ある英語を別の英語に置き換える訓練もできます。
そうすることで、様々な単語が関連付けられて、自分の語彙がどんどん広がるわけですね。
ただ、その英語で書かれた語義を「解読」するのに四苦八苦している間は、つまり、その英英辞典の語義を「解釈」しないといけない時期には、英英辞典を使っている効用は見えにくい、という気がします。
私もずっと「英英を使った方がいい!」といろんな方に説得されたにもかかわらず、なかなか英英をメインにすることができないでいました。
英和ではその本当の深い意味がわからないと感じた時、あるいは誰かと解釈について意見を交換した時に自分の意見を理論武装するための手段として(笑)、ここぞ!という時だけ英英を使っていました。
でも、そうやって時々でもいいから英英を使っていると、だんだんその「英英の語義の形式、表現」というものに慣れていくのですね。
この「英英辞典特有の表現に慣れる」というのが、実はとても大事なことのような気がします。
英英辞典の語義がよくわからない、というのは、その中で使われている単語を知らない、ということも時々ありますが、語義説明の「文の構造」がわかっていない、ということが多いのかもしれません。
何度も使って、その「文の構造」に慣れてくると、その語義が、英語の単語のまま、英語の語順のままで頭に入ってくるようになります。
それはそのまま、英語を英語の語順のまま理解する訓練に繋がります。
英英辞典は、基本的な単語で、シンプルに、的確に、説明することを求められています。
そういう文章にたくさん「出会う、ぶつかる」ことが、英語力を高めることに繋がるのですね。
そうして英英に慣れてくると、そのうち英和では物足りなくなって、いろんな言葉を英英ではどう説明されているのかが知りたくなる。
私の場合は、そうやって徐々に英和から英英へのシフトが行われました。
最初から英英を使うか、後から英英に乗り換えるか?
英語を英語のままで理解しようと思えば、必ず最終的には英英を使いこなせるようにならないといけないでしょう。
そのためには、「最初から英英のみで」という方法か、「英和から英英へシフト」という方法かのどちらかを選択することになります。
私は元々「英英を使う」ということは全く頭にありませんでした。
ああいうのは「プロ」が使うものだと思っていて(笑)、ブログを始める前は使ったことなかったのです。
その当時の TOEIC の点数は、930点でしたが、英和だけを使っていても、その点数は取れた、ということですね。
DVD学習法に関する記事で、私は英和辞典をこう使った というのを書きましたが、それは「使った」と過去形になっているところがポイントです(笑)。
実際に英和だけでやってきて、英英を使いこなすところまで行かなくても 900点ホルダーになれた、というのは事実ですし、実際、900点ホルダーの人全てが、英英辞典を鬼のように(?)使いこなしているというわけでもないと思うんですよねぇ。(←勝手な想像ですが)
私は確かに、ずっと「英和だけ」を使ってフレンズを見てきましたが、ドラマでは「状況」「心情」などから様々な情報を得ることができます。
ですから、「ただ英和だけを使って学ぶ」よりももう少し多くの情報を手に入れていた、英英辞典に書いてあるようなことを、実際に英語の文字として確認することはしなかったけれど、そのイメージをどこかで受け取っていた、ということなのかな、と思います。
そういう意味では、英和の語義に「映像からもたらされるイメージ」を自ら付け加えていた、ということになるでしょうか。
だから、私の場合は「英和だけで 900点超えできました!」と言っても、そこにはやはり「ドラマを使った効用」を無視することはできないのですね。
ドラマを使っていたからこそ英和だけでできた、と言えるのでしょう。
「最初から英英のみで」か、「英和から英英へシフト」か?については、私は後者だったので、前者と後者を客観的に比べることはできないのですが、英英を手放せなくなった今、思うところを述べてみます。
「最初から英英のみで」は、英英辞典というものに慣れるまでが大変かなぁ、と思います。
でも、そこまでは本当に大変だろうと思うけれど、慣れたらその後の英語力は急速に伸びるだろうと思います。
「英和から英英へシフト」というのは、とっつきやすいけれど、ある意味遠回りで、下手をすると私のようにいつまでも「英和にどっぷり浸かった」ままで(笑)、なかなか英英に手を出せない、ということにもなりかねません。
「英英に手を出せない」というのは、まだ心のどこかに「オール英語で書いてあるものに対する恐怖心」みたいなものがある、ということだろうと思います。
どこかに「日本語でのヒントを欲しがっている自分」がいる、ということかな、と。
英英にすっと手が伸びなかった頃の自分は、まだ、英英の語義をすっと理解できる素地ができていなかったんではないか、という気もします。
だから、英英の語義をすんなり受け入れられるような時期が来たら、自然に英英に手が伸びるようになるだろう、と思っていました。
実際、私も「英英を使わなくちゃダメだ!」と自分を追い込んだのではなく、気がついたら自然と英英がメインになっていた、という感じだったんですね。
「英英を使わないと伸びない!」という恐怖心からではなく、「英英では何と説明してあるのか知りたい!」という心からの欲求が生まれて初めて、英英を使いこなすことができる、英英を使うことで自分のボキャブラリーをどんどん増やしていくことができる、という気がします。
英英を使ったことのない方は、たまにでも使ってみて下さい。
そして、自分にはまだ早いな、と思ったら、メインは英和のままでもいいかと思います。
その後も、折に触れて英英を使ってみて、「使えそうかも」と思える瞬間が来るのを待ってみて下さい。
もちろん「俺は最初から英英しか使わんぞ!」という根性のある方は、是非それに挑戦してみて下さい。
英英辞典の語義には、「英語のスピリット」のようなものが溢れています。
基本的な語彙で書かれたそれを読み続けることで、自然とそういうものが身に付くはずです。
私もいつも英英の語義を読んでは「ふ〜ん、そうかぁ」と感心することばかりです。
こんな風に論理的にシンプルに英語が書けたらいいなぁ、と思います。
「人にわかるように説明する」ということは、「わかりやすい文章を書く」ことに繋がりますからね。
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今大学生で英語とはほとんど全く関係ない学部にいるのですが、英語を勉強したくなってフレンズをみはじめました。(フレンズをみたい気持ちのが上かもしれませんが;笑)
わたしはまだ英英辞典がどうとかのレベルじゃないのですがとても参考になります。
ありがとうございました!これからも参考にしていきたいのでよろしくお願いします^^
ご訪問&コメント、ありがとうございます。
携帯で、電車の中で…マイブログは文章が長いので、携帯では読みにくいだろうと思いますのに、読んで下さってありがとうございます。
私も大学時代は英語と全く関係のない学部でした。就職先も英語とは縁のない会社だったので、どうしても英語が必要、という状況にはならなかったし、専業主婦となった今では、日常生活で英語に触れるチャンスが全くありません。
でも、フレンズを知って、それを原語の英語でもっと楽しみたい、という気持ちが出てきて、英語をもっと深く学びたい、という気持ちになれたんですね。やはり、入学・卒業・就職・昇進に必要だから、という理由よりも、英語そのものを楽しみたいという気持ちが大切かな、と思うんですよね。
参考になるようなことが書けているかどうかはわかりませんが、私が楽しみながら英語を学んでいる様子を感じていただけたらいいなぁ、と思っています。こちらこそ、よろしくお願いします。
はじめまして!
いつも、楽しく読ませていただいています。
私も、手っ取り早く意味を知りたくて
英和を使ってしまうことが多いですが、
それと同時に、英英でも調べます。
というのは、常に、『英和には間違いがあるかも!』
と思っているからです。(笑)
以前、留学していたときに、英和、和英に
載っていた例文を使うと、そんな言い方はしない、
とネイティブに言われることが結構ありました。
実際、両方調べると、英和では違った
説明がされていることがありますよね。
また、逆に、英英には書かれていないことが
英和に載っていたり、、、
(英和が間違っているのか、単に英英が
省略しているのか、、?)
いきなり英英だとハードルが高いという方は、
英和で調べて、英英でも確認、という方法
もありかなと思います。
ではでは。
はじめまして! ご訪問&コメントありがとうございます。楽しく読んで下さっているとのこと、とっても嬉しいです!
素敵なHN(ハンドルネーム)に、思わず、OMG! と言ってしまいました(笑)。
興味深いご意見、ありがとうございます。
英和の意味、というのは、その英和を作った人(日本人)の感じたニュアンス、というのが入っていますよね。それから、過去から脈々と受け継がれてきた「日本語ではこういう意味である」というような伝統のようなものとか。違う言語を使う人間なので、細かい部分で少しずつ「言葉の受け止め方」みたいなものが違うのかもしれません。
私も、英和に載っていることを使って意見を主張しようとすると、ネイティブに「そんな言い方はしない」と一蹴されてしまう可能性があると思っています。
例えば、日本語を勉強しているアメリカ人の方が、私たちが聞いたことのないような日本語表現を使ったとします。そしてその人が、「アメリカの有名な Japanese-English Dictionary にこの表現が載っていた」と主張しても、「いくらアメリカの辞書にそう書いてあっても、実際の日本人の我々はそんな言い方はしない。」とか言いたくなりますよね。本音としては、「いくら有名なアメリカの辞書にそう書いてあっても、そんなん知らんがな。」という感じです(笑)。
ところが、それがもし、「広辞苑にそう書いてあった。」と言われると、「あれ、もしかして私の日本語の知識が足りないのかしら?」などと自分を反省してみたくなったりするわけです(笑)。実際、日本人だからと言って、100%正しい日本語を話しているわけではないし、知らない言葉もたくさんありますよね。
私はセリフを解釈する際によく英英を使うのは、「英英にこう書いてあるんだから、それなりの説得力があるだろう」と思うからです。もしかしたら古い言い回しだったり、今ではそんな意味では使わない、という、「実際に使われている英語との乖離」というのはあるかもしれませんが、英英に書いてある、と言えば、ネイティブも少しは「あれ、そうなのかな?」と思ってくれる、そこからまた話が発展できる可能性があると思うんですね。「絶対に使わない!」で話が止まってしまう、ということはないと思うのです。
「英英辞典にはこう書いてあるけど」と私が主張した場合に、「あぁ、そこにはそう書いてあるけど、それは少し年配の人が使うんだよ。今は、例えばこんな風に言うんだ…」と、ちゃんと説明してくれるネイティブの意見なら、私も「おぉ、そうか!」と素直に納得できるわけです。
私は、日本語で書かれている文法書、英和辞典、というものは、「英語を研究し学んでいる日本人が、自分の受けたイメージを日本語で説明したもの」だと思っています。使う方も、そういうつもりで「参考」にしたらいいのかな、と。ネイティブに対して理論武装する道具としては使えない可能性があるとしても、同じ日本語をベースにした人間として、その解釈の仕方は日本人に理解しやすいものなのではないかな、と思うのですね。
「日本人が受けたイメージを日本語で説明したもの」(英和)から、「ネイティブがネイティブの感覚で受け止めたもの」(英英)へ移行していくことが、「ネイティブのように読む」ことに近づいていく、ということなのでしょうね。だから、英和のままだとそこには限界があるのだろうと思います。