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ジョーイとレイチェルの家。レイチェルがいるところにジョーイが帰ってきます。
ジョーイ: So umm, I was talkin' to Ross and he said you were looking for a new place. (で、俺はロスと話してたんだけど、レイチェルが新しい場所を探しているって、ロスは言ってた。)
レイチェル: Oh, yeah! Hopefully across the street. If certain Dutch people would just let go. (ええ! うまくいけば、通りの向こう側なの。あるオランダ人がただ逝ってくれたらね。)
ジョーイ: I was kinda hoping you'd stay. (俺は君がここにいてくれること[とどまってくれること]を希望してたりしたんだけど[希望してたりしたのに]。)
レイチェル: Oh, but Joey, I have to go. There's no room for a baby here. (あぁ、でもジョーイ、私は行かなくちゃ。ここには赤ちゃんのための場所(スペース)はないわ。)
ジョーイ: No room? It's a baby. It's, like, this big. (Holds his hands about a foot apart.) Y'know, I mean you-you could, you could put it over here. (A desk.) Or-or-or we could put it right here. (The chair.) Aw, it's cute, right? Or-or we could put it over here. (By the bathroom door.) You wouldn't even notice it. "Where's the baby?" "Oh, it's right over...." (Mumbles that it's over in the corner.) (場所がない? 赤ちゃんだぞ。ほら、これくらいの大きさだよ。[1フィートくらい自分の手を広げる] ほら、こっち側に赤ちゃんを置くことだってできる。[机] もしくは、ちょうどここに置くこともできる。[椅子] 可愛いだろ? もしくは、こっちに置くこともできるよ。[トイレのドアのそば] 赤ちゃんに気づくことすらないよ。「赤ちゃんはどこ?」 あぁ、ちょうどここに… [コーナーにいる…と、もごもご言う])
レイチェル: Honey, it's not just a matter of where you put it. I mean a baby changes everything. They cry all the time. I mean, imagine bringing home some girl and trying to score when there's a screaming baby around. (ハニー、どこに赤ちゃんを置くかの問題じゃないの。(たった一人の)赤ちゃんがすべてを変えるわ。赤ちゃんはずっと泣くものよ。想像してみて、ある女の子を家に連れてきて、モノにしてやろうとしている時に、泣き叫ぶ赤ちゃんが近くにいるのよ。)
家に帰って来たジョーイは、さっきロスと話してたんだけど、レイチェルが新しい場所(新しく住む場所)を探してるって言ってたけど、と言います。
hopefully は「うまくいけば、願わくは(〜だといいんだけど)」というニュアンス。
certain Dutch people は「あるオランダ人」。
(解説では飛ばしてしまったのですが)通りの向かいのアパートメントには、ロスが住んでいて、そのアパートの住人の一人であるオランダ人のおばあさんが亡くなりそうな状態であることが、今回のエピソードのプロットの1つになっています。
レイチェルは「その人が亡くなってその部屋が空けば、そこに住めるんだけどね」みたいなことを言っていることになります。
引っ越す件を当たり前のように話しているレイチェルですが、ジョーイは、I was kinda hoping you'd stay. と言っています。
hope は「願う、望む、希望する」で、I was kinda hoping というのは、「俺は希望してたりしたんだけど」みたいな感じ。
kinda = kind of は「みたいな」という感覚で、言葉をはっきり言わずにはぐらかす、ボカす感じの挿入句ですね。
I hope だと「〜を希望する、願う」となり、今もそう願っている感じが出ますが、I was hoping 「俺は希望してた、願ってた」という過去進行形には、「そう願っていたんだけど、今はそれを願うわけにはいかない(かも)」というような、「俺は〜って希望してたりしてたんだけど、実際の現実では、その俺の希望は叶わないの?」的な感じが出ているように思います。
そういうニュアンスを出すには、日本語訳に「俺は希望してたのに、、」「俺はそう願ってたんだけど、、」のような逆接のニュアンスで言葉を終えるとわかりやすい気がしますね。
「ここにいてくれたらって俺は思ってたのに」というジョーイに、レイチェルは「でも私は行かなきゃいけない、この家から出なくちゃいけない」と言い、「ここには赤ちゃんのための場所・スペースがない」とも言っています。
