2008年06月03日

日本語訳は危険か有用か

昨日の記事、脱ぐのか捨てるのか フレンズ3-13その24 で、
海外ドラマの日本語版を制作するに当たっては、「脱ぐ」でも「捨てる」でもどっちでもいい
と私は書きました。
それは、海外の作品を日本語に置き換えたものとして見る場合、ストーリーの流れがわかればそれでいい、ということがあるからです。

「どっちでもいい、だって!?」とお怒りになる方がおられるかもしれませんが、過去記事、日本語字幕の限界?(その2) で語っているように、「DVDの日本語字幕・音声(吹き替え)は英語学習者のためのものではない!」、つまり「海外ドラマのDVDは、英語学習用に英語学習者のために作られたものではない」のです。
ですから、英語を厳密に訳していない部分も多々あります。
だから、「日本語訳がこうなっていたから、こういう意味なんだぁ…」と思い込んでしまうのはある意味「危険」でもあります。

それが危険だとは言え、実際のところ、そういう日本語の情報を一切使わないで英語スクリプトだけを頼りにその意味を類推することは、かなりの英語力がないと出来ないことだろうと私は思っています。
英文の構造をちゃんと掴める人でないと、それはつらいんじゃないかなぁ、と。
そもそも、本当に日本語の情報なしで見ていたら、ドラマのストーリー展開がわかりません。
ドラマはそんな単純なものではないのです。
目で見てわかること(具体的な行為、キャラクターの喜怒哀楽)だけでは、話の内容を把握するところまでは行かないですよね。

私の個人的実感では、TOEIC900点超えをしたくらいの頃なら、そういう日本語情報なしでもやっていけそうには思いました。(そりゃあ、あまりにも遅すぎる!という人もいるかもしれませんが…笑)
今なら、見たことのない映画でも、スクリプトを示してもらえれば、それなりにセリフの掛け合いや、セリフのジョークもわかるような気はします。

そんな私でも、今でもDVDの日本語ではどう訳してあるのか?を常に知りたいと思ってしまいます。
その日本語を見て、自分があまりにも初歩的な解釈間違いをしていたことに気付いたり、「やっぱりここはすっと日本語には訳せないよなぁ。ここは日本語とのギャップが深い部分だよなぁ。」と思ったりするわけですね。
その「日本語との比較」がとても楽しいのです。
そうやって「母国語と比較することで、外国語を学ぶ」という方法も、絶対に「アリ!」だと。
全ての人にそれを押し付けるつもりはありません。
私はそうやって学んで来た、だから、私のような方法が合っている、という人も必ずいるはずだ、と思うのです。

もちろん、「日本語なしで、英語だけでやってみる」という人は是非そうして下さい。
私はそれを否定していません。
そうやって素晴らしい英語を身に付けたという人も知っています。
「英語の字幕、英語のスクリプトを使って、英英辞典で調べる」という行為が、英語力を伸ばすことに繋がるのは間違いないです。
ただ、私はそれは「初心者にはあまりにもハードルが高すぎる」と思っていて、私のように、ある程度までは日本語を使って、それでかなり英語そのものに近づけるようになったら、そこから「英語のみ」の方法に切り替える、というのもアリだと思っているのです。
過去記事、英英辞典に切り替える時期 でも述べましたが、最初は英和を使っていて、それから英英に切り替えてもいいじゃないか、と思うのです。
それは個人個人の判断で、どちらが絶対に正しい、ということはないと思います。

だから私は日本語を使う限界を知りつつも、「Rach流DVD学習法」として、日本語字幕・音声を使う方法を提唱しています。
「こういう意味なのか…と思って辞書を調べたら載っていないので、もう少し深く調べてみる」、その作業の積み重ねが英語力を伸ばすことに繋がるのですね。
だから、最後の5段階目の英語字幕の段階で、自分で辞書で調べる作業が必ず必要になってきます。

私がこのブログで書いている「私なりの日本語訳」も、私はいつもそれを「叩き台」だと思っています。
その英語のセリフが理解できている、と主張しても、「どの程度理解できている」のか、他人様にはわかりません。
ですから、「日本語で言うとこんな感じだと受け止めている」という意味で、日本語訳を示しているのですね。
すると「それはちょっと違うんじゃないかな?」というご意見をいただける。
そして、本当のニュアンスはこういうことじゃないかな?と議論してそれを突き詰めていくことができるのです。

日本語で英語のニュアンス全てを伝えることは不可能だろうと思います。
また、「完全に日本語に置き換える」ことも不可能だろうと思っています。
でも、英語でそれをわかった気になっても、実際に母国語で言うとこんな感じだろう、と詳しくニュアンスを説明できない間は、それはやはり「まだよくわかってない」ということなんだろうと思うのですね。
日本語を母国語としている人が、英語のニュアンスを日本語で説明できないとしたら、結局、英語のままでも、噛み砕いた英語に直せない、ということだと思うのです。
わかっているのなら、ロングマン英英辞典の語義のように、簡単な英語で説明できるはず、それができるなら、日本語でもそれを説明できるはずだ、と思うのです。

私が付けた日本語訳とその解説、それを叩き台として、今まで読者の方にたくさんのご指摘をいただき、多くのことを学ばせていただきました。
だから、やはり、私が日本語訳を付ける、という行為は間違っていなかったのだと思っています。
そして、DVDの日本語訳を使うという行為も、とても意味のあることだと思っています。

DVDの日本語訳に振り回されることなく、それを上手にヒントとして使えるようになったら、DVD学習法が自分の方法として確立してきた、ということになるかな、と思います。
そういう距離感を掴んでいきたいですね。


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posted by Rach at 10:15| Comment(4) | 英語学習のコツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここでは、throw awayでもtake offでもなくthrow offを使っているところが作者の言葉選びの感覚と言うものなので、Rachやんの言う通り、それを日本語で脱ぐか捨てるかと考えるのはどっちでもいい、私ならもっと言ってしまって無駄と言っちまいます。
ここでは、throw offに脱ぐ・捨てるの両方のニュアンスが込められているのだと言うことを、日本語での説明を求められたときにできるなら完璧なのだと思います。

私は編み物をする人なのですぐ例えがそっちに向くのですが。
ある太さの糸を編むのに、最適な針の太さと言うのがあります。日本の規格とアメリカの規格は違うのです(もっと言うとイギリスもヨーロッパもそれぞれ違う)。アメリカ規格の針のセットを持っている人がUS 3(径3.25mm)かUS 4(径3.5mm)かで悩むところを、日本規格のセットを持っているなら日本の4号針(径3.3mm)でぴったり、と思って悩まないかも知れません。もちろん日本規格でも同じ糸に対して4号がいいか5号(径3.6mm)がいいかと悩むかも知れません。大事なのは、そこで日本の8号(4.5mm)や0号(2.0mm)を持ってこないこと。そこがセンス/知識と言うものです。

シチュエーション(糸)によっては、英語(アメリカ規格の針)がばっちりハマることもあるし、日本語(日本規格)がぴったりくることもある。でも、それをもし持ってなくても、近いところで最善を尽くすことはできる(翻訳)ということでしょうか。

最適な針を選ぶ(=その場にあった表現をする)には、日本でもアメリカでもいいから、抜けている号数がないようにする(=いろんな表現を覚える)事が大事ですね。
そして、もしも自分が細い糸しか編まないなら、太い針はほとんど必要ないのです。これは、極端な隠語などは知らなくてもいいということと同じかも。必要ないものは持たなくても困らない。でも、細い糸を太い針で編むとレースっぽいものになるように、表現を広げることは可能かも知れません。

・・・私?日本でむかーしむかし(まだRachやんと出会って間もない頃)買ってもらっていた日本規格の編み針と、アメリカ生活でやっぱり欲しくなって購入したアメリカ規格ものと、両方持ってます。コレクター魂、と言うのではないけど、ほら、vocabularyは多いにこしたことないから : P)
翻訳をする努力を放棄した、と言うことでしょうか。
Posted by おちか at 2008年06月04日 22:27
おちかちゃんへ
コメントどうもありがとう!
私の説明がちょっと紛らわしかったと思うのだけど、実際のセリフは、throw off ではなくて、throw out になっていたんですよ。でも、DVDの日本語訳では、throw off のニュアンスで訳してあったので、実際のところはどうなのかな、リチャードはどういうつもりで言ったのかな?というのを、くどくどと考察してみたのです。

off の場合は「分離」だから「脱ぐ」で、out の場合は「外へ」だから「捨てる」だ、ということだろうとは思うけど、同じ throw という動詞を使っているし、結局は「捨てる」にしてもまずは脱がないといけないわけだし、もしかして「脱ぐ」というニュアンスで使っているということもあり得るのかなぁ?と最初は思ったのですね。
今のところの私の結論は、やはり「捨てる、処分する」という意味で言っているのだろう、と思うのですが。

編み針の話は面白いですね。規格が違う場合に、全くトンチンカンな違ったものを使おうとしないこと、まさに「そこがセンス/知識と言うものです」よね。
同じ料理を作るにしても、日本産とアメリカ産では野菜の質や味が違っていたりして、全く同じものは作れない、でも、限りなく近い素材で作ることで、それにかなり近いものができたりもしますね。
言語もそうで、別言語である限り、全く同じイメージを共有することはある意味不可能なのでしょう。どこまでそれに迫れるか、ということです。

使わない言葉は使わない道具と同じですね。使う必要のない言葉・道具は手に入れる必要はない、でもあったらあったでそれが何か別のことで役立つこともある、ということでしょうか。

やっぱりアメリカの編み糸に一番しっくりくるのはアメリカの編み針で、そういう意味では英語の本当の意味を理解するにはやはり英語のままで理解するのが一番しっくりくる、ということです。だから編み針に少々の違和感を感じるのならば、一番しっくりくるものを手に入れる、というのが賢明な結論ですよね。そこでムリに自分の持っているものに合わせる必要もない、日本語での代用品(翻訳)を探す必要もない、ということでしょう。
全てを日本語に置き換えて理解しようとすることの限界もそこにあるのでしょうね。

規格の話からちょっと脱線ですが、時速○マイルと聞いてそれを早いと思うかとか、華氏○度と聞いて暑いか寒いか瞬時にわかるかどうかみたいなものもその一種かもしれないと思ったり。
最初は、それを時速○キロに換算してみたり、摂氏に直してみたりするのですが、ずっと暮らしていくときっと、マイルや華氏のままでも感覚がつかめてきますよね。それは「アメリカ生活の規格」になじんできた、ということになるのかなぁ、と。

編み物かぁ…最近してないです。独身の頃は、主人にせっせとセーターを編んであげたんだけど(笑)。
Posted by Rach at 2008年06月05日 10:31
なるほど、throw outなのね。だったら、「捨てる」の気持ちかな。

娘の英語を聞いていて、重要なのは動詞よりもむしろその後にくっつく前置詞の方か、と思うこともあります。
お風呂の前に、私のシャツについてるシールを見つけて、「I'm gonna take it OFF!」と「お手伝い」できるのがうれしくて勝ち誇ったように言うのをお父ちゃんが聞いていて、「。。。きっと、わし、removeとか言ってしまう」と感慨深くなってました。
(ちなみに娘の語彙には「シール」はありません。sticker。)
電気つけて/消してちょうだい、と娘に頼むときに、そのときの口の調子によってturn on/offと言うときもあり、put on/offと言ってしまうときもあり、なのですが、どっちでも通じるのできっと彼女はon/offだけを聞いて理解してるのでしょう。

セーターの話。
アメリカのknitterの間では、「the Sweater Curse」と言えば通じるのですが、ピンと来ますか?
・・・独身のknitterが、おつきあいしてる男性にセーターを編むと振られる、というジンクスの話です。実際には関係なかったよ、と言う人も結構いるのですが、それを気にして本当は編みたいのに我慢してせっせと帽子やマフラー(一瞬思い出せなかったあ。scarfなのよね)を編み続ける人もいます。それをネタにした編み物の本もあるくらい。Never Knit Your Man a Sweater (Unless You've Got the Ring) という題で、要するに男性用のgarmentのパターン本なのですが。
私自身もだんなに編んだけど無事(?)結婚して12年(だったよなぁ・・・確か)過ごしているし、Rachやんも含め、日本人の友達の中には「結婚前はセーターとか編んだけどねえ」という人が多いので、このcurseは日本人には作用しないのかなぁ。これも「規格の違い」かも(笑)
Posted by おちか at 2008年06月05日 21:48
おちかちゃんへ
お返事ありがとう。
そうそう、前置詞って大事ですよね。その前置詞の感覚を養うことが英語を学ぶ上ではとても大切だと思います。on は「接触」で、off は「分離」という概念を理解していると、それのついた句動詞の意味を理解し、覚える時に大変助かります。そういうのを基本単語と合わせていろいろ組み合わせていけるようになるとボキャブラリーって広がりますよね。

the Sweater Curse の話、面白いです! それが「ジンクス」として広く知られているわけですね。その本のタイトルも笑える。「婚約指輪か結婚指輪をもらう前(つまり独身の時)には、男性にセーターを編んではいけない」ってことですね。
ちょっとびっくりしたのは、knit という単語は目的語を2つ取る、つまり、SVOO の形を取ることもできるんですね。つまり、"knit a person a sweater" で、「人にセーターを編んであげる」という意味になる、と。やはり編み物というのは、基本的には「誰かさんに編んであげるもの」という認識なんでしょうね。

私も結婚前に3回編んだけど、今のところは無事に過ごしています(笑)。でも、最近は日本でも、「彼女の手編みのセーターは”重い”」と思っている男性が多い、みたいな話が日経新聞に載っていたような気がします。「着てはもらえぬセーターを♪」ではないけれど(ちょっと古い)、「一目一目心を込めて編みました」とか言われると、却って負担に感じてしまう、というのはありそうですね。そのうち、日本でもその curse が市民権を得るかも。
Posted by Rach at 2008年06月06日 12:47
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