ポーカーに負けて悔しがるモニカ。
モニカ: I hate this game! (このゲーム大嫌い!)
ジョーイがそっとお皿をどけたのに笑います。
やはり、お絵かきゲームのモニカ皿投げ事件は、本当だった!!
期待していた就職の面接の結果を知らせる電話が。
レイチェル: No, I understand. Come on. No, I'm fine. Don't be silly. But, you know, if anything else opens up, please...
(いいえ、わかります。いいえ、大丈夫です、やめて下さい、そんなこと言うのは。でも、もし他の部署に空きがあったら、どうか・・・)
モニカ: Sorry, Rach. (残念だったわね。)
電話での会話から、不採用だったことがわかります。
open up は「(機会などが)開かれている、(地位などが)空いている」という意味。
名詞の opening だと、「(就職)口、(仕事の)空き」という意味になります。
Do you have an opening? は「貴社には、空きがありますか?」という意味です。
モニカは Sorry. と言っていますが、ここでは謝っているのではなく、「気の毒に思って、かわいそうで、遺憾で」という意味です。
レイチェル: Where were we? (どこまでいってたっけ?)
電話に出たので、ポーカーが途中で中断してしまっています。
ゲームに戻ったレイチェルは、ポーカーの続きをしようと、どこまで進んでいたかを思い出すために言ったセリフです。
会話がなんらかの事情で中断した場合に、その話題に戻る時にも、この表現をよく使います。
ロスとの一騎打ちに、賭け金がどんどん上がってきて、とうとうチップでは足りなくなってしまい、
レイチェル: Monica, get my purse. (モニカ、バッグ取って。)
purse は「財布、小銭入れ」ですが、「ハンドバッグ」という意味もあります。
札入れは wallet です。
レイチェルは現金を賭けて、どんどん賭けはエスカレートして行きます。
ロスも現金を賭けようとしますが、自分の財布を見て、中身が足りないので、
ロス: Joey, I'm a little shy. (ジョーイ、ちょっと恥ずかしいんだけど。)
ジョーイ: That's okay, Ross. You can ask me. (いいよ、ロス。何でも頼んでくれよ。)
財布を見て恥ずかしいと言えば、お金を貸してくれ、ということだと誰しも思いますが、ジョーイは、恥ずかしいんだけど・・・と言った後にロスが何かお願いをするのだと思って、それを待っています。ちょっと空気が読めてないジョーイでした。
(2005.9.27 追記)
shy には、「・・・が不足で、足りないで」という意味があります。
すなわち、「ポーカーにかけるお金がちょっと足りないんだけど・・・」という意味でロスが言っているのを、ジョーイが、「恥ずかしいんだけど・・・」と解釈して、とんちんかんな返事をしているところがポイントなのです。
ですから、正確には、ロスの立場に立って日本語訳をつけるとすると、「お金がちょっと足りないんだ。」というセリフになるのですが、そうすると、ジョーイのボケた答えが生きてこないし・・・。訳が難しいところかと。
なお、この件につきましては、F.D.J.さんからいただいたコメントを参考にしています。ありがとうございました。(追記はここまで)
レイチェルはフルハウス。ロスはそれを見て降参します。
喜ぶレイチェルを見て、
ロス: But look how happy she is. (でも見てよ、レイチェルの幸せそうな顔。)
しばらくの沈黙の後、ピンと来たチャンドラーとジョーイは、ロスの伏せてあるカードを見ようとします。
レイチェルは就職活動が失敗したと落ち込んでいたので、ロスは最後に黙って負けたふりをしたんですね。ロスって優しい・・・。
最後に、いわくつきの Pictionary(お絵かきゲーム)をしています。
映画のタイトルを当てるゲームらしい。
モニカが書いた絵を見て、それが飛行機に見えたチャンドラーは、
チャンドラー: Airport. Airport'75! Airport'77! Airport'79!
