2006年01月31日

フレンズ2-9その4

レイチェルへ話しかけるロス。
ロス: I got you a little present. I'll open it. It's a Slinky! (レイチェルにちょっとしたプレゼントを買ってきたんだ。[レイチェルが反応しないので] 僕が開けるよ。ほら、スリンキーだ!)
ロスはスリンキーの歌を歌いますが、レイチェルが怒っているので、
ロス: Just a big spring. (ただのデカいスプリングだよ。)
前回の「レイチェルとジュリーの長所短所リスト」の件で、レイチェルはすっかり怒っています。
それを何とかなだめようとプレゼントを買ってきたロスですが、普通ならプレゼントを貰った方は、喜んで "Can I open it?" 「開けてもいい?」と聞きますよね。
でもレイチェルはムスッとしていて、開ける気全然なさそうなので、ロスが気を利かせて(笑)、箱を開けてあげてます。
このスリンキーの歌は、恐らくCMソングだと思うのですが、そうやって歌を歌って何とか盛り上げようとしたけど、レイチェルは余計に怒ってしまったようです。
ロスの捨て台詞に笑えますね。

ロス: Hey, Gunther. You got stairs in your place? Go nuts. (ねぇ、ガンター。君の家には階段がある? これで大いに楽しんでくれ。)
nuts は「気が狂った、夢中で」という意味。
go nuts は「夢中になって、熱を上げて」という意味です。
何の変哲もないおもちゃのようですが、これが階段をくにょんくにょんしながら降りていくのを見ていると、何だか目が離せなくなりそうですね。
こういう単純なおもちゃほど見てると妙にハマっちゃうんですよ。ハマる人は、だけど(笑)。

ロスはいろんな人にプレゼントを買ってきたようです。
ママには何故かジャラジャラした飾りがついたブラウス。
モニカ: Ross, that is gorgeous! Look at these authentic fake metals! Mom's gonna be voted "best dressed" at the make-believe military academy! (ロス、それってゴージャスね! この正真正銘のフェイクメタルを見てよ! ママは、空想上の士官学校のベストドレッサーに選ばれるわね。)
authentic は「本物の」という意味。
でも後に続く言葉が fake metal 「ニセの金属」なので、これは「どこから見てもニセモノにしか見えないチャチなキンキラ」という感じでしょう。
子供のオモチャみたいな感じですかね。
make-believe は「見せかけの、偽りの、空想上の」という意味。
military academy は「(陸軍)士官学校」です。
つまり、勲章がたくさんついた軍服みたいに見えるけど、飾りがチャチでとても本物には見えないから、「空想上の」と言っているのですね。

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posted by Rach at 13:26| Comment(4) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月30日

フレンズ2-9その3+クリスマスの12日の話

今日のトピックは、ちょっと時期はずれですね(笑)。
また、説明が長くなってます。
私は調子に乗ると文章が長くなり暴走する傾向にありますが、その分、読者の方は疲れるんでしょうねぇ。
わがままな管理人をお許し下さいませ。

セントラルパークにて。
ジョーイ: I can't believe it's Christmas already. One day you're eating turkey, the next thing you know, lords are a-leaping and geese are a-laying. (もうクリスマスだなんて信じられないよ。ある日、七面鳥を食べてたら、次には、ほら、♪貴族たちが飛び跳ねて、ガチョウたちが卵を lay してる♪だよ。)
チャンドラー: Which is why geese are so relaxed this time of year. (ガチョウがこの時期、すごくリラックスしてる理由はそれだな。)
turkey は「七面鳥」、感謝祭の定番料理です。
geese は goose (ガチョウ)の複数形です。
lords are a-leaping and geese are a-laying は、The 12 Days of Christmas 「クリスマスの12日」というクリスマスキャロル(Christmas carol クリスマス・イブに歌う聖歌)の一節をもじったものです。
マザーグースの中のひとつだそうです。
この歌は、My true love (私の愛しい人、愛しいあなた)が、12日間、1日1品目をプレゼントしてくれる、という歌になっています。
種類は1日1種類なんですが、それが1日目は1個、2日目は2個と、だんだん品物の数が増えていくのが面白いんですね。

以下のサイトに、この歌の歌詞や説明が詳しく書かれていますので、興味を持たれた方は是非ご覧になって下さい。
イギリス生活 写真でつづる英国 クリスマス・キャロル〜The 12 Days of Christmas
ケルンだより その2 今年のクリスマスの出費試算
大好き!マザーグース 歳時唄:12月25日 クリスマスの12日 

上のサイトで知ったのですが、このプレゼントを全部購入するといくらになるか、アメリカの銀行が毎年計算して発表しているそうです。(それで物価が分かるということらしい?)
それくらい、アメリカ人にはなじみのある歌なんですね。

ですから、ジョーイがこの歌を歌っているのは、クリスマスのことを言っているのだとわかります。
この展開は、日本語で言うと、「ある日、豆と巻き寿司を食べてたら、次には♪お内裏様とお雛様♪だよ。」みたいな感じでしょうか?
節分の食べ物、ひなまつりの歌を出すことで、「こないだ節分だったのに、早いもんで、もうひなまつりだもんなー」ということを直接「節分」「ひなまつり」という行事を表す言葉を出さずに表現する方法ですね。
当然、ジョーイのセリフは、「こないだ感謝祭だったのに、もうクリスマスじゃんか。」ということを言っているのです。

で、そのジョーイのセリフまでは意味がわかるんですが、このやり取りで私が悩んでしまったのは、チャンドラーの返答「ガチョウがリラックスしている」なんですよね。
どうして、この時期(クリスマス)にガチョウがリラックスしてるんでしょう?
何となく、クリスマスの食卓にガチョウが並んでいてもおかしくない気もするんですけどね。(ご馳走っぽいし。)
実は一度はこの謎解きをあきらめかけたんですが、ある方から「どうしてリラックスしてるんでしょう?」って聞かれたので、頑張って調べよう!という気になっちゃいました。(←私って単純・・・)
そこで、この歌詞のフレーズをもう一度、じっくり検討してみよう!と思います。

ジョーイは歌詞を少し変形させて使っていましたが、本当の歌詞は、
Twelve lords a-leaping (12人の飛び跳ねている貴族)
Six geese a-laying (6羽の卵を lay しているガチョウ)
をプレゼントされることになっています。

a-leaping や a-laying というちょっと見慣れない形になっているのは、a- は古語で、-ing 形(動名詞または現在分詞)につけて「・・・して」「・・・中で」という意味になるそうです。(現在の-ing 形は、この a- が省略された形らしい。ちょっとこの辺りの解説は厳密とは言えませんけど。)

lay は「・・・を横たえる、置く」という他動詞で、「(鳥などが)(卵)を産む」という意味もあります。
恐らく、卵をポンと産んで地面に置く感じなんでしょうね。
目的語を取らずに、「卵を産む」という自動詞としても使えます。
Six geese a-laying については、ネットで "a-laying 卵"と検索してみたところ、マザーグースの日本語訳としては「6羽の卵を抱く[抱いている]ガチョウ」か「6羽の卵を産む[産んでいる]ガチョウ」という訳に分かれます。
日本語のリズムと”プレゼント”として可能だと思われてビジュアル的にも納得できるのは、断然「卵を抱くガチョウ」なので、マザーグースの日本語訳としては「卵を抱くガチョウ」で自然でしょうね。
でも、本当はどういう状態のガチョウを言っているんでしょうねぇ?
そこが実はチャンドラーの答えを解く鍵になるのかな?と思うのですが。

