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フレンズ5-1その7 のコメント欄 で、「ネイティブはリスニングの時に 100% 音が取れているのかどうか」という話題が出ました。
それについて、私になりにいろいろ考えてみましたので、今日はそれを記事として投稿したいと思います。
私はリスニングをする際には常に、「音がどれだけ拾えるか?」ではなくて、「音だけで意味がどこまでわかるか?」という部分を重要視しています。
結局、リスニングは「聞いて意味がわかるかどうか?」が大事だからです。
Rach流DVD学習法と称した自身の学習法での第一段階が、「ネタバレ禁止状態で、英語音声、字幕なし」なのもそのためですね。
何の予備知識もなしに、映像と音だけでどれだけ話の流れ、セリフの意味がわかるか、を確かめたいからです。
家で TOEIC の問題集を使って、リスニングの問題を解く時に、先に解答編の英文スクリプトや日本語訳を読んでから取り組む人はいませんよね。
それだとカンニングしたのと同じことになってしまいます。
ドラマで英語を学ぶ時も、私は同じやり方をしている、ということです。
他の情報を遮断することで、(映像はついていますが)音だけでどこまでわかったかがはっきり認識でき、そこで自分の弱点に気付けるからです。
海外ドラマのセリフは、TOEIC のナレーションに比べて、ずっとラフで早口で不明瞭です。
それをリスニングする際には、全ての音が完璧に拾えなくても、重要な言葉を英語の語順で理解する能力があれば、だいたいの意味は取れるはず、と私は思っています。
私は、「時々聞こえない音もあるけれど、それでも意味はわかる」という部分が大切なのだと思っています。
日本人はどうしてもあの「音」に対する苦手意識があるせいで、「あの音さえ全部拾えれば、あの音を全部文字化できれば、意味がわかるに違いない」と思ってしまいがちですが、音から文字化してそれから意味を取る、のではなくて、音と状況から意味を判断して「ここではこれしかありえないだろう」という適切な単語を選択し、あの音を文章化する、というのが、ネイティブがやっている脳内作業のような気がしています。
ネイティブには、「スクリプト通りに音が聞こえる」というよりも、前後の状況や文脈を考えて、ここでこの音だったらこの文章しかあり得ない、というものを文字にしている、という気がするのですね。
例えば、誰かが何か言いかけて絶句している時、音としては本当に最初の部分しか聞こえていなくて、実際にも最後まで言い切っていない場合でも、何を言おうとしたか、どんな単語が来るはずだったかわかる、ということがあります。
実際には音としては、途中までしか聞こえていないものを、ネットスクリプトでは完全な単語として書いてあるものもありますが、それも、「音」ではなく、話の流れからその単語だと決めているわけですよね。
これまでフレンズのセリフを解説してきて、「聞き間違い」が絡むやり取りがいくつかありました。
以下に思い出したものをいくつか挙げてみます。
フレンズ1-4その1
omnipotent を impotent や I'm impotent と聞き間違える。
フレンズ2-14その13
accept that を except that と聞き間違える。
フレンズ3-4その20
lose her を loser と聞き間違える。
どうして聞き間違えることになったのかは、過去記事の解説を読んでいただきたいのですが、全般的に言えることは、聞く方の知識・考え・意図が聞き取りの結果に影響する、ということですね。
1-4 は、ジョーイは恐らく omnipotent という言葉になじみがなくて、自分の知っている impotent という言葉にしか聞こえなかった。
2-14 は、レイチェルがまさかそんなことを言うとはロスは夢にも思っておらず、自分の都合のいい方に音を解釈してしまった。
3-4 は、はからずも、レイチェルがチャンドラーのことを loser だと内心思っていたことがバレてしまった。
と分析できるでしょう。
もちろん、上に挙げた例は、ドラマとしてストーリーを展開させるための、通常ではあり得ないような聞き間違い、なのかもしれません。
ですが、聞く側の意識の違いによって、同じ音が別の言葉に聞こえてしまう、ということはあり得ると思うのです。
私はこのブログの原稿を書くために、まず最初に、「ネットスクリプトとDVD英語字幕を突き合わせて、一番、実際の音声に近いと思われる形に修正する」という作業をしています。
そういう突き合わせをしていると、ネットスクリプトとDVD英語字幕の不一致をしばしば発見するのですが、ただのタイポ(タイプミス、書き間違い)だけではない、リスニング面において興味深いと思われる事例にも遭遇します。
以下、そういう例を3例挙げてみます。
今、解説している フレンズ5-9 のエンドクレジットの時のセリフに、
モニカ: I just convinced Carl to give us a test next week.
