいいから、アランと付き合い続けること)に飛びついたという流れにするために、モニカの意図が込められていないシンプルな can を使ったセリフにした、「そういうことできるって言うんなら、是非そうしてよ!」とジョーイたちが一瞬、希望を持つことができるようにした、ということだと私は思いました。
Posted by Rach at 2017年07月30日 13:11
こんにちは

先に脚本として can と could と can't のいずれが良いのかについて書きます。

その後の That wouldn't be fair to me 以下と一番きれいにつながるのは could だと思います。

can は could の「やろうと思えばできる」の意味が、can't は could の「実際にはやらない」の意味が前面に出て、どちらも That wouldn't be fair ... とのつながりは少し悪くなりますが意味は通じます。

I can't go on pretending は、誠実な人であれば誰に言われるまでもなく当然に考えることです。一方、モニカの決意はみんなを集めて I've decided と宣言する以前から固く、一貫していると考えられます。みんなに責められて期待をもたせる台詞を言うことは考えにくいと思います。

ジョーイの Okay については、to go on pretending についての評価であると考えれば、どのケースとも適合します。

問題は音声です。私の日本語耳には n がなくて詰まった感じの kad, ked のような音に聞こえます。結局これは could と言っているのではないかと思うのですが、よくわかりません。参考意見程度に聞いて頂ければと思います。

Posted by mq at 2017年07月31日 09:57
mqさんへ
コメントありがとうございます。

「That wouldn't be fair to me 以下と一番きれいにつながるのは could」というご意見、よくわかります。モニカの言わんとしていることは「ふりをしようと思えばできないことはないけど、そんなことをしたら(人に嘘をつく、騙すようなことをしたら)全ての人にとってフェアじゃない」ということなので、モニカが自分の気持ちを誰にも邪魔されず語るとしたら、could がふさわしいだろうと思います。その「モニカの本来の意図を汲んだ形」の字幕が、Blu-ray の could になっていると私は思うわけですね。

今回のやりとりに関しては、
「できなくはないけど、そんなことをしたらフェアじゃなくなる」というモニカの意図を見せない形で can と言わせた。
そうすることで「できなくはない”けど”」という逆接が出てくる前に、「できる」という部分だけに飛びつく形でフレンズたちがそこに希望を一瞬抱いた。
という流れが可能になったと思っています。

「モニカの決意はみんなを集めて I've decided と宣言する以前から固く、一貫している」「みんなに責められて期待をもたせる台詞を言うことは考えにくい」というのは確かにおっしゃる通りだと思います。ですが「モニカが最後まで言い切る前に前半部分だけを聞いてフレンズが誤解する」という流れを入れるために、本来なら could と表現すべきところを、can と表現したというのが脚本上のテクニックなのかな、と私は思ったわけですね。
pretending-- と明らかに「セリフの途中なのに止められた」感じを出しているのも、ジョーイたちが早合点したことを示しているのだと思います。

「I can't go on pretending は、誠実な人であれば誰に言われるまでもなく当然に考える」というのは、確かにそうかもしれません。
ただ、モニカがフレンズたちの言いたいことを見越して、先回りのように「(そうして欲しいと思ってるかもしれないけど)そんなことできないわ」という意味で、I can't と言ったと仮定した場合、次のジョーイの Okay! とうまくつながらなくなるように私は思いました。

Okay! はやはり「オーケー」で、「それでよし、それでいい」というニュアンスです。I can't と言った相手に、Okay! と言えば、モニカが「できない」と言ったことを了承した、受け入れたことになってしまうように思います。
「(あなたたちはこういうことを期待してるかもしれないけど)そんなことはできないわ」という意味で I can't と言った場合に、「どうかできないなんて言わないで。頼むからそうして」と言いたいのであれば、「どうかお願いだから」という懇願の表情を浮かべて、Please! (もしくは Oh, come on! など)と言うのがふさわしい気がします。
今回のシーンの、ジョーイの Okay. や、その隣のチャンドラーの「どうかそうして」というような手の動きは「できる」と言ったことに対して「よし、そうして」と促しているニュアンスに見え、「どうかできないなんて”言わないで”」と言っているような印象は受けませんでした。

音声については、私も何度も聞き直してみているのですが、カタカナで書くと、「アイ・カン・ゴーオン」みたいな感じに聞こえ、could の -d の音ではなく、can の -n の音の方が聞こえるように思います。can't だと強めに発音するので「カン」というより「キャン」になりますし、やはりここは can と言っているように思えました。
Posted by Rach at 2017年07月31日 12:05
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