それを聞いたジョーイは、No room? 「場所がない、だって?」のように言った後、「赤ちゃんだろ、このくらいの大きさじゃないか」と、その大きさを手を広げた幅で示します。
その後、部屋のあちこちに行っては、ここにも置けるし、そこにも置ける、と言い、最後には、You wouldn't even notice it. 「赤ちゃんに気づくことすらないだろう」のようにも言っていますね。
「赤ちゃんはどこ?」と探し回っていたら、「あぁ、こんなところにいたわ、小さ過ぎて気づかなかった、、」みたいになるよ、「そんなに小さな赤ちゃんのためのスペースがない」なんてこと、ありえないよ、と言いたいのですね。
ちなみに、このジョーイのセリフではずっと、the baby = it で表現されていますが、まだ性別が分かっていないので、it と表現していることになります。
性別が分かった後は、きちんと、he/him, she/her などの代名詞を使うことになるでしょうね。
赤ちゃんなんてこんなにちっちゃいんだから、部屋のどこにだって置けるよ、と言うジョーイに、レイチェルは、it's not just a matter of where you put it. と言います。
a matter of (something) は「〜の問題」というニュアンスで、It's a matter of time. なら「時間の問題だ」ですね。
今回のセリフでは、「赤ちゃんをどこに置くかの問題じゃない」「赤ちゃんを置く場所の問題じゃない」と言っていることになります。
その後、「場所の問題じゃなくて、問題の本質はこっち」のように、I mean 「私が言いたいのはこういうことよ」を使って、説明しています。
a baby changes everything. を直訳すると、「一人の赤ちゃんはすべてを変える」。
その次の They cry all the time. の they は、babies 「赤ちゃんたち(複数形)」のことですね。
この a baby changes と、They cry という「現在形」は、どちらも主語の「習性」のようなものを表していると考えられます。
この2文を対比して見た時に、1文目は単数形(a baby)、2文目は複数形(they = babies)になっている部分に注目してみるのも面白いかなと思いました。
1文目の「一人の赤ちゃんはすべてを変える」という文章は、「赤ちゃんというものは、それが”たった一人”存在するだけで、すべてを変えてしまうものだ」というニュアンスがよく出ているように思います。
今もレイチェルは、自分の子供が生まれた後のことを想定して話しているわけですが、その子がこの世に生まれ出て、この部屋に住むとなったら、それはもう、ありとあらゆることが変化してしまうのよ、変わってしまうのよ、と言いたいわけですね。
2文目は、「赤ちゃんたちはいつも(四六時中、ひっきりなしに)泣く」という感覚。
ここでは、主語が複数形になっていますが、赤ちゃんというものはどんな赤ちゃんでもそうである、という感じの、「どんな赤ちゃんにも該当する、赤ちゃんというものの普遍的な習性」が、主語を複数形にすることで出ている気がします。
通常、主語の普遍的な習性を述べる場合には、このように主語を複数形にするのが一般的で、2文目はそれに則った標準的な表現だと言えるでしょう。
習性を表す場合に、主語を複数形にしたものは、女はしゃべる フレンズ3-3その33 に、"Women talk." 「女たちってのは、おしゃべりだ、何でもかんでもしゃべるもんだ。」というセリフで出てきました。
「女とは(みんな、概して)そういう習性、性質を持っている」と言っている感じですね。
主語を複数形にした2文目に対して、その前の1文目の方は、「赤ちゃんというものは(どの子もこの子も)全てを変えるのだ」というよりも、「たった一人の赤ちゃんが、(環境)すべてを変える」という、「一人の赤ちゃんの持つ影響力のすごさ」を述べた文だと言える気がするわけです。
ここは、a baby となっているからこそ、その存在の影響力の強さが表現されるわけでしょう。
imagine bringing home some girl and... について。
imagine doing は、「〜することを・〜するのを想像する」で、ここでは命令形になっているので、「(あなたが)〜するのを想像してみて」と言っていることになります。
これが、imagine me/my bringing home... のように、bringing の前に me (目的格)や my (所有格)がついていたなら、その me/my は bringing という動名詞の意味上の主語となるので、「私が(誰かを)家に連れてくるのを想像してみて」と言っていることになりますね。
imagine doing の doing の行為者(主語)が、imagine する当人であれば、doing の前に、意味上の主語は不要である、ということで、つまりは、imagine doing の形になっていることから、doing の意味上の主語は、imagine の主語と同じものであるとわかる、ということです。
imagine 「想像して」と言っている内容が、その後の、bringing... and trying... when の部分ですね。
それを前から順番にイメージすると、「(あなたが)ある(どこかの)女の子を家に連れてきて、score しようとしている、泣き叫ぶ赤ちゃんが近くにいる時に」になります。
