フレンズ2-8その8+完了形、継続か経験か の記事で、次のセリフ
ロス: And I've seen her be a little too into her looks.
における現在完了形について、じっくり考察してみました。
その記事ではいったん、「経験」だということで結論づけたのですが、その後、コメントをいただいて、私の意見も二転三転しました。
「継続かつ経験」かもしれないとか、「経験で、ちょっと継続のニュアンスが入ってる感じ?」とか、いろいろ考え直している間に、私の完了形の認識がまだあやふやだったことに気付きました。
そこで、ふたたび(!)、現在完了形について考えてみたいと思います。
またもやくどくどと説明が続き、「ハートで感じる英文法」に対抗した「理詰めで押し切る英文法」って感じになってます。(これで論理が破綻してたらどうしよう・・・笑)
「フレンズ解説にしか興味ないよー!」という方には、度々のことで本当に申し訳ありません。
が、今後、よりネイティブの感覚に近づいた解説をするためには、避けては通れない道なのですっ!(←大袈裟)
ということで、興味のない方は、フレンズ解説まで、もうしばらくお待ち下さいませ(笑)。
なお、前回の完了形の記事では「フレンズ2-8その8」とタイトルに”フレンズ”とつけていたのですが、結局、セリフの解説というよりは、文法解説になってしまったので、これ以上「その○○」が増えても困るので(笑)、今回は潔く文法がらみのタイトルにしました。(問題となったセリフからはリンクをはってこちらに来れるようにしておきます。)
まず、最初に皆様に謝りたいのは、私がある意見を聞くたびに、自分の考えがあっちへフラフラ、こっちへフラフラしてしまうことです。
やはり自分がわからなくて、間違った箇所なので、人の意見を聞くと「なるほどぉ!」と思ってしまうんですね。
それから、日本語でも日本国憲法をいろんな風に解釈できるように(笑)、英語も「聞く人によっては、違った解釈になる」というのもアリなのかもしれない、と思いたい気持ちがどこかにあるんだと思います。(そう思うと楽だから・・・笑)
ただ、「そういう解釈はあり得ない」という部分だけははっきり認識しておかないと、英語を誤解することになってしまいますよね。
で、あれから、私も現在完了形について、手元の本などをもう一度じっくり調べ直しました。
(もちろん、F.D.J.さんの現在完了形の記事 も読みましたよ!)
私の認識が甘かったのは「継続」の概念でした。
(「分類にはじまり分類に終わる学習は無意味」との指摘を受けたばかりなのですが、ここでは「継続」「経験」と分類することによる弊害には、ちょっと目をつぶって下さい・・・笑)
日本語で「継続」というと、「ずっと続いていること」という意味ですが、「現在完了形」における「継続」の期間にははっきりした決まりがあるんでしたね。
(以下の文章は、自分の考えを整理して、間違ってるところがあれば指摘していただくために書いてます・・・笑)
同じように「5年間日本に住んでいた」という文章でも、
(1)現在完了形
I have lived in Japan for 5 years.
「過去のある時点から、現在まで5年間」住んでいる。(今でも住んでいる。)
(2)過去形
I lived in Japan for 5 years.
「過去において5年間」住んでいた。(が、今はもう住んでいない。)
(3)過去完了形
I had lived in Japan for 5 years until I got married.
「結婚した過去の時点まで、5年間」住んでいた。(過去の時点での話なので、今との関連性はないから、今の状態はわからない???)
↑ここで「過去完了形」を持ち出すと、話がややこしくなるのは承知しているのですが、日本語で「継続」というと、こういうことも思い浮かべる、という意味で並べてみました。
上に挙げたような、完了形や、完了形と間違いやすい表現に関しては、週刊ST のコラム「これであなたも英文記者」の課題で何度もやっていたし、伊藤サムさんの新刊 伊藤サムのこれであなたも英文記者 にもくわしく書かれていたので、ちゃんとわかっていたつもりだったのですが・・・。
私が混乱していたのは、「継続」という日本語から、とにかく「ある期間ずっと続いていたこと」を全部「継続」だと思ってしまっていた、ということです。
現在完了形の継続はあくまで「現在まで」の継続。「現在完了形」と”現在”がついているのは、ダテじゃない!ってことですね。
だから、ロスのセリフで言うと、
I've seen her be a little too into her looks.
