ネイティブのような発音、帰国子女に間違えられるような発音で話せるようになりたくて英語の勉強を始めた、と言う人も結構いるのではないでしょうか? 私もその一人です。
日本人がイメージする「英語がペラペラな人」というのは、「自分の考えを英語ではっきりと述べることができる人」というよりも、「発音がネイティブみたいでかっこいい人」みたいなイメージが強いのではないでしょうかねぇ?
ただ、世界で活躍している人たちを見ていると、母国語が英語でない人の場合は、発音がネイティブ並み、という人は少ない気がします。
それぞれ母国語の影響を大きく受けた英語を話している人が多い気がしますよね。
でも、だからと言って、それで国際人として認められていないわけじゃない。
立派に英語を使って重要な仕事をこなしておられるわけです。
フレンズ2-14その11+ゲイシャの話 で、アメリカで活躍する他国出身の俳優さんの話を書いたのですが、ネイティブとは違う発音が、その俳優さんの個性だったりすることもありますよね。
私は発音は大事だと思っていて、「意味さえ通じれば発音はどうでもいい。」と思っているわけではありません。
でも、音声だけネイティブ並みであっても、中身の伴わない英語であれば、それはあまり意味のないことだとも思います。
よく言われる「大事なのは発音よりも中身である」という話はまったくその通りで、発音に対してコンプレックスを持つことが多い日本人にとっては、発音を気にしすぎるな!という意見は、歓迎すべきものですよね。
発音の参考書(その1) で「発音できる音は、聞き取れる」と書いたのですが、そんな風に「正しく発音する」ことには、「リスニング能力を高める」という効果があります。
では、ある程度リスニングが出来るようになった場合に、リスニングのためではなく、アウトプットの英語として、自分の発音をもっと磨いた方がいいのかどうか?というのが今日のテーマです。
私の一般的な見解を述べさせていただくと、「リスニングできるようになれば、それ以上発音を磨くかどうかは個人の嗜好の問題だ」と思っています。
磨きたい人は磨けばいいし、今の発音でも十分にやっていけると思う人はそれでいい、ということです。
で、私個人としてはどう思っているかと言うと、
「できることならば」よりネイティブに近い発音になりたい!
のです。
上にも書いたように、それは個人の好みの問題ですから、私は誰かに「発音を磨いた方がいい!」と押し付けるつもりはありません。
あくまでも、私がそうなりたい、と思う理由を以下に書くので、そんな意見もあるのか、くらいに聞いておいて下さいね。
私がネイティブの発音を目標にしているのは、ネイティブの発音が一番自然で無駄がなくてクセがない、だから、聞き易い、と思うからです。
コミュニケーションの基本は、自分の意見を相手に伝えること、ですよね。
まず、自分の意見を発信する場合に、「発音が下手だから」ということで黙ってしまうと、コミュニケーションそのものが成り立ちません。
ですから、そういう理由で黙ってしまいがちな日本人はやはり問題なんだ、ということになりますね。
そして、その発信したメッセージを相手が受け取ることを考えると、相手が受け取りやすい形であるのが望ましいのだと思います。
あまり日本語っぽい発音だと、日本人なら何となく「この人、ローマ字読みしてるな」などと察することができるでしょうが、日本語を知らない人にとってはその聞き取りがかなり難しいことになります。
それを、「私は日本人だから日本人っぽい英語でいいんだ!」と「開き直る」ことは、相手にとって聞き取り易い英語をしゃべろうという努力や意欲が感じられない気がするのです。
もちろん、しゃべれない場合は今のレベルで精一杯しゃべればいいですが、それを発音の練習なんかしないでいいんだ、という「言い訳」にしてはいけない気がするんですよ。
それは人が書く「文字」と同じ話かもしれません。
字が汚くても、読めればいい、という人がいて、それは確かにそうなんですが、読む人間が読みにくいと思うような字を書くのは親切だとは思えませんよね。
正式な書類では、「楷書で丁寧に」などと書いてありますが、字の形の美しさとかの問題ではなくて、相手が読みやすい字かどうか、読み取れる字かどうか、というのが大事なんだと思うのです。
字が下手、というと語弊があるかもしれないので、「クセ字」に置き換えてもいいでしょう。
クセ字は一種の個性ですが、極端に読みにくいクセ字はコミュニケーションに支障をきたしてしまいますよね。
私の発音のイメージも、そういうクセをできるだけ排除していく方向に向かうべきだ、ということなのです。
