ピッツバーグ大学の白井恭弘先生が書かれた本、外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書) を読みました。
日向清人先生の ビジネス英語雑記帳 の10月の記事、(上)なぜ英会話ができないのか−−会話特有のスキルを考える でも、日向先生がこの本を「強くお勧め」されていました。
日向先生がお勧めされる通り、とても興味深い本でした。
この本のポイントは「科学」の観点から、第二言語習得という行為を見ていることです。
私のように独学で英語を学び、自分なりの学習法を確立したつもりになっている(笑)人間にとっては、実証的研究に基づいた客観的、科学的な見方で言語習得についてじっくり考えることが必要だと思いました。
この本では、言語習得の重要なメカニズムとして、「インプット理解とアウトプットの必要性」を挙げておられます。
インプットは必ず必要な条件である、というのは、全くその通りだと思いますね。
拙著でも、「インプットなくしてアウトプットなし」という章を書いたぐらいで、私自身、インプットの必要性をいつも強く感じています。
アウトプットばかりに重点を置くとどうなるか?ということがこの本では書かれています。
まず、p.6 で、「転移」「言語転移」について説明があります。
「学習者の母語の知識が第二言語に転移する」ということですね。
そして、p.16 で「スピーキング重視の問題点」として、
学習者の外国語能力がまだ不十分なうちに無理に話させると、結局学習者は母語に頼って、その母語の文法に適当に第二言語の語彙をくっつけて、変な外国語をしゃべる、という危険性があります。(中略)外国語の知識があまりないうちから、積極的に話すと、変な外国語が身についてしまう可能性があるのです。
これはよくわかりますね。
そういう「日本語の転移が起こった英文」を読んだ場合、日本人にはそれが理解できてしまうであろうことも、危険だなと思うことの一つです。
「アイ・アム・オレンジジュース!」と言ったら、さすがにそれはトンデモ英語だとわかる日本人は多いでしょうか。
日本人は「私はオレンジジュース(が欲しい)」という日本語を言うから、それをそのままそっくり英語に置き換えるとこうなる、という例ですよね。
白井先生の本では、「どう思いますか?」を英訳する場合、What do you think? の代わりに、間違って How do you think? と言ってしまう人が多い、という話を書いておられました。
私も受験生の時はこの辺りが結構あやふやで(笑)、日本語訳からではなく、英語を英語として見られるようになってから、どうして what なのか?というのがやっとわかった気がします。
その問いで求めているものは、I thik that... と語られるその that 節の部分、すなわち、think の目的語となる「名詞節」。
わからない名詞を尋ねているから、疑問代名詞の what を使う、ということですね。
これで、疑問副詞 how を使うと、わからない副詞について尋ねていることになり、「どのようにして」という方法や、「どんなふうで、どのように」という状態・様態を尋ねる文章になってしまう、ということです。
「どう思うか?、どのように思うか?」という日本語の「どう」が、実は「何と(思う)、何を(思う)」であることに気付かないと、「どう」という日本語に引っ張られて、「どう」に相当する英単語(how)を引っ張り出してきてしまう、ということですね。
やはりこれが典型的な「日本語の転移が起こった英文」ということになるのでしょう。
「ここはどこ?」は、"Where am I?" であって、"Where is here?" ではない、というのも、日本人が間違えやすいポイントですね。
「アイ・アム・オレンジジュース」みたいな間違いは、あちこちに存在する、ということです。
本ではインプットの大切さが訴えられていますが、「単語と文法を覚えて、それを組み合わせれば、正しい文がつくれる、というものではない」とも書いてあります。
p.115 母語話者は、どういう言い方がふつうだという情報を、子どものころから無数の文や表現を聞くことによって身につけるわけです。
「何がふつうか?」を知るには、「ふつう」である英文に大量に触れなければならない、ということです。
「ふつう」、文字としては柔らかいこの「ふつう」がどんなものであるかを知ることが、実は一筋縄ではいかないのですね。
私は「自然な英語」「生きた英語」などといつも呼んでいますが、そういうネイティブにとって違和感のない英語がどんなものかを知らない限りは、いくら知識として単語や文法を知っていても、その「組み合わせ方」がわからなくて、結果、不自然で妙な英文を作り上げてしまう、という結果を招くことになるのですね。
「アウトプットの必要性」については、実際にアウトプット、すなわちネイティブと直接話したりしなくても、「頭の中でリハーサルすること」で、同じ効果が生まれる、とのことです。
これもよくわかります。
いざ自分が文を組み立てようとすると、自分の思い通りに組み立てられない、ということがあります。
文を作ろうとして初めて、今まであやふやにしか理解していなかった文法事項や単語の組み合わせ(コロケーション)や冠詞や時制などに対して、より注意が向けられるようになる、アウトプットを想定していると、インプットの時の視点が変わる気がします。
第6章 効果的な外国語学習法 では、さまざまな学習法が紹介されていますが、その中で、私がこのブログでやっていることと方向性が同じかも?と思える部分がありました。
その部分をまとめさせていただくと、
p.165 理解度をあげるために、二カ国語放送などの場合、ビデオにとっておいて、まず外国語で聞き、次に日本語で聞き、最後にもう一度外国語で聞く。
リスニング教材は、スクリプトがあれば、聞き取れないところを文字で確認してから、もう一度聞く。
リスニングの教材をリーディングにも使うと、文法構造まできちんと処理する余裕ができる。
私が英語学習に使っているフレンズのDVDも、基本的には「リスニングの教材」なのでしょう。
私もセリフの内容を理解するために、つまり「理解度をあげるために」、日本語字幕・日本語音声を使います。
そして、その「音声としてのセリフ」を文字にしたスクリプトを元にして、その英文の構造、文法事項をじっくり見るように心がけています。
「日本語でいうとこういう意味になる」という和訳、すなわち内容理解だけではなく、英文そのものを見つめることで、「文法と語彙を両方処理」(←p.146 に記述あり)しながら、英語を習得しようと試みている、という感じでしょうか?…かっこ良く言うと…(笑)。
私がこのブログでやっていることは、まだまだ底が浅いです。
ただ、今回、白井先生の本を読ませていただいて、第二言語習得論から見て、外国語学習を科学的観点から捉えてみて、私の学習法の方向性は間違っていない、と思える部分が多々ありました。
どうしても我流になってしまう「個人で英語を学ぶ」という作業。
それができるだけ「外国語学習の科学」から外れないものであるようにと意識しながら、これからも学習を続けて行きたいと思います。
(Rach からのお願い)
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ご無沙汰してます。今年もよろしくお願いいたします。
確かに日本語の転移が起こった英文から脱却するのって大変ですよね。結局、僕は6年半アメリカに留学した経験によって脱出出来たのですが、ずっと日本にいる場合、なかなか普通の英語に出会うことって難しいですし、英語を勉強するモチベーションを保つことも大変ですよね。現地生活をしていると、モチベーションも何もないですからね。アメリカでは英語で夢を見ていたのに、日本に戻ると夢でアメリカ人が日本語で話をするようになるぐらいだから、強い意志がないと環境に負けてしまうような気がします。
Rachさんは、よく英単語の説明をするときに英英辞典を使ってますよね。あれも、とてもよい方法だと思います。僕も、英語で文章を書かないといけないときは、英英辞典やDictionary.comのthesaurusというのを使っています。いわば、英単語の同義語を分類したものです。同じ単語ばかりを使うと単調になるので、これがあると非常に便利です。
何が言いたいのかよく分からなくなってきました。最初は、普通の英語に触れるためには、英英辞典とかは良いですよね、って言いたかったような気がするのだけどなぁ。
ま、いいや。これからもよろしくお願いいたします。
P.S.コメントを書いている間中、Rachさんのプロフィールの写真が目に入って、気になって仕方ありませんでした。そんな微笑みを投げかけられると、何を書いていたのか分からなくなってしまいます(笑)
上の白井恭弘さんの本は残念ながら未読でしたが、ぼくも以前 Second Language Acquistion (以下、SLA) は少し勉強しました。自分の学習や現場に応用できるようになったのは最近ですが(涙)。
Rachさんのようにある程度うまく行っていらっしゃる人はあまり気にしないでいいと思いますが、あまり努力のわりに成果が出ていない人や自分が信じる方法を頭ごなしに学習者に押し付け根性論を説くタイプの教育者にはSLAを少し勉強してほしいなと思います。
ぼくは、SLAに関しては、Patsy M. Lightbown と Nina Spada という2人が書いた"How Languages are Learned"(Cambridge University Press)という本を読みました。いまでも、自分の学習なり、人に学習法を進めるときに不安になったら、参照するようにしています。この本はわりと平易な英語で書かれているので英語教育関係者や言語学者でない英語学習者の人にもお勧めです。
わぁ、ほんとにご無沙汰しています。ご訪問ありがとうございます。
そうなんですよね、英語圏にいると、勝手に「周りが全て英語」の世界に入れますよね。それがとても羨ましいと思うんです。日本で英語を学ぶには、やはり意識して英語に触れていかないと、英語に触れる時間がどんどん少なくなってしまいます。
英英辞典についても、貴重なご意見ありがとうございます。シソーラスは便利ですよね。英語は同じ単語を使うのを嫌いますからねぇ。
あ、それから、プロフィールの写真、コメントを書こうとすると、ちょうど横くらいに位置してしまうんですね。それを意図してここに配置してるんじゃないんですが(笑)。
ブログの一番右上とかに置くと、初めて来られた方がびっくり(?)するかと思って、ブログの内容と機能に関する重要な(笑)説明の後に、ついでのようにこそっと載せているつもり、なんですよ。
…というか、実物を知っている人に、そんな風に言われると、私の方が恥ずかしいです。ほんださんに対して、こんな微笑を投げかけたことは、確かにないかもしれへんけど…(爆)。
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
outrageous2007さんへ
コメントありがとうございます。
やはり、客観的な目で、SLA について考えてみる、ということは大切だなと思いますね。
時間をかけて一生懸命やっているはずなのに…という方も多いですよね。その場合は、かけるべきではない部分に時間をかけすぎているのかもしれない、もしくは、英語を学ぶとはどういうことか?がまだはっきり掴めていないのかもしれない、ということもあるでしょうか。
上の白井先生の本のプロローグに、「大げさな宣伝文句にまどわされることもなくなり」という一節があります。SLA をしっかり勉強すると、確かにそういうアヤシイものにまどわされることは少なくなると思います。また、「自分が信じる方法を頭ごなしに学習者に押し付け根性論を説くタイプの教育者」という人もいるでしょうね。
私はいろんな本を読んでその「いいとこどり」しかしないので、誰かの言うことを一から十までやったりはしません。自分の学習法を見つけるには、そういう取捨選択が必要ですよね。
学習法には人によって合う、合わないがある、ということを頭に入れておかないと、教育者も学習者もお互い無駄な時間を過ごすことになってしまうように思います。
おすすめ下さった "How Languages are Learned"、機会を見つけて是非読んでみたいと思います。
あ、それから、outrageous2007さんが貴ブログで紹介されていた本、読みました。近いうちに、拙ブログでも取り上げたいと思っています。
この度は白井恭弘の本をご紹介いただきましてありがとうございました。
取り急ぎお礼まで、失礼いたしました。
ご訪問&コメント、ありがとうございます。
白井恭弘先生のご本、とても素晴らしかったです。私のような者が書いた記事を見つけて下さって、ありがとうございました。
白井先生はブログを始められたのですね。早速読ませていただきました。これからも記事を更新されるのを楽しみにしております。
ありがとうございました!