ロス: And I've seen her be a little too into her looks. (それから、レイチェルは自分のルックスを気にしすぎる、ってずっと思ってた。)
I've seen her は現在完了形、この場合は継続を表し、「ずっとそういう彼女を見てきた」つまり「彼女はいつもそうだった。」「僕にはずっとそう見えてた。」という意味になるようです。
すると、F.D.J. さんから、「継続では無いように思えますが」とのご指摘をいただきました。
実は、このご指摘、やっぱり来たか!という感じで(笑)、昨日は、継続の意味だと自分で判断した上で投稿したのですが、実は投稿前にかなり悩んだんです。
それで「・・・という意味になるようです。」と自信なさげに書いているんですね(笑)。
まぁ、本当のところは笑い事ではなくて、まぎらわしくないように、はっきり「継続か経験かで迷った」と書くべきでした。
裏話を言うと、実は投稿前の下書きの時点で
「継続・・・もしくは、何度もそんなところを見た、という経験の意味か? 完了形が継続か経験かのどれを表すかは、期間を表す表現などのヒントがないと、はっきり区別できないのが実状かと。」
と自分で書いているんですよ。(←そんな内輪ネタはどうでもいいんですが。)
で、ご指摘を受けたこともあり、私の解釈も間違っている気がしてきたので、ここで、改めて考え直してみます。
実は現在完了形については、今話題沸騰中(!)の「ハートで感じる英文法」で大西泰斗先生が説明された”現在完了形のイメージ”で、感覚を掴まれた方も多いと思います。
そういう意味では、タイムリーな話題(?)と言えるかもしれません。
また、現在完了は、日本語にはない概念で、常に英語学習においてのつまずきとなる部分でもあるので、ちょっとじっくり考えてみたいと思いました。
「ハートで感じる英文法」の現在完了のお話は、過去形と現在完了形との明確な差を説明することに重点が置かれていました。
それは現在完了形を日本語に訳すときに、どうしても「・・・したことがある、・・・したところだ」などと日本語の過去形の言葉が入るために、過去形と現在完了形とのはっきりした区別がつきにくく、日本人にとっては「過去形の亜種」くらいの感覚しか持てないからでしょうね。
だから、現在完了というのは、過去とも現在とも全く違う時制なのだということを理解するために、その説明を徹底されていたように思います。
具体的に先生の使われたキーワードはここではあえて出しませんが(先生の説明を直接聞かれた方が、ダイレクトにそのイメージが伝わると思うからです)、大西先生のポイントは、「過去から現在への動き、時間の流れ」だと私は感じました。
大西先生のポリシーとも思われる発言に、「丸覚えや用法や和訳は必要ない」というのがありますが、完了形でも、「完了、継続、経験などの用法に捉われるな!」と強調されていましたね。
それは、英文を理解する時に、まず「これはどの用法なのか」というところから入り、その用法だからこういう訳(「・・・したところだ」「ずっと・・・してきた」「・・・したことがある」など)を当てはめて訳す、という理解の仕方ではダメだ、ということですよね。
現在完了形の基本的なイメージがあれば、その感覚と、前後の文脈、使われる動詞などを合わせて、その意味が理解できるから、用法で分けることは必要ない、ということなんだと思います。
で、その大西先生の現在完了のイメージで、この問題のセリフを解釈すると、基本的なイメージはわかりました。
「過去から現在にかけての間で、ルックスを気にするレイチェルの姿を見た」
ということです。
とりあえず現在完了のイメージを掴むという意味では、これで良いのかもしれません。
過去に見たのとも、今見ているのとも違う、というのがわかっただけでも、かなり時制の理解は進んでいるわけですね。
大西先生の完了形の解説がこの後、どういう展開になっていくのか私は知りません。
著書を読んだわけでもないし、現在完了の基本イメージを捉えるという(恐らくは文法の導入部の)あの番組を見ただけの、超にわかファンなものですから・・・(笑)。
で、私はいつものフレンズ解説と同じように、この現在完了が実際は、具体的にどういうイメージになるのかを考えました。
基本的なイメージを発展させると、「ずっと見ていた」か、「見たことがある」かのどちらかだと思いました。(「今・・・したところだ」という完了の意味はあり得ないはずなので除外)
つまりは「継続」か「経験」か、ということですね。
ここで用法を持ち出すのは、この「ハートで感じる」時代に逆行(笑)している感もあるのですが、結局、その具体的なニュアンスは、伝統的な「完了」「継続」「経験」にある程度は分類されることになるはずです。
もちろん、二つ以上のイメージを持っている文章もあるでしょうし、厳密にきっちり区分けができるわけではないでしょうが、やはり「日本語で言うとこんな状況でのこういう感じ」とはっきり説明できるところまで理解したいわけです。