いちから英語を学ぶ場合は、一番メジャーだと思われる「わかりやすい」発音を身につけた方がいい、と思うのです。
誤解のないように言っておくと、メジャーなところでも、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど、英語を母国語にする国がいくつかありますが、それぞれの母国語はそれぞれが「正しい英語」であると思っていますので、それをどこかの国(例えばアメリカ)の英語の発音に統一すべきだ、と言っているのではないのです。
世界中ではいろいろな英語が話されていますし、それぞれ歴史があって、個性があります。
それは文化であり、そこに懐かしさを感じる人もいるだろうし、まぁ、日本語の方言みたいなものでしょうか。
だから、それを否定するつもりはありませんが、そういう人たちでも、自分の英語が他の国で通じないと思えば、特徴的だと思われている部分に気をつけて話しているはずだと思うんですよ。
発音の特徴から出身国が分かる、というのは楽しいことですし、それがその人の個性でもあるのですが、相手が聞き取りにくいと眉をひそめるほどの極端な特徴を持った言葉を話してはいけない、と思うのです。
日本人が話す英語は、歴史と伝統のある「ジャパニーズ英語」ではなく、「ただ日本語っぽい発音の影響をモロに受けたカタカナ読みもしくはローマ字読みの英語」になっているだけのことです。
それを日本人の個性として、大事に育てていく必要はないと思います。
日本では英語は公用語になっていないので、普段は日本人同士で妙なジャパニーズ英語を使って話す状況にはなりません。
だから、変なクセをつけなくても済むわけですから、英語を学ぶ時には、一番メジャーなものをお手本にしてきちんと学びたいと思うのです。
そういう音声を入手するのがラクな時代になりましたからねぇ。
やはり訛りがキツすぎる英語というのは聞き取りにくくて、すんなり耳に入ってこない気がします。
私はアメリカ英語に慣れているので、イギリス英語やオーストラリア英語ですら、聞きづらいと思うほどです。
だから、自分にとっては一番自然で聞きなれているアメリカ英語により近い発音になるように「私は」心がけたいと思っているのです。
アメリカ英語でも南部訛りとかいろいろあるので、「アメリカ英語」という大雑把なくくりもどうなのかとは思いますが、フレンズたちがしゃべっている英語が私には一番慣れているから、あれが私の英語のイメージですね。
私が言いたいのは、発音が下手だからと言って卑下する必要はない、けれど、下手な発音で満足すべきでもない、ということです。
下手、というのは、基本的な発音の基礎からずれた「変な癖がついている」という意味です。
もしくは、舌の位置が正しくないとか、息の強さが弱いとか、でしょうか。
私はネイティブ並みの発音に近づきたい!とかなり熱烈に思っているクチですが、それでも、この程度ですからね。
発音を極めるのが難しい、というのはいやと言うほどわかっています。
それを音声学的な才能の差(耳が良い、とか)で片付けるのは簡単ですが、多分、一番の問題は、英語を発音する「筋肉が出来ていない、筋肉が訓練されていない」ということなんだろうと思います。
本を読んでの独学ですから、何か勘違いしていること、掴めていないこと、というのも多いのかもしれません。
発音専門のスクールと言うのを時々聞きますので、そこに通えば、徹底的に訓練させてもらえるかも…という期待はありますね。
また、普通に英会話スクールに通う場合でも、ネイティブの人と向き合って話していることで、相手の呼吸とか息遣いとかを肌で感じることができたり(何だか、やらしい意味に聞こえる…笑)、また熱意のある相手なら、私の発音をいちいち「それは違うよ」と教えてくれるかもしれないですね(笑)。
DVDでも生の英語に触れているとは言え、やはり目の前の生きたネイティブが話していることから学べることは全く違うのではないかなぁ、と思ったりします。
私にとってはやはりネイティブの話す英語が一番「かっこよくて」、それに近づくために日々奮闘している、ということでしょうか。
それは一番の憧れではあるけれども、なかなか簡単には身に付くものではない、と思います。
すべての人が英語の習得にたくさんの時間を割けるわけではないので、発音の優先順位が低くなるのも自然なことでしょう。
最初に書いたように、発音だけ磨いてもしょうがない、というのは全くその通りだからです。
「発音ができるようになれば聞き取れるようになる」のは私の経験上からも間違いないですが、でもそれだけでは英語を使えるようになったとは言えないわけですからね。
私はいろんな理屈を上に書いてきましたが、ただ「かっこいい」発音に憧れているだけです。
好きな歌手の歌をそっくり真似したいのと同じ心境でしょうね。
もともと英語を勉強していること自体が「憧れ」の気持ちから来ているものですから…。
ネイティブ並みの発音になることは不可能だと思いますが(笑)、少しでもそれに近づくことができるようにこれからも頑張っていきたいと思っています。
(Rach からのお願い)
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私も以前は、「発音より内容で勝負!」みたいな信念があって、コテコテの日本人英語を全然気にしていませんでした。だから英検1級2次試験も、当方のブログ「話す内容を持っているか」で紹介したように、面白い内容でグイグイ押して、強引に通過したわけです。
ところが最近皆さんのブログを拝見していて、発音をよくするということは、聞き取りを伸ばすことなのだということに初めて気が付きました(50歳にもなって気が付くのが遅い!)。そのようなわけで、いままで軽視していたシンクロやシャドーの訓練を積んで、TOEICを受ける決心をしました。また、Rachさんも書いているように、発音をネイティブに近づけるということは、相手にたいする思いやりでもあるのですよね。よくインド人の英語を聞いていると、インド訛りがひどくてイラつくことがありますが、多分私のビジネスパートナーだった人も、私の日本人訛りの英語を聞き取りにくいと思っていたかもしれません。
今後は少しでも発音をネイティブに近づけたいと思っています。
反面、こちらでESLに通っていて、先生が「発音にひどい癖があると、どんなにあなた達の本当の能力が高くても、それを見てもらえなくて、仕事を探したりするときにも評価が低くなったりすることがあるのよ」とおっしゃっていたことも事実だと思います。
喋るということは、自分を表現する手段なので、でたらめな文章やひどく癖のある発音などが原因で自分が正当に評価されない、ということが起こっても仕方ないと言えますよね。
「英語を使うときと、日本語を使うときの自分の印象に差がないようになる」ことができればいいのかな、と、自分では思っています。日本語で表現しているときの自分が「本当の自分の姿」だと思っていいでしょうから、それ以上でも以下でもない感じで、会話やメールを通して人づきあいが出来れば、と。あんまり肩に力をいれたり、眉間に縦じわを寄せたりしなくても言いたいことが英語で表現できればそうなるかな、と思っています。発音に限って言えば、いつでもどこでも喋る日本語は大阪弁の私なので、日本語訛や半端なテキサス訛を開き直ってしまうのが私かも、とか。
英語を使って仕事をする、となれば、相手先との情報のやり取りに間違いがないように、好印象を与える(フォーマルな形をふまえることも含めて)ように、と、神経を使うポイントが違うんですよね。
専業主婦の私と、うちのだんなとは、その意味で、要求される英語のレベルが違うなぁ、と思うこともあります。
何かを学ぶ時には、必ず「ああなりたい」というような憧れの気持ちが必要だと思うんですよ。理想とするモデルが自分の中にある方が、目標も定め易いですしね。DVDを何度も見ていると、確かに「頭の中では再生」できますよね。でも、自分で真似をすると同じように聞こえなくてがっかりする、というのは私もいつも感じています。さらにそれを録音したりすると、ますます自分のイメージしている理想とかけ離れていることを実感します(笑)。
発音のイメージがまるっきりわからなかった時は、UDA式30音の説明で、随分といろんな点に気付くことができました。それをフレンズのセリフに当てはめてみると、リダクションなどの意味がよくわかって、セリフがとても聞き取りやすくなりました。
やはり自己流の練習では限界があるのか、私も発音は以前より間違いなく上達したとは思うのですが、「ネイティブ並み」にはほど遠いですねぇ(爆)。
私は自分の発音がイマイチ(笑)であることはよく自覚しているけれども、それで納得しているわけじゃないんだ!、もっと私は発音を磨かないといけないんだ!と自分自身に言い聞かせたかったんだろうと思います。それを読んで何かを感じていただけたとしたら、とても嬉しいです。
いつもコメントありがとうございます。記事がやたらと長いので、それだけでも「目が痛い」ですよね(笑)。
かいちゃんさんのおっしゃる通り、私は今でも「発音より内容が大事!」だとは思っています。それは間違いないと思います。
