[Scene: Central Perk, Chandler, Phoebe, and Ross are there.]
セントラルパーク。チャンドラー、フィービー、ロスがそこにいる。
チャンドラー: Tell us what happened, Brown Bird Ross. (何があったのか説明してよ、ブラウンバードのロスくん。)
ロス: Well, I lost. Some little girl loaned her uniform to her 19-year-old sister, who went down to the U.S.S. Nimitz and sold over 2000 boxes. (あぁ、僕は負けちゃったんだ。ある女の子が、自分の19歳の姉に自分の制服を貸したんだ。その姉さんは、米軍艦のニミッツに行って、2000個以上を売ったんだよ。)
U.S.S. Nimitz の U.S.S. は United States Ship の略で「米軍艦、米国の船」という意味ですね。
Wikipedia 英語版: USS Nimitz (CVN-68)
いきなり脱線ですが、私は U.S.S. と聞くと、まず最初に、U.S.S. Enterprise (U.S.S.エンタープライズ)という名前の、スタートレックに出てくる「宇宙船」を思い出すのですが…(笑)。
あの世界では、いろんな惑星が集まって一つの連邦を作っているんですね。
それを United Federation of Planets 「惑星連邦」と呼んでいます。
そこの Star Ship 「宇宙船」だから、United Federation of Planets Star Ship の略で、U.S.S. とついているのです。
スタートレックはアメリカの作品ですから、U.S.S. という略称だと、アメリカの空母・軍艦のイメージと重なるのでこれはいい!ということで使ったのではないかな?と私は以前から思っていました(笑)。
と思ったらやはり、Wikipedia 日本語版: エンタープライズ (スタートレック) にも同じようなことが書いてありました(笑)。
実際、アメリカ海軍には本当に、USS Enterprise という名で呼ばれる原子力空母も存在するようです。
Wikipedia 英語版: USS Enterprise (CVN-65)
Wikipedia 日本語版: エンタープライズ (CVN-65)
トレッキーな脱線、大変失礼いたしました。
フレンズ3-10その19 に出てきた、ロスがたくさんクッキーを売った「大学の寮」というアイディアもかなり良かったのですが、もっと上手(うわて)がいたんですねぇ。
規模のもっと大きい「軍艦」で、猛者(もさ)が揃っているので食べる量もすごいでしょうし、おまけに売っている人が、ブラウンバードのコスプレ(?)をしている19歳のギャル(←死語?…笑)だから、女っけの少ない(女性もいるのかもしれませんが、少ないでしょうし…)軍艦に行けば、それは飛ぶように売れたでしょう。他の人と桁が違います。
あまりの数に、さすがのロスもそれ以上、結果を改ざんするのをあきらめてしまったようですね。
チャンドラー: (to Rachel, who's entering) Hey! How'd the interview go? ([入ってきたレイチェルに] やあ。インタビューはどうだった?)
レイチェル: Oh, I blew it. I wouldn't have even hired me. (あぁ、失敗しちゃったわ。もし私が面接官だったとしても、私を雇わなかったと思うもの。)
blow は「失敗する、しくじる、台無しにする」。
I wouldn't have even hired me. は仮定法の would not +現在完了形を使っていて、「もし私が面接官だったとしても…しなかっただろう」という意味ですね。
この場合は、明らかに失敗だった、私が面接官でもこんな子は採用できないと思うほど、ひどく失敗しちゃったのよ、と言っているのですね。
日本語だとこういう場合、「もし私が面接官だったら、だったとしても」のような言葉を挟みたくなるのですが、英語ではあえて、If I were the interviewer, などとは言わずにいきなり、I wouldn't have... と仮定法を使ってしまうことで、「もし私がそういう立場なら」ということを表現できてしまうわけです。
「私なら…する」という仮定法の場合でも、I would さらには、I'd などと省略されて、日本人だと聞き逃す可能性も高いのですが、前後の文脈から考えて「私なら」という仮定の条件が含まれていることを感じ取れるようになるといいですね。
(Rach からのお願い)
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スタートレック。私は観たことあまりないのですが、
宇宙つながりで、、今はこんなん観てます。
Battlestar Galactica
http://www.scifi.com/battlestar/
結構面白いんですよ〜〜〜!
オススメです!!
仮定法でIfなくて使うやり方って、よくありますよね〜。
日本語でも結構あるのだろうけど、、
あまり意識してないので、わかりません。。
でも英語では結構使っちゃってます^^
応援☆☆☆
それって「宇宙空母ギャラクティカ」ですね。昔見たことあるような気がするのですが、あまりはっきりとは覚えていない。でもタイトルはよく知ってます。最近、新しいシリーズも放映しているのですね。確かに面白そう!
If なしに使う仮定法はよく出てきますよね。わざわざ、If I were... とか言う方が珍しいくらいでしょうね。でも、I'd などの言い方に慣れてくると便利ですよね。結構使っちゃってる、というゆぶさん、さすが!
