2006年10月31日

フレンズ2-21その25

さぁ、殴り合いを始めようという時に、
チャンドラー: Question: If I don't care about my watch, can I use it as a weapon? (質問。もし俺が時計がどうなってもいいと思ってたら、武器として使ってもいい?)
ロス: What do you mean? (どういう意味だよ?)
チャンドラー: It's sharp, it's metal. I think I can do some serious damage with it. (とがってるし、金属だし。これで深刻なダメージを与えることができると思って。)

開き直ったチャンドラーは、「時計が壊れるのを俺は気にしないから、そういう場合は使ってもいいのか?」と尋ねていますね。
相手が「使ってもいい」と言うわけはないのですが、その前にアーサーが言ったセリフ「壊れたらイヤだから時計を外す」の論理で言うと、逆もまた可能だよね、と、1つの考え方を提示してみているだけでしょう。
どう考えても、チャンドラーがそんな乱暴なことをするとは思えないんですよねぇ。
もちろん、時計が壊れるのもイヤなタイプだと思いますし。
ただそんな風にチャチャを入れたくなっただけですね(笑)。


武器になりそうなものをキャップに入れて、さぁこれから、という時に、また
ロス: Before I forget, are we hitting faces? (忘れないうちに言うけど、顔は殴ってもいいの?)
カール: Of course, we're hitting faces. Why wouldn't you hit faces? (もちろん殴るさ。どうして顔を殴らないなんてことがあるんだよ。)
ロス: I have to work on Monday. I have a big presentation. (月曜日に仕事がある。大きなプレゼンをしないといけないんだ。)
アーサー: Actually, I gotta show this apartment tomorrow and this no-faces thing might not be a bad idea. (実は俺、明日、このアパートを案内しないといけないんだ。だから、この「顔はナシ」っていうのは悪いアイディアじゃないけどな。)
カール: Nothing from the neck up. Or the waist down. Dana's ovulating. (首から上は、なしだ。それから、腰から下も。ダナが排卵期なんだよ。)
アーサー: Really? You guys trying again? (マジで? お前たち、またトライするつもりか?)
チャンドラー: Let me get this straight. We're talking about the middle? (このことを整理させて。つまり”胴体”について話してるんだよね?)

ケンカでは当然顔を殴ることになると思うのですが、ロスが「顔を殴るのか?」と確認してきたので、カールは怒っています。
we're hitting... Why wouldn't you hit... というのは対比になっていて、「俺たちは(当然のごとく)殴る、なのに何でお前たちは殴らないって可能性があるんだよ?、殴らないなんてことになるんだよ?」という感じでしょうか。
アーサーはアパートを案内すると言っていますが、彼はそういう不動産の仕事をしているのか、それとも友達や知り合いが家に来るので自分のアパートの部屋を案内するのか・・・?
どーでもいい話ですが、this apartment ですから、ロスたちと同じアパート(恐らく、1階にセントラルパークが入っていると思われる)ということかなぁ?
セントラルパークに何度も来ているところを見ると彼らもここの住人という設定で(もちろんゲストだから今回のエピソードのみの話ですが…笑)、そのアパートを案内する、ってことでしょうかね?(←しょうもないことが気になるタイプで…笑)

最初は子供の喧嘩みたいだけど、仕事や家庭のことがいろいろと頭に浮かんでくるのがおかしいですよね。
We're talking about the middle? の middle ですが、ミドルという言葉を聞いた時、最初、middle age のことかと思ってしまいました。
何だか「俺たちが喋ってるのはケンカの話じゃなくて、中年の話題か?」みたいな意味かと思っちゃったんですよ。
でも、middle age は「中年、熟年(通例40〜60歳)」ということなので、やはりこの4人を形容するのに相応しい表現ではないですよね。
実際、the middle は「中央、真ん中」という意味の他に、「(人体の)胴」という意味もあります。
だから、やっぱり「身体の真ん中、胴体」のことですね。
それに、このセリフを言うときに、チャンドラーが胴体の辺りに手をやって「このへんってこと?」という感じのポーズを取っていましたから、やっぱり「胴体」で間違いないでしょう。

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posted by Rach at 14:13| Comment(15) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月30日

フレンズ2-21その24

何とかセントラルパークでコーヒーを飲んだロスとチャンドラーですが、店の外でワルたちに出会ってしまいます。
カール: Did we not make ourselves clear the other day? (こないだ、俺たちがはっきりと説明しなかったか?)
ロス: That's why we're here. (だから、僕たちはここにいるんだ。)
チャンドラー: Yes, we're standing our ground. Apparently. (そうさ、俺たちは一歩も退かないぞ。どうやらな。)

We're standing our ground. は昨日の記事、フレンズ2-21その23 にも出てきました。
その際、私は「僕たちのホームグラウンドに立ってるんだ。」と訳したのですが、その記事のコメント欄で「stand one's ground は「一歩も引かない」という意味の成句」であるとのご指摘がありました。(詳しくは直接コメント欄をご覧下さい。)
そこで私なりに調べてみました。
まず、手元の英和辞典にはそういう意味がちゃんと載っていました。
研究社 新英和中辞典には、
stand one's ground (=hold one's ground): (1) 後退しない、一歩も退かない (2) 自分の地歩[立場、主張]を固守する
英辞郎には、
stand one's ground=(他に心を動かさないように)しっかり大地に足をすえる、後ろへさがらない、自説を曲げない、自分の地位を守る、自分の立場を守る、譲らない、一歩も引かない
また英英辞典にも以下のようにありました。
Merriam-Webster Online Dictionary には
stand one's ground : to maintain one's position
つまり、「自分の地位を保つ」という意味。
ロングマン現代英英辞典には、
hold/stand your ground として挙げられていて、
a) to stay where you are when someone threatens you, in order to show them that you are not afraid
b) to refuse to change your mind about something, even though people are opposing you

a) は「誰かが脅してきた場合に、その相手に自分が恐れてはいないことを示すために、今いる場所にとどまる(今いる場所から動かない)こと」
b) は「たとえ人が反対しても、何かについての決心を変えることを拒む(決心を変えようとしない)こと」
という意味になります。
ですから、昨日の「僕たちのホームグラウンドに立ってるんだ。」という日本語訳は、英語を直訳しているようでありながら却って抽象的に聞こえてしまい、意味がぼやける気がするので(←何だか言い訳がましい…笑)、ここはやはり「僕たちは一歩も退かないぞ。」の方が適切かと思います。
昨日の分と合わせて、ここに訂正したいと思います。(また何か別のご意見がある方はご遠慮なくどうぞ!)