英検面接で、頭が真っ白になってしゃべれなかった時に、それをいやと言うほど感じましたから(笑)。
仮に私がものすごく発音がうまかったとしても、話す内容が全く頭に浮かばなければ、その発音を披露することすらできません。まずは「自分の考えを述べることができる」ことが先にあって、発音うんぬんはそれからの話だ、ということですよね。
記事ではそれを「書く文字」に例えましたが、いくら字が美しくても、内容がつまらないものであれば読む気がしない、いくら字が達筆でも、書いている内容が子供の書くような幼稚なことしか書けなければそれは魅力がない、ということなんでしょう。
「発音できない音は聞き取れない」という話は、私も6年ほど前に英語学習を始めた頃に知りました。
私が英語を学びなおしたいと思ったきっかけの雑誌「日経WOMAN」の表紙に、
「きちんと発音出来れば、映画もラクラク聞き取れる」(2001年2月号)
「そうか、発音できないから聞き取れなかったんだ!」(2001年12月号)
という記事の見出しが載っています。これらの記事で、「UDA式30音」という発音法が紹介されていたのです。
そして、それは実際、正しいと思います。「違いを聞き取るには、自分でその違いを実演できないといけない」という感じでしょうか。「なんとなく」ではなくて、舌の位置や口の開け方の違いを明確にわかっていないといけない、ということですね。私もいろいろと発音の本を読んでその「違い」はわかっているつもりですが、それを「ネイティブ並みの発音にする」というのは、もっとずっとハードルが高い、という気がします。
記事でも書きましたように、世界を舞台に活躍しておられる日本人は、皆さん発音がネイティブ並みか?というとそうでもないですよね。でも、英語を使って重要な仕事をこなしておられるわけですから、ネイティブの話す内容が聞き取れていないはずはないのです。
それを考えると、発音がネイティブ並みでなくても、かなりのリスニングができる、ということになりますので、ある程度のリスニングができるようになれば、それ以上発音を磨くことは、リスニング力を伸ばす問題とはまた別の話になってしまうのかなぁ、と思って、この記事を書いてみたんですね。
日本語は英語とは全く音声的に違う言語だから…と、発音を磨くことをあきらめてしまうのではなく、より基本に忠実に、正しい発音を学ぶことが、コミュニケーションの向上に繋がるのではないかなぁ、と私は思っています。「私は日本人なんで、日本人訛りの英語をどうか頑張って理解して下さい。」と相手に求めるよりも、少しでも自分の方からわかりやすい英語に近づく努力をしたいなぁ、と思っています。道は険しいですが、それを常に意識しているだけでも、最初っから「発音はジャパニーズでいいや!」とあきらめるよりずっと良いのではないかなぁ、と。
その「耳からイヤホンがぽろり」の話(笑)はよくわかりますよ。私も過去記事で、「話す時には強気で行こう、話す時だけは英語は簡単だと信じよう!」という心構えについて書いたことがあります。
まさにアウトプットする瞬間になった場合には、自分の発音を卑下する必要はないと思うんですよね。自分が今できる精一杯のことをするだけ、自分の能力の限り、相手にわかってもらうように努力するだけ、それが「大きい声ではっきりと」言うことでその意気込みや意欲や気持ちが伝わるんだろうと思うのです。
その反面の話も全くその通りだと思いますね。一番会話の基礎となる言語そのものが不完全であることが明白だと、相手が遠慮したり、本当に言いたいことを言わなくなったりするのではないかなぁ、と思いますね。「この人に説明しても無駄だ」などと思われてしまうかもしれませんし。
話し込んでいくうちに、性格や能力などが徐々にわかる、ということもあるかもしれませんが、やはり最初はその発音のイメージが強いので、あまりにも癖がありすぎると、そういう内容や人間の内面を評価する前に、相手がコミュニケーションを拒否したくなってしまう、ということもあるかなぁ、と。
「英語を使うときと、日本語を使うときの自分の印象に差がないようになることができる」と本当にいいと思いますね。やはり母国語でない英語だと細かいニュアンスが出せなくて、無意識のうちに、どこかぶっきらぼうになったり、どこか断言的になったりしてしまっているんだろうと思います。私の話す英語、書く英語から、普段の私の日本語を使っているイメージが浮かんでくるようになればいいですよね。
私はこう見えても(?)、「いつでもどこでも大阪弁」ではないんですよ(笑)。
普段はこってこての大阪弁をしゃべっていて、大阪弁が大好き!ですが、相手が関西圏の人でないとわかれば、ちょっと個性を出すという場合以外は、あまりむやみには使わないようにしています。
イントネーションはどうしようもないですが(笑)、語尾や単語には気をつけるようにしていますね。大阪弁は方言の中でもメジャーな方なので、いろんなところで通じるとはわかっていても、それを前面に押し出すことは、自分の価値観の押し付けのような気がしてしまうのです。
方言というのはその同じ方言の中で使っている時はものすごくしっくりきて、絶妙に絡めるのですが(笑)、違う方言の方と話していると、リズムなどが違う気がして、相手の方と話す呼吸が違ってしまう気がするんですよね。そのために「標準語」があるのかなぁ、と。(相手の方が面白がって下さる場合は、喜んで大阪弁を話しますけど…笑)
私は実際に英語を使わないといけない、という状況になったことがないのでわかりませんが、ビジネスとなると、また求められるものはもっとシビアですよね。わからない部分をニコニコしてごまかして後で調べよう、なんてこともできませんし。でも、そういう切磋琢磨が、また英語力をもっと伸ばすことにつながるんでしょうね。
そういう意味で、自分をそういう状況に追い込んでみたいなぁ、と思うのです。日本語が全く通じない英語圏に放り出されたら、どこまで頑張れるか、というのを見てみたいのですが…(笑)。
今回の、ジャパニーズ英語とかクセ字の例え、とても分かりやすくて感動しました。そうか、日本人はこれから発音を学ぶ上でまっさらな状態なんですね。ハンディばかりを考えていたので目からウロコです。
日本人でもほんの数年留学してしまうとペラペラになって帰ってくるのに、日本にいながら独学で学ぼうとするとこれほどまでに大きな壁が立ちはだかるかと、不公平(!?)に感じることもありました。でもそれだからこそ、やりがいがあるんですよね。そう思えるようになったのは、フレンズに出会って、Rachさんのブログに出会えたお陰です。
初めての投稿でどこのコメント欄に書けばふさわしいのか分かりませんが、これからも応援しています。絶対に絶対にやめないで下さいね。
私はDVD学習法を知る前にうっかりシーズン5までのフレンズを吹き替えで観てしまったので、シーズン6から学習するというえらい半端なとこにいます。なので、Rachさんの6以降の解説が待ち遠しいです。
発音の話からすっかり逸れてしまってすいません。
それにしてもレイチェルの喋り方って異常なまでに聞き取りづらくて、もっとゆっくり話してくれといつも泣かされます。自分が発音できるようになれば、いつかは彼女の話も聞き取れるようになるんでしょうか……?
はじめまして。ご訪問&コメント、ありがとうございます。学習法を参考にして下さり、また私の解説も大好きと言っていただけて、とても嬉しいです!
私はアラフォー世代なので、学生時代はリスニング試験もなく、英語を音として学ぶことはほとんどありませんでした。ですから、大人になって英語を改めて学び直そうと思った時に、できるだけ「本物の英語の音」に触れることで学んで行こうと思ったのですね。
英語圏に留学すると、周りは全部英語ですから、英語学習者としてうらやましいなぁ、と思うことは私もよくあります。日本で独学だと、英語に浸かる環境を自分で作っていかないといけませんものね。そのためには「これを英語で見たい!」と思えるものを何か一つでも見つけることが大切で、私にとってはその一つがフレンズだった、ということです。
「絶対に絶対にやめないで下さいね」という励ましのお言葉、とっても嬉しいです。そのように言って下さる方が一人でもおられる間は、このブログをこのまま続けてもいいんだ!と思えて、とても幸せです。
たぬきさんはレイチェルの喋り方が苦手なんですね。私は特に誰が…というイメージはないんです。最初は全員さっぱりわかりませんでしたので(笑)。モニカは早口で有名ですが、レイチェルも確かにものすごく早い時がありますね。
リスニングのテストと違って、リアリティや緊迫感を出すためにわざと不明瞭に言っている場合もありますし、そういう部分では、ネットスクリプトも、実際のセリフとは違う文になっていたりして、ネイティブでも完全に一字一句聞き取ることは難しいらしい部分も多々あります。
レギュラー陣6人のように毎回登場する人たちの声質や言い回しにはだんだん慣れてくると思います。また、発音の基礎を学ぶことで、省略されている音が掴めるようにもなってくると思います。
これからも頑張って続けたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。