青春出版社から、この9月に発売になった、晴山陽一さんの「英語にもっと強くなる本」を読みました。
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英語にもっと強くなる本 (青春新書INTELLIGENCE (PI-212))
本の帯に
英語上達のコツは、「英語特有のクセ」を知ることです!
と書いてあります。
私もその点には全く同感です。
そして、この本では、そういう「英語特有のクセ」、つまり、日本語とは大きく異なっている部分を、日本語と対比する形で紹介しています。
英語という外国語を学ぶ場合に、単語や細かい文法事項、用法など、知識を積み上げていかなければいけない部分は確かにありますが、そもそも「英語とはどういう言語か?」「日本語と根本的にどこが違うのか?」ということが掴めないと、実際に英語を使えるようにはなりません。
英語の試験対策として、問題集や参考書をたくさんこなしているけれど、それが実際に自分が英語を書く、話す時に生きてこない気がする、と思う方は多いかな、と思います。
そういう方こそ、こういう「英語特有のクセ」があることを理解し、「英語の本質」というものを見極めた上で、そういう知識を活用していくようにしていったらよいのでは?と思いました。
日本語とは異なる英語のクセがたくさん挙げられている中で、いくつか典型的なものを取り上げたいと思います。
p.20 物事を動かす主体としての「人間」をできる限り表に出そうとするのが、英語的発想の特徴である。(中略) これに対し、日本語は、主体としての「人間」を隠そう隠そうとする。物事があたかもひとりでに動いているような言い方を好む。「人間中心主義」に対し、「ことがら中心主義」とでも言ったらよいだろうか。
p.29 (無生物主語を例に挙げて) 「物」であれ「人」であれ《行為の主体を重んじる態度》
p.21 では、日本人が英訳をよく間違える「ここはどこ?」が例として挙げられています。
日本人はその日本語を直訳して "Where is here?" などと言ってしまいがちですが、正しい英語は "Where am I?" になります。
これも「ここはどこ?」という日本語では、ここにいるべき「私」という人間が、言葉の中では隠れてしまっているのですね。
第3章 すべての英文の背後には "I" が潜んでいる
p.43 日本語では強調される場合以外は「私」や「あなた」を言葉に出すことは稀である。これに対し、英語の会話では「 I と you 」を使わずにコミュニケーションをとることは不可能に近い。
p.50 英会話とは、中身が何であれ、結局は「 I と you の間に成立するドラマ」なのだ。そのことを、英語の場合は、発言の1つ1つで確かめ合っていると言ってもいい。
p.54 では、英語と日本語の違いを際立たせるため、英語にある I と you を全て「私」「あなた」と訳出した日本語を紹介しています。
これを読むと、「あぁ、確かに日本語では、いちいち、”私”や”あなた”が入ってくると、違和感がある」ということに気づくでしょう。
私もこのブログでフレンズのセリフを訳している時に、そこが英語と日本語の大きな違いの一つだ、ということに気づきました。
何か自分の意見を言う時に、英語では、I think とか、I guess とかが最初につくことが多いですが、それをいちいち、「…と思う」「…と推測する」と日本語の文の最後できっちり訳出してしまうと、日本語として変な感じがしてしまいます。
I think that... のニュアンスをどうしても出したい場合は、あえて訳すならば、I think that... 「僕が思うに、…」みたいになるでしょうが、それも、なんとなく「とってつけたような感じ」も否めません。
これと関係する話が、マーク・ピーターセンさんの 続・日本人の英語 (岩波新書) にも出てきます。
「続・日本人の英語」からの引用部分は、緑色で書きます。
p.121 隠れた意志
「マークも行けば?」
「ええ? 僕も行くんですか?」
英語なら、同じことを
You mean you want me to go, too? (つまり、僕にも行ってほしいってわけ?)
Are you saying I should go, too? (僕も行った方がいいと言うんですか?)
などのように表現し、たいていの場合、人の意志や判断(すなわち、人の「つもり」)を明らかにしようとする。
(中略)
英語では、決して
What? Am I going, too?
あるいは、
What? Will I go, too?
とは言わない。なのに、(日本語の)「僕も行くんですか」を聞くと、単純に "I'm going, too?" や "I'll go, too?" のような英語しか浮かんでこないのである。
(中略)
「僕も行くんですか」という日本語のどこを捜しても、相手の「つもり」は見つからない。いわば、意志が「隠れている」のである。
(中略)
「つもり」をはっきりさせない「美学」は日本語の一部である。
英語を日本語に訳す場合に、I think などといちいち訳さないようにする、というのは簡単な話です。
が、日本語で省略されてしまっているそういう「話者の”つもり”」を、英語を使う時には、隠さずきちんと示さなければならない、という部分が、日本人にとっては盲点なのですね。
ピーターセンさんが訳されたように、You mean... や、Are you saying... で文章を始める、という感覚を、日本人が英語を作る場合にも持たなくてはいけません。
日本語は「…だろ?」「…だよね。」「…だったっけ?」「…じゃないかなぁ。」「…だってば。」みたいに、バリエーションに富んだ語尾変化で、文の最終的なニュアンス、つまりは「話者の”つもり”」を出そうとします。
そこにはいったいどういう「つもり」が隠されているのか、ということを、きちんと英語に訳出しなければ、英語圏の人に話が通じない、ということになるわけです。
第7章 英語動詞の”腕力”
p.125 英語は”変化”を”行為”として表そうとする!
「英語にもっと強くなる本」の p.126 では、SVOの第3文型の例文を挙げて、英語動詞の”腕力”について説明されています。
Steam drives machinery. 蒸気は機械を動かす
Wires conduct electricity. 針金は電気を伝える
これらの文における英語動詞の”腕力”の強さを表すためには、俗な言い方になるが「〜しちゃう」という言葉を補って訳すしかないように思う。たとえば、「蒸気は機械を動かしちゃう」とか「針金は電気を伝えちゃう」といった訳し方だ。
これに対し、日本語はむしろ自動詞的な表現を好むように思う。すなわち、
「機械は蒸気で動く」
「電気は針金を通して伝わる」
といった表現法だ。これでは、主体としての蒸気や針金の”頑張り”は感じられなくなるのである。
「頑張り」という言葉がなるほどなぁ、と思うのですが、何が動かすのか、何が伝えるのか、という、主体が誰・何であるか、という部分を、英語は明確にしようとしますね。
また拙著の話になって恐縮ですが(笑)、拙著 シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の p.35 で、日本語とはまったく異なる「英語のスピリット」のような部分 について触れています。
そこでは、exciting と excited 、annoying と annoyed の違いを説明しているのですが、
他動詞では「何が何に対して作用しているのか」という力の向きが非常に重要なのです。
と私は書いています。
英語ではそういう「腕力のある他動詞」を使うことで、SがOに対して、Vという行為を行っている、ということが明確になるのですね。
英語は「人間中心主義」、日本語は「ことがら中心主義」という晴山さんのお言葉通り、物事を動かす主体としての「人間」(または物も可)をはっきりと示すのが英語の特徴だ、ということになるのですね。
第10章 英語は流れ、日本語は落ちていく!
p.175 日本語は本来「縦書き」の世界だ。つまり重力に従って、下に向かって落ちていく世界である。これに対し、英語は「横書き」の世界で、これは重力に逆らって、横方向に流れていく世界だ。
p.177 英語が横に流れるためには、重力ではなく初期動力(イニシャル・インパルス)が必要となる。それこそ「S+V」というすべての英文が装備している《バネ仕掛け》の正体だったのである。
p.180 「上下の言語」と「左右の言語」
重力に従って下に落ちていく日本語では、「被修飾語」は常にいちばん下ですべての修飾語句を受け止めなくてはならない。これに対し、横に流れる英語では、修飾語の問題は「上下」ではなく「左右」の配置の違いの問題なのだ。軽い修飾語は先行して左に、重い修飾語は後ろに回って右に、というわけである。
晴山さんがおっしゃるように、日本語は「いちばん下ですべての修飾語句を受け止める」という性質がありますね。
今のように横書きが増えている現代においても、「下(あるいは最後)で受け止める」という日本語の基本的構造は変わっていません。
それで、日本語にない関係代名詞を使った文章を日本語らしい文章に直そうとすると、「訳し上げ、後ろから前に訳す」ことが必要になってきたりするわけです。
でも、英語を英語のまま読む場合、「左から右へ流れる」という英文の性質を考えると、そういう「訳し上げ」は非常に不自然な読み方であることがわかりますね。
日本語は「下で受け止める」傾向にあり、修飾語だけではなく、メインの動詞も一番最後に持ってきて、文を締める、という傾向にもあります。
その日本語の感覚を、つまり「縦書き・上下」の感覚を、英語を読む・聞く時に持ち込もうとするから、英語をあの語順ですんなり理解することができなくなるのですね。
英語は左から右へ流れるものだ、ということは、わかりきった事実のようでいて、左から右へという流れは日本語と異なる感覚である、ということをよく認識すべきなのだろうと思います。
p.181 (日本語は「上下の言語」、英語は「左右の言語」という)このような発見をできるのも、やはり「日本語原文とその英訳」をセットにして学習する時である。だから、私は日本語という「補助輪」を付けて英語を考えることに、大きな価値を認めている。どうせ英語を学ぶなら、表層的な翻訳ではなく、このような深いところでの両言語の特質の違いにまで注意を向けたいものだ。
英語と日本語を見比べてみてわかること、というのは確かにあるはずです。
私も、フレンズのセリフに自分なりの日本語訳を付けるという行為を通して、「日本語ではこんな風に言わないなぁ」という「英語らしい表現」にたくさん気づくことができました。
英語を日本語に訳す、ということは英単語を日本語の訳語に置き換えることではないのです。
その英語をイメージし、ニュアンスをつかみ、それを日本語にするとこんな感じ、と訳してみて、それで改めて二者を比較する…そこで、日本語では、I や you をいちいち言わないこと、などを発見するのですね。
私は英語を学んでみて、you という単語は何て便利なんだろう、と思いました。
相手が目上でも使えますよね。
逆に日本語では「あなた」という言葉を使う機会があまりありません。
コメントのやり取りをしている時にいつも思うのですが、英語風に「あなたが言うように」と書いてしまうと、ものすごく傲慢な感じがしてしまいます。
日本語では、相手のことを「あなた」と呼べる間柄は限られているように思います。
それで「誰々さんがおっしゃるように」という書き方にならざるを得ません。
(相手に対して敬意を表したい場合は、このように敬語を使うことにもなります。)
それをただ、you で済ますことができる英語はラクだ…というか、それだけ、英語では you が頻出し、日本語ではそれだけ「あなた」という言葉を使わずに話が進む、ということでもあるのですね。
「日本語だったらこう表現する」と比較することで、普段日本語を使う際には意識しない部分を、英語を使う時には意識していかなければいけない、ということに気づくのです。
英語を習得するためには、単語・文法…といろいろ必要なことがあるでしょう。
でも、一番大切なのは、こういう「英語独特のクセ」を理解した上で、実際に生きた英語に当たり、「これもそうだ、あれもそうだ」と英語独特の感覚、英語的発想を自分のものにしていく、ということです。
文法の穴埋め問題は得意だけど、英語がとっさに口から出てこない、という場合は、まず、「英語とはこういうものだ!」という大きな部分での理解から始めてみてはいかかでしょうか?
文法の穴埋め問題のような、「ここは、to 不定詞か、-ing か?」というような細かい用法は、ざっとした文章が書けた上で、より正確な文章にするために使うものに過ぎません。
話す、書く場合に必要なことは、「まず出だしを何で始めたらいいか?」、つまりは「基本的な文章の構造をどうしたらいいか?」という大きな部分です。
私がこれまで英語に触れてきて、漠然と感じていたことを、この本で晴山さんがうまくまとめて下さっていると感じました。
とても面白い本でした。
英語と日本語の違いから、英語特有のクセを知りたいという方、是非、晴山さんの「英語にもっと強くなる本」を読んでみて下さい。
(Rach からのお願い)
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2008年11月25日
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