ちなみに細かい話ですが、「退く」という漢字は「しりぞく」と読むことが多いですが、私が上に書いた訳は「一歩も退(ひ)かないぞ。」と読ませるつもりで書きました。
「しりぞく、後へ去る」という意味の「ひく」には、広辞苑によると「引く・退く」の2種類の漢字があり、どちらでも間違いではないようです。
また、パソコンの文字変換ソフト(?)Microsoft IME で変換すると、「ひく=退く」は「常用外」だと書いてあるのですが(笑)、私のイメージでは「退かない(ひかない)」の方が後ろにずるずると後退しないで踏ん張るニュアンスが出るかと思ったので、敢えてこちらの漢字を選んでみました。
日本語にはせっかくいろんな漢字があるんだから、細かいニュアンスを出したい場合には、使い分けにちょっとこだわってみるのも楽しいかな…って思っただけです(笑)。

apparent という形容詞は、「はっきりした、明白な、一見してそれとわかるほど明らかな」というまさに「はっきりした」意味を持つのですが、それに -ly がついて副詞形になると、「明白に」という意味で使われることはめったにありません。
apparently は「(実際はともかく)見たところでは(…らしい)、どうも[どうやら](…らしい)」という「何ともはっきりしない」(笑)意味になります。
ロングマン現代英英辞典の apparently の説明は以下のとおり。
1 [sentence adverb] used to say that you have heard that something is true, although you are not completely sure about it.
例: I wasn't there, but apparently it went well.
2 according to the way someone looks or a situation appears, although you cannot be sure.

つまり、1 は「”あることが本当だ”と聞いたのだが、それについて完全には確信していないことを言うときに使われる」、2 は「確信はないけれど、誰かの見た目や状況が表す様子によれば」。
このロングマンの定義にあるように、「確信はないが」というニュアンスが含まれるようです。
つまり「はっきりとはいえないが…という感じだね。」とぼかす表現のようですね。
フレンズにはよくこの apparently が出てきますのでだんだんそのニュアンスがわかってきましたが、最初はどうしても apparent 「明白な」のイメージが残っていて、apparently を見ると「明白に、はっきりと」という意味かとよく勘違いして困りました。
ここで apparently を使っているのは、さっきロスが言った、we're standing our ground という言葉をチャンドラーも使ってみたのですが、たかがコーヒーハウスに行くことを大袈裟に表現しすぎて、対決姿勢を前面に押し出したセリフだから、相手が怒って「それはどういう意味だよ?」と突っ込まれても困ると思ったので、やんわりとぼかしてみた、ということでしょうか?
「まぁ、そんな感じだよ。ちょっとそう表現してみただけだよ。」とはぐらかしているのかと思うのですが。
よく日本語でも「…するぞー!」と決意表明した後、ちょっと照れ隠しで「…みたいな」と付け加えたりしますが、あんな感じでしょうかねぇ?


アーサーが時計を外そうとするので
ロス: You got a weapon? (武器にするのか?)
アーサー: A nice watch. I don't want to break it on your ribs. (上等な時計なんだ。お前の肋骨で時計を壊したくないんだ。)

よく殴り合いのケンカをする時に、拳を傷めないように(ですか?)手にベルトを巻いたり、さらには相手を傷つけるために時計などの金属類をつけることってありますよね。
時計を外そうとするから、そこまでするのか!と焦ったロスですが、アーサーは break your ribs with my watch 「自分の時計でロスの肋骨を骨折させる(break)」つもりはなく、「ロスの肋骨で自分の時計が壊れる(break)」のがいやだったんですね。
ケンカっ早いわりには、かなり冷静な判断です(笑)。
車と人が衝突した時に、「車は大丈夫か、ヘコんでないか!?」と心配するようなもんですね。

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posted by Rach at 11:17| Comment(7) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月29日

フレンズ2-21その23

また電話で話をしたい、という弟に、
フィービー: I'm in the book. (私の名前は電話帳に載ってるから。)

電話帳は a telephone directory, a telephone book, a phone book などの表現がありますが、a book だけでも「電話帳」というニュアンスは出るみたいですね。
この場合は特に、フランクが「電話する」と言っているので、book だけで十分なようです。
直訳すると「私は本の中にいるわ」と聞こえるのですが、前後の文脈から判断できるとはいえ、ずいぶんとあっさりした表現ですよね。
「電話帳に私の電話番号が載ってるわ」を英語に訳せと言われると、私なら、
You will (or can) find my telephone number in the telephone book. とか
My number is listed in the telephone book.
とか、書くかなぁ?
英語ではわざわざ my (telephone) number と書かなくても、人を主語にして、I am listed in the telephone book. あるいは I am in the telephone book. で十分らしく、さらに、電話帳を簡単に book と言ったものが、フィービーのセリフになるわけですね。


フィービー: So stilts, huh? (それで、竹馬、だったわよね?)
フランク: If you want, I can show you where he hit his head on the rain gutter. (もし見たいなら、パパが雨樋(あまどい)に頭をぶつけた場所を見せてあげるよ。)

gutter は「(屋根の)とい」、「溝、排水溝、側溝」。
ボウリングの溝のことを「ガター」と言いますが、それもこの gutter のことですよね。(ちなみに、昔は「ガーター」と言っていませんでしたかね? もともとボウリングは得意じゃないし、最近はちっともやらないのでよくわかりませんが。)
やはりお互い、肉親と話せて嬉しいんですね。
別れがたくて、また竹馬の話を持ち出すフィービー、それに応じるフランクの二人が何とも微笑ましいです。


セントラルパークのソファーに座っているロスとチャンドラー。
ロス: We did it. We're here. We're standing our ground. (僕たち、やったぞ。僕たちはここにいる。僕たちのホームグラウンドに立ってるんだ。)
でも言葉とは裏腹に二人はそわそわしています。
ロス: How long does coffee take? (コーヒーにどれだけ時間がかかるんだよ?)
チャンドラー: Would you come on? Come on! (早く持ってきてくれる? 急いで!)
あわてて飲み干す二人。
チャンドラー: There we go. (よし行くぞ。)
ロス: I think we proved our point. (僕らの主張が正しいことは証明されたな。)
チャンドラー: You burn your mouth? (口、ヤケドしてるのか?)
ロス: Cannot feel my tongue. (舌の感覚がないよ。)

日本語のいわゆる「グラウンド(運動場)」は playground と言います。
ですから、この場合の our ground は「僕たちの場所」という感じかと思うのですが、「僕たちのなわばり、エリア、陣地」っぽいニュアンスで「ホームグラウンド」と書いてみました。(ちょっと意訳っぽい。)
(2006.10.30 追記)
We're standing our ground. について、下のコメント欄に追加説明と訂正があります。
また同じフレーズが次の記事、フレンズ2-21その24 にも出てきますので、そこでもさらに詳しく説明してあります。
興味のある方は合わせてご覧下さい。
(追記はここまで)

prove one's point は prove a point とも書き、「自分の主張の正しさを示す、言い分を証明する、要点をわかってもらう」という意味になります。
make a [one's] point とも書きます。
cannot feel の後に身体の部位が来ると、「(身体の部分の)感覚がない」という意味になります。
ここでは熱いコーヒーを慌てて飲んだため舌がヤケドして感覚がない、ということ。

cannot feel one's legs だと「脚がしびれる」です。
フレンズ1-1 に、その表現が出てきました。
キャロルに出て行かれた後、男性3人が家具を組み立てているシーン。
しゃがみながら説明書を読んでいるロス。
部品がよくわからなくて、ブツブツ文句を言っています。
ロス: I'm supposed to attach a brackety thing to the side things, using a bunch of these little worm guys. I have no brackety thing, I see no worm guys whatsoever and- I cannot feel my legs. (ブラケットとかいう部品を横の部品に、この小さいワームって部品を使って留めることになってる。そのブラケットっていうものもないし、ワームってやつらも全く見当たらない、その上…脚の感覚もない。)
これは no... no... と「あれもない、これもない」とぼやいていて、最後のオチが「脚の感覚までない」と「ないないづくし」なところが面白いのでしょうね。
フレンズ2-18その17 にも couldn't feel his legs という表現がありましたが、こちらは下半身麻痺のことです。
このように、しびれのような一次的で軽度なものから、麻痺のような重度のものまですべて can't [couldn't] feel を使うのですね。