(大空港。エアポート’75。エアポート’77。エアポート’80。)
エアポートシリーズの名前を連呼しています。
原題からわかるように、アメリカでは Airport シリーズとして認識されているようですが、日本では一作目の Airport は「大空港」という邦題がつけられ、その後は、カタカナ表記のエアポートになっています。
Airport'79 の邦題がエアポート’80なのは、日本で公開されたのが80年だからだと思われます。
タイトルに去年の年号を使うと、何だか古びて感じてしまうからでしょうね。
結局、モニカの書いたのは、飛行機ではなくて鳥の絵で、"Bye Bye Birdie"「バイ・バイ・バーディ」でした。(birdie は幼児語で「鳥さん」という意味。)
次はレイチェルの番。豆(bean)を書いて、それが血を流してる(泣いている?)絵を描きます。
ロス: Bean! Bean! (ビーン、ビーン!)
ジョーイ: The Unbearable Lightness of Being! (存在の耐えられない軽さ!)
これはビーン(bean)から、ビーイング(being)を連想して当てたようですが、モニカは信じられないと言って怒っているところを見ると、かなり無理があるようです。
どうして血か涙だかを書いているんでしょう。
実は、この映画見てないんで、わからないんですよ。
それにしても、この邦題を見たときに、「変わったタイトルだなー。」と思ったのですが、原題もそういう意味で、ほとんど直訳なんですね。
この邦題はインパクトがあるので、うちのダンナさんは、自分の存在が無視されたときに、「俺の”存在の耐えられない軽さ”」とか一人でブツブツ言ってます。ははは、ごめんね。
(2005.9.27 追記)
The Unbearable Lightness of Being について。
DVDの字幕では Lightness となっていますが、実はフレンズで英語学習をしている方がよく利用している海外のスクリプトサイトでは、Likeness と書いてあります。
これについては、まずどちらが正しいのかがわからないと、正確な解釈をするのは難しいと思われます。
が、興味を持たれた方は、下のコメント欄で、Lightness や Likeness についての解釈が書いてありますので、それをお読み下さいね。(追記はここまで)
(2006.12.24 追記)
以下の記事に、この1-18 のエピソードに関する追加説明があります。
興味のある方は覗いてみて下さい。
フレンズ1-18その7 ご質問1+Tridentの話
フレンズ1-18その8 ご質問2
フレンズ1-18その9 ご質問3
フレンズ1-18その10 ご質問4
フレンズ1-18その11 ご質問5
フレンズ1-18その12 ご質問6
(追記はここまで)
(Rachからのお願い)
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でも、DVDの字幕では、Lightnessと書いてあるのです。
実際にジョーイがしゃべっているセリフは、私にはどちらかわかりません。(←私のリスニング能力はその程度(笑)。)
ライクネスとライトネスの違いは、kとtですが、どちらも破裂音で、さらに次にnが続くので、こういう場合はtやkの破裂が次のnに飲み込まれるような感じで、ちょっと鼻に抜けたような音になるからなおさらわかりにくいのかと・・・(←言い訳)。
DVDの字幕は、細かい表現をはしょったりしていてセリフどおりではないことが多いし、この海外サイトのスクリプトを参考にしている方も多いので、海外スクリプトの方が正しいのかもしれません。
ただ、今回のこのセリフに関して言うと、このお絵かきゲームは映画のタイトルを当てるもののようですから(他のが全て映画タイトルだから)、Lightnessでないと、映画のタイトルにならないと思うのです。
長くなったので、次のコメントに続けます。
そのスクリプトのト書き(?)部分に、[Rachel begins tapping the picture of the bean frantically.]とあり、「必死に、夢中になって、豆の絵を叩き始める」とありますので、そのfrantically「必死に」という部分にunbearableという「耐えられない感、我慢できない感」が込められているのだと、F.D.J.さんのコメントを読んでいて気付きました。
と長くなってしまいましたが、確かに信頼のおけるスクリプトにlikenessと書いてあるのは気になりますが、解釈としてはlightnessの方がすんなり説明できるような気がします。果たしてどちらが正しいのでしょうね?
F.D.J.さんがご自身のブログのコメント欄で、ロスの"Joey, I'm a little shy."のセリフについて指摘して下さったのですが、shyには、「・・・が不足で、足りなくて」という意味があるそうです。
DVDの日本語字幕・吹替ともに、ロス「恥ずかしいんだけど・・・」、ジョーイ「恥ずかしがるなよ」というセリフだったので、それ以上何も考えなかったのですが、これはもしかしてダブルミーニング?
すなわち、「ポーカーにかけるお金がちょっと足りないんだけど・・・」という意味でロスが言っているのを、ジョーイが、「恥ずかしいんだけど・・・」と解釈して、「お金を貸してほしい」という意味だと理解できなかった、というところに面白さがある、ということでしょうか?
いかがでしょう? F.D.J.さん。
Rach さんもご指摘のように、その後のジョーイのいつもの間抜けな解釈とか、その時のロスの呆れた表情、(このあたりが面白いとこですね)、そしてその後のチャンドラーの 「何がいる?」というセリフからも「恥ずかしい」の意味ではないことが明らかだと思います。
Unbearable の部分での likeness は確かに 「似ている」resemblance の意味ですがジョーイの連想としては「好き」からではなかったのでしょうか。 また、まるっきり正解ではない、ところもジョーイっぽいですよね。
F.D.J.さんからのコメントを参考に、投稿本文に追記いたしました。F.D.J.さんのおっしゃったことを自分なりに解釈して書いたので、「私の主張と違ってる!」と思われる部分もあるかもしれませんが、なにとぞご了承下さいませ。
最後のジョーイのセリフですが、字幕が「lightness」となってることを考えると、あれはやはりネットのスクリプトの間違いなんじゃないでしょうか。
あのスクリプトには「DISCLAIMER」として「These are not the actual scripts. These scripts have been transcribed from the TV show. No responsibility is taken for errors or omissions.」と記されていますし、僕はあれ以外にも、いままでいくつか間違いを見てきました。レイチェルがフィービーに言った「the gloves come off」もそうでしたよね。
確かにジョーイの実際のセリフを聞くと「likeness」と聞こえますが、あのような絶叫調のセリフは、時に滑舌がおかしくなったりするもんです。あのセリフを書き取ってくれた人は、あまり深く考えずに聞こえた通りを機械的にタイプしてしまったのでしょう。
ちなみに、あのスクリプトは何人かの合作だと思います。エピソードによって、「あー」とか「うー」とかいう微妙な声までしっかり書いてる人、かなりはしおってる人、あるいはト書きを丁寧に書いてくれる人、セリフオンリーの人と、形式はかなりバラバラですね。
もうこのエピソードまで? 最近の私の解説は1エピソードに時間を費やしすぎなので、すぐに追いつかれそうですね(笑)。解説書いてたら面白いから、あれもこれもと欲張っちゃって・・・。
確かにネットのスクリプトの disclaimer 「但し書き、お断り」に、be transcribed 「文字に書き起こされた」と書いてありますね。
Many thanks to all the people who have transcribed the scripts ともあるので、ハルさんのおっしゃる通り、複数の方が書かれたものを集めたものなんでしょうね。(私はもっぱらDVD字幕で学習していて、ネットのスクリプトはたまに参考程度に覗くだけだったんです。今回、初めてちゃんと説明書きを読みました・・・That's too late!)
フレンズシーズン6のDVDコレクターズセットvol.1に「メイキング・オブ・フレンズ」というフレンズの舞台裏を紹介した映像特典がついていたのですが、それにフレンズの公開録画の様子というのがあります。台本はあるにしろ、観客がウケるかどうかを見ながら、キャストとスタッフが相談して、セリフをどんどん変えていくんです。だから、台本は変更、訂正、書き込みでぐちゃぐちゃになってると思うので、それをちゃんと書き直したもの、そしてそれを実際のセリフとつき合わせたものが、ああやってスクリプトとして公開されているのかな?・・・と、そのスクリプトの但し書きを読むまでは思っていました。
ハルさんがせっかくその話題をふって下さったので、ちょっと私の思っていることを書いてもいいですか?
(ちょっとした問題提起みたいになってますけど、あまり気にしないで下さい。こういうこともあるかも、くらいでいいんです。)
フレンズ1−3の"the gloves come off"のように、実際のセリフの音声もDVD字幕も"come off"となっている場合は、come off で解釈すれば良いのですが、実は私は、「スクリプトは間違いだから」と無視できない気もしています。
あのスクリプトは有名なようなので、明らかな誤植や意味不明のセリフなら、訂正が入りそうなもんだと思うんですよ。注意書きに「間違いを見つけたら連絡してくれ」とも書いてありますしね。ネットスクリプトで"the gloves come on"となっていたことを考えると、"come on"でもセリフとしては通じるのでは?と思ったりするのです。
実は、ある方から、The hair comes out. The gloves come on. というのは、レイチェルとフィービーの間の論争のステージを想像して、「髪の毛問題」が去った後、「ボクシンググローブ問題」が登場した、という解釈が成り立つのでは?というご意見をいただいていたんです。なるほど!と思ったのでそのことをコメント欄に書こうかな?と思っていたら、実はDVD字幕はcome offだった、という新発見(!)があったので、混乱をさけて、この話を持ち出すのをやめたんですね。
私がさっき書いたように、オフィシャルなスクリプトが存在するのかどうかはわかりませんが、もしかしてどこかに come on と書いてあって、それをレイチェルが come off と言ってしまった可能性(言い間違い)も無きにしも非ずかな、と思ったり。
ハルさんのおっしゃるようにスクリプトを書いた人の聞き間違いの可能性が高い気もするのですが、その聞き間違いも「単純ミス」というよりは、「セリフとして可能な言葉」だからそれと聞き間違えたと考えることも可能かと思うのです。
私が面白いと思うのは、lightness と likeness でもそうですが、come off ならああいう意味で、come on ならこういう意味になるだけで、結局、「喧嘩」を意味することには変わりないし、どちらでもネイティブには違和感がないのかもしれない、ということなんですよね。(やはりネイティブが書いたり読んだりして不自然な文は淘汰されていくと思うんですよ。だから、こうしてずっと残っているのは、単なる誤植じゃなくて、それなりの理由があるのかな、とか。)
実際のセリフの解釈においては、本当に俳優がしゃべっているセリフが一番基本となりますので、それだけに集中していればいいんですが、このスクリプトとDVD字幕の違いにも、そこに至った経過を想像してみるのも、面白いかなーと思ったんです。本当にただの聞き間違いや誤植だったら、私が上に書いたことは単なるたわごとになっちゃうんですけど(笑)。
どうして間違っているのかはスクリプトを書いた人に聞かないとわからないので、このことで議論するつもりはないのですが、個人的にはちょっと面白いと思ったので書いてみました。
こういうことに拘るのがいかにも私らしくて、自分でも面白い(笑)。
余計に混乱させちゃったら、ごめんなさい。
本当に「ふーん、そういう意見もあるのか」と思って下さるだけでいいですからね。
小説、映画として、上記タイトルのものがありますが、
Joeyがそのタイトルからちょっと自分発想の[The Unbearable likeness of Being]を言ってるではないかと思います。
「あの物(Groin)と耐えられない程似さ」の意味で
つまり The Unbearable Likeness of Being (Groin)のことかな。
ChandlerがBeanを言った後に、RachelがBeanの辺に、強烈にボードをタップしたね。タップした後の画像は私はどう見ても、男のオシッコのイメージをなるです。(笑)
その後、Monicaは "THAT, you get? THAT, you get?"と言っています。
「あの物をあなた達が持っているの?」
またここでは、Monicaが怒っているではなく、Joeyたちをからかっているかと思います。
またJoeyはLightnessからLikenessにしているから、今度元に戻して、
The Unbearable Lightness of Being (Groin)
[あの物は存在の耐えない軽さだ」--> [あの物は要らなくてもいいじゃない]と理解でも可能か。
単に私のくだらない発想で、真剣に受け取ってないでください.(笑)
上のコメントにもあるように、ジョーイの言ったセリフは、DVD英語字幕とネットスクリプトで異なっています。が、この Pictionary (お絵かきゲーム)は、モニカとチャンドラーのやり取りからもわかるように、「映画のタイトルを当てるゲーム」をしているようです。
その流れで行くと、やはりジョーイは映画のタイトルを当てた、言ったということになるはずです。
ですから、Likeness では映画のタイトルにならないので、セリフとしては、Lightness が正しいと思うのですが。
その部分は、ネットスクリプトでは以下のようになっています。(セリフの部分は、DVD英語字幕と突合せして、正しいと思われる方を使いました。)
[Rachel starts drawing what looks like a bean.]
レイチェルは、豆のように見えるものを描き始める。
ロス: Uh.... bean! Bean! (あぁ、ビーン! ビーン!)
[Rachel begins tapping the picture of the bean frantically.]
レイチェルは必死に[夢中になって]豆の絵を叩き始める
ジョーイ: [triumphantly] The Unbearable Lightness of Being!
([勝ち誇ったように] The Unbearable Lightness of Being (存在の耐えられない軽さ)だ!)
ロスのセリフでも、bean という言葉が出ているので、やはりレイチェルの書いた絵は「豆」だと思います。
その後にレイチェルがボードをタップしているのは、豆が泣いている様(さま)を描写しているように私には見えました。そこから、bean が自らの存在の耐えられない軽さに泣いている、という想像で、タイトルを当てたのかな、と。
bean と「泣いている涙」だけでタイトルを当ててしまったので、モニカはそれが信じられないのですね。
あの絵でそのタイトルを思い付く、というのはかなりの飛躍ですよね。(あれでわかってしまう、というのがコメディならでは、でしょうか。)
モニカにしてみれば、手を振っている絵と鳥を書いたら Bye Bye Birdie ってわかるはずなのに、それはわからないで、豆が泣いている絵だけで、The Unbearable Lightness of Being を当てるっていうのはどういうことよ!?という気持ちなのでしょう。(モニカの鳥が飛行機に見えたのがわからない原因だったようですが)
モニカ: That you get? That you get?
と言っていますが、You get that? の that 部分を強調するために that が前に出た形かなと思います。
You get it! なら「あなたはそれがわかる」で、You get that? だったら「あなたはあれがわかるの?」という感じでしょうか。
「あんなヒントで、あなたたちは答えを当てるの? 答えをゲットするの? わかるの?」と、あのレイチェルのヒントから答えを導き出せたことが信じられない、というニュアンスかな、と私は思いました。
なるほどう、納得しました。
あくまで私の意見に過ぎませんが、納得していただけて光栄です。
「The Unbearable Lightness of Being」ですが、2人の女性と1人の男性の三角関係の話です。その男性と結婚している1人の女性が、その男性が次から次と浮気(?)するため、「あなたはなんて軽いの。。私はその軽さに耐えられない」と言って出ていく場面がありました。背景はチェコスロバキアのプラハの春から、ソ連の戦車部隊に街が占領されるあたりを舞台にした文学的な感じの映画でした。フレンズの皆、特にジョーイがそれを見ていたとは驚きでした。(ジョーイの場合ラブシーンがあればいいのかもしれませんが。。)
コメントありがとうございます。
INDEX の仕組みが分かりにくくてすみません。お気づきの通り、INDEX からは、「その1」に飛ぶだけで、「その2」以降は「次の記事」のボタンで進んでいただく仕組みになっておりまして…。残りの記事を楽しみと言っていただけて光栄です。
また、「The Unbearable Lightness of Being」についての情報、ありがとうございます。私はいまだにこの作品を見ていないのですが、日本でもかなり話題になっていた映画でしたよね。その舞台設定を聞くと、確かにジョーイが見ているのが不思議な感じの映画ですが(笑)、だからこそ余計に、ジョーイがあんな絵で当ててしまったのが、モニカには許せなかったんでしょうね。「あの絵で当てる? しかもジョーイが見てなさそうな映画なのに!?」という意外性の面白さなんでしょう。
また、機会があれば見てみたいなと思っています。
情報ありがとうございました。
The Unbearable Lightness of Being! の件(なぜかネットスクリプトでlikenessになっている)件ですが、中国のフレンズスクリプトサイトから興味深い解釈を見つけたのです。
そのサイトの解釈からすると、この笑いはそもそも、
1.「The Unbearable Lightness of Being!」(存在の耐えられない軽さ)
2.「The Unbearable Likeness of Bean!」(耐えられないほど豆に似ている)
この2文の発音がそっくりなことをネタにしたものだというのです。
Rachelが描いた絵が「あまりにも豆に似ていた」ためmJoeyは「The Unbearable Likeness of Bean!」つまり、「耐えられないほど豆に似ている!(似すぎていて我慢ならん)」と答えたが、図らずもそれはpictionaryの回答「The Unbearable Lightness of Being!」とほぼ同じ発音だったため正解とされたとそのサイトでは注釈を入れています。
そこで不思議に思ったのは、Rachelがどのような意図をもって、豆を描きタップしたのかです。
Rachelはタップし始めた時から豆を一切見ておらず、豆をタップするうちに勝手に手が下へ落ちて行ったように見えます。(血や涙を打つのだったら場所を確認しながらタップすると思うのです)
そこで、あのドットは「血」や「涙」ではなく、単に「豆よ、豆、豆に似てるでしょ!likeness of beanでしょ」という意味で激しくタップして強調していたのだとしたらどうでしょう。
1.Rachel自身が発音の類似性まで考慮してヒントを作ったのか、あるいは、
2.実は元から「The Unbearable Lightness of Being!」を勘違いして「The Unbearable Likeness of Bean!」だと思ってヒントを作ってたか。(後者の方がRachelらしいですが)
そして答えたJoeyも、「The Unbearable Likeness of Bean!」と誤解したままそう叫んだのか、それともそのRachelのヒントから実際の正解を導き出して「The Unbearable Lightness of Being!」と叫んだのか……。Joeyの発音はどちらとも取れるので、また謎は深まってしまいました。
ネットスクリプトが Likeness of Being!ではなく Likeness of Bean!だと、少なくともJoeyは豆の方を答えたということがわかるので、多少すっきりするのですけどね。
コメントありがとうございます。昔の記事にコメントいただけること、毎回とても嬉しいです(^^) こちらこそ、いつも長い記事、長いコメント欄のやりとりを読んでいただき、ありがとうございます。
The Unbearable Likeness of Bean 「耐えられないほど豆に似ている」というフレーズ、面白いです!
ずっと、Lightness と Likeness の音の違いばかり気にしていましたが、likeness にして「意味のある言葉」になりうるところにポイントがあるわけですね。
この映画のタイトルが、「豆に”耐えられないほど、耐えがたいほど”似ている」という大仰しい言い方に似ているという面白さがまずはあって、ジョーイがそういう言葉を発してしまうように、レイチェルが必死に「豆よ、豆!」と強調しているのが、あのタップである、というお話には大変納得が行きます。ほら、これよ、この絵を見て何かわからない? 何か思い出さない?みたいな必死感があの「激しいタップ」なのでしょうね。
The Unbearable Lightness of Being と The Unbearable Likeness of Bean の音の類似性が暗黙の了解(ちまたでは有名な、タイトルのもじり)としてあったのか、レイチェルやジョーイはそのことを知った上で、絵を描き、正解を答えたのか、などの部分は、字幕やネットスクリプトのどれが正しいかがわからないので、なんとも判断つきにくいところですね。おっしゃるように、ネットスクリプトが、Likeness of Bean! になっていた方が、すっきりしますし、面白いですよねぇ。ジョーイは「耐えられないほど豆に似ている!」と答えたところ、発音が映画のタイトルにそっくりだったので、そのまま正解とされた、という風がコメディーっぽいですものね。
The Unbearable Likeness of Bean のことを聞いて、とてもすっきりしました。ありがとうございます!(^^)
初めてコメントさせていただきます。
(Twitterでは以前、お返事をいただいたことがあります。そのせつはありがとうございました)
いま、Huluで『フレンズ』をシーズン1から見ながら、こちらのブログも合わせて拝見しているところです。だいぶまえの記事へのコメントで失礼いたします。
"Likeness of Being” について、わたしも気になったので考えてみました。
"The Unbearable Lightness of Being"(『存在の耐えられない軽さ』)は、タイトルにしては長くて変わっていて、一見ちょっとこむずかしい感じもしたりして、印象に残りやすいと思います。"... being" と聞いたとき、 "... bean(豆)" と聞きまちがえたひとも、けっこういたのではないでしょうか。
さらに、「どんぐりのせいくらべ」ではないですが、豆がよく似ていて区別がつかないことから "lightness" も "likeness(似ていること)" に変化して、ダジャレや語呂合わせで遊んだりするようなことも、もしかしたらわりとあったかも……(あくまでも想像ですが)。
この映画のタイトルを絵だけであらわすのは、たしかにむずかしそうなので、レイチェルは豆を描くことで上のような連想をさせようとして、豆の絵だけで押し通そうとしたのではないでしょうか。
(あるいは、こちらのコメント欄にも書かれていたように、レイチェルがこの映画のタイトルを本当に "The Unbearable Likeness of Bean" だと思いこんでいたかもしれないですね。ジョーイは俳優なので正しいタイトルは(たぶん)知っていたけれども、答えをいちはやく当てたい一心で、いろいろごっちゃになったのかも……)
と、長々と書いてしまいましたが、以上わたしの考えたことを書かせていただきました。ほぼ想像なので説得力はないと思いますが……。
Rachさんの最新の記事に追いつくのはいったいいつ?というぐらい遅々とした歩みですが、続けて拝見していきたいと思います。これからも楽しみにしています(o^^o)
Twitter では拙ブログ9周年への温かいお祝いメッセージをいただけたこと、とても嬉しかったです。またこうしてブログにもコメントいただき、ありがとうございます。懐かしいシーズン1の記事(ちょうど9年前くらいの記事です!)にコメントいただけたこともとても光栄です。
lightness of being が、likeness of bean と音が似ている、という話は本当に面白いですよね。おっしゃるように、映画の原題は「こむずかしいタイトル」で、それを「豆が(耐えられないほど)よく似ている」(まさに「どんぐりのせいくらべ」に近いです!)みたいに言い換えると、とたんにそのタイトルの重々しさが消えてしまう、、という、「音の類似性と、内容のギャップ」が、絶妙だと思います。
レイチェルが「豆の絵だけで押し通そうとした」ことを考えると、そのダジャレは映画公開当時、有名なフレーズだったのかもしれませんね。本来なら「存在の耐えられない軽さ」のような抽象的なタイトルを絵で当てさせることは至難の業だけれど、そのダジャレを絵にすることでジョーイがあっさり当ててしまった、という面白さなのかもしれませんね。
音が似ているため、仮にダジャレの方のタイトルを答えても、正答に聞こえるのもポイントかもしれません。
このシーンは、コメント欄でもいろいろなご意見をいただいた、とても思い出深いものです。確認のため、何度も見直し聞き直しをしているので、強く記憶に残っているんですよね^^
私ものんびりとブログをやっておりますので、どうかマイペースで、これからもフレンズを楽しんで下さい。これからもよろしくお願いします♪