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[Scene: Central Perk, Phoebe, Chandler, and Monica are there.]
セントラルパーク。フィービー、チャンドラー、モニカがそこにいる。
ジョーイ: (entering) Hey! ([入ってきて] やあ!)
チャンドラー: Hey! (やあ!)
ジョーイ: Say hello to Reverend Joey Tribbiani! (Holds up the piece of paper bearing the proof of his ordination.) (ジョーイ・トリビアーニ師[尊師]に挨拶してくれよ。[聖職授与証明の記載がある紙を高く掲げる])
チャンドラー: Hey! (おぉ!)
モニカ: You did it! You got ordained?! (やったのね! 牧師に任命されたのね?)
ジョーイ: Yeah. Just got off the Internet! Man, there is a lot of porn out there! (あぁ。ちょうどインターネットを終えたところだ! あぁ、あそこにはポルノがいっぱいあるんだな!)
チャンドラー: Our minister. (我らが牧師様。)
ジョーイ: Anyway, I started working on what I'm going to say for the ceremony. Wanna hear it? (とにかく、式で言うつもりにしてることに取り掛かり始めたんだ。聞きたいか?)
チャンドラー: Okay. (よし。)
モニカ: Yeah! (ええ!)
ジョーイ: Now-now, listen, this is just a first draft, so.... (Starts to read the piece of paper he brought.) "We are gathered here today on this joyous occasion to celebrate the special love that Monica and Chandler share." (Monica and Chandler like it so far.) Eh? (He continues reading.) "It is a love based on giving and receiving, as well as having and sharing. And the love that they give and have is shared and received. And through this having and giving and sharing and receiving... We too can share and love and have... and receive." (よし、いいか、これはまだ最初の草稿なんで、だから… [自分が持ってきた紙切れを読み始める] ”私たちは今日この喜ばしい出来事に集いました、モニカとチャンドラーが分け合う特別な愛を祝うために” [モニカとチャンドラーはそこまでは気に入っている] どう? [ジョーイは読むのを続ける] ”それは与えることと受け取ること、そして同様に、所有することと分け合うことにも基づいた愛です。そして彼らが与え所有する愛は、分け合われ、受け取られます。そしてこの、所有すること、与えること、分け合うこと、受け取ることを通して、我々も同様に分け合い、愛し、所有し…受け取ることが可能なのです” )
チャンドラー: (To Monica) Should we call the spitter? ([モニカに] 俺たち、ツバ飛ばし(の牧師)に電話すべきかな?)
嬉しそうに入ってきたジョーイは、Reverend のジョーイ・トリビアーニに挨拶しろよ、みたいに言っています。
reverend は「聖職者、牧師」という意味で、the Reverend+氏名、の形をとると、「…師、…尊師」のような聖職者の敬称になります。
研究社 新英和中辞典では、
reverend
用法:聖職者に対する敬称として用いる場合には, 姓と名とをつけて、さらに the をつけるのがていねいな用法
という説明があり、今回のジョーイのセリフの場合は、その the がついていないバージョンだということになるでしょう。
そう言いながらジョーイが掲げているものは、ト書きでは、the piece of paper bearing the proof of his ordination と説明されています。
ordination は「聖職授与(式)」という意味。
動詞 ordain は「(人)を(牧師・司祭に)任命する」という意味になり、その後のモニカのセリフに、got ordained の形で登場していますね。
ここでの、動詞 bear は「(日付・署名の)記載がある」。
ですから、このト書きは、聖職に任命されたという証明の記載がある(1枚の)紙を高く掲げる、と言っていることになります。
Just got off the Internet! の get off は「(乗り物)から降りる」のニュアンスから、「〜から離れる」という感覚。
ついさっきまでインターネットやってて、今それを終えてきたばかりなんだ、という感覚になるでしょう。
インターネットで牧師の資格が取れる、ということで早速それをやってきたばかりだ、という話なのですが、その後、「あそこにはポルノがいっぱいあるんだな」みたいなことを言っていますね。
out there は「あちらでは、向こうでは」という感覚で、この場合は、今見てきたばかりのインターネットの世界を「あっちの世界では」と呼んでいる感覚になります。
一般的には「世間では」のようなニュアンスで、out there を使うことも多いですね。
「インターネットってポルノがいっぱい見られるんだな」みたいなことを言うジョーイに、チャンドラーは笑いながら、Our minister. と言っています。