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posted by Rach at 07:50| Comment(6) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

フレンズ2-21その22

フィービーのパパは、フィービーのことを息子には話していないらしい。
口数の少ない人だそうで、そのパパの唯一の趣味というのが…。
フランク: Yeah, he loved stilts. One time, I was upstairs stealing cigarettes out of my mom's purse and all of a sudden I look over and there's Dad's head bobbing past the window. He just had this big smile on his face and he was waving because he was happiest when he was on his stilts. (そう、パパは竹馬が大好きでね。ある時、俺は2階にいて、ママのカバンからタバコを盗んでたんだ。で不意に向こうを見たらそこにはパパの頭があって、上下に揺れながら窓を通り過ぎていったんだ。パパは顔に大きな笑みを浮かべて手を振ってた。パパは竹馬に乗ってる時が一番幸せなんだよ。)

最初は was を使っていますが、途中で look over と現在形になっていますね。
この時制の変化については、ハートで感じる英文法 会話編 (大西泰斗/ポール・マクベイ著) の Lesson 7 『「とき」の感覚−臨場感を与える−』で取り上げられています。
大西先生の説明を引用させていただきますと、
このように「過去形で始まった過去のできごとをあらわす文が、突然現在形にスイッチする」のは、「過去のできごとを生き生きと語っている、話し手は時を移動しそのできごとの時点に身を置いて話を始めている」からだ、
ということでした。

この竹馬の話、他人が聞くとどう反応していいか困るようなエピソードなんですが(笑)、フィービーはとても嬉しそうに聞いていますね。
何も知らなかった父親のことが少しでもわかると嬉しいのでしょう。


フィービー: But you know what's cool? If you had a friend named Pete, I could say, "I know Pete. He's friends with my brother." (でも何がクールだと思う? もしあなたにピートという名前の友達がいるとすると、私はこう言えるわ、「私はピートを知ってる。彼は私の弟の友達なのよ。」って。)
フランク: I got a friend named Mark. (俺にはマークって名前の友達ならいるよ。)
フィービー: That'll work too. (それでもうまくいきそうね。)

フィービーはピートという友達を仮定する時に、仮定法過去を使っていますね。
仮定法過去は If I were a bird 「もし私が鳥だったら」のように、現実の事実とは反対の仮定をする時に使います。
適当にでっちあげているので、そんな名前の友達がいる可能性が少ないから、仮定法過去を使っているのでしょうかねぇ?
でも、Pete というのはわりと普通の名前だと思うのですが…。
あるいは、そういう名前の友達がいる確率がどのくらいか、という問題ではなくて、「ただの仮定の話として聞いてね」というニュアンスなんでしょうかねぇ?

He's friends with my brother. となっていて、一瞬、主語が単数形なのに、何故 friends と複数になっているんだろう?と思ったんです。
「彼は私の弟の友達だ。」なら、He's a friend of my brother('s). か、He's my brother's friend. になるのだろうと思います。(←これで合ってるかな?)
このセリフでは of ではなくて、with が使われていますが、これは、 be friends with で「…と友達だ、…と親しい」という意味になるようです。
make friends with と同じニュアンスのようですね。
日本語では友人のことを「友達」と言い、それは単数を指す場合にも使いますが、もともと「達」というのは「子供たち」のように複数を表す言葉ですよね。
2人以上いないと友達になれないから、でしょうか?
そういうニュアンスを考えると、He's friends with... というのも、「友達関係になる」という感じで違和感がないのかもしれません。
ちなみに、この friends が単数形 a friend であった場合はどうなるのか?
a friend with でぐぐってみると、a friend with an eating disorder 「摂食障害を持つ友達」や、a friend with a drug problem 「麻薬の問題を抱える友達」などがヒットしました。
この場合の with は「何か問題や障害を抱えている」という意味になることが多いようです。

ただの「ものの例え」なので、そうだよね、と簡単に相槌を打てば良いところを、わざわざ「(ピートという名前の友達はいないけど)マークならいるよ。」と答えるフランクも面白いですが、「それでもうまくいくわね。」と当たり前のことを嬉しそうに返すフィービーもおかしいです。
このやり取りのトンチンカンさが、ブッフェ姉弟って感じ。
work は「(機械などが)動く」で、「(計画などが)うまくいく、(正常に)機能する、(薬などの)効き目がある」という意味になります。

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posted by Rach at 07:39| Comment(6) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

TOEIC自己分析(リーディング編)

昨日の続き、今日はリーディングについての分析です。
リーディング450点、という点数自体は悪くないと思うけれど、前回(2005年1月に930点を取った時もリーディングは450点)と「全く同じ」、というのはどうもなぁ…というところでしょうか。
試験の形式が変わったことについては、長文問題は増えた気がするけど、以前の苦手な誤文訂正問題がなくなってホッとしたのもあるので、プラスマイナスゼロというところです。
前回も今回も、どちらも体調は良く、テストでは自分の力を出し切れたと感じました。
ですから、それで「同じ」というのが、嬉しくないんですよねぇ。

以前に930点を取った2005年1月というのは、このブログを始める前のことです。
その頃と比べて、リーディング能力が伸びてないわけはないのです。
実質的に言うと当社比1.5倍、体感的に言うと当社比3倍くらい伸びている気がするのですが…(何倍、とか言われても、全然イメージわかりませんかね?…笑)

でも TOEIC の点数がそれに比例して上がるわけではないですね。
それは受ける前からわかっていました。
自分では実力がついてきたと思うけれど、それで満点に近い点が取れるわけではないだろう、って。
TOEIC のアンケート欄に「受験の目的」という項目がありますよね?
私はいつも「レベルチェック」という項目を選んでいるはずですが、ちょっと傲慢な言い方をすると、私は TOEIC がレベルチェックとして使えるとは思っていません。
上に書いたように、リーディングが伸びた実感が点数に出ないものをレベルチェックとして使う気にはなれませんねぇ…。
せめて5点か10点くらい出てくれてもええやんか、と思うのですが(笑)。

ブログを始める前の私は、オール英語のサイトに対してアレルギーがありました。
何か調べものをしていて、日本語で説明されているサイトがなければそれであきらめていました。
ですが今では本当に探したい情報は日本語よりもむしろオリジナルの英語のサイトを探して、直接英文から意味を読み取ろうとするようになりました。
同じ内容が日本語で書かれているとしても、そこには翻訳者の意図が入ってしまい、オリジナルとニュアンスが異なる恐れがあると思うからです。
ウィキペディアに関しては、日本語版は常に参考程度に、本当に興味深い情報を探すのはもっぱら英語版に頼っています。
それだけの意識の違いがあり、また読み取り能力も読む速度も上がっているのに、スコアが同じとは…。
逆に言うと、以前の450点という点数がきっとまぐれで、実力以上に良い点数だっただけかもしれませんね。
±25点と言われる誤差の話を使うと、前回は実際は425点くらいだった、とでも思わないと、自分では納得できない気がします。