辞書通り、lay を「卵を産む」と理解して、進行形をまさに「進行中の動作」だと考えると、卵を産んでいる最中のガチョウをプレゼントするのは不自然なような気もします。
途中で、卵が落ちて割れちゃうよ〜!?
まぁ、それはカゴに入れて渡せば解決するような気もしますし、プレゼントとして不自然という意味で言うと、「飛び跳ねている貴族を12人プレゼントする」方がよほど不自然ですけどね(笑)。

産卵行為真っ最中であるとすれば、出産経験者の立場から言わせていただくと、あれは「リラックス」してるというよりは「かなり力が入って、りきんでいる」という表現がふさわしいのでは?と思いますし。(ちょっと生々しかった?)

そこで考えたのは、この laying という進行形は「今まさに産もうとしている、これから産むところの」という意味と解釈した方がいいのではないか?です。
「ハートで感じる英文法」の大西先生メソッドで言うと、まさに「躍動している」進行形なわけで、「産む」という行為にまさに移行しようとする状態を示している、という感じでしょうか?
He is dying. が「彼は死にかけている。」という訳になるのと同じで、laying は「卵を産みかけている」という感じ。
つまり卵をもうじき産みそうなガチョウを6羽プレゼントした、ってことですよね。

ちょっとここからは私の勝手な想像なんですが、そのように解釈すると、クリスマスの時期は、この歌に出てくるガチョウは、産卵準備中、産卵間近ということになります。
すっかり産み終わってしまったら、もう用済みだ、ということで処分されてご馳走になってしまう可能性もあるのですが、今まさに産もうとしているところなら、とりあえず産んでしまうまでは貴重な存在であると言えますよね。
また、産卵したてでも、卵が目的じゃなくて、ガチョウを繁殖させることが目的だとしたら、その卵を抱いて孵化させる、卵をかえす(hatch)という作業もあるし、しばらくは安泰かもしれません。
だから、この歌の歌詞どおりの状況だったら、このクリスマスはちょうどそういう時期に当たるから、この時期だけは、自分たちが食べられる可能性はない(食卓に上らない)、だから安全なのでリラックスしてるんじゃないか、という気がするんですけど・・・。

だから、このやり取りを強引に日本語にしてみると・・・
ジョーイ: ♪ガチョウは卵をもうじき産みそう♪だな。
チャンドラー: 卵を産み終わるまでは、ガチョウも安泰だな。
って感じでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
うーん、久々の謎解き、面白かった!!(解けたかどうかは知らないけどね・・・わははっ)

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posted by Rach at 10:40| Comment(28) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

フレンズ2-9その2

クリスマスのチップの代わりに、クッキーをあげようとするモニカ。
モニカ: We're broke, but cookies do say that. (確かに私たちはお金がないわ。でも、クッキーは確かにそういうこと(心を込めたこと)を伝えるのよ。)
broke は「無一文で、破産して、お金がなくて」という意味。
break という動詞の活用は break-broke-broken なので、break の過去形と、この形容詞 broke とは同じ形になります。
これは break が「(人を)破滅させる、破産させる」という意味があることから来ているのですが、受動態として過去分詞形の broken を使うのではなく、過去形の broke を形容詞的に使っていることに注意して下さい。

(2007.10.17 追記)
以下の記事で、この部分に当たるシーンの追加説明をしています。
興味のある方は覗いてみて下さい。
フレンズ2-9その17
(追記はここまで)


ジョーイ: You're not gonna like this. (これは好きになれそうにもないと思うよ。)
このセリフは回りくどいですが、つまりは「ひどいよ。」ということ。
これから見せるものを見たらいやな気持ちになるよ、と、ひどいことが来ることを暗示しているセリフです。
チップがクッキーだったことに怒った新聞配達員が新聞をめちゃくちゃにしていたんですね。

モニカ: He did my crossword puzzle. (新聞配達員のやつ、クロスワードパズルを先にやっちゃってるわ。)
ロス: Yeah, but not very well, unless 14 across, "Gershwin musical", actually is "Bite me, bite me, bite me." (そうだね、でも、あんまりうまく出来てないよ。もしこれが正しいのなら、14のヨコが「ガーシュウィンのミュージカル」じゃなくて、「むかつく、むかつく、むかつく。」になっちゃうからね。)
フレンズのメンバーはよくクロスワードをしていますよね。(特にロスとチャンドラー?)
だから、先にされちゃうと楽しみが減っちゃうわけです。
Gershwin とは、作曲家の George Gershwin (ジョージ・ガーシュウィン)のこと。
代表作は「ラプソディー・イン・ブルー」など。
多分、配達員はクロスワードパズルをやったのではなく、たまたまあった白紙のマス目に、自分の怒りをぶつける言葉を書き並べただけなのですが、それをロスは「クロスワードが間違ってる」と言ってるのですね。
この unless を使った表現を訳すのが難しいのですが、unless は否定の条件を表して、「・・・でない限り、もし・・・でなければ、・・・なら話は別だが」という意味になります。
ロスのセリフを直訳すると、「彼はクロスワードを正しく解けてない。もし、14のヨコの「ガーシュウィンのミュージカル」のところが、本当は「バイトミー、バイトミー、バイトミー」という答えなら、話は別だけどね。」ということ。
つまり、本当の答えが「バイトミー・・・」なら彼は上手にクロスワードを解いたと言えるんだけどねぇ、という感じ。
実際は、「バイトミー・・・」が答えなわけはないので、だから彼は間違ってるよね、クロスワードは得意じゃないようだねぇ、と言っているのです。
(ちょっと説明がややこしかった?)

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posted by Rach at 11:23| Comment(8) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月28日

フレンズ2-9その1

シーズン2 第9話
The One With Phoebe’s Dad (パパをたずねて)
原題は「フィービーのパパの話」

フィービー: Ugly Naked Guy is decorating his tree. You should see the size of his Christmas balls! (裸のブ男がツリーを飾ってるわ。彼のクリスマスのボールのサイズを見てよ!)
このセリフを聞いて、ロスがびっくりしたような顔をしてますね。
このフィービーのセリフ自体は、ただ単に例のブ男氏がクリスマスツリーの飾り付けをしている、というだけのようですが、それが木だとか玉だとかという単語を使っているので、「あるもの」(笑)を指しているようにも聞こえますね。
それでロスは「ボールのサイズ」と聞いて、ピクっと反応してるわけ。

ジョーイ: How much did you tip the super? (管理人にいくらチップを渡した?)
super は superintendent の略で、「アパートなどの管理人」のことです。
このように、super と省略して呼ぶことの方が多いようですね。
日本でスーパーというと、supermarket のことですが、英語では super とは言いませんのでご注意を。

モニカ: Money is so impersonal. Cookies says someone cares. (お金だと非個人的だわ。クッキーなら誰かが心を込めたってことが伝わるでしょ。)
impersonal は personal 「個人の」の反対語です。
意味は「非個人的な、個人の感情を交えない、人格を持たない」ですが、ニュアンスとしては、「その人の姿が見えてこない、他の人との区別がつかない、個性がない」という感じでしょうか。
よく日本のODAなどの国際援助は、「顔が見えない(顔の見えない)援助」だと言われますね。
英語では顔が見えないは invisible, faceless と訳されるようですが、ニュアンス的には impersonal に似てるんじゃないかな?と私は思うのですが。
impersonal というのは、そういう「相手の顔が見えない、相手がどんな人かわからない、誰からもらっても同じ」という意味なんじゃないかなぁ?

