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俳優のジョーイが出演しているドラマで恋愛シーンがあり、友人としてスタジオ見学していたレイチェルは、その情熱的な恋愛場面に釘付けになってしまっていました。
その後、「話の続きが知りたい」というレイチェルに、ジョーイは台本を渡して、「俺のセリフ読みの相手役になって」と頼みます。
そうして二人で台本を読み合わせしているところ。
「妹が囚われの身で、私には彼と結婚するしか道はなかった」という相手役のセリフに対し、
ジョーイ/ドレイク(役): So, what about us? Everything we feel for each other? (それで、俺たちはどうなの? お互いに対して俺たちが感じることの全ては(どうなるの)?)
レイチェル/女優(役): It's over! You have to accept that. (終わったのよ! あなたはそれを受け入れないといけないわ!)
ジョーイ/ドレイク: How can I? Knowing I'll never hold you in my arms again, or touch your skin or feel your lips, knowing I'll never make love to you? How can I accept that... I can never kiss you again when it's all I can do not to kiss you right now? (どうやってそんなことができる? 君を俺の腕の中に抱いたり、君の肌に触れたり、君の唇を感じたりすることがもう二度とできないと知っていながら、君と二度と愛を交わすことができないと知っていながら? 君に二度とキスできないということをどうやって受け入れることができる? 俺にできることは、今君にキスしないでいることだけだと言うのに。)
レイチェル: (pause) Kiss me. ([間があって] キスして。)
ジョーイ: What? (何?)
レイチェル: Kiss me. (キスして。)
ジョーイ: Ah, Rach, it doesn't say that! (あー、レイチェル、そんなこと(脚本には)書いてないよ!)
レイチェル: No, I'm saying it. (いいえ、私が(そう)言ってるの。)
ジョーイ: But, but-- (でも、だけど…)
レイチェル: Just... don't talk. (she kisses him) (ただ…もう話さないで[黙って]。 [レイチェルはジョーイにキスする])
[Scene: Rachel's bedroom]
レイチェルの寝室。
レイチェル: (waking up) Ehhh, aw! (pause). Well, that's new! ([目が覚めて] あー! [間があって] まぁ、今のは新しいわね[新手(あらて)ね。斬新ね]!)
「私には彼と結婚するしか道はなかった」という相手役のセリフに対し、ドレイクは、「俺たちのことはどうなの? お互いに対して感じている全ては?」と言っています。
彼との間のことはそうだとしても、君と俺がお互いに抱いているこの気持ちについてはどうなるの? ということですね。
レイチェルが、「終わったのよ。あなたはそれを受け入れないといけないわ!」と言うと、ドレイクは、How can I? 以下の、非常に長いセリフを言います。
How can I? は、How can I accept that? ということで、that は It's over. 「(私たちのことは)終わった」を指していることになるでしょう。
「俺たちはもう終わった、なんてことを、どうやって俺が受け入れることができるんだ? そんなこと、俺に受け入れられるはずがないじゃないか!」という反語表現ですね。
Knowing は、How can I accept that, knowing... という分詞構文のニュアンスで、「〜ということを知りながら、二人の別れ・二人の終わりをどうやって受け入れられるって言うんだ?」という感覚になるでしょう。
Knowing I'll never... again は、「俺がもう二度と〜できないと知りながら」になりますね。
二度とそうすることはできない内容として、最初に、hold you in my arms, 次に、touch your skin, feel your lips という表現が続いています。
順番に訳すと、「君を俺の腕(の中)に抱く」「君の肌に触れる」「君の唇を感じる」となります。
ロマンティックなセリフという観点で、これらの表現を見てみると、ただ hold you 「君を抱く(ことができない」と言うよりも、hold you in my arms 「俺の腕に抱く(ことができない)」という方が、切なさがより強く出るように思います。
touch your skin の touch は主に「手で触る(さわる)、手で触れる(ふれる)」という意味で、ここでもまさにその通りの「手で触れる」という意味で使っていることになるでしょう。
feel your lips の feel も「手で触る、手で触れる」という意味がありますが、ご存知の通り、「触れる」以外にも「感じる」という意味としてよく使われる言葉ですよね。
このセリフでは、「身体(の部位)で感じる」という感覚で使っていて、キスすることで、自分の唇で君の唇を感じる、という意味で使っていることになるでしょう。
対象となる部位によって、動詞を使い分けているところが、ロマンティックだな、と思うわけですね。
knowing I'll never make love to you? は、「君と二度と愛を交わすことがない(愛を交わすことができない)と知りながら?」になります。