をもし「継続」だと解釈すると、
過去のある時点から「現在」まで、ルックスを気にするレイチェルを、文字通り「ずっと見ていた。」
ということになるのですが・・・。
やはり「現在までずっと彼女を見ていた」という解釈には無理があると思います。
そもそも、最初に私が勘違いしたのは、「ずっと彼女を見ていた」という日本語が、恋する男性のセリフとして成立するから。(これが、いわゆる「日本語に訳すことの弊害」ってヤツですね・・・)
でも、現在完了形で「ずっと見ていた」というのは、本当に物理的に「ずっと見ていた」ことを指すわけで、この日本語のニュアンスとは異なるはず。
また、動詞に注目すると、see という単語は「ものが見える、視覚に映る」という意味。
英英辞典では、see = to notice or examine someone or something, using your eyes とあります。
つまり、「目に映ったものの存在に気付いて、その対象を理解しようとすること」という感じでしょうか。
(英英辞典で調べたものを、いちいち日本語に直したら意味がないじゃないか!、というご指摘は、甘んじて受けます・・・笑)
ですから、「ずっと続く継続」の概念とは共存できない単語に思えてきました。
これが watch だと「動いているものを注意して見る」という意味なので、継続の意味も可能かと思いますが。
(2006.1.30 追記)
上に「動詞 see は継続の概念とは共存できない」と書いたのですが、それが誤りである、つまり「see は継続の概念と共存可能」と言えることがわかりました。
それに関して、以下の記事で解説しておりますので、興味のある方は覗いてみて下さい。
知覚動詞seeの完了形(その1)
知覚動詞seeの完了形(その2)
(追記はここまで)
ということで、「継続」という解釈は不可能で、かつてそういうことがあった、という「経験」の意味として解釈すべきだ、ということになります。
明日は「経験」について説明し、その「継続」と「経験」との決定的な違いから、二つが共存することは出来ない、という話をするつもりです。
(Rachからのお願い)
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うーん、そんな余力はないなぁ・・・。というより、これをシリーズ化しても、皆さんあんまり読んでくれないんじゃないかなぁー、と、今日のいかつい文章を見て思っちゃいましたよ・・・(泣)。
実はせっかく完了形についてちょこっと復習したので、それを忘れないようにノートに書く代わりに、ブログに記事にしちゃった感じですね。忘れたら、またこれ見て思い出そう・・・みたいな。
ちょっと質問していいですか?
see とか hear とかの知覚動詞が、完了形の継続の意味として使われることはあるんでしょうか?、というか、使われることは可能でしょうか?
だいたい、see や hear だと、Have you ever seen...? とか I've never heard...とかの経験の意味で使われますよねぇ。
もし「継続の意味として使うことの出来ない動詞」だと断言できちゃうとすると・・・今回の議論は一言で決着がついてしまうんですけどね(笑)。
ご質問の see と hear ですが、双方共に stative verb ですよね、つまり「動作」ではありません。 が、どうでしょう。
同じ stative verb の live は「継続」の意味で使われるのですが、意味的にその二つは難しいのではないでしょうか? 私も普段は「継続」とか「経験」とかで考えないので、、、。
I've been seeing her for two years.
とかになると「付き合ってる」の意味に変わってしまいますし。
I've been watching ...
I've been listening ...
になるのではないでしょうか?
あと、see と hear のように「単語」で考えるのではなく、to see か saw か have seen か had seen のように考えたほうが今後良いのではないかと思います。 まぁ、できれば「文」として考えたほうが良いかも。 動詞は「意味」にもまして「役割」も大切だと思いますので。 それと、現在完了形に問題がある場合は、実は「完了形」をばっちりと理解していない、ということが多いのですが。 まずは「現在形」と「過去形」だと思います。 あと時制の学習は「意味」ではなく「時間」で考えることがなによりも重要ですよね。
私の記事からF.D.J.さんの記事へのリンクを確認した時に、「あれぇ?何だか、後半部分が真っ白になってるー」と思っていたんですよ。
システムの不具合じゃなくって「削除」してしまわれたんですか?
あいにく、私もF.D.J.さんの記事を全部はコピーしてなくて、後半部分はタイトルだけメモってただけなんですけど。一応、後でそちらに貼り付けておきますね。
それから、ご丁寧なお返事ありがとうございます。
see や hear などの知覚動詞は「状態動詞」の一種ですよね。live は継続の典型みたいな動詞ですが、私も同じ状態動詞でも、see と hear を継続で使うのには無理があるように思えてきました。(「継続」「経験」とか、もう用語ばっかり使って本当にすみません。)
「意味的に難しい」ということは、どこかに「使えない」と断言してあるわけでもないのですね?
本当に物理的にずっと見ていたなら、私も I've been watching... になると思います。
ちょっと頭が混乱してるのですが、see は基本的に進行形を取らない動詞ですよね。(「付き合ってる」という場合は除いて)
例えば、「そういう進行形にできない動詞は、継続の意味では使えない」という展開にはなりませんか?
それとも、単に、継続を表す「現在完了進行形」にはならない、というだけのことでしょうか?