私が TOEIC を受験した理由、それは多分「意地」でしょうね。
やっぱり新形式でも一回くらいは良い点を取っとかないと、という意地、実力がついてきたと自分では思うから 5点でも10点でも点数を上げたい、という意地。
結局、私もなんだかんだ言って、TOEIC の呪縛から逃れられない人間なんでしょう。
自分としてはあまりこだわりたくないし、こだわっていると人に思われるのはイヤ、でも、これだけ TOEIC について語れば、誰が見てもこだわってるようにしか見えませんけどね(笑)。

公式問題集もとりあえず一通りはやりましたが、それを解いている時、楽しいと思えませんでしたし、また、それを何度もやろうという気には到底なれません。
私としては一生懸命問題を解いてそれでリーディングが450点で以前と変わらないのであれば、450点で TOEIC という試験における私のリーディングは頭打ちの状態になっている、ということなのかな、と思います。

今回、自己最高を取れたことで、満足しほっとしてもいるのですが、逆に、「TOEIC 満点ホルダー」になる夢はすごく遠のいた気がしました。
私にとっては TOEIC の点数は、このブログの看板であり、世間が認めてくれる資格です。
ですから、「満点ホルダー」の肩書きはいつか欲しいと心の底でずっと思っていました。
が、満点の人には解けて、私には解けなかった(私が間違った)問題がある、それも1つや2つではない、という事実を考えると、やっぱり私には難しい気がします。
もうこれ以上、対策としても思いつくこともないですし、TOEIC のことで時間を割きたくはありませんし。

…でも、せっかくだから、何とか自分の問題点を Abilities Measured から見つけ出そうとしてみようかしら?(←変わり身、速っ!…笑)


125 reading



まず、文法が 96% というのはこれは満足、というか正直ほっとしてます。
私はブログでも文法話をよく書くし、文法問題で悩むのも大好きです。
それで、もし、文法のスコアが悪かったりしたら、これから誰も私の文法話を読んでくれなくなりそうですからねぇ(笑)。
一番得点率が低いのが、「ひとつの文書の中でまたは複数の文書間でちりばめられた情報を関連付けることができる」 89% ですね。
これはどういう問題のことかなぁ?
複数、というのはパート7(読解問題)の最後の方にある2つの文書を使った4問のことでしょうが、それだけでもないみたい。(よくわかんない)
パート7に関しては、自分としては結構それなりの根拠を持って解答してるはずなんですよ。
残り2つどっちかで解答を迷った…という記憶もないしなぁ。
いわゆる「ひっかけ」に引っかかったのならしょうがないって気もするけど、根本的に何かを読み違えているとか、全然内容がわかってなかった、とかだったらいやだなぁ。
そういう部分が結局わからないので、もどかしいし、反省のしようもないし、次へも生かせないんですよねぇ。
やっぱり実際の試験で間違ったところ、というのは自分の中で強烈なイメージがあるので、それをきっちり復習させるのを許さない、という TOEIC の試験システムがどうも私の性に合わないんでしょう。
でも、問題を持ち帰らせてしまって、みんなが問題を研究し尽くしたら、この試験そのものが立ち行かなくなるのでしょうがないんですけどねぇ。
「語彙が理解できる」 90% というのが実は一番気になります。
私は特に「 TOEIC 頻出単語・イディオム」というような本を買ってボキャビルをしたわけではないので、そんなに TOEIC の頻出語彙に詳しいわけではない、という言い訳は可能ですが…(笑)。
TOEIC の問題集をいくつか過去にやったことで、そこに出てくる単語を覚えてそれで何とかここまではやって来られたというところですが、今回のテストで、全く意味不明の単語に出会った記憶もないです。
きっとパート5の穴埋め問題で、同じ品詞の中から、文脈に合った単語を選ぶ問題で何個か落とした、ということなのでしょう。
文を見てそこにふさわしい単語を入れることができない、もしくは違った単語を入れてしまった、というのは、実は致命的なミスのような気もします。
自分が英語を書く時に、不自然な単語を選んで使ってしまう可能性がある、ということですからね。
例えば日本語で言うと「風邪をひく」「鼻をかむ」の「ひく」や「かむ」が自然に思い浮かばない感じで、それは英語を読んだり聞いたりした絶対量がまだまだ少ないから、トンチンカンな単語を選んでしまった、ということなんだろうと思います。
単語本によるボキャビルはどうも苦手なのでそういうのは全くやりたくないのですが、とにかく多読・多聴ということであれば、どの道これからも続けていかないといけないので、それで少しは語彙が身に付けばいいのかなぁ、と。
でもやっぱり短期間で劇的にこの部分が延びるとも思えないのですが…。

こうして書いてきたように、私の TOEIC に対する感情は複雑なものがあります。
TOEIC の点数を看板に掲げるのが日本人英語学習者には一番手っ取り早くてわかりやすい方法で、私はその時流に乗って、そのスコアを最大限に利用させてもらってます。
これまで何度も書いてきたことですが、私は留学経験もないし、英語を使った仕事についたこともありません。
自虐的に言うわけではありませんが、ただの日本人の主婦なんですよ。
その私がいかに自分の学習法や自分なりの解釈をとうとうと語っても、普通は「ただの主婦が何を言ってるんだよ」で済まされてしまいそうな気がします。
私は私なりに自分のやり方に自信を持っていて、記事をずっと読んでもらえれば私の言いたいことがきっとわかってもらえるはず、という自負もあるのですが、素通りされてしまっては、それに気付いてもらえることもない。
私のブログにちょっと目が留まって読もうと思って下さった方の中には、TOEIC の点数を見て「これくらいの点数を取ってるなら、読んでみる価値はあるのかも…」と思って下さった方が少なからずおられると思うんです。
それに素人である私がえらそうに「解説」を書こうと思えたのも、TOEIC で930点がとれて自分の英語にちょっと自信がついたから、なわけですから、実際、TOEIC という試験が存在しなければ、今、私がここでこんなことを語っていることもないでしょう。
TOEIC という言葉をあちこちで聞くようになって「それなら私も」と思って英語の学習を始めた、ということもありますし、その問題集をこなすことで得てきた知識もたくさんあります。
英語を学ぶ場合に、TOEIC で何点を取る、という目標を設定した方が、勉強しやすいのは間違いないですしね。
だから、私自身は TOEIC に対しては「恩義」のようなものすら感じているのです。
その私が TOEIC について否定的なことを言うのもおかしいとは思うのですが、でもリーディングの点数が少しも上がらないというのは一体…(←まだ言ってる…笑)

でも、今回、気持ちをここで書いてすっきりしました。
思いがけず新方式で自己最高をマークできたのだから、満足しています。
もしリーディングがあと5点高くてトータル950点だったら、「リーディングのスコアは”上がった”し、大台に乗れた」ということで、「大満足」と言えたかもしれません。
ささいなことですが、「同じ」と「上がった」では、気持ちにかなりの差が出てしまうのです。
たかが5点、されど5点。
点数がはっきり出るから、やっぱり少しの点差でも気になってしまうのでしょうかねぇ。
これがまさに私が懸念していた「 TOEIC に振り回されている」状態なんじゃないかと思うと…私はまだまだ弱い人間だわ。