でも、このセリフには、継続か経験かを判断するためのヒントとなるフレーズがありませんよね。
つまりは以下のようなヒント。
for ten years などの期間を表す語句があれば継続のニュアンスが出る。
疑問文でeverが入っていれば「これまでに・・・したことがありますか?」と経験を尋ねる文章になる。
neverと否定文になっていると「・・・したことない」という経験がないという表現になる。
平叙文でも once(一度)、often(何度も)、three times(3回)などの回数を表す表現が入っていれば、経験だとわかる。
という、文脈上で判断できるヒントのことです。
で、このセリフにはそれがないから、わかんないなぁーと悩んだ結果、ロスが言いそうなことを考えると、「ルックスにこだわるところを(何度か、何度も、かつて)見たことがあるよ。」というより、「いつ見てもルックスにこだわってたよ。ルックスにこだわる姿をこれまでずーっと見てきたよ。」という方が、”それっぽい”と判断して、継続を選んだんですね。(こういう選び方をしたのは邪道だ、と今になって思います。)
でも、完了形の意味が「継続」か「経験」かを判断するには、使われる動詞から判断する、という方法もあったんですよね。
つまり、”「状態動詞」や「持続的な動作を表す動詞」の場合は「継続」を表す”というものです。(こう断言していいのかどうかは知りません。)
see は恐らく「持続的な動作を表す動詞ではない」ですよね。
だから、普通、seeという単語を使った現在完了形と言うと、I've never seen this before. 「こんなの今まで見たことない。」や Have you ever seen a panda? 「パンダを見たことありますか?」などの経験を表す表現になるわけです。
つまり、see という動詞と継続という概念は合わない、I've seen... で「ずっと見ていた」という意味になることはない、と言えるのかもしれない、と思えて来ました。
それからおまけですが、a little too into ですから、「気にしすぎる」というところが「ちょっとある」んですね。「ちょっと」を抜かしてました。(ちょっと、たるんどる! 昨日の私。)
だから無理やり訳すとすると、「レイチェルが自分のルックスをちょっと気にしすぎる、ってところを見たことがあるよ。」、それをもう少し日本語らしくすると「レイチェルには自分のルックスをちょっと気にしすぎるところがあるよ[あったよ]。」って感じでしょうかねぇ。
結局、私は完了形のニュアンスを何とか掴もうとして、さらにそれを訳に出そうとして、却って間違った方向に進んでしまった気がします。
ということで、長かったですが、結論は「継続ではなくて、経験を表している」ということになります。
ここまで書いて、また「これは継続でも経験でもないよ。」と誰かに指摘されたら、ひっくり返っちゃいますけどね(笑)。
長文、失礼いたしました。
(Rachからのお願い)
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自分がロスの気持ちになって言うとすると、やっぱり完了形だと思います。なぜと言われても困りますが、ずっと見てきたという継続+経験の両方を表現するのに一番適していると思うからです。どちらかだと決めつけるのは、何となく無意味なような気がします。だって、継続した経験ってあるでしょ。
あの番組については、現在完了と過去形との違いを最初にイメージで説明したのは、良いアプローチだと私は思っています。
ごっちゃにしてる英語学習者が多いのは間違いないですからね。私も受験英語をやってた頃は、明確な差を意識してませんでした。そういう表現があるんだ、くらいで。
ただ、あれがあくまで「導入部」なのも間違いないですよね。また機会があれば、あの後、どう展開していくのか、先生の著書などを読んでみたいと思っているんですが・・・。
>経験とか継続とかにわけて考えるのは、足がかりとしては悪くないと思いますよ。
と言っていただけて正直ホッとしています。アメリカでもそうやって分類してるんですね。(F.D.J.さんに、「英語の文法書を読んだら力がつく」とオススメしていただいているのに、実は英語の文法書を読んだことがないのが、ここでバレてしまいましたね。わはは。)
大西先生が「用法に分けて考えるな!」と言われるのは、日本の受験英語が、「まず先に文法用語(関係代名詞とか過去完了とか)ありき」みたいな感じになっていて、本当の英語の表現に触れる前に、日本語での用語の説明に終始してしまうことへの反抗なんだと思っています。
「極論が大好き」と自己分析されている(笑)F.D.J.さんならおわかりかと思いますが、「完了、継続、経験などの用法は必要ない!」というのも、そういうものに捉われ過ぎて、本物の英語に触れるところまで行かなかった人たちへの一種の「極論」なんだと思っているのですが、どうでしょう?
