2006年01月25日

知覚動詞seeの完了形(その2)

昨日の続きです。

過去の記事では、私の解釈が二転三転した結果、解釈の正しさを証明するのに、「継続ではないこと」を証明することにやっきになっていた感がありました。
だいたい、私は不可能であることから潰していって、残ったものが正しい答えだ、という導き方をすることが多いです。つまり「消去法」。
文法的にダメだから、などの不可能である理由を探すのに夢中になってしまうんですね。
ですが、英語はあくまでも人の気持ちを表す言葉。
もちろん文法的におかしいものはやはりおかしい文章なんでしょう。
でも、ネイティブは「普通はそんな言い方はしないよなぁ」と思えば、それがいくら文法的には可能な文章でも、やはり不自然な表現になってしまうんですね。

昨日、悩んだ「視覚に映る」意味で、継続か可能かどうかに、何故私がそこまでこだわったかについて、ちょっと書きたいと思います。

1.私が 動詞 see を「継続の概念と相容れない(継続として使うにはふさわしくない)」と考えた理由

過去の記事では、現在完了形の文法や、使われている see という動詞の性質から、このセリフが継続ではないかを証明(笑)しようとしたのですが、その証明にやっきになって、だんだん視野が狭くなり、極論を述べた気がします。(だいたい、私は調べ物をしていくうちに、視野が狭くなる傾向にありますね。反省しております・・・)

まず、「経験」だと思うのが自然だという理由は、昨日も書きましたが、
Have you ever seen...? (・・・を見たことありますか?)
I have never seen... (・・・を今まで見たことがない)
というのが「経験」の典型的な例だからです。
つまり、see という動詞が「経験」として使うのにふさわしい単語であり、だからそれを「継続」として考えるには、それなりの強い理由が必要だろう、ということです。(例えば、「期間」を表す副詞句がある、など)

それから、大西洋横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの残したこんな言葉もあります。
I have seen the science I worshipped and the aircraft I loved
destroying the civilization I expected them to serve.

これは「have seen+目的語(the science I worshipped and the aircraft I loved)+現在分詞(destroying)」の知覚構文です。
これをそれらしい日本語に訳すとすると、「私が崇拝した科学、そして私が愛した飛行機が、私がその2つが奉仕することを期待していた文明を壊すところを、私は見てきた。」という感じでしょうか?

名言なのに(なので?)何とも回りくどいですが(日本語に直すから、なおさら回りくどいとも言える)、この「見てきた」と訳してしまった部分は、本当のところはどういう状況を指しているんでしょう。
これも訳すことの弊害と言えますが、「見てきた」というと、「ずーっと見てきた」それから「ずーっと見ていた」に通じるところがあるので、一瞬「継続」のニュアンスだろうか?と思ってしまうのですが、この文章から判断すると、科学や飛行機が文明を「まさに壊している」さまをずっと長い間「継続」して見ていた、というのはやはり変な気がします。
ここはやはり、「壊すさまを見た」という「経験」をこれまでしてきた、と理解すべきでしょうね。
だから、日本語の「見てきた」というのは、「見たという経験をこれまでしてきた」という意味なわけです。
実は辞書を調べると、see には「・・・を経験する、・・・に遭遇する」という意味があり、現在完了形を使った経験の例文がいくつか載っています。
このように「経験する」との訳語があることからも、基本的には「経験」のイメージが強い単語なのだと言えると思います。

それから、同じように「見る」と訳される動詞 watch との使い分けを見ると、ますます「継続」のニュアンスが出しにくい単語なのではと思うようになりました。

see と watch と look の違い、はよく引き合いに出されますよね。
「ハートで感じる英文法」の大西先生も、その違いを説明されています。
あの「ハートで感じる英文法」冬休みスペシャルは、もともと12回シリーズだった中から8回分を選んで放映したそうですね。
その省かれた中に、「英単語もイメージだ」という回があり、そこで look, see, watch のイメージの違いを説明されたようです。
私は年末に先生のファンになってから、さっそく
ハートで感じる英文法 大西泰斗/ポール・マクベイ著
を購入して、その再放送されなかった部分を読んでみました。
あまり詳しく書くのは避けますが(これから読む方の楽しみが減るので)、see のポイントは
「向こうから入ってくる」という感触だそうです。
look は「目をやる、視線を向ける」、watch は「じっと見る、観察する」と辞書にあることからわかるように”自発的行為”ですが、see はそうではなくて、「目に映る」という、非常に”受身な”印象を受けます。
もちろん、英英辞典に notice/examine とあるように、それを受け入れるだけではなく、その後、吟味するわけですが、目を使った行為としては、look や watch に比べて、受身だということですね。
さきほど、リンドバーグの例に出した「経験する」というニュアンスも、「向こうからやってくるものを受け入れる」という see の基本的イメージを展開したものと言えるそうです。

ここでは look は省略して、see と watch の使い方を比較したいと思います。
ざくっとした訳で言うと、see は「(単に)ものが見えること」、watch は「動いているものを注意して見る、という自発的行為」を指すので、その差から、次のようなことが言えますね。

「テレビを見る」という場合、
I’ve been watching TV for two hours. とは言うが、
I’ve seen TV for two hours. とは言わない。 
(ここで watch の文章が「現在完了進行形」になっているので、単純に比較はしにくいですが、基本的な意味は have watched と同じ。
あえて言うと、普通の完了形は行為について語り、それが進行形になると動作を強調することになる、という感じ。)

また、「映画を見る」という場合、
I'm going to see a movie. (私は映画を見に行くつもりだ。)
これは、映画館に出かけて映画を見るという「経験」を指します。
I'm watching a movie in a theater. (私は映画館で映画を見ている。)
これは物理的にスクリーンをずっと見ていることを指します。

このような意味の違いから、see は一瞬でその行為が済んでしまうような感覚を、”私個人は”持っているのです。(これが正しい認識かどうかはわかりません。)
なお、この感覚は、hear と listen の使い分けにも通じます。
そして、同じように hear も Have you ever heard...? (・・・を聞いたことある?)と経験の文章でよく出てきますよね。

2.文法書の解釈を文字通りにとると・・・

手元の文法書には以下の通りに書いてあります。

現在完了形の継続の形は、
「状態動詞」や、live, walk, work などの持続的な動作を表す動詞と共に用いられる。

そして、状態動詞というのは以下の3つに分けられる。
精神活動を表す動詞 think, hope, love
知覚動詞 see, smell, hear, feel
関係動詞 belong, have, own

これを文字通りに解釈すると
「状態動詞の一種である知覚動詞に属する see は、現在完了形の継続の形で用いることができる」
と解釈されることになります。
つまり、私が「継続で使えない」と思ったことは、文法上の根拠は何もないわけですね。(ガーン!)
(念のために書いておきますと、文法書というのはあくまで大きな分類を示したものだと思うので、必ず例外はある、ということは自分でもわかっています。
ですが、この場合は、「一般的に使える」と書いてあるので、素直に捉えると、「使える」としか解釈しようがないのです。)

ですから、1.で書いたような感覚も何となくわかっていただけるかとは思うのですが、私が「see は継続としては使えない」と思った根拠は、その”感覚”のみ。
やはりどこにも「see は継続としては使えない」とは書いてないので、「使える」とみなす方が自然でしょう。
「使えない」と書いた私の記事が、私のひとりよがりな意見だったということです。

現時点での私の見解は
see は経験のニュアンスで使われることが非常に多いが、
「見なす」などの意味では継続として使われることも可能。
また、その他の意味でも、「継続として使用不可」とは断言できない。

ちなみに、ある方から、I've seen him for years. は、I've known him for years. と同じことだ、というご指摘を受けました。
日本語でも、「彼を長い間、見てきたけど・・・」などと言いますが、それと同じ感じのようです。
つまり長い間の知り合い、ってことですよね。
seen = known だと言うことは、「視覚に映る」という感覚を発展させて、
ずっと情報として目から頭に入ってきていた→知っていた、
という流れになるようです。
このように「視覚に映る」から派生した意味の広がりが継続の意味を持つわけですから、やはり see は仮に「視覚に映る」に限定したとしても、継続のニュアンスは可能なのだと言えるでしょう。

ところで、何回にも渡って、完了形とその解釈を繰り広げてきましたが、実はこのセリフの解釈、「継続か経験か、そんなのどっちでもいいじゃん!」
と言われればその通り。
とにかくレイチェルの欠点として、ルックス気にしすぎ、なところを挙げているんですね。
継続か経験かで、意味が正反対になるわけではありません。

でも、She is into.. 「彼女は・・・だ」と客観的事実を述べるのではなくて、わざわざ I've seen her be... という表現を使ったのは何故かなぁ?
ロスはどういうことを思い浮かべてこのセリフを言ったのかなぁ?と、ふと思ったんですよね。
「プロムの時、そうだったよな。」とあるひとつの過去の記憶を思い出しているのか、「そういえば、初めて会った時もそうだった、プロムの時も、再会したときも・・・」と複数の出来事を思い出しているのか、または、いつ見てもいつ見てもそんな感じだったと言っているのか?
つまり、「ずっと感」か、そういうことがあったよという「思い出話風」か?
大差ないのは承知の上で、いろいろとこだわってみました。

ここまで読んで下さった方、私のちょっとしたこだわりにお付き合い下さって、本当にありがとうございました。
「他人の考えてることは、よーわからん」的な支離滅裂な文章で、申し訳ありませんでした。

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posted by Rach at 11:39| Comment(9) | 英文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんだか、僕のつまならない疑問でRachさんをずいぶんと振り回してしまったようですみません。Rachさんの(ということはすなわち僕の)疑問を一刻もはやく解消したくて、今日の昼休み、急遽アリー先生に会ってきました。もちろん、例のフリップ持参で。(笑)

まずは、I've seen him be selfish for ten years. で違和感がないか?
これは現在完了の継続用法であり、意味も通じるし違和感はないとのことでした。

次に、I've seen him for the last five years. But I've never seen him like this.
これも、前半は継続、後半は経験として取れるし、文としても違和感はないとのことでした。

さらに、I have seen her for years. と I have been seeing her for years. の違いについて尋ねてみました。
すると、前者は知り合いである(known)とか、時々会っているというような関係を意味して、特に男女の付き合いは連想させないようです。一方、後者の方はやはり男女の付き合いを意味する(indicates dating)とのことです。

そのあとも次のようなフリップを次から次へと提示してみました。(笑)

I've seen him for three years as a teacher, his progress is remarkable.
My mother got sick, and I've seen her a couple of days.
He is so poor that I've seen him through college.
I've seen the match since the beginning, but I haven't seen a exciting scene.

いずれも辞書にあった意味の中から、継続として使っても違和感のなさそうなものを、無理やり現在完了にしたものです。特に最後は、視覚に映るという意味の see をなんとか現在完了にしてみました。アリーによればこれら4つの文章はまったく違和感はないし、すべて継続(duration)を意味するといっていました。

そういうやりとりがあって、最後に例のフレンズのスクリプトを、ちょっと前の部分から読んでもらいました。で、「In this case, "I've seen" is experience or duration?」と聞いたら、ほとんど躊躇なく「Experiense」という返事が返ってきました。「Because it doesn't say anyting about time」とのことでした。ただし、for years などのフレーズが入れば、それは「継続」になると言ってました。

結論として何を言いたいのか判らなくなってきましたが、例のRossのセリフはRachさんが言うとおり、現在完了の経験用法であるのは間違いないと思います。ただし、seeなどの知覚動詞であっても、期間を表す副詞句などを伴えば継続的な意味を表すということでいいのではないでしょうか。

Rachさんとの今回のやりとり、とても楽しかったし、勉強にもなりました。これからも時々、幼稚な疑問を投げかけることがあるかと思いますが、時間と忍耐の許す限りお付き合いください。(^^)
Posted by ハル at 2006年01月25日 19:17
まずは全部読んだ自分を褒めてあげたいです(どこかで聞いたような
脳の処理容量を越えてて、どこまで理解できたかは疑問ですが、とーっても勉強になりました。
ハルさんは、よい先生に巡り会えててうらやましいです^^
こういうためになる書き込みをしなきゃな!と自省。

で、議論を蒸し返すのではなく、感情論として書き込み。
個人的な感情で言うと、これは完了。なぜなら、意味が完了のように感じられるから。でも文法的には経験で間違いないと思います!
で、判官びいきもあって色々考えたら、1つ言い訳を思いつきました。ハルさんの先生も仰られている通り、この文の後に期間をあらわすフレーズがくれば完了でOK。ならば「本当は期間をつけたかったけどつけなかった」理由を思いつけばいい(←無理やり)。
そこで出てきたのが口語と文語。
一般的に、文章に書く場合には、一文を長くする代わりに、各単語の位置関係を明確にしようとしますよね。逆に話す場合には、一文を短く(関係代名詞なんてほとんど使いませんし)、そのかわり各単語の位置関係は、文法よりも表現(表情・トーン・間の取り方)で相手に伝えます。
それからもう一つの大きな違いは、話す場合は推敲ができないので思いついた順番に話すっていう事(ドラマの場合は推敲できますが^^;
ここで、今回の文章を考えてみます。もし最後に「for years」などがついたらどうなるでしょう?「for years」がその前のレイチにかかるという考え方をする人が出る可能性がないでしょうか?つまり、「レイチはその間ずーっとそういう人だった」というのを、ロスが見てきたというふうにもとれないかな?という心配。いくらロスでもそこまで決め付けるような権利はないですからね。

ま、でもやっぱり妄想ですね。自分で書いてて苦しい気がしてきました^^;

最後に、思い出したのでseeにまつわる不思議。
会った時は
  Nice to meet you.
じゃあ、さようならは?
知り合いの多くはこう言います。
 Nice to seeing(meeting) you.
未だにこの表現には馴染めません。
こんなの学校じゃ習わなかったよぅ(泣


Posted by ほっとあーるぐれい at 2006年01月25日 23:01
思い出したので小噺をひとつ。
lookとseeはこれだけで覚えました。
今でもこの程度にしか理解してません・・・

Fredがトイレのドアを開けたら、そこでJessがシャワーを浴びていた。
Fred: Ooooooops!
Jess: Oh my goodness!
- shut the door up
Jess: Did you see!?
Fred: No! Not at all!
Jess: Yes! you saw!
Fred: Actually, yes, I saw. But, I never looked! That's just an accident.
Jess: ...

オソマツ
Posted by ほっとあーるぐれい at 2006年01月26日 12:38
ハルさんへ
いろいろアリー先生に聞いて下さって、ありがとうございました。アリー先生もびっくりされてたでしょうね。「どうしてそこまでseeの完了形にこだわってるのかしら?Why?」みたいな感じで(笑)。

seen him be selfish (知覚構文)は、一時期ハルさんと「これは継続ムリかもしれない」という話になりかけましたが、使えるわけですね。

前半継続、後半経験、もあり得ると。

それから、私が気にしていた「付き合う」はseeingと進行形で使うことがほとんどだ、という話からの比較の文章は、やはりseeingの方は「付き合う」で、seen = known なんですね。( 別の方からも、I have seen her = I have known her だと教えていただきました。)

ハルさんが苦労された例文は、普通ではseeを使わないところを、あえて強引にseeを使ってみたわけですね。
完了形継続の形として可能かというと、「可能である」と判断されたのですね。
この完了形たち(笑)が可能であるということになると、やはりseeは継続として使用可能だ、という結論になりますね。

そしてアリー先生の例のセリフの解釈も、期間を表す副詞がないから経験と判断する、ということなんですね。

ほぼ、二人で想定していた答えを得られた感じです。
一つのセリフの解釈から、seeが完了形継続として使えるか使えないかの可能性の話にまで飛躍しすぎたと、自分ではちょっと反省しています。
結局は、「使えるか使えないか」というより「自然か不自然か」の話なんですが、自分で「使えない」と断言してしまったので、今度は「使える」ことを逆に証明する長い旅になってしまいました(笑)。
最初に「継続」と解釈したのが失敗その1で、「継続としては使用不可」と書いたのが失敗その2、って感じです。いろいろ調べ物をして、頭が混乱したまま記事を書いたからこんなことに・・・、という感じで、またこんなことがある場合は、少し頭を冷やしてから書くことにします(笑)。

私もハルさんとのやり取り、とっても楽しかったですよ。また、過去のエピソードでもいいので、いろいろ一緒に考えて悩んでみたいですね。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします!
Posted by Rach at 2006年01月26日 15:06
ほっとあーるぐれいさんへ
本当に、よくぞこの長い文章を読んで下さいました。
話し言葉は思いついたままに話す、というのはその通りですね。
また、英作文でも、例えば、「金曜日に、首脳会議を行うという発表があった」などと言う場合に、その on Friday をどこに置くかで、会議が金曜日なのか、発表があったのが金曜日なのか、意味が違ってきてしまう、ということもありますよね。

あ、それから、Nice to meeting you. のtoは要らなくて、Nice meeting you. ではないでしょうか?
(あ、でもうちのLOVELOGはいったんコメント投稿したら訂正できないから、単なるタイプミスかもしれませんね。)

つまりは、 to meet か meeting か、という違いですよね。
これって、try to kill (未遂)と try killing (既遂)の差、というヤツでは? 最初の to meet は「これから会って話をする」ことを示していて(実際は顔合わせてるけど)、最後の挨拶は「もう会って話をしたこと」を示しているんではないでしょうか?

今流行の「ハートで感じる英文法」の大西先生によると、to不定詞より-ing形の方が「躍動感」があって、この別れの挨拶のように「お会いできて楽しかった」という場合、その「会った」行為が実際に起こったから-ing形を使う、という感じで説明されてました。(Nice meeting you. を例に出されたのではないですが。)

それから小噺(笑)。
see はしたけど、look はしてないよ、って言い訳なんですね。それで許されるんですかねぇ?
Posted by Rach at 2006年01月26日 15:09
seeing、文法的に理解できてすっきり^^
こういうのって誰も教えてくれないんですよねえ・・・
こういう細かい部分(to)が入るかどうかとかって、聞き分けできないんですよねえ。何せLとRが未だによくわからん程度の耳ですから^^;
まあおかげで推理力が付きましたけど(負け惜しみ
こういう失敗をすると二度と忘れないので、「ラッキー!」って思いますよね!(それは私がMなだけ?

小噺、実はさらにwatchまで出てきて話が続くんですが、忘れてしまいました・・・
まあ、ラッ、いや違ったアクシデントなんで許してください(男の意見
Posted by ほっとあーるぐれい at 2006年01月26日 20:44
ほっとあーるぐれいさんへ
私の説明でわかっていただけました? でもあの説明、ほっとあーるぐれいさんからのご指摘を受けてから考えただけなので、間違ってるかもしれませんよ(笑)。
でも、いったん悩んでからわかったことは忘れなくていいですよね。
watch (動いているものをじっと見る)が、あの小噺にどうつながっていくのやら・・・男性でなくとも気になるところです。

P.S. コメント、いつも楽しみにしてますよ! あまり見かけない(?)貴重な”フレンズ&トレックファン”ですからね。
Posted by Rach at 2006年01月27日 13:30
こんにちは。現在完了に関する記事、興味深く読ませていただきました。
後発組で、今頃また問題を蒸し返すようで本当に申し訳ないですが、私もいろいろ考えさせられました。(ってこういう蒸し返しが今が初めてじゃないんですよね〜。ホント申し訳ない!)

確かに現在完了は日本語にはない時制なので、かえって訳すとわかりづらいかもしれません。

そこでMichael SwanのPractical English Usageを見てみました。これは日本のほとんどの文法書が参考文献としている良書です。(PEUと略されています)

さてこのPEUによると

When we want to talk about actions or situations which started in the past and have continued up to the present, we often use the present perfect to show the connection between past and present.
とあります。

確かにネイティブが現在完了を使う場合には区別して使っている訳ではないですが、ネイティブが書いたこの文法書でもやはり「こういうことを述べる場合に使われる」と幾通りかの用法をあげています。

読んでいて、今回のケースに当てはまるかな?と思ったところが、
"Another use of the present perfect is to talk about actions that have been repeated in a period up to the present."という部分です。

そこでくだんの表現に戻ると、
And I've seen her be a little too into her looks.
私的には「レイチェルがルックスを気にするのを(何度か)見たよ」→だからルックスを気にする子だと知ってるし、それが今、2人を選択するところで考えるべき要素になってる。
(当然「見た」ことではなく現在の判断の要素が重要で、それを言いたい)

考えていくうちに「見たことがある」か「ずっと見てきた」かという二択では割り切れない気がしてきました。
(あえて言うなら両方の要素を含んでいる、でしょうか)

また一般問題として、多くの参考書で「現在完了の意味」として書かれている「〜したことがある」は、あまりに「〜した」という過去に焦点が行ってしまい、本来の現在完了の意味を表しているのだろうかとすら思えてきました。

ですから、もし私が訳せと言われたら「あいつはルックスを気にする子だからなあ」ぐらいでしょうか。(こう言えるからには、過去にそれがわかった出来事があった訳で)

わたしもRachさんの説明を読んでいろいろと考えさせられましたが、たしかに現在完了には幾通りかの用法はあります。
それは「概念」としてあるので、それを「したことがある」とか「ずっと〜している」と「訳す」のは単に翻訳の問題ではないかと思ってしまいました。

さらに私も用例を求めてググってみたところ…(^^;

"(I|we|she|he|you|they) have seen (me|us|her|him|you|them) * for * (years|months|weeks|days)"で
13,800,000 件。

でてきた例が
I have seen you preform for many years.
これは言うまでもなく「継続」ですね。でも上のように(何度も)見てきたよ、という意味のように思えます。

ただ "(I|we|she|he|you) have seen (me|us|her|him|you|them) be * for * (years|months|weeks|days)"
とすると(上と同じ計算式にbeを加えたもの)ほんの十数件。
I have seen him be "himself" for over 6 months.
we have seen him be active for the past 2 weeks
もありましたが、例外的なケースと言えそうです。


日本の文法書のほとんどが現在完了をいくつかの意味に分けて説明しているのは、日本人がその方が理解しやすいからだと思うし、意味を覚えて現在完了がある程度つかめたら、それでよいと思います。

しかし日本語の文法書で腑に落ちない場合には、英語の文法書を見ると納得できることもあると最近わかってきました。(って偉そうに書いてますが、PEUは私も昔に買っておいて最近までまるで使ってなかったんです)

本当に蒸し返しでごめんなさい。一応書き込みもコメントも全部目を通しましたが、重複している内容もあります。
めんどくさかったらほうっておいてくださいね!

超長文、ごめんなさいm(_ _)m
個人的にはおもしろかったし、楽しかったです。(^^)
それでは!
Posted by 浦辺 玲 at 2010年06月03日 21:51
浦辺 玲さんへ

私も自分の持っている英語の文法書、English Grammar in Use (略称: EGU)を見てみました。PEU の説明にあるような、the connection は、EGU では以下のように書かれていました。
When we use the present perfect, there is a connection with now. The action in the past has a result now.

その例文では、「なくしてしまった(から今は持っていない)」「忘れてしまった(から今は思い出せない)」「彼女は行ってしまった(から今はここにはいない)」「バックを見なかった?(今どこにあるか知ってる?)」のような英文が並んでおり、現在完了形を使うことで、「過去の行動が今、何らかの結果となっている」ことを示すことがよくわかります。

repeated に関する部分は、EGU では、Unit 9: Present perfect continuous [I have been doing] の項目で、
You can use the present perfect continuous for actions repeated over a period of time.
と説明されています。
present perfect continuous は、「現在完了形の継続」を表す「現在完了進行形」のことのようです。

いずれの場合でも、完了形というのは、「今現在に至るまでの期間に何かが起こって、それが現在の状況にも影響を及ぼしている」ということなのですね。
ですから、そういう感覚で問題のセリフを見てみると、
And I've seen her be a little too into her looks.
というのは、「彼女がルックスを気にしすぎるところを見た」という事実が過去にあり、だから「彼女はルックスを気にしすぎる子だと知ってる、気にしすぎると(今でも)思ってる」という現在の考え方をも述べていることになるのですね。
過去の経験からそう思う、という感じでしょうか。
おっしゃるように「見たか見ないか」がポイントなのではなくて、見たことによって、彼女がそうであることを知っている、という「現在、ロスが知っている事実」がポイントなのでしょう。

ですから、よくある「完了」「継続」「経験」などのカテゴリーに「あえて」分けるとすると「経験」が近いのかな、と思います。
ルックスを気にしすぎる姿をこれまでに(何度か?)見たことがある、と現在完了形で述べることで、「あいつはルックスを気にする子だからなあ」という見解を述べることになる、ということでしょうね。

「経験」の概念で常に表現されていることは、「現在までにそういう経験があるから、(今)知っている」という感覚ですね。
EGU に、
I can't find my bag. Have you seen it? ( = Do you know where it is now?)
という例文が載っているのですが、まさに「見たことあれば知っている」「見たので知っている」という関係が成り立っており、それが今回のロスのセリフにも当てはまるのだろうと思います。

私が使っている、数研出版「基礎と完成 新英文法」の p.91 にも、
「現在完了形の基本的意味は、過去の動作・状態が現在(=基準時)とつながりのあることを示す。(つながりを感じなければ、過去時制が選ばれる。)」
と書いてあるんですよね。この本は私が受験生の時に使っていて、それをまた30代以降に買い直したのですが、ちゃんと過去と現在との「つながり」(connection)について説明してあるんですよね。
受験生時代の私は、現在完了形という「かたち」にばかり目が向いていて、その「基本概念」に意識が向いていなかったのかな、と思います。

こうしてコメントをいただいたことで、私も久しぶりに(笑)、EGU を読んで、なるほど!と思うことができました。ありがとうございました!
Posted by Rach at 2010年06月04日 11:49
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