実はある方から、なぜ "Cookies says" となっているんでしょう?というご指摘がありました。
つまり、cookies (複数)+ says (3単現のs )になっているのは変じゃないか、ってことですね。
私が上に書いたのはDVDの字幕ですが、ネット上のスクリプトでも、"Cookies says someone really cares." と really は入っていますが、同じように、"Cookies says" と書いてあります。
指摘を下さった方によると、cookie (cookyとも綴る) says と言ってるように聞こえるとのこと。
私も頑張ってリプレイして聞いてみましたが、確かに cookie says と言ってるように聞こえるような・・・(ちょっと自信ない・・・泣)
私が思うに、cookies says と cookie says との違いは、クッキーズのズが聞こえるかどうかというより、クッキーとセズの間隔が長いか短いかで、決まるんではないかと。
極端にカタカナで表すとすると、長い(クッキィー(ズ)セズ)だと cookies says で、
短い(クッキィセズ)と cookie says だという感じかな?
私が聞いた限りでは、間隔が短く感じるので、恐らく cookie says と言っているのだと思います。

そして、モニカが cookie says と言っているとすると・・・。
cookie は可算名詞なので、単数形で無冠詞なのはちょっと違和感を感じます。
普通は、上のように複数形になるか、単数形の場合だと a か the がつくものですよね。
ここで、無冠詞 cookie として使っているのは、Money is... との対比かな?と思います。
(money は不可算名詞で、特殊な場合を除いては冠詞がつかないので、money is が自然な形。)
「お金というものは・・・で、クッキーというものは・・・」と抽象的に使われているので、cookie が無冠詞になっているのでは?と思うのですが。
(名詞は無冠詞だと抽象的な意味になるんですよね。)
さて、真相はいかに?!

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posted by Rach at 15:23| Comment(10) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月27日

ハートで感じる英文法(その2)

昨日放送の「ハートで感じる英文法 会話編」の倒置の回を早速見ました。
大西先生のトークがどんどん調子出てきてますね。
いつまで mission を「みっちゃん」と言い続けるのかを最後まで見届けたいところです(笑)。
でもあの mission のコーナーの時間の使い方が、非常にもったいない気がするのは、私だけでしょうか・・・?(でも、あいこちゃんが可愛いから許す・・・笑)

さて、昨日の続きなんですが、実はこんな意見を耳にしました。
「あの感覚は、あくまでも日本人一人とイギリス人一人の持つイメージにすぎない」というものです。
私も全てのネイティブがああいうイメージを持っているかどうか・・・というと、すべてのネイティブに共通するものとは言えないかもしれない、という気もします。
あの説明で、何もかも説明できるだろうか?というと、それも私には何とも言えません。
何だか奥歯に物が挟まったような言い方ですが、私は英語圏で生まれ育ったわけじゃないし、英語に対するイメージを無意識に身につけたわけでもないので、正直わからないんですね。

ですが、仮に「あの感覚がネイティブ全てに共通するものではない」という意見を受け入れたとしても、それであのイメージがいい加減なものであるとは言えないと思います。
英語を研究し、学ぼうとしてこられた人が、その学ぶ過程で持ったイメージというのは、それがすべてにオールマイティーに通用しなくても、そのイメージの一部を表していることは間違いないと思うからです。
人それぞれ、感性も感覚も異なりますし、何かに対して持つイメージは人それぞれだと思います。
逆に、決まった一定のイメージがあるのであれば、世の中にこんなにたくさんの英語解説本が溢れているはずはありません。
それぞれ、いろんな方法で英語を習得された方々が、それぞれ感じたイメージで、なんとか英語を説明しようとするから、たくさんの英語関連の本があるわけですよね。

それは英語学習法も同じで、これさえやれば絶対大丈夫!などと言う王道はきっと存在しないのだと思います。
同じ教材を使っても、効果のある人とない人がいる、それは人間がみんな同じではないので、当たり前のことなんですよね。
語学には、数学のように万人に当てはまる公式は存在しないはず。
だから、先生のイメージの話を聞いて、「私にはピンと来ないなぁ。」という人もいるでしょうし、「悩みがサッと解決した。」という人もいるでしょう。
そして、大西先生が今、絶大な人気を誇っているのは、あのイメージを聞いて「ピンと来た」と思う人が多いということですよね。
逆に、かなりの英語力を持った人で、自分なりの確固たるイメージを掴んでいる人は、「私の感じ方と違う」と思われるのではないでしょうか?
でもそれはそれでいいのです。それがイメージというものだからです。

英語がわからない、と思っている人ほど、「いろんな人の意見をまずは素直に聞いてみる」ことが必要だと思います。
あらゆる人の解釈を聞いて、自分にピンと来る部分だけでも受け入れていけば、それだけでもかなりの力になると思います。
それを完全に自分のものにするには、やはり自分で英語に直接触れなければいけないと思いますが、ある程度、そういうイメージを確立してから臨む方が、恐怖感を抱かないで済むと思います。

スポーツを習うときに、理論的に良いフォームを研究したり、上手な人のアドバイスを受けたりするのと同じでしょうか。
何を始めるにしても、やみくもに始めると、ただ時間だけが過ぎていきます。
できるだけゴールからブレないように進むためには、そうやってイメージを固める必要があると思います。
その上で、自分にあったフォームに変えて行き、使えるアドバイスは使う、自分には合わないと思ったことは捨てる、を繰り返して、自分のものにしていけばいいんですね。

英語初心者の場合は、まず英語を見てイメージを掴むところまで行かないのが現状でしょう。
構文を読み取ろうと思うか、単語を調べようと思うかで、その文のイメージまではまず気が回らないですよね。
そういう人にとっては、「瞬間イメージ」を思い出すことで、パッとその文章のザッとしたイメージを思い浮かべることができるわけですから、とっつきやすいのです。
ある程度、自分でイメージが掴めるようになっている人は、「へぇ、大西先生はそんな風に見てるんだ!」という、違う人の視点を発見する気持ちで見るのも良いのではないかと思います。
そういう捉え方もあるんだなぁ、参考になるなぁ、という感じで。