話がものすごく飛びますが、1969年と言えば・・ いろいろあるでしょうが、
渥美清の「男はつらいよ」ご存じ寅さんシリーズ(山田洋次監督)第一作が封切られたのが1969年の夏。
さくら役の倍賞千恵子がもんのすごく可愛かった。あるいは綺麗だった。(異論はそれほどないでしょう)
で、そのころ、同じ松竹で、フランキー堺と倍賞千恵子の主演で、こちらはかなりくだけたコメディの「旅行シリーズ」(瀬川昌治監督)てのをやってました。かなりおもしろい。(これは異論があるでしょう)
で、同じ1969年の4月に封切られた(映画データベースで簡単にわかる)「婚前旅行」てので、
倍賞千恵子がフランキーをデートに誘う。舞台は長崎。(セリフはうろ覚え)
「ねえ、佐世保に行きましょうよ。」
「佐世保ってねえ。デモに行くんじゃないんだから・・ 」
これ、??でしたが、解説の「エンタープライズ」の項で、反原子力空母、佐世保闘争みたいのが、1968年の1月にあったということで(かなり激しかったようですね)、あ、このことかと納得しました。
時期的にも、「婚前旅行」の撮影は1968年〜1969年?と思われるので、あってました。感謝。
それから、これは前ページなんですが、clear one's throat
コメントで挙げていただいてる
a sound like a cough that you make to attract someone's attention,
or when you are saying something embarrassing
あとのほうのor以下も、映画のどのシーンというんじゃないですが、けっこう馴染みがあるような気がしました。
「こんなことを言って、あなたの気分をこわすのはイヤなんだが・・ 気を悪くされると困るんだが・・ 」みたいな感じ。
たとえばsnob的なキャラなんかよくやりそう。
もちろんsnob的キャラに限りませんが。一般的に気のいい人でもやりそう。「言いたくないなあ・・ でも、言うけど・・ 」みたいな感じ。
それから
なにか言いだすときだけじゃなくて、相手から何か something embarrassing を言われて、それに、真っ向から、威勢良く言い返すんじゃなくて、
「あんたみたいな人に、こんなつまらないことで、いちいち言い返すのもなんだが・・ 」
的に、ちょっとハスから言ってみるsnobなんて感じ。
あるいは、気の弱い人が、「ちょっと、ちょっと待ってよ・・ 」みたいな咳払いとか。けっこういろいろありそうで、個人的に楽しみました。
会話では過去形でいいのですが本当は「If I had been the interviewer」になるのかな、とした場合 意味は例題としては変かもしれませんが私だったら私みたいなものを採用しなかったのに、(面接官は私でなかったので採用された)と言う意味になるのではないでしょうか。I wouldn't have hired me.は過去の推量だと思います、本日のYou should stay here at the coffeehouse.は現在(あるいは未来)のことの言及でやめるべきじゃない(やめていない) You should have stayed here at the coffeehouse.は過去の言及で、やめてしまってるわけですね。やめないでおくべきだったのに残念だったねの意味にしかならないと思います。幼い子供がよくYou should have done it.といってやってしまったことを後悔した時の台詞として言うのですが、発音からYou should of done it.と間違えて覚えるそうです。まず過去形の使い方が何度が言及があったように日本語とは違うし。それに加えて、いくつかあるwouldの使い方は難しいですね。
寅さんはさすがに知ってますが(笑)、「旅行シリーズ」っていうのは知らないなぁ。「佐世保デモ」がそのエンタープライズがらみなんですね。当時の人はよくわかるけど、何年後かに見た人は何が何だかわからない、みたいなことですね。でも、その時代を知ってる人は、「そうそう、そういう出来事があった」とまた感慨深く見ることもできる、っていう。
「咳払い」の話も面白いですよね。ちょっとした仕草にいろんな意味があるというのが。今回の咳払いに関しては、日本人にもわかるニュアンスだなと思いました。clear one's throat でも、ahem (エヘン!)でも、その行為の裏に隠された心情が、きちんと英英辞典で解説されているところが、非常にありがたいと思います。ノンネイティブにとっては、そういう暗黙の了解みたいな部分がなかなかわかりにくいんですよね。
catchさんへ
ご指摘ありがとうございます。
I wouldn't have hired... と「仮定法過去完了」を使っているので、もし条件節をつけるとしたら、If I were 「もし私が面接官なら」ではなくて、If I had been the interviewer 「もし私がその面接官だったなら」になりますね。
で、
If I had been the interviewer としてしまうと、「私が面接官だったとしたら〜しなかった」、「でも実際の面接官は〜をした」ということを示唆することになってしまう、ということですか??
「過去の事実に反対の仮定」として、条件節に仮定法過去完了を使ってしまうと、「もし…だったならば、〜しなかっただろうのに」となって、「しなかっただろう”のに”、実際の状況では(誰かが)〜した」みたいな意味になってしまう、ということかなぁ?
I wouldn't には「私なら…しない」、つまり「もし私だったら」という仮定のニュアンスは入っていますよね? I (will) hire me. 「私が私を採用する」ということはあり得ないことで、「私が採用する立場の人間だった場合には」という仮定の意味が含まれているのだろうと思います。
それで「条件節が言外に含まれている」として、私が勝手に条件節を補ってしまったのですが、わざわざ条件節をつけてしまうと、また違った意味に聞こえてしまう、ということでしょうか??
条件節がなければ、この場合の wouldn't は「過去の推量」で、「…しなかっただろう」になる…と。
もしくは、「過去の意志」とも取れなくもないような…。「採用しようとは思わなかった」みたいな。
条件節をつけると、「私なら…しなかっただろうのに(実際は…)」と「過去の事実に反対のことを述べている」ように聞こえてしまう、ということですね??
