チャンドラーに「出て行け!」と言われたエディー。
エディー: I gotta tell you, that's kind of out of the blue, don't you think? (言わせてもらうけど、それってちょっと”青天の霹靂”って感じだと思わない?)
チャンドラー: This is not out of the blue! This is smack-dab in the middle of the blue! (これは”青天の霹靂”なんかじゃない。ずっと雷はゴロゴロ鳴ってたんだ!)
I gotta tell you は「これは言わないといけないんだけど、これだけは言っとくけど」みたいな感じ。
out of the blue は「出し抜けに、いきなり、前触れなしに、藪から棒に」。
out of a clear blue sky から来た言葉のようですね。
「晴れ渡った青空から何かが突然出てきてびっくりする」感じです。
また a bolt out of the blue だと「青天の霹靂(へきれき)」。
この日本語は、「晴れた日に突然鳴る(急に聞こえてくる)雷」のことから、「思いがけない事柄や衝撃」という意味になります。
英語と日本語の意味は全く同じに見えますが、語源はどうなんでしょう・・・?単なる偶然?
ちなみに、「晴れた日」だけど「晴天」じゃなくて「青天」なのに注意しましょう。(・・・って日本語解説してどうする・・・笑)
「藪から棒に」という言葉も、草などが生い茂っているところから、突然棒がニュッと出てきてびっくりすることですから、雰囲気的には似ています。
まぁ、どこの国の人でも、何もないところから急に何かがバッと出てくると驚くってことですね。
smack は「平手打ち」、dab は「軽くたたく(こと)」、だから smack-dab はそれを二つ合わせて「パシっとたたく」感じでしょうか。
そこから、「まともに、直接に」という意味になり、smack-dab in the middle of は「・・・の真っ只中に、・・・のちょうど真ん中に」という意味になります。
日本語でも「どんぴしゃ、どんぴしゃり」という言葉がありますが、あれも、ビシーッと目標に命中した感じがするのですが。(語源は知りませんけど。)
チャンドラーのセリフは英語のギャグなので、日本語にはたいそう訳しにくいのですが(笑)、out of the blue 「ブルーの中から外へ」という直接の意味の反対の言葉として、「ブルーのちょうどど真ん中」だよ、と返しているような気がします。
「霹靂」の概念を使うとすると、青天に突然雷が鳴ったのではなく、青天のど真ん中の誰にでも見えるところに雷はずっと存在していたんだ、という感じの返し方でしょうか。
それで、「雷はずっと鳴っていた」と訳してみたんですが・・・我ながら、いまいちですけど。
つまり、何の前触れもなしに、いきなりそんなこと言われても、と言いたげなエディーに対して、俺は何度もはっきり口に出していったのに、と怒っているのですね。
チャンドラーはなかなか思ったことをはっきり言えないタイプなのに(特に女性に対して・・・ジャニスとのことを見ればわかります)、今回ははっきりと口に出して「出て行け!」と言ってましたよね。
それなのに、「そんなことを匂わすような発言もなかったのに」みたいに言われてカチンときたのでしょう。
エディー: Someone will be by for my stuff. (誰かが俺の荷物を取りに来るよ。)
by だけで、「・・・に立ち寄って」という意味になります。
come by の by と同じ意味ですね。
これも、come by や stop by が「立ち寄る」という意味だとイメージできていれば、be 動詞+by だけでも何となく雰囲気がわかるようになりますよね。
(Rach からのお願い)
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ガンターの話を聞いて今のキャリアだけでは、この先やっていけないと反省して端役のオーディションを受ける気になったと言うところではないでしょうか。
that's kind of out of the blue,はa bolt out of the blueふまえての台詞になったと言う気がします。語源は消えて英語になっているのでしょうね。青天の霹靂は日本語と英語の意味は同じになってますね。語源は中国からだと思います。もっとも中国の本来の意味とは違うみたいですが。This is smack-dab in the middle of the blue!はチャンドラーの言葉遊びで正反対の事を言っているのですがsmack-dabで強調ししてるみたいですね。霹靂なんかどこにもなくてずっと青天だよみたいな。アメリカは歴史が浅いので中国の古典や格言に興味があるみたいですね。中国の古典は宗教観がすくないからでしょうか。孫子の兵法などはビジネス書としていまでもよく読まれてるそうです。
"This is smack-dab in the middle of the blue! "みたいなセリフって、前後関係で何となくこういうことを言っているんだろうなという推測はできても、やはり今回みたいな解説を読んで、初めてきちんと理解できるものですね。セリフって聞き取れているようで、やっぱり分かっていない部分が多いんだなって思いました。
ドラマや映画は、分からないところがあって当たり前みたいな感じで、ついぼーっと聞いてしまうのですが、おかげさまで、最近細かいところも一生懸命聞こうというメンタリティが生まれてきました!
レモネードについてのお話は全く知らないことばかりだったのですが・・・聖書に出てくるんですか?
教えて下さった「いやなこと(レモン)をレモネード(いいこと)に変えると言う意味」の話が興味深かったので、proverb (ことわざ、格言)と lemonade の二つの単語でぐぐってみたら、それらしいのがヒットしました!
検索結果をざっと見てみただけですが、
"When life hands you lemons, you make lemonade."
"If life hands you lemons, make lemonade."
"if you make lemonade when life gives you leomons."
"When life hands you a lemon, make lemonade."
などが見つかって、when と if、give と hand などそれぞれ細かい違いがありますが、つまりは「人生が(あなたに)レモンを与えたら(手渡したら)、レモネードを作りなさい(作ればいい)。」ということで、酸っぱい果物を美味しい(甘い?)飲み物に変えろ、辛い目に遭ったらそれを良いものに(自分で)変えろ、という意味の格言なんですね、きっと。
日本だと、「渋柿(しぶがき)を干して甘い干し柿に変えろ」とかならイメージがわくかも??(←わかへん、わかへん・・・笑)
私の上の解説にはどうもまとまりがないですが(笑)、out of the blue だけで、a bolt out of the blue のイメージが出来上がっているんでしょうね。わざわざ言わなくてもわかることから a bolt が脱落していったのかな?と思います。日本でも「鬼の居ぬ間に”なんとか”だな」とか「噂をすれば”なんとか”だな」などと言ったりして、有名な諺をわざわざフルセンテンスで言う人の方が少ないかもしれません。またフルセンテンスで言わない方が、お互いがその諺を知っているんだという暗黙の了解があって、それがある程度の知恵がある大人の会話、というものなのかもしれません。
「英語と日本語の諺の意味が同じ→中国起源説」というのは、私も以前にコメント欄で学びましたので(笑)頭をかすめました。中国の本来の意味が違うというのは、以下のサイトに載っていました。
(↓リンクは自由にしてよい、とのことなので、リンクします)
語源由来辞典 青天の霹靂
http://gogen-allguide.com/se/seitennohekireki.html
私は日本語の「青天の霹靂」という言葉が頭にあって、「まるで突然のニュース(霹靂)みたいに言うけど、突然じゃなくて、四六時中ずっとテロップで流れてただろ?」みたいな感じで、 ずっと「ど真ん中に雷が存在していた」というニュアンスを和訳に出してみたのですが、a bolt という言葉がセリフにあるわけではないので、smack-dab in the middle of the blue の意味自体は「ずっと青天」の方が似つかわしいですね。out of the blue じゃなくて、「青空ど真ん中」だよ、という感じなのでしょう。
孫子の兵法の話でちょっと思い出したことがあるので、脱線します(笑)。
新スタートレック(TNG)シーズン1第5話「謎の宇宙生命体」(原題: The Last Outpost)というエピソード。
エピソードの前半、初めてフェレンギ人と遭遇して相手の出方がわからず困惑している時、
ピカード: Sometimes, Riker, the best way to fight is not to be there. (時にはな、ライカー。戦いの場所にいないこと、がベストな戦い方だ[人間、戦うだけが能じゃない]。)
ライカー: Yes, sir. "He will triumph who knows when to fight and when not to fight." (その通りです。「戦うべき時と戦わざるべき時を知る者こそ勝利を収める。」)
ピカード: I'm glad the Academy is still teaching the strategies of Sun Tzu. (宇宙艦隊アカデミーが今でも孫子の兵法を教えているとは嬉しいね。)
・・・ということで、23世紀のアカデミーでも、孫子の兵法を教えているそうです(笑)。でも、スタートレックを見ていると、何だかすごく納得できる。
そのエピソードの後半。
以前に栄華を誇ったトコン帝国という文明が滅亡し、その「トコン帝国の番人」(a guardian of the Tkon Empire)だけがそれを知らずに辺境の星を守っていて、侵入してきたエンタープライズ号の乗組員とフェレンギ人に挑んでくる、というシーン。
そのやり取りにまた「孫子」が出てきます。番人は相手(ライカー副長)の心が読めるという設定になっています(笑)。
番人: You have a single chance for life. One only. What is the answer to my challenge? I offer a thought. "He will triumph who knows when to fight and when not to fight." You are being tested, Riker. What is the answer? (生きるチャンスは一度、一度きりだ。私の挑戦への答えは何だ? ある考えを示してやろう。”戦うべき時と戦わざるべき時を知る者こそ勝利を収める” お前は試されている、ライカー。答えは何だ。)
ライカー: How do you know my name? (どうして私の名前を?)
番人: Ah... You are facing fate with composure. But what is the answer to my challenge? (お前は冷静に運命を受け止めている。私への挑戦の答えは何だ?)
ライカー: Fear is the true enemy, the only enemy. (まことにして唯一の敵は恐怖なり。)
番人: Unlike these little ones who close their minds, your mind holds interesting thoughts. "Know your enemy and know yourself, and you will always be victorious." Why that thought? And who is this Sun Tzu you revere? (考えようとしないあの小さな連中(フェレンギ人)とは異なり、お前の心は興味深い考えを持っている。”敵を知りて己を知れば、百戦して危うからず” なぜそんな思想が出てくるのだ? お前の崇拝するその孫子とは何者だ?)
ライカー: An old Chinese philosopher from ancient Earth history. (古代地球史上の中国の哲学者です。)
番人: You must tell me more of this wisdom so much like our own. (私たちの考えにも似ているその知恵についてもっと私に話してくれ。)
前半でピカードとライカーが孫子の兵法について語っていたのは、ここで孫子を出してくるための伏線だったわけですね(笑)。
はるか銀河の彼方の23世紀の宇宙人をも納得させるその哲学、素晴らしいですねぇ。人生をうまく生き抜くための賢人の智慧ですよね。
セリフは一瞬で、多分ネイティブの人も勢いで笑ってるみたいなところもあるんじゃないかな?と(笑)。日本の漫才やコントでも、完璧にそのネタを理解して笑っているとは限りませんよね。というか、ナンセンスなギャグに論理性を求めるのも難しいですし。
このセリフの場合は、「out of the blue だなんてとんでもない。全く正反対だよ!」てな感じで、in the middle of に smack-dab までつけて強調しているんでしょうね。そのチャンドラーの意図が伝われば、それで十分面白いわけですし、マニアックに分析しすぎるのは自分でもどうかとも思うのですが(笑)、でもこれでこの格言は忘れないですよねぇ?
>ドラマや映画は、分からないところがあって当たり前みたいな感じで・・・
よくわかります。私もわからないところはこっそり飛ばしたりもしますが、わからない部分もどこがわからないかを明確にすることで、英語と日本語の違いや英語の奥深さに触れることができたりもしますよね。
昔は間違った解説を書くのに抵抗がありました。書いてしまうと、それが「正しい解釈だ」と読者の方に誤解されちゃいそうな気がして・・・。でも今は「仮説を立てる」感じで、結構思ったままを書くようにしています。どうしても自分一人だと、いったん思い込んだ考えから抜け出すのは大変なので、他の人が「おや?」と思って下さるのを待っているのかもしれません。YNさんも気になる点があれば、どしどしご指摘下さいね!
P.S. YNさんなら、上のcatchさんへのお返事に書いた、スタートレックでの孫子の兵法の話、興味深いと思っていただけるかしら? そういう人間哲学的なことって、スタートレックにはよく出てきますよねぇ?
(でも、ちなみに孫子はアジア人だぞ、とも言ってみたい。フェレンギ人は、アジア人〜中国人か日本人?〜をモデルにしているのではないかと疑われるので、いつも気になるんですよね)。
とにかく、スタートレックがおもしろいのは、こういった幅の広さですね。科学技術的なことと、世界観・歴史観・文明観といったことがバランスよく描かれている。そして世界観・歴史観・文明観の背景として、過去の地球の賢人たちがよく引用されていますね。
科学技術を専門にする方々こそ、こうした「教養」を持つことが重要なのだと思います。そうでないと、オウムのようにおそろしく偏った人たちを生み出すことになってしまう。教養教育の重要性を感じます。アカデミーでは、他に何を教えているのでしょう。(ブログ本文から相当内容が逸れてしまって、すみません(笑))。
キリスト教にも仏教にも共通するアイディアが多いのは興味深いです。
スタートレックに人間哲学的な事がよく出てくるのですか。これまた色んな意味で面白いですね。
私の次のエピソードでも、一部、中国の政治家や思想家の言葉を取り上げる予定です。中国という国も人も、見聞きする情報と実際に接する中国人を見て、奥が深いなぁと感心します。
私もいつからか、英語を聞いて分からない箇所があっても当たり前と開き直っていた所がありますが、Rachさんのブログに出会ってからは、時にはマニアックに(笑)分析するのも大切だと感じています。中道やな〜。
お返事ありがとうございます! そうそう、私もスタートレックに孫子の話が出てきて、何だか嬉しかったんですよ。日本人は漢字も使うし、国語では漢文も学ぶし、他の国に比べて中国のことは詳しい気がするのですが、アメリカ人も孫子を知ってるのね!という驚きでした。
フェレンギは間違いなく日本人ですね。お金に細かくて、男尊女卑の思想が強くて??(あれほど極端じゃないけどね・・・笑)。クリンゴンが古き良き日本人の武士道(名誉ある死)などを表現しているのとは対象的ですよね。
日本人としてはあのフェレンギの描かれ方が何となく気になるのですが、でもそういう文明や文化もあるのだ、とあの世界では認められていますよね。決して「悪い」と言っているわけではなく、そういうものの見方もあるのだ、みたいな。
結局、スタートレックは、地球上で見られる文化・文明の多様性と、それらの衝突または相互理解を、宇宙を舞台にして描いているわけですよね。決して科学技術が進んで便利になっていることだけが評価されているのではなくて、宇宙には様々な文化や歴史があり、そういう未知のものと接触していくことで、より人類という種がより良い存在になることを目的としているんですよね。
他者から学ぶべきことはたくさんある、古いことからも多くのことが学べる、ということを教えてくれている気がします。文明が進んでいる、遅れている、ということには関係なく。
地球さえも壊してしまうかもしれないほどの高い技術力をもってしまった人類には、その力をコントロールする倫理観が必要ですよね。スタートレックに出てくる宇宙艦隊の人たちは、みんなそういう倫理観を持っていますよね。ちゃんとアカデミーでそういう教育を受けているんでしょう。具体的にどんな科目を学んでいるかは知らないのですが・・・(笑)。もちろんただのドラマだよ、と言ってしまえばそれまでですが、危機的状況になっても冷静に対処できるという精神的強さとか、そういう倫理観などを見ていると、人間がこんな風になっていくといいなぁ、といつも思いながら見ています。
仏教にそういう「柿」に例えた言葉があるんですか? 全然知らなかった。
宗教というのは人の心の拠り所であって、やはり人種や文化が違っても、人間として何かしら共通する考え方というのがあるのでしょうね。同じような言葉で癒され、啓発されるのでしょう。
スタートレックが好きな人は、やはりあのSFチックなところが夢があってワクワクするから好きなんだと思うのですが(笑)、上のYNさんへのお返事にも書いたように、人間はどうあるべきか、他の文明に対してどういう態度を取るべきか、という話が必ず出てきます。
スタートレックの世界では、the Prime Directive (艦隊の誓い)というのがあります。詳しい説明は以下のウィキペディアにゆだねるとして・・・(でもスタートレックの世界観を知らない方は読んでもピンと来ないかもしれません・・・笑)。
Wikipedia 英語版: Prime Directive
http://en.wikipedia.org/wiki/Prime_Directive
簡単に言うと、他文明に干渉しないこと、という絶対的規則です。特に原始的で発展途上の文明に対しての介入は、その文明の自然な発達を妨げるということで、固く禁じられています。この規則と人間的感情とのせめぎ合いがあって、艦長は苦渋の選択を迫られることになる、というエピソードもたくさんあります。自分とは異質なものに対して、自分はどうあるべきなのか、を考えさせてくれる面白いドラマなんですよ。
私は中国の人に知り合いはいないのですが、やはり古代からあれだけの文明を発達させて、さまざまな書物や思想を生み出した中国文化というのはすごいなぁ、と思います。私は受験の時、世界史選択だったのですが、その領土の広さもさることながら、いろんな意味でスケールの大きな国だなぁ、と思いながらその歴史を学んでいましたね。
分析がマニアックになりすぎて、作品そのものを楽しめなくなっては本末転倒なのですが(笑)、何だか細かいことがどうにも気になるタイプなんですよねぇ、私は。まぁ、たまにはこんなヤツがおってもええやろ、くらいに思ってもらえればねぇ? 人間もいろんな人がいるから、面白いんですよ、きっと(笑)。
まだまだ世の中感心、感動する事だらけですわ。っつーか、年を経たからこそか…
マニアックという言葉はネガティブな響きですが、マニアックな人がいるからこそ、偉業が成し遂げられたのですよね。
私には、その根気が今一つ足りなくて、Rachさんには感心させられてます。
「艦隊の誓い」などという専門用語(?)を覚えさせてしまいましたね(笑)。the Prime Directive の直訳ではないので、この日本語訳には賛否両論あるのですが(笑)、日本語版ではこれで統一されているようです・・・(と、これまたどうでもいい話・・・笑)
マニアックとかオタクとかいう言葉はなんとなくネガティブですけれど、私は自分のことを言う場合にはあまり抵抗がないんです。抵抗があるとしたら、私よりマニアックな人は他に大勢いるので、その人たちに対して私ごときがマニアックだというのはおこがましいというか・・・(笑)。
興味のあることに対してはとことんハマれるという性格は自分としては気に入っているのですが、不思議なことにうちのダンナさんは私のそういう性格を知らずに結婚したらしくて・・・一体どこ見とったん?って感じやわ(爆)。
The Prime Directive のWiki読みましたよ!最後の方は疲れて飛ばしちゃいましたけど。すごいですね、これ。とてもおもしろかったです。でも、マニアックといえばこれこそマニアック。私レベルでスタートレック・マニアとは言えないことがよく分かりました。
スタートレックについて、Rachが書かれたこと、もう本当にその通りだと思います。他者から学ぶこと、多様性を尊重すること、力をコントロールすること。
The Prime Directiveのような多様性を尊重する非干渉方針(?)が70〜80年代のアメリカのドラマで作られたことが、すごいと私は思います。アメリカというと、何となく価値観の押し付け・振りかざし・干渉のイメージが強いので。スタートレックを見るたびに、それこそアメリカの「多様性」を感じて安心します。
the Prime Directive まで話を広げてしまってごめんなさい(笑)。スタートレックで倫理観が一番表れるのはやはりこれがらみのエピソードが多いなぁ、と思って、つい書いてしまったんですよねぇ・・・。
アメリカに行ったこともない私が、どうしてアメリカに憧れているかというと、たぶん、このスタートレックに見られる「多様性」を見て、その懐の深さに魅かれたんだろうと思うんですね。ドラマの話だから、これが「アメリカそのもの」とは言えないかもしれないけど、アメリカ人の理想とする良心の現われのような気がして。
今、アメリカはYNさんが言われたようなイメージで見られることが多いですよね。そういう場面に出くわすたびに、いつもスタートレックの話を思い出します。
アメリカで暮らしている人たちは、「・・・系アメリカ人」として、自分のルーツに誇りを持ちながら、アメリカという国の一市民として溶け込んでいるようなイメージが私にはあります。(実際に見たわけじゃないから、あくまでイメージですけど・・・)
そんな風に各人が民族や個人の個性を失わずに、全体としてはひとつのまとまりとして存在していけることが、種(しゅ)としての理想なのではないかなぁ、と思っています。
そして真の国際人になるためには、そういう自分のアイデンティティを失わずに、例えば私ならば「日本人であり、大阪人であること」(?)に誇りを持ちつつ、他の国の人たちと対等に意見を交わすことができるようになること、が必要なのだと思っています。
私はアメリカに憧れがあるから英語が好きなんだろうと思うのですが、ただアメリカに憧れてその真似をしているだけではダメなんだよね、といつも自分に言い聞かせています。
(何だか話が全然違う方向に行ってしまいましたね。でも、たまには真剣に自分のあり方について考えるのもいいですよ、ね?・・・笑)
もうちょっと大局的に今までジョーイとの生活は平穏無事で幸せなものだったことを青天のど真ん中=smack-dab in the middle of the blueと言っているともとれます。
いずれにしてもエディーと反対のことを言っているのではなく、逆により強めて、こっちのほうがよりえげつないレベルの青天の霹靂だという意味(青天度が高かったので)だと思います。
ご意見ありがとうございます。
コメントをいただいてから、私ももう一度考えてみたのですが、私にはやはり、This is not out of the blue! This is smack-dab in the middle of the blue! という形は、This is not A. This is B! で、A と B は正反対のことを言っている、という気がしました。
もちろん、こういう構文であっても、「A だなんて、そんな甘っちょろいレベルじゃない。A どころか A にさらに輪をかけた究極の B だよ!」みたいな言い方は可能なので、A をさらに強調したものが B になる、ということは大いにありうると思うのです。
ただ、この2つの文章を比較すると、out of と in the middle of が「対比」の形になっているように思います。日本語の「出し抜けに」という意味とも通じますが、a bolt out of the blue 「青天の霹靂」というのは、「晴れた青い空から、急に雷が聞こえる」ことから、「思いがけない急変」を示すことになるわけですよね。「晴れているはずの青空から、雨を思わせる雷が聞こえる」というその「出し抜け」具合が、英語の out of という部分にも出ていると思うのですが、後半の文章は、out of の代わりに、in the middle of が使われていて、さらに smack-dab でそのど真ん中具合を強調してもいるので、「出し抜けに」(out of)ではなく、「元々、見えるところに堂々と存在していた」(in the middle of)だと言っている気がするのです。青天の霹靂、という意味の「青空に突然雷が聞こえる」ということをさらに強調したいのであれば、in ではなく、out of を使わないといけない気がするのですね。
ということで、out of と in (the middle of) という対義語(アウトとイン)が使われていることから、チャンドラーはエディーの発言を完全否定しているのだと私は思いました。
>(Rachさんも指摘されているようにa boltが省略されています。)
上記の部分が間違いでした。私の考えだとa bolt out ofが省略されています。
私は下記のような比較を想定していました。
A : This is a bolt out of the blue!
B : This is a bolt out of smack-dab in the middle of the blue!
BはAよりも青天のど真ん中にいることを大げさに表現することでびっくり度が高い、ということが言いたかったことです。
out of the blueはa boltが省略された形で使われている慣用句なのでa boltはどちらにも最初からありません。the blueを大げさに言ったのがsmack-dab in the middle of the blueであり、out ofは既に一度述べられていて自明でありかつ比較したい部分ではないので、省略してチャンドラーはThis is smack-dab in the middle of the blue!と言ったのかなと思いました。これだと「これは青天の霹靂なんてレベルのもんじゃない。超ど青天の霹靂だ!」という意味になります。a bolt out of の省略と言うよりは、一度出てきているので言わなくてもわかるためむしろ普通言わない気がします。また英語は重複を嫌う(例えばA and Bなどの表現で見られる重複部分の削除)ので言わないほうが英語らしいとも思います。日本語でも相手に言われた表現を使って返すような場合は、省略できる部分は省略して言うと思うんですね。
ここまで書いておいてなんですが、さて読み直してみたら、やっぱりRachさんの解釈が正しいような気がしてきました。out of が省略されていなければたしかに完全否定していることになりますね。省略されているというのは私の希望的観測みたいなものなので、ありのままに解釈すればそうなりますね。
ただその場合にいまいち面白くないというか、このシーンにあわないなと感じます。というのはエディーがYou, you want, you want me to move out?と言ったことはチャンドラーにとってまさに超ど青天の霹靂だったと思うんですね。この言葉を受けて本当にずっこけそうになっています。青天の霹靂を否定する発言だとなんだかこの場面にあわないなと感じました。チャンドラーは出ていくようにさんざん告げているので、エディーにとって青天の霹靂ではないはずだという論理はわかりますが・・・。ただこのような時に叫んで言いたいのは自分の気持ちのほうじゃないかなあと。最終的には超主観的ななんとなくという理由なんですが・・・。
お返事ありがとうございます。
コメントを読ませていただいて、私ももう一度考えてみたのですが、やはり私には、out of と in the middle of という「正反対の言葉による対比」のように思えます。
また、チャンドラーが今までに何度も「出て行って欲しい」ことを示唆していたのに、それを今さらのように、「急に”出て行け”って言い出すなんて、青天の霹靂じゃないかよ」とエディーが言ったので、「何が青天の霹靂だ、ずっと”出てけ”って俺は言い続けてたじゃないか、今さら、しらばっくれんなよ!」という意味で、「そんな出し抜けに」みたいに言ったエディーの発言を完全否定しているセリフのように私には思えました。
一応、私の見解はそういうことですが、これが答えだと断言できるわけでもないので、参考までにお聞きいただけると幸いです。