何事も、学ぶ場合は、広い視野を持って、人の意見を素直に聞く心がけが必要だと思います。
できるだけ多くの考えに触れて、そこから自分の考えを固めていくことが大事です。
誰かの意見を聞いた時に、全面肯定する、あるいは、全面否定する、ということほど愚かなことはありません。
何がしかの真実を掴み取り、自分の知識を深めていくことこそ、大切ですよね。
ある程度の大人なら、取捨選択の能力も必要なのです。
何故、こんなお堅いことを書いてるのか我ながら不思議なんですけど、要は、あるものが一気に人気が出てくると、それをそっくりそのまま100%受け入れて批判に耳を貸さない人と、その揚げ足取りばかりして有効な部分すら見て見ぬふりをする人が大量に出現するからです。
(私も大西先生の話については「そっくりそのまま受け入れている」クチかもしれませんが、批判に対して感情的になるつもりはありません。)

人の理論が良いか悪いかは、受け止める人が判断すれば良いことです。
そして、相性というものもあるでしょうから、ある人には納得で、ある人には理解不可能ということも必ずあるわけなんですよね。

私は大西先生の話を聞いて、違和感は感じません。
多分、感性が似てるんでしょうね。
「ふーん、なるほど!」と思いながら毎回楽しく見ていますよ。
でも、違和感があるという人がいたとしても、それは理解できるつもりです。

それからもう一つ。
今回のブームで、ちょっと気になることを挙げるとすると、この大西先生の理論は、とっつきやすく簡単に見せていますが、実は「簡単」であることがポイントではないはずなんですよね。
でも、「昔習った、小難しい英文法に比べて簡単だから、理解しやすい。そうか、英語はこんなに簡単なんだ!あんな文法書は捨てちゃって、これだけやってればいいんでは?」みたいな印象をもし受けた人がいるとすれば、ちょっと問題なのではないかなぁ、と思ったり。

でも、大西先生ご自身が「ハートで感じる英文法」の本の帯に、このようなことを書いておられます。

英文法の「知識」はムダではない、それを「感覚」に転換すればよい。

だから、決して、いわゆる文法書はムダでも不必要でもないんです。
でも、「英語は難しいからわからない、勉強したくない。」と言う人がたくさんいるよりは、「簡単そうだから、ちょっとやってみよう。」と思う人が増えた方がいいのは、間違いないんですけどね。

たまには真面目なことも書こうと思ったけど、ちょっと違和感ありますかねぇ?(読んでて気分害された方がおられたらごめんなさい。)

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posted by Rach at 13:18| Comment(10) | 英文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

ハートで感じる英文法(その1)

英語ブロガーなら誰でも一度は記事にする(?)ご存知、大西泰斗先生&ポール・マクベイ先生の「ハートで感じる英文法」について、今日はじっくり語ってみたいと思います。
堂々と記事のタイトルに持ってきたのは今回が初めてですね。
こうしてアピールすることで、今まで私のブログを見たことなかった方に、ちょっと覗いてもらえるかも・・・という魂胆も、もちろんあります(笑)。

この番組と大西先生については、年末の記事
自分のブログを振り返る(その1)自分のブログを振り返る(その2)
で少し書きました。
そのため、今日の記事も、それとかぶるところが多々ありますが、ご了承下さい。

年末の記事の時は、再放送の合計4回分を見ただけの感想でした。
それから、お正月の一挙再放送を見て、1月からの会話編はテキストも購入して見ています。
私はNHKの英語番組を決まって見ることはあまりしないタチで、TVがついていれば見るけど、毎週決まって見るのは今回が初めてです。
ましてやテキストを買ったのも初めて。
おまけに1月に入ってから、大西先生の本を2冊も買ってしまいました(笑)。
ハートで感じる英文法―NHK3か月トピック英会話 →ちょこちょこ飛ばし読みしました。
ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 →まだちっとも読んでません。早く読まねば。

まあ、要するに典型的な”にわかファン”なわけですが、何故に私がここまで一気に先生の理論に魅かれたか、というようなことを、今日は書きますね。

共感した部分と、斬新だった部分
「英語をイメージで捉える」というのは、私のポリシーでもあります。
カテゴリー DVD学習法 で、私のDVD5段階活用法について説明していますが、DVDの音声と字幕(その3) の記事では、「イメージ」について以下のように語っています。

大事なことは、「ニュアンス」「イメージ」です。
英語を英語として理解する、ということは、英語のセリフを「日本語に置き換えるのではなく」、観念的にイメージで捉える、ということなのです。


大西先生の、「大切なのは、日本語訳ではなく、”感覚”や”イメージ”だ」というお話が、その私のポリシーに似ているのを感じて、共感を覚えたわけです。(一緒にすんなー!というお怒りの声も聞こえてきそうですが、厚かましくも自分では「似ている」と思ってて・・・笑)

その私にとって斬新だったのは、大西先生が、「過去形」「-ing形」あるいは構文などもイメージに置き換えることができる、と言われた点です。
ネイティブのスピードについていける理解度なら、そういう構文も実はどこかでイメージが出来ているものかもしれませんが、私はその部分を”はっきりと人に説明できるほどの確固たるイメージ”で認識したことはありませんでした。
過去形はやっぱり「・・・した」、-ing形は「・・・している」という和訳以上のものはなかったのです。
構文についても、単語の並び方とその構文の日本語訳をただ覚え、それが出てくる度に、その和訳に当てはめていたに過ぎない気がします。

後で述べますが、名詞、動詞、形容詞、前置詞・・・などは、自分の中で「日本語訳」ではなく、「イメージ」で置き換えていた、という自負があったのに、それを文法的な要素にまで広げていなかった自分に気が付いたんですね。
私は「ハートで感じる英語」を常に心がけていたつもりなのに、やはり英文法の部分については「ハートで感じていなかった」、だから、先生の説明を聞いて、「なるほど!」と大きく頷いてしまったのです。
つまり、どうしても決まった形や和訳に当てはめてしまいがちな英文法を、イメージで捉えるということの斬新さが、一番魅かれた理由なんですね。

イメージに置き換える利点
大西先生の番組を見て、私が面白い!と思ったのは、イメージを「しぐさ」「動作」「一言の言葉」に置き換えているところです。
会話編ではそれに加えて、「1枚の絵」も出てきましたね。
先生のお話がとっつきやすいと思うのは、そのイメージを「これ」とはっきり示す形で提示されているところです。
英語を学んでいると、ある程度、自分の中で漠然とした単語や構文のイメージを持ってくるものですが、いざそれを人に説明しようとすると、これが結構難しい。
説明はできるけど、結構長々と語らないと、伝わらない感じがします。
それを先生は、いったん「何らかの形で、瞬間的に思い浮かべることのできるイメージ」に言い換えてから、そのイメージを後からじっくり説明されていますよね。(”瞬間”と表現したのは、先生が言葉にしてもしぐさにしても、どれでも一瞬で表現できるものを選んでいる、ということです。)

その「瞬間イメージ置き換え」というのは、英語を日本語の言語に置き換えるより、数段上のレベルだと思います。
そして、会話編のあの「絵」もそのイメージをパッと思い浮かべる良いアイテムだと思うんですね。