この3日間、一人で喜んで一人で怒って一人で悩んでいる妙な記事でしたね。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
明日からまたフレンズ解説に戻ります。

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posted by Rach at 14:36| Comment(12) | TOEIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

TOEIC自己分析(リスニング編)

昨日の続きです。
第125回 TOEIC において、自己最高点の945点を取ったのですが、一番嬉しいのは、やっぱり、生まれて初めてリスニングで「満点」(495点)を取ったことですね。
過去記事 900点超えまでの道のり で、TOEIC の点数の変遷を書いておりますが、2005年1月に受けた試験で 930点を取った時は、リスニング 480点、リーディング 450点でした。
その時、「あともう少しでリスニング満点が取れるかも…」と思って、また1年後くらいに受けようかと思っていたら、TOEIC リニューアルの話を聞いたので、リニューアルするのなら、その後、受ければいいかなぁ…と軽い気持ちでいたんですよ。

私はフレンズを始め、見ているドラマは全部アメリカのドラマなので、リスニングのリニューアル項目の一つ、「英国、カナダ、オーストラリア(ニュージーランドを含む)の発音を採用する」に対して漠然とした不安を抱いていました。(まぁ、カナダはアメリカとあまり変わらないと思いますが…)
ですから、こっそり受けているわりには、ちゃっかりと(笑)「TOEIC テスト 新公式問題集」を買って、新形式のテストはどんなものになるのか、事前に内容を探っておりました。
そして、CD を聞いた私は愕然。「何じゃこりゃ?」
多分オーストラリアの発音だと思うのですが(実はよく知らない)、すごく違和感があって、耳になじまないんですよ。
あんまり今まで聞いたことのないタイプの発音だったもので。(イギリスっぽい発音もあまり得意ではないですが、まだ聞き取れる気はします。)
それでさらに困るのは、そういうバラエティに富んだ発音が入れ代わり立ち代わり出てくるので、気になってしょうがないんですよね。
私の TOEIC のリスニングのイメージというのは完全に出来上がってしまっていて、最初のナレーションの Directions に始まり、ああいうアメリカ発音でずっと続いていく感覚に私はすっかり慣れきっていました。
だから、コロコロとアクセントが変わることに戸惑ってしまった、とでも言いましょうか。
もちろん、映画やドラマではよくあることです。
そして私は、ドラマの中でなら、多少のアクセントの違いはさほど気になりませんし、それを楽しめる気もします。(私の好きなスタートレック(TNG)にはイギリス発音をするレギュラーが2人いましたので)
ですが、TOEIC のリスニングとしては、これまでのイメージとかなり違っているため、一言も聞き漏らさないように音に集中しないといけないのに、何だか気が散ってしまう感じがしました。
私は激しく後悔しましたね。
リスニングで満点を取りたい、さらには自己最高点を取りたいと思えば、リニューアル前に受けとくべきだった…この形式では、絶対にリスニングで満点は取れないや、と本気で思いました。
この違和感のある発音が結構な頻度で登場しますので、それを落としているようではとても高得点は望めない感じでした。
たまに出てくるアメリカ人の発音がものすごくはっきりと、そして愛おしく感じました(笑)。(そう、私が求め愛しているのはこっちなのよ!)

ですからこの CD を iPod に入れて、ご飯の支度をしている時にはずっと聞いて、なんとか耳を慣らそうとしていました。
その効果があったのかどうかは自分でもよくわかりませんが、実際にテストを受けた時は、発音の違いはさほど気にならなくなっていたようですね。(正直、どのくらいの割合でその発音が出てきたのか覚えていない…)

受験前にそんな風にリスニングに対して恐怖感を抱いていたので、テスト結果を見た時、リスニング満点、というのは嘘じゃないか?と思いました。
リスニングに関しては本当に、ほんとうに、嬉しかったです。


125 listening



Abilities Measured を見ても、具体的にどこを間違ったのかよくわからんのですが(笑)、私の記憶ではパート2の最後の方に一瞬「あれ?」と質問を聞き損ねた気がするのと、パート3か4の時間がらみの問題をこれまた聞き損ねたような記憶があります。
もしかしたら、写真問題でも間違ってるかもしれないし。
きっと毎回満点の方は、もっとはっきりと自分がやばいと思った箇所が明白なんでしょうねぇ。
これがはっきりしない間は、私もまだまだ”まぐれ”の域を出ていない気がしますが、まぁ、ここは素直に喜びましょう。

そんなわけで、リスニングが前よりも絶対に下がると思っていたので、今回は自己最高を更新することは頭にありませんでした。
正直、一生 930点を超えることはできないかも、と思っていました。(930点を取った時の試験の出来が、結構自分でも満足のいくものだったので…)
でも、多くの方が新 TOEIC を受けておられる中、私もいつまでも以前の形式の TOEIC の点を看板として掲げているわけにもいかないんだろうなぁ、やっぱり 930点を超えることはできなくても、それに近い点を新形式になってから一度くらいは取っておかないとまずいのかなぁ、という気持ちがあってとりあえず受験してみた、ということです。

ちょっと話は、ずれますが…。
リスニング満点、で思い出したことがあります。
「リスニング満点者続出!」というキャッチフレーズで有名な、スーパーエルマーという教材がありますよね。
(ここから書くのは別に悪口ではありませんので、あえて名前は伏せません…笑)
フレンズの DVD 学習を始めてから少し後に、このキャッチフレーズにつられて、資料請求をしたことがあります。
視聴 CD を聴いてみて、まぁいい感じかも、と思ったのですが、フレンズと比較して絶対にこれだ!という決め手もありませんでしたので(←ごめん)、とりあえずしばらくはフレンズ DVD で頑張ってみよっかぁ…と思い、申し込みはしませんでした。
フレンズ学習を始めてかなり経った頃、今度はリニューアルしたとかサービス価格で提供するとかで、再度、スーパーエルマーから案内が送られてきました。
その時は、かなりフレンズ学習で効果を感じていた頃だったので、私はそこできっぱりと決めました。
「私はスーパーエルマーは使わない。私はこのフレンズ学習法で満点を取ってみせるわよ!」と。

その後、2005年1月にリスニング480点を取って、自分としては「ほぼ満点に近い点」ということでとりあえず納得していましたが、「リスニング満点です!」と言えない自分に少し寂しさも感じていました。
今回、初めてリスニング満点が取れて、「フレンズで満点を取ってみせる!」と誓ったあの時のことを久しぶりに思い出して、自分がやってきたことが間違いではなかったと思って、今、私は幸せな気持ちでいます。
もちろん、スーパーエルマーを使っていたらもっと早く満点を取れていた、という可能性もあります。
ですから、私はこの教材を否定しているのではありません。実際に使ったわけでもないので評価も出来ませんし。