単語で考えてはいけない、というのは承知しているのですが(笑)、時間的に継続しているイメージを持てない動詞だから、その「瞬間を切り取ることができない」ので進行形にもならない、という感じで捉えることはできないでしょうか?(「瞬間を切り取ることができない」というのは、私の勝手なイメージです・・・笑)
何故か自分の中で、I have seen が継続にならないのと、see が進行形では使えない、ということが関連しているような気がするんです。
手元の文法書を見ても、よくわからないので、F.D.J.さんの感覚ではどうお感じになるか、教えて下さい。
(お忙しいようなのに、質問ばかりして申し訳ありません。)
まず、過去のある時点から続いている動作を示すにはやはり「進行形」ですよね? また、この「進行形」という名前にも問題がありますよね? 英語では Progressive か Continuous ですからそのものズバリの意味合いなのですが。 例えば、二時間前からずっとテレビを見ている、ということを表現するには
I’ve been watching TV for two hours.
になりますよね? これはその「動作」を示しているので
I’ve seen TV for two hours. とは言えません。
なぜか?
これは to see が「見る」という意味ではないからではないでしょうか? もしくは、to see が「見る」という日本語では表現できないからではないでしょうか? 確かに、to see は「動作」ではありません。 そしてなによりもこの動詞は基本的に perfective な意実を持っています。 それはご自身でも指摘されているように映像が目に入ってきた時点での「完了」を示唆しているからではないでしょうか?
私は文法の専門化ではないのであくまでも憶測での話しになりますが、「進行形にならない動詞」にはおそらく基本的に「継続」を示すもの、例えば be, have, belong, like, know などなどと「完了」の意味をもつもの hear, realize, remember, see などにわかれるのではないでしょうか? そして、この「完了」の意味合いを持つ動詞達はそれぞれ「継続」としての用法には適さないのではないでしょうか?
おそらく、今回問題になったロスのセリフが see という動詞ではなく別の意味として remember とか realize とかの現在完了形であれば、問題はなかったと思います。
進行形と関係づけようとするのは、無理があるのかもしれない、と後から思って、とんちんかんな質問をしたような気がしていましたので、こんな風に丁寧にご返事いただいて恐縮です。ありがとうございました。
I’ve been watching TV for two hours. はOKだけど、I’ve seen TV for two hours. とは言わない、ですよね。私にもそういう感覚があります。
だから、see (to see)が、継続には合わない気がする。そして、それを何とか納得したいというのがありまして・・・。
see = notice and examine でそれっきり終わってしまう感じがするためなのかな、と漠然と思っているのですが、F.D.J.さんも to see に対してそういうイメージを持たれているわけですね。
ありがとうございます。また、ゆっくり考えさせていただきます。
私から見れば、見る角度によって、違うではないかと思います。
例:I have written two booksについて
もちろん、「私は今まで二つの本を書いたことがあります」の経験を含んでいますが、
これから本を更に書くことの可能性がありますので、その意味では、「継続」も含んでいます。
(時間上に連続していない継続「断続的な継続?」)
どちらか選択してなければならないのであれば、私は「経験」を選択する
(継続は進行形で現れます。)
私なりの理解では
1.進行形は状態または動作が続いていることを強調しています。 (時間上に厳密連続しなければならない。)
@I have lived in Japan for 5 years.と
AI have been living in Japan for 5 yearsの区別は
@の場合、私は過去5年間に日本に住んでいます。
(海外旅行に行ったことがあっても、特に問題がありません。
現時点に拘らない現在です「また現時点は日本に居なくても、近い内に日本に戻るのであれば、特に問題がありません。」。)
Aの場合、私は過去5年間ずっと日本に住んでいます。
(5年間一度も日本を離れたことがなかった。
現時点でも日本に住んでいること)
2.現在完了形と過去完了系の区別は時間のスパン(time span)の最後は過去か
過去完了系には、大体until time2, from time1 to time2(time2は過去であれば)
ここで注意したいのは this month, this yearの場合、まだ過去ではないので、
過去完了系をしてはいけない。
3.現在完了形と過去系の区別は過去の時点を示されるか(yesterday, last year, in 1990など)
watch TV(See a movie)は慣用語なので、「I’ve seen TV for two hours.」は言わないですね。
わざわざfor two hoursを書いているのは「続けていること」を強調するヒントですので、、
「I’ve watched TV for two hours.」ではなく、「I’ve been watching TV for two hours.」となるのは自然だと思います。
「I've watched TV to know news」であれば、特に違和感もないでしょう。
I've seen her be a little too into her looks.について
ここでのseeは「見る」ではなく、「思う」に近い意味ではないか
thefreedictionaryからTo consider to be; regardの意味があると書いているので。
継続か経験かの区別は、見る角度によって違う、というのはその通りですね。文脈によっても違う、とも言えるでしょうか。
私が記事として書いた一連の現在完了形の話は、今読み返してみても、自分でもよくわかりません。未だに自分の中ではっきりした結論が出ていない感じです。いただいた意見を参考に、私も今後いろいろ考えてみたいと思います。
>ここでのseeは「見る」ではなく、「思う」に近い意味ではないか
というお話には同感です。