例えば、会話編の if の話で、if と聞くと、受験英語をした人なら反射的に「もし・・・なら」(あるいは「・・・かどうか」)と答えると思うのですが、そうやって日本語訳を思い浮かべてからイメージするよりも、あの道路標識の絵をパッと思い出した方がスッと英語に入っていけると思います。
先生は主に日本人が苦手とする英文法でその手法を使われていますが、それは単語ひとつひとつについても言えることで、例えば cockroach という単語を見たときに、「ん? コックローチ?あぁ、ゴキブリ・・・ゴキブリかっ!」とタイムラグがあるよりも、cockroach と聞いた瞬間、あの姿をパッと思い出し、日本語のゴキブリという単語を思い出す前にゲッ!と驚く、みたいな瞬時の対応ができないと、いつまで経っても英語を聞いた瞬間に理解できるようにはならないんじゃないかと思うのです。
もう cockroach という単語を見ただけ、あるいは聞いただけで、背筋が寒くなる、くらいの反射神経(?)が必要なのではないかなぁ、と。
つまり、間に「言語としての日本語訳」を挟む余地をなくして、ダイレクトにイメージする、というポリシーが、私には非常に納得できるわけですね。

私が英語学習法として使っているDVDの字幕切り替えは、切り替えた日本語訳のニュアンスの感じを「文字としてではなく」「イメージで捉えて」英語のセリフを理解しよう、というものです。
(”英語のセリフを日本語訳のセリフとイコールで結んで一対一対応で暗記する”、のではありません。)
さらにDVDを使うと、映像を見てさらに理解を深めることができる、という利点もあります。
その英語が話された場面の状況(緊迫しているか、リラックスムードか)や、本人の口調(きつい調子か柔らかい調子か)、本人の表情(怒っているか、笑っているか)などのたくさんの情報から、そのセリフの意味する全体のイメージを掴むことができます。
ただ、そのイメージというのは、なかなか口では説明しにくくて、もうDVDのその場面を見て感じ取って下さい、としか言えないんですよね。
ですから、大西先生が「このイメージはこれだ!」とはっきり名言されていることが、潔いし、受け入れやすいと感じるわけです。

以下は、自分の学習法の宣伝みたいになりますが・・・。
DVDを使って映像を見ることで、動詞や前置詞のイメージを掴みやすくなるという利点があります。
動詞は、その動詞が使われた状況、その人物が行った動作、しぐさを観察することで、その基本的なニュアンスを理解できます。
簡単な単語(get や take や put など)であればあるほど、いろんな場面で、いろんな意味に派生して使われているのに気付くことも出来ます。
文字だけ見ていれば何通りにも解釈できそうな簡単な単語でも、特定の状況では、常識的に判断するだけで特定の意味に限定され、双方誤解なく話が進んでいくのですね。
またよく動詞と一緒になってイディオムを形成する前置詞は、方向、位置関係などいろんなことを示す単語ですが、それもどんな動詞と使われて、どういう動作になっているかを見ることで、自ずとその前置詞そのもののイメージも確立してくると思います。

わー、またまた長くなっちゃった。(ここのところ、長い文章が続いて、皆さんもげんなりですよね。ごめんなさい。)
でも、もう少し言いたいことが・・・。
明日も続いて書きます。

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posted by Rach at 13:52| Comment(8) | 英文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

知覚動詞seeの完了形(その2)

昨日の続きです。

過去の記事では、私の解釈が二転三転した結果、解釈の正しさを証明するのに、「継続ではないこと」を証明することにやっきになっていた感がありました。
だいたい、私は不可能であることから潰していって、残ったものが正しい答えだ、という導き方をすることが多いです。つまり「消去法」。
文法的にダメだから、などの不可能である理由を探すのに夢中になってしまうんですね。
ですが、英語はあくまでも人の気持ちを表す言葉。
もちろん文法的におかしいものはやはりおかしい文章なんでしょう。
でも、ネイティブは「普通はそんな言い方はしないよなぁ」と思えば、それがいくら文法的には可能な文章でも、やはり不自然な表現になってしまうんですね。

昨日、悩んだ「視覚に映る」意味で、継続か可能かどうかに、何故私がそこまでこだわったかについて、ちょっと書きたいと思います。

1.私が 動詞 see を「継続の概念と相容れない(継続として使うにはふさわしくない)」と考えた理由

過去の記事では、現在完了形の文法や、使われている see という動詞の性質から、このセリフが継続ではないかを証明(笑)しようとしたのですが、その証明にやっきになって、だんだん視野が狭くなり、極論を述べた気がします。(だいたい、私は調べ物をしていくうちに、視野が狭くなる傾向にありますね。反省しております・・・)

まず、「経験」だと思うのが自然だという理由は、昨日も書きましたが、
Have you ever seen...? (・・・を見たことありますか?)
I have never seen... (・・・を今まで見たことがない)
というのが「経験」の典型的な例だからです。
つまり、see という動詞が「経験」として使うのにふさわしい単語であり、だからそれを「継続」として考えるには、それなりの強い理由が必要だろう、ということです。(例えば、「期間」を表す副詞句がある、など)

それから、大西洋横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの残したこんな言葉もあります。
I have seen the science I worshipped and the aircraft I loved
destroying the civilization I expected them to serve.

これは「have seen+目的語(the science I worshipped and the aircraft I loved)+現在分詞(destroying)」の知覚構文です。
これをそれらしい日本語に訳すとすると、「私が崇拝した科学、そして私が愛した飛行機が、私がその2つが奉仕することを期待していた文明を壊すところを、私は見てきた。」という感じでしょうか?

名言なのに(なので?)何とも回りくどいですが(日本語に直すから、なおさら回りくどいとも言える)、この「見てきた」と訳してしまった部分は、本当のところはどういう状況を指しているんでしょう。
これも訳すことの弊害と言えますが、「見てきた」というと、「ずーっと見てきた」それから「ずーっと見ていた」に通じるところがあるので、一瞬「継続」のニュアンスだろうか?と思ってしまうのですが、この文章から判断すると、科学や飛行機が文明を「まさに壊している」さまをずっと長い間「継続」して見ていた、というのはやはり変な気がします。
ここはやはり、「壊すさまを見た」という「経験」をこれまでしてきた、と理解すべきでしょうね。
だから、日本語の「見てきた」というのは、「見たという経験をこれまでしてきた」という意味なわけです。
実は辞書を調べると、see には「・・・を経験する、・・・に遭遇する」という意味があり、現在完了形を使った経験の例文がいくつか載っています。
このように「経験する」との訳語があることからも、基本的には「経験」のイメージが強い単語なのだと言えると思います。