私は、用語など、はっきりと何かを指す言葉がなければ、頭の中の整理ができないタイプなので、文法用語に対してアレルギーはないんですが・・・。というか、ないと困ります(笑)。
お帰りなさい! 帰省中はゆっくり過ごされましたか?
それから、明けましておめでとうございます。今年もまたいろいろ教えて下さいね!
そうですね。「継続した経験」というのもあります。そういうニュアンスを含めることのできる完了形だから、ネイティブは多用するんでしょうね。
>「ずっと見ていた」か、「見たことがある」かのどちらかだと思いました。
と私が書いたのは、ちょっと誤解を招く表現だったかもしれません。「どちらか」かもしれないし、「どちらも」かもしれないですよね。
そういういろんな概念を含んだものが、「現在完了」だからです。
選択肢として(そもそも選択する必要があるのかという問題もあるけれど)、「継続と経験の両方を表す」というものもあるべきでした。
このセリフには、上に書いたように、継続か経験かを判断するヒントになりそうな「期間や回数を表すフレーズがない」ので、あえてその辺りをぼかしているともとれますよね。
「ずっと見ていた」し、「見たことがある」という解釈にすると、ロスがこれまでレイチェルを見てきた間にそういうことがあった、という感じが出るかも。
自分としては、最初に「この場合は継続を表す」と一方に限定したのは、明らかに間違いだと思っています。
それで、「継続ではなく経験だ!」と結論づけたのですが、今、ほんださんのコメントを読んでからの感想は・・・
”「経験」のニュアンスの方が強いけど、現在完了の基本イメージで、過去から現在までの時間の流れという「継続」の雰囲気もかもし出しつつ・・・という感じ”かなぁ?
と、こういうやり取りにデ・ジャヴを感じるなと思ったら(笑)、この展開って、前回モメた(?)「longに関する疑問点」の時と同じパターンだぁー。私って、学習能力ないのか・・・(泣)。
お二人へのお返事を分けると、かえって混乱するので(笑)、一緒にコメントさせていただきます。
やっぱりお二人のお話を聞いて、まだ自分で完全に把握しきれていない部分があることに気づきました。
そこで(!)、またもや、現在完了形に関して、自分の考えを整理するために記事を書きました。
本当に我ながらしつこくてすみませんが、せっかくいただいたご指摘を、自分の中できちんと消化した上で先に進まないと、もったいないと思ったからです。
また、気になる点があれば、ご指摘下さいませ。
それから、「現在完了形は絶対に母国語に訳して考えるな」・・・肝に銘じておきます(笑)。
F.D.J.さんの現在完了形の記事を読んで思ったんですが、今後は、私の解釈も、現在完了形という形を使うことで、「現在どういう状況であることを示唆しているのか」に注目してみたいと思います。
それから、お二人の「分類にばかり気を取られるな」というご指摘はごもっともです。私は性格的に「分類好き」なところがあるので気をつけよう・・・(笑)。
ほんださんの言われたように「言葉遊び」になってしまう恐れがありますものね。