英検1級の一次試験(2006年6月11日)に合格した後、1回目の二次面接試験(2006年7月9日)を受けた時のことについて、今日は書きたいと思います。
最初にその時の結果を書いておくと、
不合格B
セクション1 (SHORT SPEECH)
12点 (30点満点)
セクション2 (INTERACTION)
12点 (30点満点)
セクション3 (GRAMMAR AND VOCABULARY)
8点 (20点満点)
セクション4 (PRONUNCIATION)
8点 (20点満点)
合計
40点 (100点満点、合格点60点)
ということでした。
得点率が4割、それも全ての分野が4割だった、ということですね。
この点数ですから、この1回目の体験記は全く参考になりません…というか、参考になるようなことはなんにも書いてありません(笑)。
最初は、「体験記」みたいになっていますが、後半はその面接の後に私がどういう心境だったか、というただの思い出話と化しておりますし…。
読者の方にとってはつまらない話だと思うのですが、私としては、この時の心境について、ブログ上のどこかで書いておきたかったのです。
ライティングなら、何とか思いついたことをそのまま文章にすることくらいは出来るようになったと(自分では)思えるようになったので、何となく、スピーキングもその「ノリ」で乗り切れるんじゃないか…みたいな、安易な考えがあったようです。
二次対策としては、1級二次試験参考書その1、1級二次試験参考書その2 で触れた、「英検1級教本」と「英語で意見を論理的に述べる技術とトレーニング」という2冊の本を使って勉強しました。
面接のスピーチ向けの表現がたくさん載っていて、それをいろいろ頭に入れておけば、面接で話す時にそれが使えるんじゃないか、くらいの気持ちでした。
そういう例文に自分なりの表現を加えたりして、それを印刷したものを音読したり…と、準備としてはそれくらいしかしていませんでしたね。
が、面接試験は実に17年ぶりで、学生時代に受けた準1級の面接試験の記憶がほとんどありません。
会場がどんなだったかの記憶もかすかですし、他の受験生と一緒にいた記憶もない。
4コマ漫画を説明する、という試験で、「ある人が道を歩いていたら、人が車にひかれるところを見たのでびっくりしたら、それは映画の撮影だった」というものだったと思うのですが、He was knocked down!! と(何故か)叫んだら(笑)、面接官の人がクスっと笑った、ということだけ、妙に鮮明に覚えています(笑)。
そんな記憶しかないので、前回の経験は全く参考になりません。
まぁ、あれから随分と時が経っているので、形式なども随分変わっているのだとは思いますが。
ドキドキして緊張するのも当然だと思っていたし、そもそも1回目で通るわけはないと思っていたので、そういう意味でのプレッシャーはあまりなかったのです。
まぁ、偵察くらいの気持ちで…と思っていたのも事実です。
面接委員(面接官)はどちらも男性でした。
最初に氏名の確認があった後の日常会話(自由会話)では、自分の好きなことなどを話してくれ、と言われたので、英語の勉強のために、アメリカのドラマをよく見ています、と言いました。
トピックカードを見て、どの問題にするかを選ぶ、というのは本当に難しいですよね。
最初に見た時に、「女性と政治の話」か「高齢者に対する対策の話」かが目に付いて、それのどっちにしようか迷ってしまいました。
「何について話しますか?」と聞かれて、思わず「高齢者」のトピックを選んでしまったのですが、自分は女性なんだし、女性の話題を選んだ方が、自分の体験や気持ちを交えて話せたかもしれないなぁ、と後から思いました。
どちらにしようか迷っていたので、頭で考えをまとめる前にスピーチを始めることになってしまったのですが、いざ発言しようと思ったら、頭が真っ白になってしまいました。
もう何も頭に思い浮かばない感じで、言葉が口から出てこないんですね。
何とか、関係のある話題で文章を作ろうと思っても、不完全なまま文章が終わってしまう感じでした。
長い沈黙の時間が流れて、面接官が困ったような顔をしていたのをよく覚えています。
質疑応答では、ネイティブの男性が、非常にゆっくりと丁寧に、「その問題に対して、具体的にどういうことをすべきだと思いますか?」と尋ねて来られたのですが、具体的な対策が思い浮かばないんですよ。
「高齢者は普段の生活や将来について不安を抱えていて、コミュニケーションを欲しているので、そういう場を提供することが必要だ。」くらいしか言えませんでした。
具体的に、day care centers(デイケアセンター)とかそういう具体的なものを指す言葉が思い付けばまだ良かったのかもしれなかったけれど、そういうキーワード的なものも全く思いつかない、思い出せない状態でしたね。
もう面接が終わる前から、「これは絶対に不合格だ。」と思いました。
帰り道もぼんやりしながら帰ったのを覚えています。
最初から、1回目で合格するなんて全く思っていませんので、結果が悪くても、不合格Bであっても、そのこと自体がショックだったのではありません。
実際の面接試験で、何も言えなくて沈黙している自分の姿が、あまりにふがいなくて、ショックだったんです。
これはもう対策を立てるとかそういうレベルの問題ではないと思いました。
何か話してそれで失敗したのならともかく、口から言葉が出てこない場合は、一体どう対処したら、一体これからどういう訓練をして行けば良いのだろう?と。
一次試験には運良くストレートで通ったけれど、この二次試験には一生通らないかもしれないと思いました。
「書く」の向こうに「話す」ことがあると思っていたけれど、その私の「書く」能力と「話す」能力の歴然とした差、というよりも、「話す」能力が全くない、という事実に打ちのめされた、という感じでしょうかね。
(Warning:この後、ネガティブな話が延々続きます。)
別に就職で必要な資格でもないのに、英語はただの趣味だったのに、どうして、こんな惨めで悲しい思いをしてまで受験したんだろう、と思いました。
あのまま、ただこのブログを楽しむことだけを考えて、「英検1級? あぁ、あれは大学生の時に落ちたからもう無理ですよ、アハハ…」と笑い飛ばせるだけの「強さ」が私にあれば、こんなことにはならなかったのに…とも思いました。
今から思えば、大学生の時に落ちた一次試験に、こんなおばさんになってからの再挑戦で通ったわけで、それだけでも十分に意味のあることだと思えるのですが、やはり試験というのは、悲しいかな、二次も通って最終的に「合格」の文字を勝ち取るまでは、認めてもらえないわけですよね。
「一次試験には通った」という嬉しい事実までもが、あと何回かの一次免除の期間が終わると消えてしまう…それを思うととても不安でした。
とにかく、その時の落ち込みぶりは相当なもので、英語の勉強そのものを辞めてしまいそうでした。
このブログをひっそりと閉鎖したら、(家族や何人かの友達を除いて)誰も私が英語の勉強をしていたことすら知らないんだし…みたいな気持ちでした。
自分の持っていたガラスの自信が脆くも崩れ去り、自分の英語の能力なんて、実は大したことないんだ、英語を「書ける」と思っていたことさえ、私の勘違い、勝手な思い込みだったんだ、と思いました。
それからしばらくは、見るもの、聞くもの、すべてが私の自信を喪失させる方向に作用して、非常にネガティブな気持ちで過ごしていたのを覚えています。
試験後の7月中旬から8月頃、私はちょっとしたスランプになってしまいました。
それは、子供が夏休みでなかなか自由な時間が取れないのと、本当に夏バテで疲れていた、というのもあるのですが、そのスランプの元々の原因は、その受験失敗に発端があったんですね。
「落ちた」ことではなく、「太刀打ちできなかった」という事実に参ってしまったのです。
それでも、フレンズ記事の投稿だけは毎日続けていました。
それは、書き溜めている記事があったから、です。
英検に向けて勉強を始めた頃(2006年2月頃)、私はとても心身共に充実していて、英検の勉強をしながら、フレンズ記事の下書きも書いていました。
どちらも楽しくて、フレンズの下書きは、何話分も先に進んでいたのです。
ちょっと自分の英語に自信が持てて、「私も頑張れば、もっともっと伸びるかも。」と思えて、英語の勉強に「夢中」だったのです。
人間、調子の良い時もあれば悪い時もあります。
あまり調子が良すぎると、後でどこかでドッと疲れが出るんじゃないか、という予感はありました。
まぁ、宇宙戦艦ヤマトの真田さんが、「こんなこともあろうかと」と言いながら秘密兵器をこっそり準備していたように(笑)、万が一記事が書けなくなったり、勉強する気が起きなくなったりした時のためのストックとして、フレンズ記事の下書きを先走って書いていたのですが、それが見事に的中して、何とかそのストックで食い繋いでいた、というのがあの時(7月、8月)の実情なのです。
そこまでして、どうして「たかが趣味のブログ」を続けるのか?という方もおられるでしょうが、このブログでフレンズ記事を書いている自分を見る時だけが、唯一、自分の英語に自信が持てる瞬間なのです。
フレンズのDVDを初めて見て、「全然わかんない!」と思ってショックを受けたあの頃の私と比べて、「格段に成長した私」を「私自身が」確認することのできる場所、それがこのブログなんですね。
他の人にはわからなくても、私にはその「成長」がいやというほどよくわかるのです。
ストックを使いながらブログを続けている時に、このストックがなくなる頃、私はどうなっているだろうなぁ、と思っていました。
私は、このブログ上で、「英語が大好き」だとか、情熱や passion という言葉を軽々しく使って(笑)、自分の英語に対する思いを何度か語ってきました。
「その Rach の言う passion ってヤツは、一体どれほどのものなの?」と、自分自身に問いかけ、それがどの程度のものか見てやろうじゃない、みたいに、客観的に自分を見ている自分がいました。
ストックがなくなってそれで休むことになったら、そのまま緊張が途切れてブログも英語の勉強も辞めてしまうかもしれない…そうなったらそうなったでそれを受け入れるしかない、その程度の passion だったと認めざるを得ない、と思いました。
夏も終わりに近づいて、だんだん体力も回復してきて、そろそろフレンズ記事のストックがなくなる…という頃に、また、少しやる気が出てきました。
休むのがイヤ、という頑固な性格が、この場合はポジティブに作用したようです。
9月になって、私は復活(笑)したのですが、復活の一番のきっかけは、「週刊ST」という英字新聞で、私のブログを紹介してもらえた、というビッグニュース、でした。
落ち込んだ時にブログを辞めてしまわなくて良かった…と心から思いました。
「このタイミング」でこんな嬉しい出来事があるなんて、私は何てラッキーな人間なんだろう、と思いました。
これは、落ち込んでいる私を励ますために神様が下さったプレゼント、というよりは、不合格になる前に、夢中で頑張っていた頃の私へのプレゼントだと思いました。
私にしては、もったいないようなプレゼントです。
でもそれを「私は頑張ったんだからそれを素直にもらってもいいんだ。」と思うことにしました。
勉強でも何でも、頑張ったり努力したりすることに比例して、結果が出るとは限りません。
だから人は挫折してしまうのかもしれません。
だからこそ、頑張ったことに対して評価してもらった時には、それを遠慮することなく素直に喜びたいと思うのです。
自分で「頑張った」と思えるからこそ、思いがけず訪れた幸運を躊躇なく受け取ることができるような気がするのです。
と同時に、英検で失敗したことは事実だけど、このブログを続けていたことにはそれなりに意味があったと思えて、少し気分が楽になりました。
「私は私のできることをやるだけだ。」という気持ちになれた、という感じでしょうか。
落ち込んでも、こんな風に簡単に復活できる自分のおめでたい性格に感謝しつつ(笑)、やっと9月になって、次の11月12日の面接に向けて、何か始めようという気になれたのです。
面接2回目については、5日後くらいに書きます。
(ここまで読んで下さった読者の方、どうもありがとうございました。)
(Rach からのお願い)
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....私たち学習者って、迷うことが多いですよね。レベルに関係なく、それは病気のように不意に襲ってくるものなのかもしれません。
独学でやってると特に、なんだか自分1人だけがついてなくて、頑張ってるつもりなのに結果がでないよ〜なんて落ち込んでしまいがちなのですが、Rachさんの記事を読んで「私だけじゃない。みんな、それを乗り越えていくんだ」という前向きな気分になれました。
私など、やる気だけでここまできているようなものです。
バスケをしていた学生時代、コーチに「お前はセンスはないが、ガッツがあるから使ってる」とよく言われました。小さいし、技術はないのに、弱小チームとはいえスタメンになれたのは、ゲームの最初から最後までコートを走り回っているせいだったんですね^^;
続ければ、なんとかなる。
走り続ければ、先に進める。
このことを忘れてはいけないなと思います。
暖かいコメント、ありがとうございます。それにこんなにダラダラと長い記事を読んで下さってありがとうございました(笑)。
独学だと悩むことが多いかもしれませんね。「頑張ってるつもりなのに結果が出ない」と思うことはよくありますよね。
よく語学は、段階的に伸びる、と言います。階段を上るみたいに、ある時、ふっと次の段階に進める、みたいな。ですから、自分では結果が見えていない間にも、自分の中では何かが少しずつ伸びているはずで、それがたまたま目に見える結果として出てこないだけなんだろうと思います。
私も含めて、現代人はせっかちで、自分のやっただけ結果が出ないと不安になる、ということがありますね。本当はもっと長い目で見ないといけないのでしょうが、なかなかそれは難しいですよねぇ。
「やる気」や「ガッツ」というのは大切ですよね。私は何かに対して情熱や愛情があれば、自然とやる気やガッツが生まれてくる、と思っています。
ただ、自分の時間をこれだけ費やしている、という「苦行」ではなくて、それに対して一生懸命な気持ち、というか。(←書いてて恥ずかしいですけどね…笑)
好きだから、それが上手な人を見てうらやましいと思って、そこから何かを学ぼうとするし、好きだからこそ、そのゴールにたどり着くための効果的で効率的な方法を知らず知らずのうちに見つけることが出来るんじゃないかなぁ、って。全然興味のない、もしくは嫌いなことを義務感から身に付けないといけない場合は、いかにラクをして、いかに時間をかけずにその能力を身に付けるか、ということに意識が向いてしまう気がするんですよ。そういう、ラクをするための効率的な勉強や練習をしていたんでは、結局、モノにはならない気がするんですよね。
Emiさんもバスケが大好きだったから、ずっと走り回ることができたんだと思うし、きっとそういう自分の姿が大好きだったと思うし、だから頑張れたんだし、結果も出せたんだと思うんですよね。
プロで活躍している選手の方々は、やっぱり持って生まれた「センス」が一般の人とは違うんだろうと思いますが、ただ、センスがあるということだけでは、頂点には立てないと思います。あの人たちはセンスがある上に、ガッツもあって、そして間違いなく、そのスポーツが大好きですよね。サッカーでも野球でもスケートでもマラソンでもバスケでも、みんなそのスポーツが好きで、だから辛い練習でも頑張れて、そして晴れ舞台で自分の力が発揮できることを至上の喜びだと感じることができるわけですよね。
私は運動音痴なもので(笑)、体育会系ではないのですが、いつもスポーツ選手が語る言葉から、そのスポーツに対するものすごい熱意を感じて、それをとても美しいと思います。私も英語が好きで、英語を勉強している自分も、それを使っている自分も好きです。そんな気持ちを忘れることなく走り続けていれば、もっともっと先に進めるんじゃないかな、と思いながら、英語学習もこのブログも続けていきたいな、と思っています。
お互い、ずっと走り続けていきましょうね!
☆かっこいい☆ ☆美しい☆
改めて、英検1級合格おめでとう!
あの時のRachさんが元気をなくしてらした理由、こういうことだったのですね。
かなり高みに登りつめたと実感できた後、あぁまだ頂上は上なのかと感じた瞬間だったんでしょうね。その時の落胆する気持ち・・・わかる気がします。語学学習というのは、本当に気の遠くなる作業なのですね^^; 工藤夕貴さんは確かご自分の進歩を、薄皮が一枚一枚剥がれ落ちるようなゆっくりとしたものだったというようなことを言ってらした様に思います。毎日毎日続けていると、その成長はやっぱりわかりにくいものなんでしょうね。
私も以前より伸びてはいるのでしょうが、満足できる域に全く達していません。達したとしても、また上を望むでしょう。私達にできることは、「続けること」それだけなのかもしれません。
やった分、確実に成果をあげてこられたRachさんはすごいですよ!これからも、浮き沈みを体験しながらお互い前進していきましょう^^
何度も「おめでとう!」を言わせてごめんね(笑)。というよりも、何度も言ってくれてありがとう!かな?
「かっこいい」「美しい」なんて普段の生活で言われることないもんねぇ。ここは素直に喜ばせていただきたいと思います。嬉しいです、ありがと☆
苦しい、というか、辛いというか、「自分はどうなっちゃうんだろう…?」ってずっと思ってました。好調な時に飛ばしすぎた余波なのは間違いないと思ったけど(笑)、本当にブログを辞めることになるかも…ということは頭をよぎりましたよ。あの時期を乗り越えることができた、というのは、自分の英語に対する思いを再確認できて良かったと思います。
別にブログを続けること自体に意味があるとは思っていないのだけど、今の私の英語学習はこれを中心に回っているので、やっぱりこのブログを辞めちゃうと、気が抜けちゃうんじゃないかなぁ、と思うんですよね。これを書いているから他の英語学習者の方の姿が見えるわけで、ブログを閉鎖したら、多分、他の人のブログも読まなくなって、そういう刺激を受けることもないだろうなぁ、って。
KIKKAさんがコメントで書いて下さった通り、夏に私がスランプだったのは、この記事のような事情があったから、なのです。あの時に心配して励まして下さったお友達には、どこかでお詫びとお礼を言いたいとずっと思っていたのですが、私が「ちんたら」していたせいで、こんなに遅くなってしまって…(笑)。
次のKIKKAさんへのコメントのレスに、そのことについて書きたいと思いますので、まゆみさんへのレスも入っていると思いながら読んで下さい。
あの時は、本当にありがとう。
お久しぶりです! コメント、ありがとうございます。
そうなんですよ。ご指摘の通り、あのスランプには、やはり何か「きっかけ」があったんですね。今回の記事の中で、「あんなネガティブな記事を書いた本当の理由はこれでした」と書いて、「あの時はちゃんとした事情が話せなくてごめんなさい。」と謝ろうと思っていたのですが、それを書いちゃうと、またそれに対してコメントを入れなくちゃ、と思ってくれるかもしれないと思うと申し訳なかったのです。
(勝手なのですが)ただ、この記事を読んでもらえれば、それでその当時のことがわかってもらえる、わかってもらえたらそれでいい、と思いました。
あの時は、KIKKAさんを始め、たくさんの方に励ましてもらってとっても嬉しかったです。本当にどうもありがとう!
落ち込んでいる時はそのことばかり考えてしまってさらに落ち込みますよね。それを「記事として文字にする」というのはやはりとても辛いことだと思うのです。今だからここまでその時のことを詳しく書けるけど、当時の私にはきっと書けませんでした。「落ちた」と書くと、「今度は絶対大丈夫だよ。」とみんなが励まして下さるんだろうなぁ、と思ったのですが(もちろんその気持ちは嬉しいのですが)、受験する本人である私自身が「通りそうな予感」を持てなかったので、余計に辛くなりそうな気がしたんですよね。本当にこの時は、(ずるいかもしれないけど)受験したことを内緒にしていて良かったと思いました。このままずっと通らなければ、「もう英検は受験しなかったことにして」、別の方法で英語を楽しむことだけを考えよう、と思っていましたから。
(以下、ちょっと上の記事の補足になります。ごめんなさい。)
Rach Goes シリーズというヤツは(←自分で”シリーズ”と言っているのが我ながらおかしい…笑)、非常に大袈裟な言い方をすると、不合格になる前に夢中で頑張っていた私の精神が形になったようなものなのです。「私はここまで出来るようになった」、もしくは、「こういうものを公開する度胸がついた、「恥ずかしい」と思うよりも「自分の英語力を鍛えて伸ばしたい」という気持ちの方が勝った」みたいな感じでした。これを書けるということが私の自信の拠り所であったのです。
が、面接で何も言えない、まともに文章も組み立てられない自分を見た時に、「与えられたトピックですら満足なスピーチが出来ない、質疑応答でもまともに返答できない」のに、自分の考えを自由に述べるエッセーが書けると思っていたなんて、それはやっぱり勘違いだったんじゃないかと思いました。私がこういうものに手を出すのは早すぎたのかも、とも思いました。
調子の良かった時でも、あのライティングにはかなりの時間がかかっていました。でも、時間をかけてもそれを書くことが楽しかったし、書ける自分を見るのも幸せだったのです。
でも、不合格になった後は、かかる時間が同じであっても、「私はこれに今時間をかけるよりも、英検の勉強に集中した方がいいんじゃないか」など、英検のことが気になって、ライティングに身が入らないんですね。
「英語で書くという作業は、面接への訓練にも繋がるから」と無理やり理由をこじつけて書こうとすればするほど、書けなくなってしまいました。最初に Rach Goes を書いた時は英検一次試験の前だったので、一次の英作文の練習にもなるし、という考えが20%くらいはあったのですが、それは決してメインの理由ではありませんでした。ただ、「書ける」自分を見てみたかった、「英語を書く」というフィールドに足を伸ばしてみたかった、から始めただけだったのです。
ネガティブな記事を「英語で」書いたのが、せめてもの悪あがきでした(笑)。何を書いていいかわからない状態でも、そういう正直な気持ちなら書けるかも、と思ったのです。結局、その後、ほとんど書くことなく今に至っているのですが、あのまま続けていても、きっとまともな文章は書けていなかったと思いますね。ライティングにじっくりゆっくり取り組む、時間的・精神的余裕がなかったのです。自分にとっては大切なシリーズだったし、最初に書けて嬉しかったことも私にとっては大事な出来事だったから、それを壊したくなかったんですね。すっぱり休んで良かったと今では思っています。
(レスに戻ります)
「かなり高みに登りつめた」と思ったわけでもないのですが(笑)、自分としては、自分が登り始めた地点が、今私がいるところからは全然見えない、みたいな感じはありました。山自体はものすごく高いけれど、その山の一部を私は自分の足で登ってきたんだなぁ、という感じが。でも、それが山全体から見てみたら、ほんの少しの部分であった、ということに気付いた、という感じだったでしょうか。
工藤夕貴さんはアメリカで活躍されていて、私からしたら「何てすごい!」としか言いようがないのですが、それはもう、私には想像もつかないような努力もしておられるだろうし、実際にアメリカでいろんな苦難を乗り越えて、今の彼女があるのでしょうね。スランプやヘコんだ経験などは、日本で「のほほん」と勉強している私の比ではないでしょう。
「結果が出ない」と思ってあきらめてしまうことなく、毎日こつこつと努力を続けておられたことが、いつかパーッと花開いた、という感じなのでしょうね。
自分の成長、というのは自分ではよくわかりませんよね。でも、何かを続けていたら、絶対にそれが少しずつでも身に付いているはずだろうと思うのです。そう思わないと続けていられない、というのもありますし(笑)。自分がどういう段階にいても、その時期その時期で必ず浮き沈み、というのはあるんだろうと思いますね。お互い、これからも英語を続けて、一歩ずつ前進していきましょうね!
(長くなっちゃってごめんなさい。)