それから、同じように「見る」と訳される動詞 watch との使い分けを見ると、ますます「継続」のニュアンスが出しにくい単語なのではと思うようになりました。

see と watch と look の違い、はよく引き合いに出されますよね。
「ハートで感じる英文法」の大西先生も、その違いを説明されています。
あの「ハートで感じる英文法」冬休みスペシャルは、もともと12回シリーズだった中から8回分を選んで放映したそうですね。
その省かれた中に、「英単語もイメージだ」という回があり、そこで look, see, watch のイメージの違いを説明されたようです。
私は年末に先生のファンになってから、さっそく
ハートで感じる英文法 大西泰斗/ポール・マクベイ著
を購入して、その再放送されなかった部分を読んでみました。
あまり詳しく書くのは避けますが(これから読む方の楽しみが減るので)、see のポイントは
「向こうから入ってくる」という感触だそうです。
look は「目をやる、視線を向ける」、watch は「じっと見る、観察する」と辞書にあることからわかるように”自発的行為”ですが、see はそうではなくて、「目に映る」という、非常に”受身な”印象を受けます。
もちろん、英英辞典に notice/examine とあるように、それを受け入れるだけではなく、その後、吟味するわけですが、目を使った行為としては、look や watch に比べて、受身だということですね。
さきほど、リンドバーグの例に出した「経験する」というニュアンスも、「向こうからやってくるものを受け入れる」という see の基本的イメージを展開したものと言えるそうです。

ここでは look は省略して、see と watch の使い方を比較したいと思います。
ざくっとした訳で言うと、see は「(単に)ものが見えること」、watch は「動いているものを注意して見る、という自発的行為」を指すので、その差から、次のようなことが言えますね。

「テレビを見る」という場合、
I’ve been watching TV for two hours. とは言うが、
I’ve seen TV for two hours. とは言わない。 
(ここで watch の文章が「現在完了進行形」になっているので、単純に比較はしにくいですが、基本的な意味は have watched と同じ。
あえて言うと、普通の完了形は行為について語り、それが進行形になると動作を強調することになる、という感じ。)

また、「映画を見る」という場合、
I'm going to see a movie. (私は映画を見に行くつもりだ。)
これは、映画館に出かけて映画を見るという「経験」を指します。
I'm watching a movie in a theater. (私は映画館で映画を見ている。)
これは物理的にスクリーンをずっと見ていることを指します。

このような意味の違いから、see は一瞬でその行為が済んでしまうような感覚を、”私個人は”持っているのです。(これが正しい認識かどうかはわかりません。)
なお、この感覚は、hear と listen の使い分けにも通じます。
そして、同じように hear も Have you ever heard...? (・・・を聞いたことある?)と経験の文章でよく出てきますよね。

2.文法書の解釈を文字通りにとると・・・

手元の文法書には以下の通りに書いてあります。

現在完了形の継続の形は、
「状態動詞」や、live, walk, work などの持続的な動作を表す動詞と共に用いられる。

そして、状態動詞というのは以下の3つに分けられる。
精神活動を表す動詞 think, hope, love
知覚動詞 see, smell, hear, feel
関係動詞 belong, have, own

これを文字通りに解釈すると
「状態動詞の一種である知覚動詞に属する see は、現在完了形の継続の形で用いることができる」
と解釈されることになります。
つまり、私が「継続で使えない」と思ったことは、文法上の根拠は何もないわけですね。(ガーン!)
(念のために書いておきますと、文法書というのはあくまで大きな分類を示したものだと思うので、必ず例外はある、ということは自分でもわかっています。
ですが、この場合は、「一般的に使える」と書いてあるので、素直に捉えると、「使える」としか解釈しようがないのです。)

ですから、1.で書いたような感覚も何となくわかっていただけるかとは思うのですが、私が「see は継続としては使えない」と思った根拠は、その”感覚”のみ。
やはりどこにも「see は継続としては使えない」とは書いてないので、「使える」とみなす方が自然でしょう。
「使えない」と書いた私の記事が、私のひとりよがりな意見だったということです。

現時点での私の見解は
see は経験のニュアンスで使われることが非常に多いが、
「見なす」などの意味では継続として使われることも可能。
また、その他の意味でも、「継続として使用不可」とは断言できない。

ちなみに、ある方から、I've seen him for years. は、I've known him for years. と同じことだ、というご指摘を受けました。
日本語でも、「彼を長い間、見てきたけど・・・」などと言いますが、それと同じ感じのようです。
つまり長い間の知り合い、ってことですよね。
seen = known だと言うことは、「視覚に映る」という感覚を発展させて、
ずっと情報として目から頭に入ってきていた→知っていた、
という流れになるようです。
このように「視覚に映る」から派生した意味の広がりが継続の意味を持つわけですから、やはり see は仮に「視覚に映る」に限定したとしても、継続のニュアンスは可能なのだと言えるでしょう。

ところで、何回にも渡って、完了形とその解釈を繰り広げてきましたが、実はこのセリフの解釈、「継続か経験か、そんなのどっちでもいいじゃん!」
と言われればその通り。
とにかくレイチェルの欠点として、ルックス気にしすぎ、なところを挙げているんですね。
継続か経験かで、意味が正反対になるわけではありません。

でも、She is into.. 「彼女は・・・だ」と客観的事実を述べるのではなくて、わざわざ I've seen her be... という表現を使ったのは何故かなぁ?
ロスはどういうことを思い浮かべてこのセリフを言ったのかなぁ?と、ふと思ったんですよね。
「プロムの時、そうだったよな。」とあるひとつの過去の記憶を思い出しているのか、「そういえば、初めて会った時もそうだった、プロムの時も、再会したときも・・・」と複数の出来事を思い出しているのか、または、いつ見てもいつ見てもそんな感じだったと言っているのか?
つまり、「ずっと感」か、そういうことがあったよという「思い出話風」か?
大差ないのは承知の上で、いろいろとこだわってみました。

ここまで読んで下さった方、私のちょっとしたこだわりにお付き合い下さって、本当にありがとうございました。
「他人の考えてることは、よーわからん」的な支離滅裂な文章で、申し訳ありませんでした。

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posted by Rach at 11:39| Comment(9) | 英文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

知覚動詞seeの完了形(その1)

みたび、完了形-完結編 で記事を終える予定だったのですが、 パパが英語に目覚めたら のハルさんより興味深いご意見をいただきました。
それを読ませていただいて、いろいろ考えているうちに、もう一度、最後に自分の考えをまとめたいと思うようになりました。
そこで、ハルさんのご意見とそれに対する私の考えを書きます。
主に see という動詞についての話です。
この手の話に興味のない方には、本当に申し訳ありません。
でも、自分としては、たまにこういうことで延々悩むのが楽しかったりするのです(笑)。
ランキング下がるのを覚悟の上で書いてます(!?)

