みたび、完了形-完結編 で記事を終える予定だったのですが、 パパが英語に目覚めたら のハルさんより興味深いご意見をいただきました。
それを読ませていただいて、いろいろ考えているうちに、もう一度、最後に自分の考えをまとめたいと思うようになりました。
そこで、ハルさんのご意見とそれに対する私の考えを書きます。
主に see という動詞についての話です。
この手の話に興味のない方には、本当に申し訳ありません。
でも、自分としては、たまにこういうことで延々悩むのが楽しかったりするのです(笑)。
ランキング下がるのを覚悟の上で書いてます(!?)
これまでの経緯をお話しますと、
そもそもは、ロスのセリフ、
ロス: And I've seen her be a little too into her looks.
が継続か経験か、という話でした。
いろいろ悩んでこれは「経験」で、私なりに日本語訳をつけるとすると、
「レイチェルが自分のルックスをちょっと気にしすぎる、ってところを見たことがあるよ。」
「レイチェルには自分のルックスをちょっと気にしすぎるところがあるよ[あったよ]。」
みたいになるかなぁ、と結論づけました。
さらに、完了形、ふたたび の記事で、私は「see という単語は”ものが見える、視覚に映る”という意味だから、”ずっと続く継続”の概念とは共存できない単語に思える。」と書いたのですが・・・。
その「see が継続の概念と相容れない」という意見に対して、非公開コメントでハルさんより興味深いご意見をいただきました。
何度かこの件についてやり取りした「二人の初めての共同作業」の結果(!?)は以下のようになります。
(実際は、ハルさんが全部調べて下さいました。それから、あまりおフザケが過ぎると、ハルさんの奥様とお嬢様に申し訳ないので、この辺でやめときます・・・笑)。
その1
see には「視覚に映る」以外にも「みなす」「付き合う」などの意味がある。
Google のフレーズ検索で、"I've seen him for" や "I've seen him since" と期間を表す表現をつけて検索すると、相当数ヒットするし、それは内容から継続として使われていることもわかったので、see は「継続の概念と相容れない動詞」だとは言えない。
その2
また、「視覚に映る」意味での継続があり得るかどうかは現時点ではわからない。
その3
I have seen her be selfish.
I have seen her as a selfish girl.
という二つの文をネイティブの先生に見せてみた結果は、(ハルさんのプライベート・レッスンの先生は、ネイティブなんですよね!)
この二つの文は同じ意味で、どちらも「experience(経験)」を意味するとのこと。
「I have seen her ... for years」とした場合は「duration(継続)」を意味するようだが、このような「for」や「since」がない場合、「have seen」は「経験」というのが、彼らの直感的な印象のようだ。
ということでした。
まず、その1について。
実は、前の記事の時に、私はフレーズ検索で用例を調べることをしませんでした。
ちょっと文法に偏りすぎて、文法書や解説書ばかりひっくり返して、実際に使われている用例に当たってみることを私は忘れておりました。
実際、フレーズ検索で継続として使われているものが出ているのなら、see という単語が継続として使用可能なのは間違いないでしょう。
もちろん、ネット上にある英文全てが正しいとは言えないのですが、「相当数」ヒットするということであれば、通常使用されている形だと思って良いと思います。
ということで、過去の記事に書いた「see は継続とは相容れない動詞だ」という私の意見を、ここで謹んで撤回いたします。
紛らわしいことを書いて、本当に申し訳ありませんでした。
(前回の記事では私は「see = 視覚に映る」という観点からしか見ていなかったのが、そもそも問題なんですね。)
その2については、後で書きます。
その3については、これは私も後から気が付いたんですが、最初の私に欠けていたのは、
「まず、先入観を捨てて、セリフを眺める。」
という姿勢でした。
ロス: I've seen her be a little too into her looks.