ただ、英語学習者用に「作られた教材」ではなく、アメリカ人が普通に見ている「生きた素材」(字幕や吹替はついているけれど)を使って学習した、それで満点が取れた、という事実を喜びたいと思うのです。
結局、英語を学ぶということは、ネイティブと同じように読む、聞く、ということなんだと思います。
ただ自分にあった素材を探すのが難しいとは思うのですが…。
私はフレンズ学習に何らかの効果を見出して、「これなら英語が身に付きそうな気がする」という予感を感じました。
その予感や直感を信じて私はここまでやってきました。
学習を続ける上で大切なのは、その学習方法を信じることです。
自分にとって最適な学習方法は何か?
それは英語に堪能な方が薦めている方法をやみくもに信じるのではなく、自分で、ある程度の期間それを実際にやってみて、「これならいける!」と思えるものを見つけるのが望ましい、そしてそれを見つけさえすれば、後はただその自分の直感を信じて突っ走ればいいのではないかなぁ、と。
リスニング満点を自慢してもいいのなら、私は「リスニングに関してはフレンズを信じてやってきました。」と胸を張って言えます。
今回リスニング満点だったことは、フレンズ中心のブログを書いている管理人としては、とても誇らしいことでした。

長くなったので、リーディングについては明日書きます。
こんなに長々と TOEIC の感想を書いているのは、きっとしばらく(もしくは一生?)この点を更新することはないだろう、今後このブログで TOEIC について触れる機会はないだろう…という寂しい予感があるせいかもしれませんねぇ。(ぐすん)

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posted by Rach at 13:29| Comment(17) | TOEIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

新TOEIC実は受けてました

黙って受験していて申し訳ありません(笑)。
実は、タイトルの通り、9月24日に行われた第125回 TOEIC を受験していました。
私が受験したことを今まで公表しなかったのは、「まぁ、私のブログはフレンズ解説がメインで、学習記録型ブログじゃないから、わざわざ報告する必要もないだろう…」という「表向きの勝手な理由」もあるのですが、本当はもっと精神的な部分に理由があります。
それは後で述べることにします。

さて、実際の結果は以下の通りです。


125 score



リスニング 495点、リーディング 450点、合計 945点。

今までの最高は、ブログのタイトル下に書いている通り、930点ですので、実はこれ、自己最高点なんですよ。やったー!
さらに、リスニング、満点なんですよ。やったー!!
実はかなり喜んでおります(笑)。
事前にネットで点数を確認した時に、「うそぉ?」と画面の前で叫んだほどです。
認定証が来るまで公表を控えていたのは、ほんとに嘘かも?と思っていたのと(笑)、認定証の点数部分を写真で見せたいと思ったから、なんですよね。(←やっぱりかなり浮かれてるじゃん…)

なぜ、TOEIC を受けることを公表しなかったか…なんですが。
英語ブロガーの皆さんの多くは、事前に試験を受けることを宣言し、実際に受けたテストの印象、そしてその結果をきっちりとブログに書かれていますよね。
皆さん、えらいなぁ、と思っていつも読ませていただいていました。
特に、自分の期待通りの結果でない時に、それを発表するのって、つらいですよね。
そして私はどうかと言うと、皆さんに受験を宣言してしまうと、「これくらいの点数を絶対に取らなきゃ!」と自分を追い詰めて苦しめることになりそうで、それがとても怖かったのです。
私はそういうプレッシャーにはものすごく弱い人間です。
自分で自分にプレッシャーをかけるのは大好きなんですが(笑)、人に期待されるのは苦手なんですよねぇ。
誰からも期待されていないダークホースの立場である、もしくは急に発表してびっくりさせちゃおう、という方がやる気が出て、実力以上の力が出せる、というか。(そういうことってありますよね?)

ブログを毎日続けて下さい、とか、ファイナル・シーズンまで続けて下さい、とか言われるのは全然プレッシャーではないし、むしろ嬉しいのですが、「テストの点数」だけは期待されるとダメなんですよ。
できれば主人にすら受験することを知られたくないくらいなんです。
「ママ、頑張れ〜♪」と玄関で主人と子供たちに手をブンブン振られるのは(その気持ちは嬉しいのですが)私にとってはプレッシャー以外の何物でもありません。
本音は「そーっとしといて欲しいねんけど…」なんですが(笑)。
それから、受ける前から、あまり良い点数は取れそうにないなぁ…と思っていたのもあります。

今回はそんなお気楽モードでの受験なので、あらかじめ受験を宣言していた人に比べて、私は「ずるい」立場にいたかもしれません。
「何だかいや〜な感じ」と思われた方は、適当に上の点数から何点か減点しておいて下さい。
ご批判は甘んじて受けます。

TOEIC の結果については、良かったらラッキー、悪かったら「受けなかったことにして」(!)さっさと忘れよう、と思っていました。
今の私はこのブログを書くこと、それに合わせていろんな形で生きた英語に触れることが楽しくてしょうがないのです。
だから、TOEIC という試験に「振り回される」のだけはごめんだ、と思っていました。
悪い結果であってもそれを引きずりたくはなかったのです。
非常に自己チューな言い方をすると、私は自分の英語力を高めたくてこのブログを書いているのであって、自分が楽しく英語学習ができるような方向に気持ちを持って行きたいだけなのです。
良かったら思いっきり喜んでそれを励みにする、悪かったらそれはあまり意味のないことだと考えて(笑)とっとと忘れて別の方に視線を向ける、そんな風にテスト結果を受け止めてもいいと思うんですよね。
私がお金を払ってるわけだし(笑)、その結果をどう捉えるかは私の勝手にさせてよね、と思うわけです。
お金を払った上に(←しつこい)、自分のやる気がそがれたり精神的にヘコんだりしたら、腹が立つ、というか、損した気がする、というか…。
長々と言い訳じみた話をして申し訳ありませんでした。


結果をもう少し詳しく見てみます。
認定証に書いてある Abilities Measured (項目別正答率)という部分も以下に数字として載せておきます。
Listening
・短い会話、アナウンス、ナレーションなどの中で明確に述べられている情報をもとに要点、目的、基本的な文脈を推測できる 93%
・長めの会話、アナウンス、ナレーションなどの中で明確に述べられている情報をもとに要点、目的、基本的な文脈を推測できる 100%
・短い会話、アナウンス、ナレーションなどにおいて詳細が理解できる 100%
・長めの会話、アナウンス、ナレーションなどにおいて詳細が理解できる 92%
Reading
・文章の中の情報をもとに推測できる 94%
・表や文章の中の具体的な情報を見つけて理解できる 94%
・ひとつの文書の中でまたは複数の文書間でちりばめられた情報を関連付けることができる 89%
・語彙が理解できる 90%
・文法が理解できる 96%

ということで、リスニングは満点と言いましても、やはり何問か落としているようですね。
でも、まぁ、それはいいでしょう、点数が満点なんだったら(笑)。

ちなみに、TOEIC は点数が統計学的に処理されているので、±25点の点数の誤差がある、という話を聞いたことがあります。
それを考えると、私は930点から945点に、つまり点数が15点アップしただけなので、それも誤差の範囲かもしれないのですが…(笑)。
でもそんな誤差の話を当てはめながら点数を見ても話がややこしいだけなので、ここは素直にその点数そのものが、全受験者の中で統計学的に処理された私の現在の位置付けだ、と納得して話を進めることにします。