when は直訳風に、「a screaming baby が近くに存在する時に」と訳しても意味はわかりますが、前から順番に意味を取っていく感覚で、「score しようとしているその時に、泣き叫ぶ赤ちゃんが近くにいるのよ」みたいに理解した方が自然な感じはします。
when SV を「S が V する時に」と訳すのが日本人の癖みたいになっていますが、when が来た時点で、「その時に、when 以下の状態になっているんだな」と想定しながら、when 以下を読み進める方が、すんなり理解できる気がする、と言いますか。
そして、ここでの score のニュアンスは「女をモノにする」。
これについては、score の意味 フレンズ8-1その5 で、
ロス: I am so gonna score. (間違いなく、ヤレるな。)
というセリフが出てきた時に解説しましたが、英英辞典でも、ダイレクトにはっきりと、to have sex with someone だと説明してあります。
レイチェルは、「赤ちゃんがいたら、困るのはジョーイよ」と説明するのに、「女の子を連れ込んで、さあヤるぞ、って時に、そばにピーピー泣き叫ぶ赤ちゃんがいたら、、、って想像してみてよ」みたいに、わざとそういう「俗語」的言い回しを使ってみせたのでしょうね。
抽象的に、きれいに表現し過ぎることはやめて、ダイレクトにエッチをイメージする言葉を使うことで、「実際に、エッチの時のことをリアルに想像してみたら、赤ちゃんいたら迷惑だな、って正直思うでしょ?」という風に、話を持って行こうとしている感じが出ているように思いました。
そこまで言ったレイチェルですが、その後の返事がとてもジョーイらしくて面白いです。
長くなりそうなので、それは次回にしますね(^^)
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コメントありがとうございます。
実は let go の訳は、投稿前にどう訳そうかと悩んでいた部分でした。ですから、まさにその箇所に貴重なご意見をいただけたこと、心より感謝しております(^^)
まず、「逝く」と訳してしまったのは(言い訳みたいになってしまって恐縮ですが)、DVD の日本語字幕が、
オランダ人が逝(い)けば 向かいに引っ越せるわ
となっていたからでした。
今回のプロットが、「ロスと同じアパートのオランダ人のおばあさんが亡くなったら、その部屋が手に入る」というものだったので、go という言葉から She's gone. 「彼女は死んだ」的なものを連想して、let go もそういう意味かなぁ、と考えて「逝く」という訳を選んでしまいました。「逝く」と言いたいのなら、pass away のような表現を使うかな、とも同時に思ったりもしたのですが、、、。
今改めて考えると、「おばあさんが死んだ後のアパートを手に入れようと、ロスとレイチェルが画策している」ということは、やはり不謹慎な話だし、わざわざ事情を知らない人に説明することでもないですよね。だから、ジョーイに説明する場合には、「おばあさんが死んだら」のような不謹慎な発言をするはずはない、と考えるのが自然だと思いました。
自分でも「逝く」という訳にちょっとした違和感があったので、上の記事を投稿する前にも、let go というシンプルな表現を、英和、英英ともにいろいろ調べてはいました。
直訳すると、「行くのを許す、行かせる」ということで、辞書にもそのような意味が並んでいたのですが、「行かせる、と言っても、誰かを行かせるわけじゃなくて、本人が go するわけだし、、、」と思って、語義を見てもその時はどれもしっくり来なくて、let oneself go を let go と省略しているのかな、みたいに勝手に考えてしまったようです。
そういう「もやもや」のまま、日本語訳を書いてしまったのですが、Joeさんのコメントの let go (of the room across the street) という文章を見て、あぁそうか!とやっとこさ(笑)気付きました。そっかー、「手放す」という意味だったんですね! 「手放す」(to stop holding somebody/something)という意味は、英和にも英英にも載っていたのですが、それが私の頭の中で、「”アパートメントの部屋を”手放す」という意味になぜか繋がらなかったようです。
そういう意味だと意識した上で、上のやりとりを見ると、
ジョーイ: he said you were looking for a new place.
レイチェル: Oh, yeah! Hopefully across the street. If certain Dutch people would just let go.
となっていて、話題の中心は、a new place, (an apartment) across the street ですよね。
その流れで行くと、オランダ人が let go しようとしているのは、その「アパートメント、部屋」であることは明白で、だから let go 以下は省略されてしまっていた、ということなんでしょうね。
「新しい場所。向かい(のアパートメント)。オランダ人が手放せば」という流れだったんですね。
「If 節中の would は意志を示す」のもまさにおっしゃる通りです。「オランダ人が手放してくれたら」私のものになるの、という感覚が、レイチェルのセリフだったわけですね。
もやもやしていた部分を突かれてしまったので^^ 私の頭の中を整理するつもりもあって、レスが長くなってしまいました。すみません(^^)
貴重なご指摘ありがとうございました。私のしつこく長いレスにどうかあきれたりなさらずに(笑)、これからもよろしくお願いします!(^^)