だから、ここは、仮定法過去完了の条件節を省略しているのではなくて、I wouldn't have hired me. だけで「私なら私を採用しなかったでしょうね。」と言っている、と解釈すべきなんですね? 逆に If I had been... というのを挿入してはいけない、と。
「?」ばかりでごめんなさい。私が何か勘違いしていたらご指摘下さい。
I should have done it. を、I should of done it. と子供が覚える、というのはよくわかります。should've が、should of に聞こえるんでしょうね。どちらも下唇を噛む「ヴ」ですし。
ネットスクリプトでも、助動詞の後の、have + p.p. の have を of と書いている場合があったように思います。
過去形、現在完了形などは、その時制の概念そのものを理解することと、「その時制を使うことで生まれるニュアンス」の理解が必要ですよね。その「ニュアンス」が、ノンネイティブには難しい部分なのだろうと思います。
I would do it.(私ならするわ)意志だけどするかどうかはわからない。
I would not do it.(私ならしない)意志だけどしないかどうかはわからない。
I would have done it.(私ならしたのに)してない.
I would have not done it.(私ならしなかったとおもう)実際のことでなく過去のそのときの意志。
Rachさんのご指摘「わざわざ条件節をつけてしまうと、また違った意味に聞こえてしまう、ということでしょうか??」ご指摘どおりだと思います。would have PPは言ってくれたらしたのにとか相手に対する思いやりの言動でよく出てくるのですがwould have not PPは過去の否定の言及ですから単独で使われることは少ないようです多くは条件節がついてそれを強調、非難する使い方が多いように思います。条件節の内容があったから事こういう事に至ったという意味の英語が多いように思います。
10-13では条件説に比重がかかりロスを痛烈に非難しています。
Rachel: (sarcastically) Really? Well, it seems to me if you'd done the right thing, I would not have woken up today feeling stupid and embarrassed, (あなたがSEXしてくれていたら起きたときにバカみたいに恥ずかしい気持ちになることはなかったのに)I would have woken up feeling comforted and satisfied!(心地よい満足感で起きることが出来たのに)ロス所為で最悪な目覚めだと言っています。
お返事ありがとうございます。
やはり、上のセリフでは、条件節を補うべきではない、ということですね。
また、would を使った様々な時制の場合分けを説明して下さってありがとうございます。
would have not done という表現ですが、これは would not have done (wouldn't have done) のことですよね?
その例に挙げてく下さった 10-13 のレイチェルのセリフ、「もし…だったなら」「実際に起こったようなことにはならなかったはずだ」「もっと別の違う良い結果になっていたはずだ」と言っていますね。
I would not have p.p. と I would have p.p. の両方を使っているところに、レイチェルの非難の気持ちがよく出ていますね。
それにしても過激なセリフで(笑)、ここの一連のやり取りは本当に面白いです。早く 10-13 の解説やりたいなぁ(笑)。
ここのチャンドラーのセリフ:Hey! How'd the interview go?
なんですが、How'd ってHow would でしょうか? なんかとっても
基本的なことを聞いているみたいで恥ずかしいんですが、How was the interview go? だったら判るんだけど、would??がピンと来ません。
インタビューに行ってきたんだから普通の過去形じゃ駄目なんでしょうかね?wouldが丁寧な表現として使っているのだとして(wouldじゃなかったらどうしよう・・・)チャンドラーとレイチェルの様な友人間で使うのかなぁ? 何度か音読してみたんですがどうしてもシックリ来ないんです(涙)よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
How'd って文字を見ると「へ?」と思ってしまいますよね。これは実は、How did の略でして、How'd the interview go? は、How did the interview go? のことなのです。
the interview 「(レイチェルが行ってきた)その面接」が、どんな風に・どのように go したか(進んだか、進行したか)、つまり、went well 「うまくいった」のか、went wrong 「失敗した」のかを問う疑問文になっている、ということですね。
would や had が、He'd のように表記されるのは、学校英語にも出てきましたが、今回のように、How did が、How'd と表記されるのは、少なくとも私が学生時代の時には見た記憶がありません。ですから私も最初、字幕に、How'd the interview go? と書かれているのを見て、-'d って何の略?と思ったのですが、それをネットスクリプトでは、How did the interview go? と略さず書いてくれていたことがあって、それで私も、did だとわかった、ということです。
改めて調べてみると、研究社 新英和辞典には以下のように出ていました。
'd 【動】【助動】
I [代名詞の主語の後で] had, would, should の短縮形 (参照: I'd)
I'd=I had [would, should]
II [where, what, when などの疑問文で] did の短縮形
When'd he start?=When did he start?
この II が、今回の did ですね。辞書には出ているとは言え、私もフレンズのDVD字幕で見たのが初めてでしたから、こういう表記があることをご存知ない方は多いと思いますので、恥ずかしいと思うことはなにもありません(^^)
前に where などの疑問詞(今回は how)がつく場合に、こんな風に表記される、ということですね。
ありがとうございました! How did・・・だったとは!
最後のgoが引っかかってはいたんです。なんか変だな?って。
これからは 'd を見たら、had would should とdid もあてはめて
推測してみます。やっぱりさすがRachさん♪
ご丁寧なお礼、ありがとうございました。さすが♪と言っていただけて嬉しいです。
did をこんな風に略すなんてことは、学生時代見かけなかった気がするので、そういうことを知るだけでも楽しいなと思えますよね(^^)
I wouldn't have even hired me. について
このレイチェルの台詞は仮定法です。現実には採否を決める立場にないレイチェルが、 "自分を" 「雇わない」と言うには、非現実の言い方である仮定法で言うしかないからです。Rach さんは「勝手に条件節を補ってしまった」わけではありません。
一般に、このような状況での常識的な発想は、「自分が面接官なら自分を雇うのだが」というものになると思います。
If I had been the interviewer I would have hired me.
この文の if 節と帰結節を否定すると、「自分は面接官ではない→雇われない」という常識的な事実に戻ります。
一方、レイチェルの台詞は、採用の見込みが全くないことを強調するため、あるいはユーモアとして「自分が面接官であったとしてさえ自分を雇わない」という、非論理的な発想を含んでいます。
Even if I had been the interviewer I wouldn't have hired me.
この文は、「常識的な」仮定法の文とは帰結節の肯定・否定が逆ですから、if 節と帰結節を否定しても常識的な事実には戻りません。それは当然のことで、元の文が仮定法でないからではありません。
こんにちは。コメントありがとうございます。
こういう場合の常識的な発想は「自分が面接官なら自分を雇うのだが」というセリフになる、というのは確かにおっしゃる通りですね。
それがレイチェルのセリフでは「自分が面接官であったとしても、自分を雇わない」という形になっていて、even のニュアンスのありなしは別にして if節が示している内容は「(実際には私は面接官ではないけれど)もし面接官だったとしたら/だったとしても」のように「レイチェル自身が面接官だった」ことを仮定する同じ内容になっているわけですね。
それでいて、ご指摘の通り「帰結節の肯定・否定が逆」になっているために、それぞれを否定の形にしても同じ結果にならないのは当然というのもよくわかりました。
レイチェルのセリフが「非論理的な発想」であるために、”仮定法は「事実とは反対の仮定」をすることから、仮定法の文であれば、それぞれを否定すると「事実」に戻る”という判別方法が必ずしも当てはまるわけではない、ということになるでしょうか。
通常、仮定法過去完了は、「もし〜だったなら、…していただろうに(実際には…しなかった)」という「実際に起こった過去の出来事が、別の仮定なら違っていた可能性」を語る表現ですよね。
今回は「面接官は私を雇わなかった」というのが「過去の事実」で、「面接官が別人なら私を雇っただろうに」というのが、一般的な仮定法過去完了の形ですね。
それが「面接官が別人でも(例え私自身であったとしても)私を雇わなかった」のように「違う仮定をしても、それが導く結果は同じ」であるところがトリッキーで、「例え私が面接官だったとしても」という意味が I would (not) の would に含まれている、というところまでは見解が同じとして、その先の「結果が違っていただろうに」という意味まで込みで「仮定法」と考えるかどうか、というところが、意見の分かれ目なのかなと思います。
I wouldn't には if 節が言外に含まれていて、それを文章化した場合にはやはり、Even if I had been the interviewer I wouldn't have hired me. となるように私も思います。でもそれだと本来の仮定法過去完了の「もし〜だったなら、…していただろうに(実際には…しなかった)」のような「だろうに」感とは異なるため、「これは仮定法ではなく、過去の推量」というご意見も出ているということですよね。
would が絡むと、本当に難しいです。これについては私も引き続き考えてみたいと思います。
「常識的な」仮定法の文とは帰結節の肯定・否定が逆、というご説明、大変わかりやすかったです。
貴重なご意見ありがとうございました!
レイチェルが I didn't hire me. と言ったとすると、とても奇妙に聞こえます。面接官でないレイチェルが、誰にせよ人を雇わないのは当たり前だからです。
推量とは、ある事柄が事実かどうか確信がないことです。台詞の would が推量だとすると、
I wouldn't have hired me. = It would be that I didn't hire me.
となりますが、「雇う」は自分の意志でする行為ですから、雇わなかった本人にその確信がないことになり、ますます奇妙になります。
直説法の「私は自分を雇わなかったのでしょう」は、日本語だと同じように見えますが、仮想的な仮定にもとづく仮想的な帰結とは本質的に違います。レイチェルが言おうとしていることは、台詞が仮定法でなければ伝わりません。
こんにちは。コメントありがとうございます。
この件については、そもそも私が最初の記事で、If I were the interviewer が省略されている、という展開で話していることが発端でしたよね。それに対して「時制を正しくするならば、If I had been the interviewer になるけれど、それを補ってしまった場合、別の意味になってしまうのでは?」というご指摘があったわけですね。
今、もう一度そこから考えてみたのですが、「それを補うと別の意味になる」のはその通りであると思います。そして本来補うべきは、mqさんが書いて下さった、Even if I had been the interviewer であるとも思います。
ただ一語、even が付いただけではありますが、if が「もし〜なら」、even if 「たとえ〜だとしても」のように、その意味は大きく異なりますよね。「もし〜だったなら、結果は実際とは違っていたのに」というのが本来の仮定法過去完了のパターンで、今回は「たとえ〜だったとしても、状況は同じだった」という意味になるので、そもそも、本来の仮定法過去完了が示す「〜しなかっただろうに(実際には〜した)」というニュアンスにならないのは当然、ゆえに、通常の仮定法過去完了のように「双方を否定にすることで、過去の事実に戻る」という法則が当てはまらないのもまた当然なのだということを改めて認識しました。
コメント欄での一連の議論については、
1. If I had been the interviewer を補うのは間違い。それだと別の意味を示唆してしまう。
2. 正しくは Even if I had been the interviewer と補うべきであった。
そして、
3. Even if I had been the interviewer は「自分が自分自身の面接官であることはあり得ない」ので、仮定法過去を使っている、ということ。
4. この if 節は、「実際に起こったこととは”逆の”こと」を仮定しているのではなく、If I were a bird のような「現実には起こりえないこと」を仮定している感覚。
そういう意味では、一般的に良く使われる形の「過去の非実現」ではない。つまり「状況が違っていたら、別の結果になっていた」という意味ではないので、if 節と帰結節を否定すると事実に戻る、という法則は当てはまらない。
5. I wouldn't have hired me. は、「もしそういうありえない状況を仮定したとしても、私は私(という人間)を雇おうとはしなかっただろう」。主語が目的語を雇うというのは、ご指摘の通り「自分の意志でする行為」ですから、ここは推量ではなく、やはり意志ということで良いように、私も今は思います。
貴重なご意見ありがとうございました。
Rachさん
京都でのセミナー、お疲れ様でした。盛況だったようで何よりです。
久しぶりにブログを訪問しましたら、would have p.p.の議論、まだ続いているようでしたので、コメントをさせていただきます。
前回の投稿(http://sitcom-friends-eng.seesaa.net/article/388471381.html)よりわかりやすく説明させていただいたつもりですので、みなさまにもお読みいただけたら幸いです。
1.まず、次の2つの文を考えてみます。
(A) If I had been the interviewer, she wouldn't have been hired.
(B) Judging from her resume, she wouldn't have been hired.
この2つの文が、それぞれ次のような意味を表わしていることについては、問題はないと思います。
(A) 私が面接官だったら、彼女は採用されなかっただろう(だが、実際は私が面接したわけではないので、彼女は採用された(変だ))。
(B) 彼女の履歴書から判断すると、彼女は採用されなかっただろう。
つまり、(A)は、仮定法過去完了の文で「〜だったら…だっただろう、だが実際は 〜でなかったから…でなかった(残念だ、おかしい etc.)」という意味を表し、(B)は過去の出来事に対する推量になります。
2.ここで確認しておきたいことが2つあります。
1つは、@ would have p.p. の用法には、(A)仮定法過去完了 (B)過去の推量の2通りがあるということです。
もう1つは、A (B)の過去の推量は過去の出来事に対する普通の(何の感情も加わらない)推量ですが、(A)の仮定法過去完了の場合は、字面とは逆のことに対する話し手の感情を表しているということです。つまり(A)は、wouldn't be hired(字面)とは反対に、実際には彼女は採用されていて、それに対して、話者が「残念だ」「意外だ」などの感情を表しているのです。
仮定法では、こうした言外の意味(話者の感情)を理解することが大切だと思います。たとえば、仮定法過去の例になりますが、
If it were not raining now, we could play baseball.
(もし今雨が降っていなければ,私たちは野球ができるのに)
という文では「雨が降っているから野球ができないのが残念だ」という話し手の(残念な)気分を表していることがおわかりになると思います。
※仮定法は、こうした話者の感情を表わすことができるので、会話ではよく使われます。そのため、映画やドラマでもしょっちゅう出てきます。
3.それでは、上の2つの文を主節だけにした場合を考えてみましょう。つまり
(C) She wouldn't have been hired.です。
これはどういう意味になるのでしょうか。
(A)や(B)では、状況を特定するのに十分な情報が文中にありましたが、(C) では、それらの情報がなくなってしまったので、この文だけでは状況が特定できなくなってしまいました。それでこんな場合には、その文が話された【前後】の状況(文脈、コンテクスト)を考えないと仮定法過去完了か過去の推量か判断できないのです。
つまり、B would have p.p. の用法については、その前後の文脈を考えないと判断できないことがあるということです。これが3つ目の確認事項です。
4.さて、ここからが本論ですが、フレンズ3-10のレイチェルのセリフ (D) I wouldn't have even hired me. は、仮定法過去完了か過去の推量かどちらなのか考えてみましょう。
この文は、先ほどの(C)と同様で、前後の文脈を考えないと決められないことは、すぐにおわかりになると思います。
そこで、まず仮定法過去完了と考えてみます。すると、(A)と同じようにレイチェルは「実際には採用された」ことになり、これではストーリーの文脈に合いません。
それで今度は、過去の推量としてみます。すると「採用しなかっただろう」という意味になりますから、文脈に合います。こうして、このセリフ(D)は過去の推量だとわかります。
5.レイチェルのセリフ(D)にIf節を補うことが、このブログで度々話題になりました。最後にこの点について考えてみましょう。
それは、
(a) If I had been the interviewer, I wouldn't have even hired me.
(b) Even if I had been the interviewer, I wouldn't have even hired me.