先入観なくこの文章を見たときに、I have seen という形を見て、現在完了形の
Have you ever seen...?(・・・を見たことありますか?) や、
I have never seen... (・・・を今まで見たことがない)
という「経験」の典型的な例を思い出して、経験だと捉えるのが一番素直なのかも、と今になって思います。
また言い訳みたいになりますが、最初の解釈で、どうして、「ずっと」という継続のニュアンスを私が感じてしまったかというと、ロスがレイチェルのことを語る時に必ずセットのように出てくる話が、ロスがレイチェルに「ずっと片思い」していた、ということ。
例えば、フレンズ1-24その6 のセリフ、
ロス: I've been in love with you since the ninth grade. (高校の時から君のことがずっと好きだった。)
などは典型的な例ですよね。
でも、よく考えてみると、「ずっと」のニュアンスを出したければ、上のように since the ninth grade とか、for a long time とか、そういう副詞句がつくのが自然です。
また、「何回も見たよ」と言うつもりだったら、often 「何回も」などの頻度を表す表現を入れるかもしれません。
言葉のイメージを強めるために、ネイティブはそういう副詞句を頻繁に使うような気がします。
例えば、何回もあったことを言うときに、"again and again and again" などしつこいくらい強調したりしますが、あれで感情を込めている、という部分もありますよね。
そう考えてからこのセリフを見ると、「長い期間」を示唆したフレーズがない、そして「頻度が多い」という表現もない、だから、「何回も」というほどでもなく「かつてそんなところを見た」という程度の、ある過去におけるエピソード的ニュアンスだと捉えるのが自然な気がしてきました。
結局、「期間」や「頻度」のどちらかを表す表現がないのだから、そこからどちらと決めるのも危険ですが、どちらがないと不自然かというと、”「ずっと」というニュアンスで期間を表す表現がない方が不自然”だと思えます。
ということで、先入観なく見た場合、このセリフは見かけ上は、「経験」と見なしやすい、と思います。
ハルさんのネイティブの先生の捉え方も、「for」や「since」がない場合は「経験」だと直感的に感じる、というのもまさにそのことですよね。
そして、今はその2のことで悩んでいます。
ハルさんに倣って、私もいろいろと Google 検索してみると、いくつか気になる表現が出てきました。(ただし、以下の文章は大量にヒットしたのではないので、間違った表現の可能性もある)
まず、I've seen him for years. という文章がヒットしました。
ハルさんが辞書で発見されたという They've seen each other for a long time. (二人は長く付き合っている。)と同じで、「彼と長年お付き合いしてきた」とも取れますが、もしかしたら「長年彼を見てきた」という「見る」意味だという可能性はないんでしょうか?
何故、素直に「付き合う」だと納得できないかというと、「付き合う」という意味で使う場合は、I'm seeing him. と現在進行形で使う場合が多いので、進行形ではない場合、「付き合う」ではない可能性もあるのでは?と思うのです。
また、以下のような文も発見しました。(発見した文章をちょっと変えてますが)
"I've seen him for the last five years. But I've never seen him like this."
これは「私はこの5年間ずっと彼を見てきたけど、こんな様子の彼は見たことがない。」という、日本語でもよくわかるニュアンスの文章になりそう。
もしそういう意味だと、まさに「継続」と「経験」を、どちらも have seen で表現していることになりますよね。
これもまた、 see は「付き合う」という行為を指しているから「継続」可能なんだ、とも言えるかもしれませんが。
もし、上の文章での see が「視覚に映る」という意味で、なおかつネイティブにとって自然な文章だとすると、「視覚に映る」という意味でも、継続は可能なのかもしれません。
もしかしたら、「じぃーっと観察してる」んではなく、「ずっと姿が見えていた、目に映っていた」あるいは「見守っていた」という感覚は継続と相容れるものなのかもしれません。
see 「視覚に映る、見る」の意味でも継続が可能かもしれない!?
のでしょうか?
もうこの辺りになってくると、正直、私にはお手上げです。
結局は、「継続」か「経験」か、という分類の話ではなく、「文法的にそれが可能か不可能か」という話でもなく、継続の形や経験の形にしてネイティブが自然に感じるか、が大事なポイントなわけですね。
ここでは「ハートで感じる英文法」方式で(笑)、ポール・マクベイ先生にフリップ(・・・って言うんでしたっけ? あのボード)を持っていただいて、街行くネイティブに聞いていただきたいところです。
フリップその1
I've seen him be selfish for ten years.
で違和感がないか?
なぜ、この構文を使ったかというと、これが「視覚に映る」という意味で一番使われる形だと思ったからです。
「see(hear)+目的語+動詞の原形(または現在分詞)」は、知覚動詞を用いているため、「知覚構文」と呼ばれますよね。
ちょうど、1月19日放送の「ハートで感じる英文法」のメインテーマだったので、タイムリーな話題でもあります。
この知覚構文で、継続の意味を持たせることができれば、「視覚に映る」でも継続は可能、ということになりますよね。
フリップその2
I've seen him for the last five years. But I've never seen him like this.
で違和感がないか? 最初の継続に使われている see は 「notice/examine, using your eyes」の意味の「視覚に映る」か、もしくは「付き合う」という意味に理解されてしまうのか?
などなど・・・。
実際のネイティブの感覚を聞いてみたいところですね?(ハルさんの先生は今お忙しいらしくて・・・一応、聞いていただくようにお願いしてあります・・・笑)
明日は、この「知覚動詞 see が完了形継続として使えるか?」に何故私がここまでこだわったのか、について語ってみたいと思います。
(ここまでこのネタを引っ張った言い訳みたいなものですが・・・笑)
(Rachからのお願い)
今回の記事、面白いと思われた方は、下のランキングサイトをクリックして下さい。
人気blogランキング
にほんブログ村 英会話ブログ
2006年01月24日
この記事へのコメント
コメントを書く