これまでの経緯をお話しますと、
そもそもは、ロスのセリフ、
ロス: And I've seen her be a little too into her looks.
が継続か経験か、という話でした。
いろいろ悩んでこれは「経験」で、私なりに日本語訳をつけるとすると、
「レイチェルが自分のルックスをちょっと気にしすぎる、ってところを見たことがあるよ。」
「レイチェルには自分のルックスをちょっと気にしすぎるところがあるよ[あったよ]。」
みたいになるかなぁ、と結論づけました。

さらに、完了形、ふたたび の記事で、私は「see という単語は”ものが見える、視覚に映る”という意味だから、”ずっと続く継続”の概念とは共存できない単語に思える。」と書いたのですが・・・。

その「see が継続の概念と相容れない」という意見に対して、非公開コメントでハルさんより興味深いご意見をいただきました。
何度かこの件についてやり取りした「二人の初めての共同作業」の結果(!?)は以下のようになります。
(実際は、ハルさんが全部調べて下さいました。それから、あまりおフザケが過ぎると、ハルさんの奥様とお嬢様に申し訳ないので、この辺でやめときます・・・笑)。

その1
see には「視覚に映る」以外にも「みなす」「付き合う」などの意味がある。
Google のフレーズ検索で、"I've seen him for" や "I've seen him since" と期間を表す表現をつけて検索すると、相当数ヒットするし、それは内容から継続として使われていることもわかったので、see は「継続の概念と相容れない動詞」だとは言えない。

その2
また、「視覚に映る」意味での継続があり得るかどうかは現時点ではわからない。

その3
I have seen her be selfish.
I have seen her as a selfish girl.
という二つの文をネイティブの先生に見せてみた結果は、(ハルさんのプライベート・レッスンの先生は、ネイティブなんですよね!)
この二つの文は同じ意味で、どちらも「experience(経験)」を意味するとのこと。
「I have seen her ... for years」とした場合は「duration(継続)」を意味するようだが、このような「for」や「since」がない場合、「have seen」は「経験」というのが、彼らの直感的な印象のようだ。


ということでした。

まず、その1について。
実は、前の記事の時に、私はフレーズ検索で用例を調べることをしませんでした。
ちょっと文法に偏りすぎて、文法書や解説書ばかりひっくり返して、実際に使われている用例に当たってみることを私は忘れておりました。
実際、フレーズ検索で継続として使われているものが出ているのなら、see という単語が継続として使用可能なのは間違いないでしょう。
もちろん、ネット上にある英文全てが正しいとは言えないのですが、「相当数」ヒットするということであれば、通常使用されている形だと思って良いと思います。
ということで、過去の記事に書いた「see は継続とは相容れない動詞だ」という私の意見を、ここで謹んで撤回いたします。
紛らわしいことを書いて、本当に申し訳ありませんでした。
(前回の記事では私は「see = 視覚に映る」という観点からしか見ていなかったのが、そもそも問題なんですね。)

その2については、後で書きます。

その3については、これは私も後から気が付いたんですが、最初の私に欠けていたのは、
「まず、先入観を捨てて、セリフを眺める。」
という姿勢でした。

ロス: I've seen her be a little too into her looks.

先入観なくこの文章を見たときに、I have seen という形を見て、現在完了形の
Have you ever seen...?(・・・を見たことありますか?) や、
I have never seen... (・・・を今まで見たことがない)
という「経験」の典型的な例を思い出して、経験だと捉えるのが一番素直なのかも、と今になって思います。

また言い訳みたいになりますが、最初の解釈で、どうして、「ずっと」という継続のニュアンスを私が感じてしまったかというと、ロスがレイチェルのことを語る時に必ずセットのように出てくる話が、ロスがレイチェルに「ずっと片思い」していた、ということ。
例えば、フレンズ1-24その6 のセリフ、

ロス: I've been in love with you since the ninth grade. (高校の時から君のことがずっと好きだった。)

などは典型的な例ですよね。

でも、よく考えてみると、「ずっと」のニュアンスを出したければ、上のように since the ninth grade とか、for a long time とか、そういう副詞句がつくのが自然です。
また、「何回も見たよ」と言うつもりだったら、often 「何回も」などの頻度を表す表現を入れるかもしれません。
言葉のイメージを強めるために、ネイティブはそういう副詞句を頻繁に使うような気がします。
例えば、何回もあったことを言うときに、"again and again and again" などしつこいくらい強調したりしますが、あれで感情を込めている、という部分もありますよね。

そう考えてからこのセリフを見ると、「長い期間」を示唆したフレーズがない、そして「頻度が多い」という表現もない、だから、「何回も」というほどでもなく「かつてそんなところを見た」という程度の、ある過去におけるエピソード的ニュアンスだと捉えるのが自然な気がしてきました。
結局、「期間」や「頻度」のどちらかを表す表現がないのだから、そこからどちらと決めるのも危険ですが、どちらがないと不自然かというと、”「ずっと」というニュアンスで期間を表す表現がない方が不自然”だと思えます。

ということで、先入観なく見た場合、このセリフは見かけ上は、「経験」と見なしやすい、と思います。
ハルさんのネイティブの先生の捉え方も、「for」や「since」がない場合は「経験」だと直感的に感じる、というのもまさにそのことですよね。

そして、今はその2のことで悩んでいます。
ハルさんに倣って、私もいろいろと Google 検索してみると、いくつか気になる表現が出てきました。(ただし、以下の文章は大量にヒットしたのではないので、間違った表現の可能性もある)
まず、I've seen him for years. という文章がヒットしました。
ハルさんが辞書で発見されたという They've seen each other for a long time. (二人は長く付き合っている。)と同じで、「彼と長年お付き合いしてきた」とも取れますが、もしかしたら「長年彼を見てきた」という「見る」意味だという可能性はないんでしょうか?
何故、素直に「付き合う」だと納得できないかというと、「付き合う」という意味で使う場合は、I'm seeing him. と現在進行形で使う場合が多いので、進行形ではない場合、「付き合う」ではない可能性もあるのでは?と思うのです。
また、以下のような文も発見しました。(発見した文章をちょっと変えてますが)
"I've seen him for the last five years. But I've never seen him like this."
これは「私はこの5年間ずっと彼を見てきたけど、こんな様子の彼は見たことがない。」という、日本語でもよくわかるニュアンスの文章になりそう。
もしそういう意味だと、まさに「継続」と「経験」を、どちらも have seen で表現していることになりますよね。
これもまた、 see は「付き合う」という行為を指しているから「継続」可能なんだ、とも言えるかもしれませんが。

もし、上の文章での see が「視覚に映る」という意味で、なおかつネイティブにとって自然な文章だとすると、「視覚に映る」という意味でも、継続は可能なのかもしれません。
もしかしたら、「じぃーっと観察してる」んではなく、「ずっと姿が見えていた、目に映っていた」あるいは「見守っていた」という感覚は継続と相容れるものなのかもしれません。

see 「視覚に映る、見る」の意味でも継続が可能かもしれない!?
のでしょうか?

もうこの辺りになってくると、正直、私にはお手上げです。
結局は、「継続」か「経験」か、という分類の話ではなく、「文法的にそれが可能か不可能か」という話でもなく、継続の形や経験の形にしてネイティブが自然に感じるか、が大事なポイントなわけですね。

ここでは「ハートで感じる英文法」方式で(笑)、ポール・マクベイ先生にフリップ(・・・って言うんでしたっけ? あのボード)を持っていただいて、街行くネイティブに聞いていただきたいところです。

フリップその1
I've seen him be selfish for ten years.
で違和感がないか?
なぜ、この構文を使ったかというと、これが「視覚に映る」という意味で一番使われる形だと思ったからです。
「see(hear)+目的語+動詞の原形(または現在分詞)」は、知覚動詞を用いているため、「知覚構文」と呼ばれますよね。
ちょうど、1月19日放送の「ハートで感じる英文法」のメインテーマだったので、タイムリーな話題でもあります。
この知覚構文で、継続の意味を持たせることができれば、「視覚に映る」でも継続は可能、ということになりますよね。

フリップその2
I've seen him for the last five years. But I've never seen him like this.
で違和感がないか? 最初の継続に使われている see は 「notice/examine, using your eyes」の意味の「視覚に映る」か、もしくは「付き合う」という意味に理解されてしまうのか?

などなど・・・。

実際のネイティブの感覚を聞いてみたいところですね?(ハルさんの先生は今お忙しいらしくて・・・一応、聞いていただくようにお願いしてあります・・・笑)

明日は、この「知覚動詞 see が完了形継続として使えるか?」に何故私がここまでこだわったのか、について語ってみたいと思います。
(ここまでこのネタを引っ張った言い訳みたいなものですが・・・笑)

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posted by Rach at 12:43| Comment(0) | 英文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

フレンズ2-8その17

マコレートのことで懲りたと思ったら、またモニカは仕事をもらいにやってきました。
ラスタター: Thanks for coming in again. (また来てくれてありがとう。)
モニカ: Not at all. I have no morals, and I need the cash. (どういたしまして。私にはモラルがないですし、お金は欲しいですし。)
ラスタター: It's like I'm looking in a mirror. (まるで鏡を見てるようだな。)
Not at all. は「全然(そんなことはない)。」という意味ですが、お礼を言われた時の返事として使うと、「いえ、とんでもありません。どういたしまして。」という意味になります。
「お礼を言っていただく必要など全然ありません。」という感じでしょうか。
モニカの発言に対して、自分自身を見ているようだというラスタター氏。
まずくて身体にも悪い食品を、感謝祭用のお菓子として売り出そうとしていたんですから、確かにモラルのかけらもないですねぇ。

ラスタター: Anyway, they're called Fish-tachios. They taste exactly like pistachios, but they're made of reconstituted fish bits. (ところで、これはフィスタチオという名前だ。味はピスタチオと全く同じだが、再構成された魚の小片から出来ているんだ。)
今度はピスタチオの類似食品。
マコレートとかフィスタチオとか、ダジャレみたいな名前ばっかりですね。
このオリジナリティーのなさが、彼らの限界を表してると言えなくもない?
さらに、「再構成された魚の小片」という部分が、ひっかかる・・・。
constitute は「構成する」です。
名詞のconstitution は「構成、組織」という意味の他に、「憲法」という意味があります。
unconstitutional は「違憲の」という意味。
よくニュースにも出てくる言葉ですね。
reconstitute は「再構成する、(水で乾燥食品を)戻す」という意味になります。

ラスタター: You're not allergic to anything? (君は何かにアレルギーはあるかな?)
モニカ: Cat hair. (ネコの毛にアレルギーがありますが。)
ラスタター: Oh, sorry. (おぉ、そりゃ残念だ。)[と言って、勧めようとしたフィスタチオを引っ込める]
「再構成された魚の小片」という説明から、そんな予感してたんですよねぇ(笑)。
つまりはネコが食べ残した魚の骨から作った食品だということですな。
どこからそんなにネコの食べ残しを集めて来たんだろう?(やだ、想像したくない・・・)

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posted by Rach at 13:17| Comment(10) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月22日

フレンズ2-8その16

モニカの作ったマコレートのレシピに興味なさそうなラスタター(←マコレートの会社の人)
ラスタター: Doesn't matter. (まあいいさ。)
Our FDA approval didn't come through. Something about laboratory rats. (米国食品医薬品局の認可が下りなかった。実験用ラットのことでね。)
"Doesn't matter." は "It doesn't matter." のことで、「どうでもいいよ。」という意味。
ここでは、モニカがレシピの説明に苦慮しているので、もうそんなことは気にしなくてもいいんだ、もうどうでも良くなってしまったんだ、と言っているのです。
その理由は、というと・・・
laboratory は「実験室、試験所」という意味。
日本語でもラボラトリーとかラボとか言いますよね。
laboratory rat は「実験用ラット」のことです。
rat は大型のネズミで、mouse は rat より小さいハツカネズミのこと。
英語の rat には「卑劣、汚い、臭い、不潔」という悪いイメージがありますが、mouse にはそういう意味はなく、おとなしい動物というイメージだそうです。(日本だと、ネズミはネズミで、rat と mouse の違いとかあんまりピンときませんが。)
そういう悪いイメージだから、実験用に使うのに抵抗がないんでしょうか? (動物愛護の人とかがうるさくないのかな?)
mouse に悪いイメージがないのは確かにそうですね。
もし悪い印象を与えるのなら、ミッキーマウスが愛すべきキャラクターにはならないし、パソコンの部品にマウスという名前をつけたりしないでしょう。
日本で不潔というとゴキブリですが、「ラヴリー・ゴキちゃん」とかいうキャラを作っても人気出なさそうだし。

rat から随分話がそれましたが、認可が下りなかった理由については、something about laboratory rats(実験用ラットに関する「あること」)としか言っていませんね。
これは恐らく、食品として安全かどうかを調べるために、何日間にも渡って、実験用のネズミにマコレートを食べさせた結果、ネズミが病気になった(あるいは死んだ)ので、認可が下りなかった、ということらしい、と推測されます(笑)。

ラスタター: Listen, you didn't eat a lot of it while you were cooking, did you? (ところで、マコレートの料理を作っている間、マコレートをたくさん食べなかったよね?)
モニカ: Well, I ate some. (えぇ、いくらかは食べましたけど。)
ラスタター: Oh, some is fine. Some is not a lot. So it doesn't burn when you pee, does it? (あぁ、いくらかならオッケーだ。「いくらか」は「たくさん」じゃないからね。それで、おしっこする時に焼けつくような痛みはないよね?)
burn は「燃える」ですが、「燃えるように感じる、ほてる、ひりひりする」という意味もあります。
上の訳のように日本語にも「焼けつくような痛み」という表現があるところが面白いですね。
このやりとりで、先ほどの認可が下りなかった理由は確定しました(笑)。
FDA の検査結果報告に、「この食品を大量に食べると実験用マウスの腎臓や泌尿器系に悪影響を及ぼす。」とか書いてあるような気がしますねぇ(笑)。

ロスに頼まれてラジオをかけるモニカ。
ラジオのDJ: The next one's dedicated to Rachel from Ross. (次の曲は、ロスさんからレイチェルさんに捧げられた曲です。)
dedicate は「・・・を捧げる、献身する、(著書、作曲などを)(人に)謹呈する」という意味。
よく本の扉に"Dedicated to ..." 「(本書を)・・・にささぐ」とか書いてありますよね。

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posted by Rach at 15:32| Comment(16) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする