(だらだら書いてるので、論点があちこち移動して、すごく読みにくいと思いますが、ごめんなさい。)
実は、この記事は、melocotonさんのブログ 子育て主婦のやりなおし英語 の記事にインスパイアされたものです。
以前に、 字幕が邪魔! の記事で、「字幕があるとかえって混乱するので字幕はオフにして見ている」というお話があり、最近の記事の 『Friends』1-13: "The One With The Boobies" では、英語の解釈の参考に日本語字幕を見て、その差に戸惑われている様子が記されていました。
実は私も、その戸惑いをいつも感じています。
日本語字幕や音声については、ヒントとして使えることも多いけど、全く違うセリフに意訳されている場合も多いので、かえって英文を解釈する際に戸惑う、あるいはそれにつられることがあるのです。
そして、このことが、私がご推薦する(笑)、DVD学習法における弱点なんですよ。
(Rach流DVD学習法については、 カテゴリー DVD学習法 をご覧下さい。自分でRach流と名付けてるのが、ちょっと恥ずかしいですが・・・笑)
字幕や音声を切り替えてニュアンスをつかむんだとしたら、その日本語が英語と全然違う意味だったら、効果ないじゃん、ってことですね。
そこのところをどう考えているかについて、私なりの意見をいつか述べないとなぁ、と思っていたので、この機会を利用して書こうと思いました。
自らの学習法の弱点に、真面目に向き合ってみようと思います。
ちなみに、特に目新しい話はないし、誰もが気付いていらっしゃることばかりだと思います。
自分の考えを整理するために書いている、という程度に読んでいただけると幸いです。
英語のセリフを聞いても、「何言ってんのか、じぇんじぇんわかんないや。」と感じる間は、この字幕・音声切替法でニュアンスをつかむのはかなり有効だと思っています。
簡単なニュアンスのセリフは日本語に置き換えやすいから、意味が全く違ってる、ということが少ないからです。
そして、だんだん、英語のセリフに慣れてくると、ふと「このセリフと日本語字幕が合ってない!」と感じることが増えてくると思います。
実は、字幕、吹き替えが英語と違っている部分は、結構多いんですよね。
(「じゃあ、私が今まで字幕や吹き替えで見て楽しんでいたのは、一体何だったんだ?」と衝撃を受けてもいいくらい、異なる部分は結構あるものです。)
でも、私はまず「どのくらい英語のセリフと日本語訳が違っているものなのか」を自分で体験してみることが大事だと思っています。
通訳者、翻訳者がいるから、または、翻訳ソフトがあるし、それに近い将来にはSFみたいな自動翻訳機も出るかもしれない・・・と考えると、苦労して英語を身につける意味って何だろうと思うことがあるかもしれません。
でも、通訳・翻訳を通して聞くということは、悪く言うと、「フィルターがかかっている」「翻訳者が手を加えている」とも言えるわけです。
それも、自分ではない「誰か別の人の意思」がそこには入っているのです。
もちろん、「意思」というのは意図的に改ざんしようということではなく、「英語を日本語に訳す」という作業には、自分の言葉がどうしても入ってしまう、ということですね。
自分がそのセリフから受けた印象を日本語のセリフに盛り込む、自分が感じた面白さをセリフに出そうとする、ということです。
機械的に訳していては、人間らしい言葉になりませんし、話者のニュアンスを汲み取って別の言葉で表現しようとする、ということは、どうしてもその間に立った人(翻訳者)なりの解釈が入ることになるのです。
これは「誤訳」でも「意訳しすぎ」でもなく、翻訳者はそのジレンマと戦いながら、そして、心のどこかできっと「こういう訳にした理由を説明したいなぁ、誤訳と誤解されたらいやだなぁ」と思いながら(笑)、限られた制限の中に収まるように訳を考えているはずです。
だから日本語訳では、言っているはずのことがはしょられていたり、訳し切れなかったり、日本人のわかることに置き換えられていたり、と変更が加えられているんですね。
字幕には字数制限が、音声には口パクに合わせるという秒数制限があるので、さらに情報は少なくなります。
フレンズではチャンドラーのギャグが、かなり難易度高いので(笑)、あのセリフを日本語にするのは難しいだろうなーといつも思っています。
翻訳者は、訳したものが全ての結果ですから、「英語らしさ」を取るか「面白さ」を取るかという葛藤が常にあるんですね。
そしてほとんどの場合、「面白さ」を取ることが優先されていると感じます。(コメディではなおさら。)
翻訳者の方は英語のプロですから、きっと英語のギャグを説明したくてたまらないに違いない(笑)。(それを説明したくて、私はつたないブログを書いてるわけですが・・・笑)
でも、くどくど説明してると、回りくどくて不自然なセリフになってしまう。
そこをぐっと押さえて、瞬時にわかる面白さを選ぶとこんな字幕になる、ということなんでしょう。
これはギャグだけに限らず、ニュースでもインタビューでも歌詞でも何でも、日本語字幕がついてるから「うん、わかるわかる」と思っていても、実は本当の意味がわかっているかどうかは怪しい、ということになりますね。
この画期的な字幕・吹き替えシステムがあるからこそ、英語がわからなくても、外国の映画やニュースを瞬時に理解できるわけで、これを使って勉強してきた私ですから、非難するつもりは毛頭ありません。
が、本当のところは「その人が発した言葉で理解しなければ、本当の意味での理解はあり得ない。」ということなんですね。
(長くなるので、続きます。「つまんねー!」という方には、ごめんなさい。)
(Rachからのお願い)
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ただし、フレンズの英語を使えるようになりたければ、字幕完全否定ですね。 個人的には、もちろん非難はしませんが、日本語の介入を完全否定します。きっぱり。
日本語吹き替えはいらないですね。
やっぱり、こうゆうドラマの良い所は
キャラの声を覚えれえる事ですから。
声を覚えたら英語も聞きやすくなります。
日本語字幕は、いい面もあるけど悪い面もある。
僕は、1シーンごとに日本語字幕→英語字幕にしています。
もちろん台詞は声に出して呼んでいます。
意味不明なセイフに出くわした場合は飛ばします。
ネイティブも理解できない台詞もたまにあると思うし。。
F.D.J.さんがこの記事を読まれたら、あえてコメントはせずに通り過ぎるか、またはこのように否定されるかのどちらかだと思っていました。
「想定の範囲内」です(笑)。
F.D.J.さんは一貫して、「日本語を介さずに英語のまま理解する」のをポリシーにされていますので、当然ですね。
字幕を利用するかどうかは、「どのくらいの英語力を目標としているか」もそうですし、「現在の英語力がどのくらいか」ということも、関係してくると思います。
英語初心者なら、いきなり「英語のセリフに英語のスクリプト、さらには英英辞典を使う」では、ハードルが高い、と感じる人もいるだろうと思うからです。もちろん、それにトライできる人であれば、そうするのが結局は近道なんだ、というF.D.J.さんの持論は正しいと思っていますよ。
私は、字幕に違和感を感じるようになってきたら、字幕を利用する学習法は卒業して、「英語そのもの」に向き合うのが正しい選択だと思います。それくらいになれば、自分で英語をとことん突き詰めることが、「ある程度は」できるようになってるでしょうからね。
吹き替えは苦手だ、という人もよく聞きます。イメージが違う、というのも大きいですね。こういうドラマはレギュラーが決まっているので、そのレギュラーの声には早く慣れますよね。そのことでリスニングも上達する気がします。
解釈しにくいセリフはやはりあるんですよね。とりあえずは全部理解するのは不可能ということで(笑)、私も割り切っています。
そのうち、わかることもあるかなー、くらいで十分ですよね、とりあえずは。
F.D.J.さんの記事をいろいろ読ませていただいて、日本語介入完全否定による効果のことはよくわかっているつもりです。ただ、私としては、この字幕音声切り替えをしたお陰で、なんとかこんなブログを書ける程度になったということがあるので、完全否定はできません。これがなければ、F.D.J.さんのツッコミに対応できるレベルには到達できなかったと思うからです。
確かに、英語のセンスに関して、F.D.J.さんにとてもかなわないなーと思うことばかりなので、その辺りに明確な差が出てきているのだと思いますが。
ただ、私はいわゆる「日本語に訳しながら理解している」とか、「これはこういう訳だから、と丸暗記している」わけではないことだけはわかって下さい。
F.D.J.さんは、「日本語によるイメージ」すら、英語の解釈を誤らせる危険性がある、とお考えのようですが、「日本語による」というのは、本当に私の中では「言語」ではなく「言語を聞いた時の観念」のイメージだと思っているんですけど・・・。それでもやはりダメでしょうかね?
しつこいようですが、「日本語によるイメージ」というものがたとえば英語における「時制の観念」に通用するか、という疑問があります。 「冠詞」や「助動詞」にしてもそうですよね? 私の文法学習の基本は日本人の苦手な部分を克服する、というものですが、その点でいろいろ試行錯誤した結果、たとえば「現在完了形」は日本語のイメージを持つことがその理解を妨げている、という結論に達したのですが。 まぁ、いろんな考え方、接し方があってそれぞれそこから何か学べるものがあればいいんじゃないか、という感じなのですが、、、。
実際のところ、レイチさんの解説を読み始めてから「日本語介在」に対してずいぶんと穏便な考えを持つようになったのですよ。 それと、私の記事をいろいろ読んでいただいてありがとうございます。
あけましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
我ながら、くどい文章で申し訳ありませんでした。自分の今のスタンスを自分なりにはっきりさせようと思ったら、あんな長文になってしまいました(笑)。で、実際は、はっきりしたというより、余計に自分の考えが混乱してしまったような気もするのですが・・・(笑)。
確かに、現在完了形は、日本語と英語のイメージが決定的に違う例だと思います。ですから、これを「日本語で言うとこんな感じ」と仮に訳しても、まずネイティブ並のイメージはつかめないですよね。それはもう、よぉーくわかっています。日本語に訳しても、漠然とするだけで、どうして英語では現在完了形を多用するのか、多用するからには、その形でしか表せない「絶対的なニュアンス」があるからなんですよね。
「どういう時に、どういう心境で、完了形を使うのか」、ということがはっきりわからないと、いつまでたっても自分では使えないと思います。その辺りを何とか「日本語でわかるように説明して欲しい!」というのが、私の切なる願いなんです。
実は完了形に関しては、過去に、伊藤サムさんという方の完了形の解説を読んで、わかったことがいろいろとありました。そんな風に、英語に直接対峙するだけではなくて、日本語で書かれた解説や文法書を読むとか、翻訳者が日本語に訳したものも参考にしてみるとかで、少しでも「なるほど!」と思えることがあれば、それを利用するのは”悪いことではない”、というのが今の私の考えなんですが。
F.D.J.さんのおっしゃっていることを、私は私なりに理解しているつもりです。ですから、いつも貴重なご意見として参考にさせていただいています。また、今年も鋭いツッコミを期待しています。(でも、お手柔らかに)。私も自分が納得するまで、しつこく食い下がりますので、覚悟しておいて下さい(笑)。