というセリフがあるのですが、
DVD英語字幕では、Carl になっていて、ネットスクリプトでは、Paul になっていました。
ただのタイポと言ってしまえばそれまでですが、実際に音を聞いてみると、早口な上、不明瞭で、字幕通り、Carl と言っていると思えるけれど、Paul と聞き間違えても無理はない、みたいな微妙な音なんですよね。
この一つの例から、何かの結論を導き出すのは危険かもしれませんが、一つの仮説として、ネイティブでも不明瞭な音はやっぱり聞き取りにくい、ということは言える気がします。
また、次に解説する予定の フレンズ5-10 では、
who can say "Merry Christmas" in 25 languages というフレーズが出てきますが、
DVD英語字幕では、say になっていて、ネットスクリプトでは、sing になっています。
say でも sing でも、文としては成立しますよね。
音はやはり say と言っているようですが、s- の音を聞いて、sing と聞き間違えるというのも、文章がそれで成り立つだけに、ごく自然な聞き間違いと言える気がします。
ここでも、「音を全て聞き取っている」というよりも、「聞こえた s- の音から文脈に合う動詞を選んでいる」という気がするのですね。
また、過去の例では、フレンズ3-23その2 の、
DVD英語字幕では、weird things 、それがネットスクリプトでは、rear things になっていた、というのもありました(w- と r- の音は意外と良く似ています)。
このように、やはりネイティブでも不明瞭な発音は聞き間違えるし、実はかなり文脈から判断している場合も多いのでは?と思うのですね。
もちろん、聞き間違える場合でも、やはり、ある程度文脈に合う、意味のある言葉に聞き間違えているところが「さすがはネイティブ」なのだと思います。
無意識のうちに、音を自分の知っている言葉に結び付けてしまうのが、言葉を聞く時に行う脳の作業だからなのでしょうね。
その話されている内容から判断して、聞こえた音から元の単語や文章を瞬時に復元できる、それがネイティブなのでしょう。
日本語も同音異義語が多いですが、それを瞬時に判断することができるのも、音と内容から適切な単語を頭の中で選択することができるからですよね。
英語ネイティブは、私のように大人になってからリスニングをトレーニングした日本人の英語ノンネイティブよりも、明らかに音の聞き分けは優れているはずですが、「音」そのものをかなりの部分聞き取っているのに加えて、「聞こえた音から適切な単語を判断する」能力に長けている、ということだと思います。
単語の選択だけではなく、その音から文を復元するのに、文章として成り立つもの、意味として通じるものをきちんと瞬時に形成できる、という文章構成力もあるでしょうね。
それは、ずっと母国語としてその言語を聞いて育ってきたお陰で、音と言葉の結びつきがデータベースとして蓄積されているからでしょう。
音に対する慣れと、これまでに蓄積された知識、文章構成力がリスニングの精度を上げるのですね。
不明瞭で聞こえない部分をそれらが補完してくれるのです。
ですから、日本人がリスニング力を上げたいと思う場合も、もちろん「本物の英語の音」を聞き、それに耳を慣らすことが大事なのは言うまでもないですが、多くの英語の文に触れて、自然な英文の構造をたくさん学ぶことで、断片的に聞こえてくる「音」から、その文脈にあった自然な英文を作り上げることができる能力も必要になってくると思います。
聞こえてきた音を文にできるのは、耳の良し悪しではなく、英文の構造を理解し、その構造を音から復元できる力だ、と言える気がします。
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以前Lang-8というサイトで、日本語を学んでいる外国の人が陣内さんのコントをディクテーションした物をアップして、添削をお願いしているのを見つけました。
私も陣内さんは好きなので、早速聞いてチェックしてあげたんですが…。
いやあ、日本語っていい加減だとそのとき改めて認識しました。
細かいところは覚えてないんですが、前後関係からこうだろうと思う台詞と明らかに言っている発音が違ったり。全く聞き取れなかったり。
Lang-8は誰でも添削できるシステムですが、私が聞き取れなかったところを他の方がチェックしていて、やっと納得できる部分もあったり、あれっと思う部分もあったり…つまり日本人でも見解が分かれるぐらいでした。
だから陣内さんのコントのスクリプトが作られたら(そんなのないって)フレンズと同じ状態になると思います。
やっぱり日本語もRachさんの言うとおり無意識のうちに脳内変換してるんですね。
またそれとは別に英語は(というか英語も)あきらかに発音が変わってくるところもありますね。
実は、最近YouTubeで1980年代に放映したCOSMOSが丸ごと置いてあるのを見つけてDLして聞き始めました。Carl Saganという天文学者が解説しており、ナレーションなどは非常に気をつけてゆっくりはっきり発音しているのがわかります。
ところがatomという単語を確実にadomと発音しているんです。最初人名かと思ってとまどってしまいました。どんなにゆっくり発音してもやっぱりadomなんです。
ネイティブにとっては無意識に言ったり聞いたりしてる訳ですが、ノンネイティブの我々は「こういう時はこういう発音になる」とか、内容と文法から追っていかないとわからないところもありますね。
(日本語でも「ん」で表記される発音が5種類もあるとか、まあお互い様ですね!)
でも陣内さんもまさか自分のコントが日本語学習に使われるとは夢にも思ってないだろうな〜wwww
ただ、それは置いておいても、例えば自分の仕事関係の英語は聞いていて分かる部分が多いというのがあります。それは語彙がある程度備わっている、話の展開がある程度読める(概要つかみと話の予測ができる)、パターンを描ける、言葉使いが丁寧で崩れていない、ということかと思います。
逆に言えばそれがない状況(極端に言えば若者同士の日常会話など)は音を拾うとすることで精一杯になっていて、こなす余裕もなくひたすらわからない状態になる感じでしょうか?
評論家の内田樹という人ある本で次のようにが書いていました。
「母語の運用能力というものは、言葉を口につないで行くとき、続く語の膨大なリストが出現し、その中で最適なものを次々と選び出すプロセスのリストの長さと分岐点の細かさである。」
これは話す時の状況を言っているものですが、聞く時も同じことかと思います。
そういう意味で語彙を増やし、状況になれることにより、仮に一語ずつその場で音を拾えなくても、すぐ後に状況から言葉をつなげることができるようになる、というようなことでしょうか?
要は地道に、また一所懸命かつ楽しんでフレンズを見て、Rachさんの深い解説を頭に入れて、繰り返していくと、未来はかならず開ける、ということでしょう。面白く、楽しめるというのはネイティブでないわれわれにはとても大切なことだと思います。改めて感謝いたします。
新しい記事にもコメントありがとうございます。
他にもお返事すべきコメントをいただいていますが、先にこの記事からお返事させていただきますね。
陣内智則さんの一人コント、私も好きですよ。記憶にあるだけでも、映画館での映画の宣伝、一人カラオケ、バッティングセンター、しゃべるセミ、とかのネタが面白かったですねぇ。
ああいうお笑いのセリフって、結構「雰囲気」で聞いちゃってる部分ありますよね。それを忠実に文字化しようとすると、いろいろ無理も出てくる気がしますね。あと、関西のお笑いの人、ということで、彼も関西弁をしゃべっておられますが、関西弁って音を忠実に拾って文字化すると、意味不明になることもしばしばあります(笑)。ああいうイントネーションに乗せて初めて意味がわかる、というか、文字にしてしまうと意味が通じない気がして、関西弁でメールを書く時に、どこまで忠実に文字化するかでいつも悩んでいます(笑)。
まぁ、これは関西弁に限らず、どこの方言でも同じかもしれませんが、ニュースを読んでいるアナウンサーの標準語ほどには、正確にはディクテーションできないもの、なのでしょうね。
カール・セーガン氏はニューヨーク・ブルックリン生まれだそうですが、atom が adom になるのは、アメリカ英語特有の フラップ/t/ (flap t)という現象のようですね。
フラップ /t/ については、野中泉さんの「英語舌のつくり方」で詳しく説明されています。
野中さんのそのご本では、
water は「ウォター」よりも「ワーダ」や「ワーラ」と言ったほうがわかってもらいやすい、
という例が挙げられています。
そのように、「タ行」である t が「ダ行」のような、「ラ行」のような音に変化することを、「フラップ /t/」と呼ぶのですね。
p.63 に、CDに収録された フラップ /t/ の例が載っているのですが、何とその中に、atom も載っています!
atom の読みは、アダm や アラm のように表記されています。(ア、は他の文字より一回り大きく書かれていて、そこにアクセントがあることを示しています。)
辞書に載っている発音が全てだ、ということではないのですね。実際にいろんな人の会話の中で話されている発音を聞いて、そういう音を覚えていくしかないのでしょうね。
いろんな発音がある、と聞いてげんなりするか、それを面白いと思えるかで、発音学習に対する姿勢も変わってくるかもしれませんね。私は正しい発音がどうとかよりも、「ネイティブっぽい発音ってかっこいい!」というところから英語を好きになった人間なので、そういうのを「それっぽく」真似するのが楽しくてしょうがないのです。音読みたいなトレーニングはほとんどやったことはありませんが、セリフをそれっぽく真似てみる、というのは面白がってよくやります。洋楽を歌う時も、できるだけ本人に似せて歌いたいと思いますしねぇ。
日本語でも必ずしも文字通り発音されているものばかりではないですよね。
(私は関西人なので、もしかしたら関西弁なのかもしれませんが)
「全員」は「ぜんいん」ではなく「ぜえいん」みたいに発音しますし、「言う」も「いう」というよりは「ゆう」に近いですし、「象」も「ぞう」じゃなくて「ぞお」になります。
昔、M-1グランプリで、笑い飯の西田さんが、「かわいそうなゾウ」の語尾の「ウ」をやたら強調して繰り返していたら、「ゾウ、ゾウ、言うな!」って哲夫さんにツッコミを入れられていた気がしますが、それだけ「ゾ・ウ」と発音すると、違和感があるんですよね。
お笑いの映像を使って日本語学習されている方は、シットコムを題材にしている私と、傾向としては似ているのでしょうね(笑)。お笑いも、笑い声という反応がありますから、「日本人は何故ここで笑っているのだろう?」ということも追求しつつ、日本語を学べたりもできるのでしょう。
しかし、関西のお笑いの人の作品を題材にすると、関西弁も覚えないといけないから大変ですよね。イントネーションや発音以外に、語尾の表現とかも標準語とは随分違うのに、どうやって学んでおられるのか不思議です。陣内さんは映像や音声にツッコミを入れるネタが多いので、「何でやねん」とか「何やねん、それ」とかのツッコミ言葉をやたら学べそうですが(笑)。
koroyakunさんへ
コメントありがとうございます。
確かに、耳の良し悪しは全く関係ない、ということはないでしょうね。やはり音感が良い人は、音の特徴を掴むのも上手いんだろうな、と思うことはよくあります。
おっしゃる通り、自分の専門分野である仕事の英語はよくわかる、というのは絶対にありますね。語彙や内容を理解するための知識があらかじめ自分の中に蓄積されているから、音と言葉とが結びつきやすい、ということでしょう。それともちろん、ノンネイティブと話す場合には、相手も多少は気遣ってわかりやすく話そうとしてくれるでしょうから、そういう意味でも助かりますよね。
ドラマなどの仲間内の日常会話は、そういう「他の人にわかってもらおうとする」必要がないので、必要のない部分はどんどん省略されるし、発音はラフになるしで、ノンネイティブにとっては聞き取りが大変、ということになりますね。
内田樹先生のおっしゃるお話、よくわかる気がします。「リストが出現する」というのはまさにそんな感覚ですね。多くの言葉を知っている人は、そのリストの中で最適なものを選ぶことができるし、状況に合わせて細やかな使い分けもできる、ということなのでしょう。
聞く時も、その音を聞いた時に、どれだけのリストが候補が頭に浮かぶかがポイントになってくるのでしょうね。それはやはり、たくさんの音と言葉との結びつきを自分の中に蓄積できているかどうかで決まる、ということでしょう。
ディクテーションという作業は、音を文字化するわけですが、文字化するにあたっては、エルだのアールだのという「文字」ではなく「言葉」そのものが頭に浮かばないと、正しいスペルで文字化できませんよね。日本語なら聞こえた音を機械的に文字にすることは比較的可能かもしれませんが、英語はローマ字のような音と文字の一対一対応ではないので、音だけで文字を推測することは難しいですよね。ディクテーションで文字にしている時にはすでに、頭の中で何らかの言葉として認識しているから、それをそういう綴りの文字にできる、ということでしょうし。
また日本語は比較的、音と文字との対応が一致していますから、例えば意味不明な言葉でも、ひらがなやカタカナでひたすら拾っていくことは比較的簡単かもしれませんが、やはり日本語を聞く場合でも、音そのものだけを拾っているわけではない気がします。
実際に日本語で何かを聞いている時は、音をひらがなやカタカナで拾ってから、それを最後にまとめて漢字に変換しているわけではなく、パソコンでひらがなから漢字に変換するみたいに、聞いた瞬時にその都度、音から最適な言葉に変換しながら聞いている気がします。聞きながらその作業を行なって、意味を取っていかないと、話すスピードについていけなくなると思うのですね。あるいは次に聞こえた言葉から、前の言葉の意味を修正しながら聞いたりもできる、ということもあるかもしれません。
やはり実際に英文とじっくり向き合わないことには、英文の構造を理解する力はつかない気がします。フレンズのような話し言葉においても、英語の基本構造は同じですし、時に出てくる長いセリフを、あの語順のまま理解できるようになれば、英検1級の長文を読解するのも単語さえ覚えればさほど苦にはなりません。大学生の時に見事撃沈したあの英検1級の長文を「結構読める」と思えるようになれたのも、フレンズのセリフをひたすら分析してきたお陰であると確信しています。
「なんとなく」ではなく、文の中の要素にはすべて意味や機能があると思ってきっちり構造を押さえる癖をつけていれば、そういう力は徐々にではありますが、間違いなくついてくると思います。
私もこう見えて(…って、皆様にどう見えているのか知りませんが…笑)、結構飽きっぽくて、興味のないものにはもう「全く興味がない」タイプなのです。ですから、いくらためになるからと言われても、興味のないもの、面白くないものは長続きしないのですね。ドラマや映画で英語を学んでいく、というやり方は、本当に私に合っていて、もっと難しい英語を学びたいと思ったら、そういう難しい世界(政治、経済など)を扱った作品を見ればいいだけのこと、という気持ちでいます。
これからも楽しんで解説を書いて行きたいと思っているので、一緒に楽しみながら学んでいただけたら、とても嬉しく思います。
いつも参考にさせて頂いております。
リスニングについてのトピックでしたので
お聞きしたいと思います。
フレンズの主題歌「I'll Be There for You」
私の現状では、全ての歌詞を明瞭に聞き取れません。
シーズン10の最後まで勉強が終わる頃には明瞭に聞き取れているはず・・・という希望的観測でまだ歌詞の答え合わせをしていません。
歌っている声と会話の声は全く別物と考えた方が良いのでしょうか。
シーズン1の勉強を始めた頃に比べると、エピソード毎の初見での理解力は少しだけ上昇していると思うのですが、オープニングのシーン終了後後の「I'll Be There for You」はサビの部分以外はあまり聞こえず、進歩している実感がありません。
はじめまして。コメントありがとうございます。
歌詞の聞き取りは結構難しいですよね。歌詞の聞き取りは、セリフの聞き取りとは別物と考えた方が良いように私も思います。
リスニング力の伸びについて、「シーズン1の勉強を始めた頃に比べると、エピソード毎の初見での理解力は少しだけ上昇していると思う」というご感想を持たれたことは、非常に良い傾向ですね(^^) 私もまさにそんな感じで、「前よりわかる部分が少しずつ増えている」というのを手応えとして感じながら、DVD学習法を進めておりました。
英語の聞き取りについては、「わからないものは何回聞いてもわからない」というのが私の持論だったりします。一度初見で「わかるかわからないか」を確認してみたら、その後、すぐに文字として書かれている字幕やスクリプトで確認するのが効果的だと思っています。わからない、というのは、そもそもその単語を知らないということ以外にも、「英語独特の音の繋がりを聞いて、文字が連想できない」ということも多いです。「この文字が、この文章が、音にするとこんな感じになるんだ」という、「音と文字との結びつき」を自分の中に蓄積していくことでリスニング力は上がっていく、ということで、そのためには「文字で確認する作業」を早い段階でした方がいいと思うわけです。
そういう意味でも、私はリスニングの訓練をする場合には、必ず字幕かスクリプトなど「文字情報が存在するもの」を題材に使っていました。音だけ聞いて「答え合わせができない」ものは、「音と文字との結びつき」を構築できないから、ですね。
私が「わからないものは何回聞いてもわからない」と感じるのは、最初に聞いた時のイメージがどうしても残ってしまいがちに思えたからです。母国語の日本語の歌詞でもそうですが、最初に「こう言ってるかな?」と思ってしまうと、なかなかそこから抜け出せない。カラオケで歌う時になって初めて、「え、ほんとはこんな歌詞だったの?」とかびっくりしたりするわけです^^
異国語の英語の場合はさらにそれが強まり、「何かこんな音に聞こえた」と思ってしまうと、そこから抜け出すのは難しいように思います。また歌詞は、メロディーに乗っかっていることで、通常のセリフの文章とは違った趣がありますし、日本語の歌詞と同じように、「文というよりは詩」のような構造にもなっているし、韻を踏んだりもしますから、余計に難しいだろうと思うのです。
毎回聞くことになるオープニングは、もう「あの音」で頭に刷り込まれてしまっていて、「他の音に聞こえない」みたいな感じになっているように思うのですね。毎回聞いている音だからこそ、余計に「違いがわからない」みたいになってしまっているのではないかと。
逆に、「全然知らない別の英語の歌詞」を聞いてみた時の方が、「リスニング力が上がっているかどうか」は測れるかもしれません。
いろいろ書きましたが、リスニング力の伸びは「エピソードの初見の理解力」で測るのが最適で、歌詞でそれを測るのは難しい、特に「いつも聞いているものが、だんだん聞けるようになったと感じる」ことはないような気がする、ということです。
私は気に入った英語の曲があると、歌詞をしっかり一字一句確認して、まずは覚えます。カーステで何回も聞いたりする曲だと、歌詞を先に覚えていることで、「音と文字の繋がり」を車を運転しつつ(笑)確認できて、効果的だと感じます。歌詞をよく知らない状態で、何百回も聞くよりは、最初に聞いてわかるかわからないか確認した直後に、すぐ文字で確認して、「文字を確認した上で何回も聞く」方が良いと思うわけですね。
学生時代から知っている曲も、歌詞を確認するまではいろいろ勘違いしていた部分、「適当に歌っていた」w 部分も多く、そのことに気づいてからは、上のようなやり方で「必ず早い時期に文字で確認する」ようになりました。
ということで、「主題歌を聞いた時にリスニングの進歩が感じられない」というのは、多分それが普通で、気にされることは全くないと思います。わからないと気にされるよりは、「歌詞の答え合わせ」を思い切ってしてしまって、その後、「毎回”歌詞という文字”を意識しながら、音を確認」されていった方が、「文字と音との結びつき」が蓄積されて、それがまた、英語全体の聞き取り能力を向上させてくれると思います。
上に書いたことでわかりにくい部分がございましたら、またお気軽にご質問下さいね(^^)
大学生の時から本サイトは拝見させて頂いていました。しばらく英語から遠ざかっていましたが、先日、RachさんのDVD英語学習法を購入させていただき、24のドラマでほぼ毎日勉強させていただいています。
数ヶ月継続している中で、今後継続することで必ず英語力が向上することを確信しております。そういった機会を与えてくださったことに感謝しています。
さて、私は大学生の時に留学を5ヵ月間していたこともあり、8年前の卒業時にはTOEIC835点持っていました。ですが、英語を使わないまま月日がたち、3年前には765点まで落ちてしまい、今ではさらに落ちていると自覚しております。
この度、アドバイス頂きたいことですが、今DVD学習を続けている中で、英語はある程度聞き取れるようになってきました。ですが、意味としては理解が出来ないのです。英語の単語単語はある程度聞き取れるのに、それがすぐに意味として頭に入ってこないというようなイメージでしょうか。Rachさんも同じような時期はありましたか?もし、今後英語学習を続けていくうえで、意識しておくべき学習法であったり、克服するうえでの今後の道すじなどの経験がおありでしたら、是非参考にさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
こんにちは。コメントありがとうございます。
大学生の時から拙ブログをお読み下さっていたこと、また、拙著もお買い上げ下さったこと、本当に光栄で嬉しく思います。ありがとうございます!
留学されていて英語を毎日使う状況におられた頃と比較すると、英語を使わない生活になってしまわれた場合には、英語に対する反応が以前ほど瞬時にできなくなってしまう、ということはやはりあるだろうと思います。
「聞き取れた単語がすぐに意味として頭に入ってこない」ということについては、今回コメントを入れていただいた「リスニングの脳内処理」の話と大いに関係してくると思います。拙著でも『リスニング力は、「聞いた音から文章を復元できる力」』として書かせていただきましたが、例えば「この綴りのこの英単語だ! と聞き取れた」場合でも、その意味を決めるのは、文の中でどんな要素で使われているか、または前後の流れや文脈になってきますよね。辞書である単語を引くと、さまざまな品詞があり、またそれぞれの品詞にも違った意味が載っていますが、いくつかある中のこの意味だ! と判断するのは、文全体の中でのその単語の位置や話の全体の流れで決まるわけです。
それを判断する力を養うために必要なのは、「英文の構造を理解する力」であり、私は「海外ドラマの英語のセリフが、どうしてこのような日本語訳、このような意味になるのか?」を分析することでそういう力を養ってきました。私もDVD学習法を始めた頃は、とにかくわからない、聞き取れない、ということばかりでしたが、本当に簡単な構造の文章からでも、じっくり構造分析することを積み重ねて行くことで、英語の文章の構造を理解することができるようになり、その知識が、「聞こえた音から、意味の通る英文を組み立てる力」(音を意味のある文章として理解する力)となってくれたと思っています。拙著にも例として挙げましたが、pretty は「かわいい」という形容詞にもなるし、「かなり」という副詞にもなるわけで、それがどちらの意味かを判断できるようになるのは、この位置にあるから形容詞だ、または副詞だ、と判断できるという、「あるべき英文の構造」を知識として持っているかどうかで決まる、ということだと思うのです。
今後、英語学習を続けられる中で、常に「英文の構造」を意識しながら、聞こえたままにイメージしながら聞く、ということを意識されることが重要かと思います。量をたくさん聞くことに時間をかけるよりも、出てきた英文をきっちりチェックし、「英語の構造とはこうである」ということを自分の中に蓄積していくことで、同じような構造の文章にも対応できるようになってくる、ということですね。
この学習を継続することで必ず英語力が向上することを確信している、というお話、本当に頼もしく嬉しく思います。「そういった機会を与えてくださったことに感謝」とまで言っていただけたことに私も心から感謝です。
上に書いたことでわかりにくい箇所などありましたら、どうかご遠慮なくお尋ね下さいね(^^)
「英文の構造を理解する力」大変良く分かりました。たしかに、文字である英文をどんなに時間をかけても意訳出来ないものを、リスニングで音を聴きとれたからと言って、意味など取れるわけないですもんね。当たり前のことですが、妙に納得できました。それには、地道に一文一文DVDの字幕を読み解いて蓄積していくことなんですね。本当にすっきりしました。
なかなか英語字幕でも意訳出来ないものも、まだまだあり、たまに分からないまま飛ばしてしまうことも多々ありますが・・・頑張って根気よく蓄積していきたいと思います。
ありがとうございました!!
こちらこそご丁寧なお返事ありがとうございます。
私の説明を「大変よくわかりました」「納得できました」と言っていただけてとても嬉しいです。
これからも楽しみながら、どんどん蓄積を続けて行っていただければと思います。
どうか頑張って下さいね!!