という2つの補い方です。このような補い方をしたときに(a)や(b)の文がそれぞれどんな意味になるかです。
※このような文が実際に使われることは皆無でしょう。でもここでは、仮にあったとして、どう解釈するのが合理的か考えてみましょう。
ここまでお読みになった方はすでにおわかりのように、(a)は(A)と同じく仮定法過去完了で、(b)は(B)と同じで過去の推量になります。そして4.で述べたように、このストーリーの文脈に合うのは、過去の推量になる(b)の文です。
補説1 (b)の文を仮定法と思われている方がおられるかも知れませんが、条件説(If節)は確かに仮定法ですが、帰結文(主節)は仮定法ではなく、過去の推量です。そう考えないと、(b)も(a)と同じ意味になり、「実際は採用した」ことになります。これでは、ストーリーの文脈に合いません。帰結文を「採用しなかっただろう」と訳すのであれば、それは過去の推量として理解していることになりますから、この部分(帰結文)は仮定法ではないのです。
補説2 「自分の意志行為(hire)に対する推量はない」との議論がありましたが、確かに法助動詞は may, might を除いて意志動詞には付かないということが英文法では言われます(だから推量の would も本来は使えない)。ただ、ここでは、作者(ネイティブ)の頭の中に (E) He(They)wouldn't have even hired me. という普通の自然な文が元の文としてあって、これをベースに主語を I に(無理やり)置き換えて(そうすることで事実に反する仮定条件を持ち込んで(反実仮想))作った文がセリフ (D) です。だから、聴衆(ネイティブ)は当然、元の自然な文 (E) を想起して、それに重ねる形でセリフ (D) を理解します。そのため、ネイティブには推量として違和感なく理解されることになると思います。ネイティブはこうして言葉遊びを楽しんだわけですね。私たち日本人は文法にやや引っ張られすぎてはいないでしょうか。文法でガチガチになると、それが障害になってかえって理解できなくなることがあると思います。言葉は人間が話す(使う)ものですから「ルール無視」はいっぱいあります(コミュニケーションを阻害しない限り)。そこが言葉の面白いところの1つだと私には思えるのですが…。
長くなってしまいましたが、最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
Mr. Spock
Season 9 Episode 17 にロスが冗談で自分の葬式を告知する話があります。心配して電話をかけてきた母親にロスが次のように言います。
Even if I had died, you would not be left childless.
要は、would に条件節とのつながりが感じられるかどうかということになろうかと思います。
Rachさん
こんにちは。
mqさんから、フレンズ9‐17のロスのセリフのご指摘をいただきましたので、改めてコメントをさせていただきます。
mqさん、貴重なご指摘ありがとうございます。前回の拙コメントについて、説明不足を痛感しております。私は英語の専門家ではありますが、Rachさんやmqさんのようにフレンズの「専門家」ではありませんので、ご容赦ください。
1.さて、このコメントをお読みの一般の皆さんのことも考慮して、今回は英作文の課題から始めたいと思います。
まず次の文の英訳を考えてみましょう。
課題1 彼女は、アル中の男と結婚しなかったら、今日幸せだろうに。
(ヒント:アル中の男 = an alcoholic)
皆さんはどう訳されましたか? 私は次のように訳してみました。
(A) If she had not married an alcoholic, she would be happy today.
訳は、英訳でも和訳でも、いろんなバリエーションがありますが、皆さんの訳も大体これに近いものになったのではないでしょうか。
そこで、この英文を考えてみますと、課題1の日本語からもわかるように
彼女は現実にはアル中の男と【結婚した】のですね(過去の出来事)。そのため、彼女は実際のところは幸せ【でない】わけです(【】は強調のために使っています)。
課題1の和文は、そのことを裏から表現しているのですね。つまり
【仮に】アル中の男と結婚しなかったら、今日幸せだっただろうに
と言っているわけです。英語では、こういう過去の出来事に対して、それとは【反対の】仮定をして、もしそうだったら、こうだろうにね、(残念だね、かわいそうだね etc.)と言うときに、(A)のような言い方をします。これを仮定法といいます。ですから、こういう場合、英語に書かれていること(had not married an alcoholicやwould be happy)と実際の事実は【逆】になります。
※ 正確にはIf節(仮定節)は仮定法過去完了、主節(帰結節)は仮定法過去と呼ばれます。
(※はすこし難しい説明を表わします。よくわからない方はスルーしておいてください)
2.さて、ではもう1つ英作文の問題を出します。次の文の英訳はどうなりますか。
課題2 彼女は、まともな男と結婚したとしても、今日不幸だろう。
(ヒント:まともな男 = a decent man 不幸な = unhappy)
これはどうでしたか? 「ああ、こまった!」とか、出来ても「自信がない〜」という方も多いと思います。心配しないでください。外大の英語科の学生でも、これをまともに訳せる人は少ないですから。
代表的な答案例を2つ挙げます。
(B) If she had married a decent man, she would be unhappy.
(C) Even if she had married a decent man, she would be unhappy.
どうですか、どちらが正解でしょうか。検討してみましょう。
(B)は(A)の文と同じ構造(言い方)です。だから、これを日本語になおすと
「彼女は、まともな男と結婚していたら、今日不幸せだろうに」
となりますね((B)は(A)の文とは肯定、否定の関係が逆になっていることに注意してください)。つまり、(B)の英文では
現実にはまともな男と【結婚しなかった】、そのため今日不幸せ【でない】
ことになりますね。
おやおや、これでは課題2とはだいぶ違いますね。この辺で『脳みそが軽く破裂しそうになった』方もおられるかもしれませんね。でも、そうであっても気にしないでください! それは皆さんのせいではなく、この(B)の英文が常識では考えにくい意味になっているからです。だって、現実には「まともな男と結婚しなかったので、不幸せでない(≒幸せ)」と言っているのですから、そりゃあ「わけわかんない!」となりますよね。
では、どうしてこんなわけのわからないことになるのでしょうか。それは
仮定法では、【必ず】If節(前半の文)は、主節(後半の文)に【〜だったら】と続く
からです(この続き方を【順接】と言います)。
ところで、課題2の日本語を見ると、続き方は【〜としても】となっています。つまり、ここでは、前半で述べたこととは(常識的に)反対のことを後半で言っているわけです(この続き方を【逆接】と言います)。こういうときに(つまり、逆説において)仮定法を使うと順接になってしまうために、(B)の文のように「わけわかんない」ことなるのです。つまり
仮定法の続き方は【順接】だから【逆接】の場合は仮定法は使えない
ということなのです。
そこで、(C)の英訳を見てみましょう。仮定法では続き方が【順接】になるので、この(C)の文ではそれを避けるために、IfではなくEven if(たとえ〜でも)を使っています。つまり、仮定法にならないようにするためEvenを付け足しているわけです。そこで、この(C)の英文を日本語になおすと
「彼女は、たとえまともな男と結婚したとしても、今日不幸だろう」
となって、課題2の英訳になっていることがわかります。
3.フレンズの文 Even if I had died, you would not be left childless.の検討
この文はフレンズ9‐17の一番最後のところで、ロスが電話でお母さんに言うセリフです。
日本語吹き替え版や日本語字幕を見れば
「もし僕が死んだって、子供が1人もいないわけじゃないだろ」
というような訳になっているのではないかと思います(私は英語版しか見ておりませんので「思います」としか言えません)。
英語に近い訳をすると
「もし仮に僕が死んでしまってても、お母さんには(今)子供が1人もいないわけじゃないだろう」(拙訳)
となります。
この文について、仮定法なのか、そうでないのかということが問題になるかもしれません。
私は、英語の表現について、その意味と用法(使い方)がわかれば、文法は気にしなくてもよいという立場ですが、どうしても気になる方もおられるかもしれませんので、考えて見ましょう。
結論を言うと、これは前回話題にした文(Even if I had been the interviewer, I wouldn't have even hired me.)と同じく
この文 Even if I had died, you would not be left childless.においては
前半(If節)のhad diedは仮定法、後半(主節)のwouldは推量の法助動詞です(簡単に言えば「現在の推量」ということです)。
理由は、2.で述べたように、後半も仮定法とすると【順接】になってしまって、意味が通らなくなるからです。
蛇足になりますが、なぜ前半がなぜ仮定法になっていて、直説法(Even if I died)にすることができないのかというと
直説法では、可能性がゼロの条件は表現できないからです。ロスはまだ生きていてお母さんと話しているのですから、こんなときにdied(直説法)は使えないのです。
※ 可能性がゼロの条件のことを却下条件といいます。
これに対して、仮定法は可能性がゼロの条件にも、可能性がゼロではない条件にも使えます。ですから、had died(仮定法)はOKです。
※ 可能性がゼロでない条件のことを開放条件といいます。
これについては、If I were (was) youとは言えても、If I am youとは言えないことや、
If you got a million dollarsもIf you get a million dollarsもどちらも使えることを考えてみてください。
いつも長いコメントになって申し訳ありません。
仮定法についての議論、これでおしまいにしたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
Mr. Spock
英語では、一般に時制をひとつ過去にずらすことで仮定法であることを示します。次のロスの台詞は、仮想的な仮定にもとづいて仮想的な帰結を述べた典型的な仮定法の文です。
Even if I had died, you would not be left childless.
この would が推量でないことは自明ですが、リーダーズ英和辞典の would 2b に「条件節の表現されていない文で」と書かれていることからもわかります。なぜ推量の would に条件節が伴わないかについては、研究社・新英和大辞典の will 7 と would B2 が参考になります。
Even if で始まる仮定法の文は一種のレトリックです。レイチェルは自分が不採用になったことを確信していて、自分自身に憤慨しています。 I wouldn't have even hired me. が仮定法の文と感じることは、自然なことと思います。
(ここでは、subjunctive mood の意味で「仮定法」という言葉を使っています。特定の論理的パターンは考慮していません。)
まずは京都セミナーへの温かいお言葉ありがとうございます。
would have p.p. の話は、本当に深いですよね。またこの議論にご参加いただけて嬉しく思います。
mqさんへ
even if を使った、フレンズでのセリフの例を挙げていただき、ありがとうございます。even if について考える良い機会を与えていただけたこと感謝です。
お二人のコメントを拝読させていただいて、「仮定法」と「推量」と "even if" について、私が感じたことを以下に書かせていただきますね。まとめレスとなってしまいますこと、ご了承下さいませ。
まず、仮定法について。
「仮定法か過去の推量か」という意見の相違は、「何をもって仮定法とするか」という仮定法の捉え方の違いが一つの大きな要因となっているように感じます。
「何が仮定法か」につきましては、お二方がそれぞれのお考えを詳しく書いて下さっていて、それに対して私がお返事の中で意見をまとめてしまうと、本来のお二人の意図と違うものになってしまう可能性もありますし、Mr. Spockさんからも「仮定法についての議論、これでおしまいにしたいと思います」とのお言葉もありましたので、私はこれ以上の意見を述べることは差し控えたいと思います。
次に「推量」について。
Mr. Spockさんの補説2 での He (They) wouldn't have even hired me. を「主語を I に無理やり置き換えた」ものとしてネイティブは理解する、というお話、とてもわかりやすく納得できるご説明だと感じました。
「主語が私だったとしても採用しなかっただろう、しなかったでしょう」などの日本語訳ではなかなか「意志」と「推量」の違いが出てきませんが、この wouldn't have p.p. は、採用される側を主語に持ってきた 1. (B) の過去の推量と同じ、ということですよね。
「ありえない仮定をした場合に、こういう結果になるだろう」という話者の推量を述べている、「採用しなかっただろう、”採用しない”という結果になっていたでしょうね」という、主語の行為を客観的に見ているような「過去の推量」に当たる、ということになるわけですね。
ここでレイチェルが言いたいことは「もし私だったらどうしたか」というレイチェルの意志ではなく、「面接官(主語)が誰であれ(例え私自身であったとしても)、私は雇われなかっただろう」という「どう状況が転んでも、私が雇われることはなかっただろう(それくらいの大失敗)」ということなんですよね。
今回のレイチェルのセリフは「自分が自分を雇う側だったとしたら」というありえない状況を仮定しているわけですが、そこで「行為者である主語が自分」であることから would は意志を表す、というような分析ではなく、自然な英文なら He/They など「もし別の人が面接官だったとしても」となるところを「もし自分自身が面接官だったとしても」という究極の別人(自分自身)という設定にしているだけであって、He/They の時と would have p.p. のニュアンスは変わらない、「他の人でも採用しなかったでしょう」→「それが仮に私自身であったとしても採用しなかったでしょう」というように、日本語の「でしょう」で表されている部分はどちらも推量である、ということなのですね。
最後に、even if について。
mqさんが例に挙げて下さった "Even if I had died, you would not be left childless." は、「例え僕が(その時)死んでいたとしても、ママは(今)子供なしで残されることにはなってないよ」ということですね。
if節が had p.p. で、帰結節が would という時制のずれはありますが、これも「例え〜だったとしても」という譲歩のニュアンスで、現実にはあり得ないそういう仮定をしても、実際にそうなっていたところで、結果は変わらない、ということですよね。
even if の語義について、LAAD では以下のように説明されていました。
even if : used to say that something will not have any effect on a situation
例) I'll never speak to her again, even if she apoligizes.
つまり、「あることが状況に何ら影響を与えない、ということを言うために使われる」。例文は「僕はもう彼女と二度と話さない、例え彼女が謝るとしても」。
even if というフレーズの語義説明として、「あることが状況に何ら影響を与えない」ということがはっきり書かれてあるのが非常に興味深いと感じます。
even なしの if節と、even if との違いを日本語訳に出してみると、
if I had died:死んでいたとしたら/even if I had died:死んでいたとしても
if I died:死んだら/even if I died:死んでも
のように「〜したら/〜しても」という違いが出てきますよね。
日本語で「もし死んでいたとしたら」と聞いた瞬間に「違う結果になっていた」という続きが想定され、「もし死んでいたとしても」だったら「結果は同じだった」という続きが来ることが想像されますので、それと同じようなことは、英語の if / even if にも当てはまるような気がします。
今回のレイチェルのセリフで言うと、Oh, I blew it. I wouldn't have even hired me. に何か文章を補う場合、
Oh, I blew it. Even if I had been the interviewer... だったら、「失敗しちゃった。例え私が面接官だったとしても…」と聞いた時点で、「結果は同じ」という帰結節が来ることが想像されるでしょう。
それをもし、Oh, I blew it. If I had been the interviewer... にしたとすると、「失敗しちゃった。もし私が面接官だったのなら…」の後に、「事実とは反対の結果が来る」かのように聞き手にイメージさせてしまうような気がするのですね。
if と even if とで導く帰結節の内容が異なることを考えると、やはりこの even のあるなしは重要であるように思います。
If I had been the interviewer... 「もし私が面接官だったのなら…」のように言ってしまうと、「もしかして結果は違ってたって話?」と相手に思わせておいて、「結局、結果は同じだったろうけどね」のような「期待させておいて拍子抜けさせるオチ」として使われる場合の言い回しになってしまうように思うのです。
私たちはそうやって物を買う フレンズ1-1改その29
http://sitcom-friends-eng.seesaa.net/article/444622377.html
で、
チャンドラー: If I don't input those numbers... it doesn't make much of a difference. (もし俺があの数字を入力しないと… 大して違い[影響]はないけどな。)
というセリフがありましたが、これも本来の意味は「例え俺があの数字を入力しなくても、大して違いはない(結果は同じ)」という even if のニュアンスであるところを、わざと if節で表現している面白さ、「もし入力しなかったらどうなっちゃうの?」と相手に期待させておいて「別にどうにもならないよ」と落とす面白さを出す効果があると思うのです。
今回のレイチェルのセリフで、もし if I had been the interviewer と補ってしまうと、それはこの 1-1 のチャンドラーのセリフの If I don't input those numbers と同じようなニュアンスになってしまうのかなぁ、と。
最初に記事として書いた時に、日本語訳自体は「もし私が面接官だったとしても」のように譲歩のニュアンスを込めていたにもかかわらず、英文としてそれを補う際に、Even if ではなく、単に If としてしまったことが、この議論の発端だったのだろうと思います。
記事中で、Even if I had been the interviewer と書いていれば、補う英文としては正しいもので、文脈上も自然な繋がりになるし、「例えそうだったとしても結果は同じだった」という譲歩の文であることから、「面接官は私でなかったので採用された」ということが示唆される可能性もなかっただろうと思います。
いろいろな記事のコメント欄も読んで下さり、一緒に解釈を考えて下さること、感謝申し上げます。
興味深いコメントの数々、ありがとうございました<(_ _)>