945点はとりあえず自己最高点なので素直に喜んだのですが、どうせなら「もう一声!」、950点の大台(?)に乗りたかったですねぇ…。
あと、5点なのになぁ…(ぶつぶつ)。
でも、1問=5点とは限らないので、結構この5点を上げるのは難しいと思いますし、まぁ、これに関してはしょうがないという気持ちはあります。

長くなりそうなので、続きは明日にします。
明日は、リスニングとリーディング、それぞれの結果に対する私の分析(?)を書きます。
あと、私の TOEIC に対する複雑な感情にも触れます。
もう一言では言えないんだなぁ、これが(笑)。

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posted by Rach at 13:21| Comment(25) | TOEIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

フレンズ2-21その21

フランクさんを呼び出してもらうと、息子が出てきました。
フィービー: I mean Frank Senior. (お父さんの方なんですけど。)
ブッフェ夫人: He went out for groceries. (食料品店に行ったわ。)
フィービー: Will he be back soon? (すぐに戻られますか?)
ブッフェ夫人: He left four years ago. We're expecting him back any minute. (出掛けたのは4年前よ。そのうち帰ってくると思ってるんだけど。)

親子が同じ名前の場合、親はシニア(Senior)、子はジュニア(Junior)と呼ばれます。
フレンズ1-22その5 で、シニアとジュニアについて触れています。
この夫人の返しがなかなか洒落てると思うのですが…。
4年前に出かけたきり戻ってないのなら間違いなく家出ですが、ちょっと買い物に出掛けたかのように、any minute 「今すぐにでも」戻る、と言っているのが面白いですよね。

大いに脱線しますが、昔、たまたまテレビを見ていたら、「悲しい色やね」の上田正樹さんがインタビューに答えていました。
何でも上田さんは若い頃に、「ちょっと風呂に行ってくる」と言い残して、そのまま何年も家出していたそうです。
で、いろんなことが吹っ切れて何年後かに久しぶりに家に帰ったら、兄が一言、
「長い風呂やったなぁ〜。」(注:標準語では「長い風呂だったなぁ〜。」)
なかなか、そういうシチュエーションで、こんなことは言えませんよね。
上田さんも面白い人のようですが、そのお兄さんもさすが、というところでしょうか。
ブッフェ夫人のこのセリフを聞いて、その上田さんのお兄さんを思い出してしまった、というだけのことです(爆)。


帰ろうとするフィービーに、
フランク・ジュニア: Hey, wait up! How do you know my dad? (ねぇ、待ってよ! どうしてパパのことを知ってるの?)
フィービー: Well, I don't really. Just genetically. He's kind of my dad too. (そうね、知ってるってほどでもないの。ただ遺伝学的にね。その人は、まぁ、私のパパでもあるのよ。)
フランク: Heavy. (ヘビーだ。)

wait up は、「寝ずに待つ」という意味でよく使われます。
フレンズ2-14その21 にも出てきました。
が、この場合は「立ち止まって待つ」の方ですね。
フィービーが車に乗り込もうとしているところなので、車に乗り込まずに今立ってるその状態で止まってて、という感じでしょうか。
I don't really. は I don't really know your dad. ということで、知ってるのか?と聞かれたので、「”本当に知ってる”、”よく知ってる”わけじゃないの。」と答えています。
really は「本当に、実際に」ですから、I really don't like her. だと「私は本当に、彼のことが好きじゃない。」で、好きじゃないことを強調することになりますね。
それが I don't really like her. になると、"really like her" であることを否定するので、「”本当に好き”ってことじゃない、わけじゃない。」となって、「好きという気持ちももちろんあって、嫌いじゃないけど、”すごく好き”と断言できるほどでもない」という感じになります。
断言せずに、ちょっと表現をやわらげているわけです。
ここでは、フィービーは I don't really. と返事していますが、Not really. という返事になることもよくあります。
意味はどちらも同じで、「それほどでもないよ。」と really とは言えない気持ちを表すのです。
このようなニュアンスは辞書の really の項目にちゃんと載っていますが、ハートで感じる英文法 会話編 大西泰斗/ポール・マクベイ著 の、「否定−オブラートに包む−」の回で、「後続の内容を打ち消す not の呼吸」として詳しく説明されていましたね。
番組では、小道具として、ちっちゃいカーテンが使われていましたが、あの感覚はわかりやすいなと思いました。
「後続を打ち消す」というのは、今さら言われなくても…的な当たり前のことなのですが、日本人が not の位置でいつも混乱するのは、やはりその not の基本的感覚が身についていないということなんだと思いますね。
日本語は最後に否定語句を持ってくる構造になっているから、文の途中に not が来る感覚に慣れないのだと思います。
でも英語のように、「後続の内容を打ち消す」方が、「何を」否定しているのかがはっきりとわかるし、より論点が明確で誤解がないと思うのですが…。

"He's kind of my dad too." と kind of でちょっと言葉を濁してはいますが、その内容はやはり重い(笑)。
言うなれば、ダース・ベイダーがルークに、"I am your father." と言ったセリフにも匹敵するほどの重さです。(←んなわけない)
日本語でもこの場合は「ヘビー」と言ってしまいそうですし、英語でもそれはやっぱり heavy という単語を使うのですね(と、妙に納得)。
ところで、このジュニアくんは、フレンズ2-6その10 で通行人役としてゲスト出演していました。

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posted by Rach at 14:37| Comment(8) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月23日

フレンズ2-21その20

ブッフェ夫人: Are these stitches? (これ縫ったの?)
フィービー: Yeah, eight of them. That's 56 to him. If it's raining, you can't let him look up because that cone will fill up fast. (はい、8針。そのワンちゃんにとっては56針に相当しますね。もし雨が降ったら、犬に上を向かせてはいけませんよ。そのコーンに水がすぐに溜まりますから。)
ブッフェ夫人: Thanks for bringing back what's left of him. (犬の”なれの果て”を戻してくれてありがとう。)

Are these stitches? は「これ縫ったの?」と訳しましたが、実際は「これらの跡は(傷口を縫った)縫い目なの?」ということですね。
つまり、縫わないといけないほどひどいケガをしたわけ?と聞いているのでしょう。
「8針が56針」の件ですが、これは「人間の1年は犬の7年に相当する」という説から来たものです(笑)。
フレンズ1-14その3 にもこの説は登場しています。
ロスのセリフ、
because of the whole seven-dog-years-to-one-human-year thing (人間の1年が犬の7年に当たるっていうことを考えると)
というのがそれですね。
その時は、「ふーん、そんな説があるんかいな」で終わっていたのですが、今回はウィキペディアでそれに関する記事を見つけました。
Wikipedia 英語版: Dog years
ざっと説明すると、
「ドッグイヤー(ドッグイヤーズ)とは、『特に犬や猫などの家で飼っているペットは、人間の1年で、7歳年を取る』という有名な俗説のこと。例えば、9歳の犬は「犬の年では63歳だね。」といわれる。専門的に言うと、この説は正しくない。(以下、省略)」
…ということで、やはり俗説に過ぎないようですが、7年、あるいは7倍、という数字は有名なようですね。

コーンに水が溜まる、という説明には笑ってしまいました。
この場合の fill up は自動詞で「いっぱいになる」ですね。
また、他動詞としては「(自動車を)満タンにする」という意味になり、Fill it up with regular. なら「レギュラー、満タンで。」になります。
Fill her up. と言うこともありますね。
こういう風に車を女性代名詞で呼ぶのは、ドライバーに男性が多くて、「いとしの彼女」だからなのか、フレンズ2-16その8 にも書いたようなことが理由なのか…?
ちなみに、船は女性代名詞で受けることが多いですね。
スタートレックに出てくる宇宙船(Starship)を女性代名詞で呼んでいるシーンを見たことがあります。
"There she is!" 「あそこにエンタープライズ号が見える。」みたいに使います。

what's left of him ですが、これについての解釈を、以下のコラムで読んだことがあり、記憶に残っていました。
週刊ST 2006/5/12 号の 翻訳家 宮脇孝雄さんによるコラム『翻訳の料理法』の「関係代名詞の what 」という記事です。
以下に引用させていただきます。

At last I saw the house - or what was left of it.
「ついに私はその家をみた−あるいは、そのうちの残されているところのものを」となるが、「そのうちの残されているところのもの(What was left of it)」とは、ひらたくいえば「残骸」なので、「ついに私はその家を見た−というより、その家の残骸を」と訳すことができる。
もう少し長い例では、
The miserable man turned out to be what was left of an old friend of mine.
というのがあり、同じように解釈すれば、what was left of an old friend of mine (私の古い友人の残されたところのもの)は「私の古い友人の残骸」だが、人間を残骸というのは変なので、「この哀れな男はわが旧友のなれの果てであった」などと訳すことができる。

(引用終わり)

この法則(?)を当てはめると、what's left of him は「ワンちゃんの成(な)れの果て、残骸」ということになりますよね。
満身創痍(まんしんそうい)の状態で、もとの可愛いワンちゃんの面影がない、という感じでしょうか。
でも本当に可愛がっているペットなら、こんな表現は使わないような気もするのですが、どうでしょう?
何だか容赦ない表現のように思えるのですが…。

ちなみに、上で引用させていただいた宮脇さんのコラムは興味深いです。
「原書の英語が、手元にある日本語の訳本ではこう訳されていたが、それは誤訳で、本当はこういう意味のはずだ。」ということがズバっと書いてあるんですよ。
書店に並んでいる訳本なのに、そんなにはっきり「間違いだ!」と言っちゃっていいのかなぁ?というくらいに(笑)。
「それはそうじゃなくて、こうだ!」と言えるくらいですから、説明にもとても説得力があるし、わかりやすくて面白いです。
そして何より私が安心するのは、そうやってその訳が本として出版されているような翻訳家の方でも、間違うことがあるんだなぁ…という点でしょうか。
私ごときが間違うのは当たり前ですね。(←と開き直ってみる。)
でも、素人なりに思うに、一度こうじゃないかな、と思い込んでしまうと、なかなか他の観点から見ることができなくなるんでしょうね。

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posted by Rach at 13:25| Comment(2) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月22日

フレンズ2-21その19

ジョーイ: Ross, have you ever been beaten up before? (ロス、これまでに誰かに殴られたことってあるか?)
ロス: Yeah, sure. (あぁ、もちろん。)
ジョーイ: By someone besides Monica? (モニカ以外に、だぞ?)
ロス: No. So what? So we get beaten up. Maybe that's something a man has to go through. Like a rite of passage or something. (モニカ以外にはないよ。それがどうした? [行ったら]俺たちは殴られる。多分、それは男が経験しないといけないことなんだろう。通過儀礼とか言うやつさ。)
チャンドラー: Couldn't we just lose our virginities again? Because I think actually mine's growing back. (もう一度童貞を失うことは不可能なのかなぁ? だって、実際に俺の童貞がまた復活したように思えるんだ。)

ジョーイはケンカの経験もないくせに、という意味で「誰かに殴られたことがあるか?」と聞いていますね。
モニカ以外には殴られたことがない、という返事がお決まりのオチ、という感じ。
rite は「儀式、儀礼」。
a rite of passage は「通過儀礼、人生の節目で経験しなければならないとされる儀礼」のことですね。
通過儀礼、という言葉を聞くと、エッチな話を想像せずにはいられないチャンドラー。
一度、通過儀礼として経験済みの「童貞喪失」(←ここまではっきり書く必要もないですが…笑)をもう一度、経験することは不可能だろうか?と尋ねているようです。
最近エッチをしていないから、my virginity が growing back 「成長して元の状態に戻っている」(?)ように俺には思えるんだけど…というのがその理由みたいですね。


レイチェルにお金を貸してと頼むモニカ。
株で損をしたらしい。
モニカ: I've come to terms with it, you have to, too. (私は現実を受け入れたわ。あなたも受け入れないといけないのよ。)
レイチェル: Look, Mon, I'm really sorry. (ねぇ、モニカ。本当に同情するわ。)
モニカ: Where are we on the $100? (で、100ドルの件は?)
レイチェル: I don't have it. (そんなお金持ってないわよ。)
モニカ: But I need it! Otherwise, I'll have to take that diner job. You know, with the dancing and the costumes. I don't want to have to wear flame-retardant boobs. (でもそれが必要なのよ! さもないと、ダイナーの仕事を引き受けないといけなくなる。言ったでしょ、踊りとコスチュームの話を。私は難燃性の胸を付けないといけないなんて、いやなのよ。)
レイチェル: Nobody does, honey. (誰もそんなの付けたくないわよね。)

come to terms with は「…と折り合う、…を受け入れる、屈服する」という意味。
Where are we on the $100? は「100ドルに関して我々はどこにいるのか」ですから、「100ドルの話題については、どの辺まで話が進んでいるのか?」という感じですね。
フレンズ1-18その6 で、Where were we? (どこまでいってたっけ?)という表現も出てきました。
diner は dinner の誤植ではなくて、「ダイナー、(食堂車風の)簡易食堂」のこと。
フレンズ2-7その5 のセリフに、Diner (ダイナー)という映画のタイトルが出て来たこともあります。
retardant は「化学反応を遅らせる物質、抑制剤」のことで、複合形で用いて「遅らせる」という意味になります。
ですから、flame-retardant は「難燃性の」。
「燃えない」のではなく、「燃えにくい」ということですね。
「不燃性の、耐炎性の」という意味なら、flame-resistant になります。


治療後の犬を連れて、パパの家にやってきたフィービー。
奥さんらしき人がでてきます。
ワンちゃんは首にコーン(円錐状のメガホンみたいなヤツ)を付けていますねぇ。
フレンズ1-21その3 で、セリフに a big plastic cone というのが出てきて、その時にこのコーンの正式名称は何だろう?と書いたのですが…。
今回のエピソードのネットスクリプトのト書きに、
Scene: Phoebe's dad's house. Phoebe is returning the dog who is bandaged up and has a plastic cone around it's neck.
と書いてあり、やっぱりこのコーンの正式名称は a plastic cone でよろしいわけですね?
なんかもう少し獣医学的な名称はないんかいな?

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posted by Rach at 07:16| Comment(6) | フレンズ シーズン2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする