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シーズン6 第14話
The One Where Chandler Can't Cry (泣けないチャンドラー)
原題は「チャンドラーが泣くことができない話」
[Scene: Monica and Chandler's, Chandler, Monica, Phoebe, and Joey are watching ET.]
モニカとチャンドラーの部屋。チャンドラー、モニカ、フィービー、ジョーイは、(映画の)「E.T.」を見ている。
モニカ: (crying) This is my favorite part. ([泣きながら] ここ、私の好きなところよ。)
フィービー: (crying) Yeah, me too. ([泣きながら] そうね、私もよ。)
(We see the TV and it's the last scene where ET is saying goodbye.)
テレビが映る。E.T. がさよならを言おうとしているラストシーンである。
フィービー: Oh, y'know what's sadder than this? Bambi. I cried for three days with that movie. No, wait, two! Because on the third day my mother killed herself, so I was partly crying for that. (あぁ、これよりももっと悲しいのって何かわかる? バンビよ。あの映画で私は3日間泣いたわ。違うわ、待って、2日間よ! だって、3日目にママが自殺して、だから私は、ある程度は、そのことで泣いていたから。)
チャンドラー: (totally not crying) Well, see now that I can see crying over, but Bambi is a cartoon! ([全く泣いていない状態で] そうだなぁ、嘆き悲しむのはわかるけど、でも、バンビはアニメだぞ!)
ジョーイ: (crying) You didn't cry when Bambi's mother died? ([泣きながら] バンビのママが死んだ時に、お前は泣かなかったのか?)
チャンドラー: Yes, it was very sad when the guy stopped drawing the deer! (ああ、すごく悲しいことだったよね、アニメーターがその鹿の絵を描くのをやめた時は!)
モニカ: Chandler, there's nothing wrong with crying! You don't have to be so macho all the time. (チャンドラー、泣くのは何も悪いことじゃないわ! いつもそんなにマッチョでいる必要なんかないのよ。)
チャンドラー: I'm not macho. (俺はマッチョじゃないよ。)
モニカ: Yeah, you're right. I don't know what I was thinking. (そうね、あなたは正しいわ。私、何を考えてたのか自分でもわからない。)
フレンズたちはみんなで映画「E.T.」を見ています。
This is my favorite part. は、「これが私のお気に入りの部分だ」なので、「私はこのシーンが好き」という感覚ですね。
Y'know what's sadder than this? Bambi. は、「これ(この E.T. のラストシーンよりももっと悲しいものは何か知ってる? (それは)バンビよ」というニュアンス。
そして、バンビの映画で3日間泣いた、と言った後、「違うわ、待って、2日間だったわ!」と日数を訂正し、その理由を付け加えています。
バンビを見て泣いていた3日目に、ママが自殺したので、部分的にはそのため(ママの自殺のせいで)私は泣いていたわけだから、という、何ともヘビーな理由。
アニメのバンビで泣く話と、自分の母親が自殺した話を同じ次元で語っていて、聞いているフレンズたちはぎょっとした顔をしていますが、そういう話をさらっと普通の会話に混ぜてくるところが、フィービーらしいとも言えますね。
cry over は「(不幸などを)嘆き悲しむ」。
It's no use crying over spilt milk. だと、「こぼれたミルクを嘆き悲しむことは無駄だ」という意味になり、これは日本語の「覆水盆に返らず」に当たることわざですね。
チャンドラーは、「バンビを見て、嘆き悲しむのはわかる、理解できるけど、アニメなのに(実際に涙を流して)泣くのか?」と言いたいようです。
ジョーイが、バンビのママが死ぬシーンを見て、お前は泣かなかったのか?と尋ねると、チャンドラーは、「いやぁ、すごく悲しかったよ、…の時は」と答えます。
「ママが死んだ時は、(泣きはしなかったけれど)そりゃあ悲しかったさ、あれは悲しいシーンだったよね」と言うのかと思いきや、「男が鹿を描くのをやめた時」は悲しかった、と言っています。
「そりゃあ悲しかったさ、アニメーターが鹿(バンビのママ)の絵を描くのをやめた時にはね」と表現することで、「実際に何かが”死んだ”わけじゃなくて、アニメからその絵が消えただけのことだろ?」と、アニメを見て心底悲しむフレンズたちに皮肉を言っているわけですね。
モニカはそのセリフを聞いて、「チャンドラーは泣くことを拒否している、もしくは恥ずかしいと思っている」のかと思ったようです。
泣くことは何も悪いことじゃない、恥ずかしいことじゃない、と言って、「いつも、そんなにマッチョでいる必要はないのよ」と言います。
チャンドラーは、マッチョと言われたことが意外だったようで、「俺はマッチョじゃないよ」と言うのですが、その後のモニカのセリフが面白いですね。
モニカもそう言われて、自分の発言のおかしさに気付いたようで、「あなたの言う通りね。(あなたをマッチョだと言った時に)私が何を考えていたのか、自分でもわからないわ」と答えます。
マッチョは日本語になってしまっていますが、改めて英英辞典を見てみると、
LAAD (Longman Advanced American Dictionary) では、
macho [adjective] : (informal) macho behavior emphasizes a man's physical strength, lack of sensitive feelings, and other qualities considered to be typical of men
つまり、「マッチョな行動は、男の体力、繊細な感情の欠如、男性に特有なものと見なされる他の性質を強調する」。
「アニメで泣くかぁ?」みたいなチャンドラーの発言が、「男は泣かない」という男らしさを必要以上に強調している気がして、「マッチョぶる必要なんかないのに」とモニカは言ったわけですが、「別に俺はマッチョじゃないけど」とあっさり言われてしまったので、「そうね、確かにチャンドラーは全然マッチョじゃないのに、どうして私はあんなこと言っちゃったのかしら?」と、自分自身にあきれている感じが出ています。
「俺はマッチョじゃないし」「あなたの言う通り、あなたは確かにマッチョじゃない」と、お互いあっさり「マッチョじゃない」ことを認めてしまうあたりが、このカップルらしいところだなと思いました。
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