「我が牧師よ、我らが牧師様」みたいなニュアンスで言っているわけですが、結婚式を挙げられるという聖職者の資格をインターネットで得てきたばかりだと言うのに、聖職者に似つかわしくないエッチな話(笑)を早速言っているジョーイに対して、皮肉っぽくそう呼びかけているわけですね。
「そういうエッチな話題をするジョーイが俺たちの牧師さんになってくれて、あー、ほんとに誇らしいよー」みたいな感じに言ってみせているのです。
そんな風に茶化されたことも気にせず、ジョーイは式で言おうとしていることの練習を始めたんだ、みたいに言っています。
work on は「〜に取り組む、励む」。
「俺が何を言おうとしてるか、聞きたい?」と言って、話し始めるジョーイ。
draft は「草案、草稿」「下書き」。
「これはまだただの下書きなんだけど…」と言うことで、これが完成品ではない、まだ不完全な部分もあるけど、まぁ、聞いてみてよ、と言っている感覚になります。
最初の部分の「我々は今日ここに集いました」というようなフレーズは、結婚式などでよく聞かれる言葉ですね。
モニカとチャンドラーが分け合う特別な愛を祝うために、この喜ばしい出来事(this joyous occasion)に集いました…というのも、よくあるパターンで、ト書きにあるように、「今のところは(so far)いいね」みたいに二人も反応しています。
so far は「これまで・今までのところ(は)」という意味で、so far so good だと「これまでのところは良い」という決まり文句ですね。
ちなみに、ト書きの like は日本語では「好き」と訳されることが多いですが、Facebook の「いいね!」ボタンは英語では「Like」であることからも、「いいね、気に入った」みたいな感覚で訳してみた方が、この like it so far 「ここまでのところは、いいねと気に入っている」感覚が出るような気がしました。
わざわざト書きに so far 「ここまでは」と書いてあることから何となくこの先が想定されたわけですが(笑)、案の定、そこから先の言葉が、ジョーイらしい、わけのわからない感じになっていくのが面白いです。
It is a love based on giving and receiving, as well as having and sharing. の it は今述べている、チャンドラーとモニカの愛のことで、それは与えることと受け取ることに基づいた愛である、と言っています。
A as well as B は、「B と同じように A も」、または「A も B も」のようなニュアンス。
与えることと受け取ること、と先に言っておいて、また同様に、所有することと分け合うことも、と付け加えた形になります。
このあたりは、ちょっと抽象的な表現になっていますが、愛を大きな視点で語る場合に、give, receive, have, share などの動詞は愛という言葉と繋がりが深い気がしますよね。
そういう言葉をふんだんに使って、愛というものを語ろうとしている姿勢はうかがえます。
内容がおかしくなってくるのが次くらいからで、And the love that they give and have is shared and received. を直訳すると、「彼らが与え、所有する愛は、分け合われ、受け取られる」。
つまり、与えるものが受け取られ、所有しているものが分け合われる、という、まぁ、愛とはそういうものだ的なことを語っていると言えばそうなのかもしれませんが、ここまで来ると、ただ言葉をこねくり回しているだけ、という感じになってしまっています。
学校英語で、「この能動態の文章を受動態の文章に直せ」みたいな感じで受動態にしたかのような、無理やり感が感じられる気もしますよね。
それらしいことを言っているようだけど、結局それって何のこと?みたいな感じになってしまっているわけです。
その次にまた、さっきから使っている同じような動詞を使いまくって、「この所有することと、与えることと、分け合うことと、受け取ることを通して、我々もまた、分け合い、愛し、所有し、受け取ることができるのだ」みたいな、これまたわかったようなわからないようなことを言っているという面白さですね。
ちなみに、この最後の文章では、share, love, have, receive が使われていますが、love ではなくて、give の方が、他の文章との釣り合いが取れるのではないか?と思うのですがいかがでしょう?
もちろん、love という単語も、キーワードではありますが、このジョーイの草案では、love を語るにおいて、give, receive, have, share という一般的、抽象的な4つの動詞を使っている、というのがポイントなわけですよね。
次々と文章は続いていくものの、使われている単語は全部、この4つばっかりじゃん! その4つをグルグル使い回ししてるだけじゃん!という面白さがここでのポイントだと思うので、最後の We too can... の文章も、その4つの単語で揃えた方が、「まだ言うか!」的に笑えて面白いのではないかなぁ、と思ったということです。
最初はいい感じだな、と嬉しそうな顔で聞いていた二人でしたが、その4つの動詞ばかりがやたらと出てくる文章になってきた頃から、不安になってきたようで、一通り聞いた後、「俺たち、the spitter (あのツバを飛ばすやつ)に電話すべきかな? あいつを呼ぶべきかな?」みたいに言っています。
牧師候補のどいつもこいつも気に入らないということで、友達のジョーイに頼むことにしたけれど、この文章を聞いてたらやっぱ不安だ、ツバを飛ばすあの牧師の方がまだましだ、と思っていることが、このセリフからもわかります。
まぁ、いつものフレンズのパターンとして、ジョーイが牧師役をやる、ということになれば、こんな感じのダメダメなスピーチをすることになりそうでみんなが不安になる、という流れは想定されるわけですが、そのダメダメさを表現するのに、「牧師っぽく抽象的に語ろうとするけれど、ボキャ貧で語彙が限られているので、その言葉を能動態、受動態、動名詞…みたいに形を変えて変形させ、組み合わせたような、中身のない薄っぺらい言葉になってしまう」という面白さが、ここでのポイントだということになるでしょうね。
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