make love to 「(人)と愛を交わす」というフレーズは、sleep with のようなダイレクトな表現よりも、抽象的できれいな表現で、このような美しい恋愛シーンにおいては、よりロマンティックさが強まりますね。
次の How can I accept that... I can never kiss you again when it's all I can do not to kiss you right now? という長めのセリフについて。
この文章の基本構造は、How can I accept that A, when B ? で、とりあえず前から直訳してみると、「A ということをどうやって受け入れられるというのだろう? B である時に」となりますが、このような文脈で when が出てきた場合には、when を「なのに」というような逆接で訳すとしっくり来る場合も多いです。
また、特に今回の場合は、以下の研究社 新英和中辞典の語義が、よくあてはまるように思います。
when 【接】=…を考える[思う]と
How can you convince him when he will not listen? 耳を傾けようとしないのにどうして彼を説きつけられようか
この例文は、How can you... when...? の形になっていて、今回のセリフの How can I accept that A, when B ? の形とよく似ていますね。
上の例文が、「…のに(…を考えると・思うと)どうして〜することができようか」のように訳されていることを考えると、今回のセリフも、「B (という状態)なのに[B であるという状態を考えると・思うと]どうして A であることを受け入れることができようか」と訳すことができると思います。
when というのは「〜する時」と訳されることが多いですが、その when が表すものは「同時性」であると私は思っていて、そのため、文脈によっては、「〜なのに、〜であると考えると」と訳した方がしっくり来る場合もある、ということなのでしょう。
A と B に該当する部分を改めて訳してみると、A の I can never kiss you again は、「俺が君に二度とキスできない」ということで、B の it's all I can do not to kiss you right now は、It is C to (do). 「〜することは C である」という、形式主語の構文になります。
do not は don't ではなく、it's all I can do / not to kiss you のように、do と not の間に切れ目が入る感覚ですね。
To (do) is C. 「〜することは C である」のように主語が to不定詞になった文章を、主語が長くなるのを避けるため、it を形式主語として置いて、to不定詞を後ろに回した形となります。
今回は、その to不定詞が、not の付いた not to do の形(not to kiss...)になっているため、通常の形式主語の文章よりもわかりにくくなっているかもしれません。
つまり、B のセリフは、「今、君にキスしないこと(not to kiss you right now)が、俺ができる全てのこと(all I can do)である」という構造になります。
「俺ができる全てのこと」=「俺にはそれしかできない」ということですから、「俺にできることは、今君にキスしないことだけ」と言っていることになります。
「俺にできることは、〜しないことだけ」というのは、一風変わった表現ですが、「〜しないことしかできない」というのは、「〜することが俺にはできない、俺には許されていない」と言っていることになるでしょう。
今の俺にできるのは、ただ「キスしないでいる」ということだけ、と表現することで、今の俺は君に対してキスという行為をすることができない、ということを表現しているわけですね。
when を使って「〜だというのに」と表現することで、「君を目の前にした今も、君にキスすることができないというのに、これから先も二度とキスすることはないという事実をどうやって受け入れろっていうんだ」と言っていることになります。
DVDの日本語音声(吹替)では、「もう君にキスできないし、今もキスを我慢するしかないなんて」と訳されていましたが、言っている内容はまさにそういうことで、when の「〜だというのに」というニュアンスを出して訳すと、「今もキスを我慢するしかないというのに、もう二度と君にキスできないということをどうやって受け入れろと?」という感じになるでしょう。
そんな情熱的なセリフを、ドレイク役として読んでいるジョーイですが、レイチェルは、ジョーイが、knowing I'll never make love to you? のセリフを読んでいるあたりから、うっとりした顔になっています。
セリフの練習であることを忘れたかのように、気持ちが入り込んでしまっている感じです。
「もう二度と君にキスできないってことをどうやって受け入れることができる? 君を目の前にしている今も俺は君にキスできないっていうのに、、」とジョーイが言うのを聞いていたレイチェルは、しばらく間を置いてから、Kiss me. と言います。
それを聞いたジョーイも、しばらく間を置いてから、What? と言っていますね。
そのジョーイの What? の言い方から、「ドレイク役としてセリフを読んでいるのではなく、素(す)のジョーイがそう言っている」ことがわかるので、レイチェルが言った、"Kiss. me." という言葉は、脚本に載っていたセリフではない、脚本には書いていないことをレイチェルが言った、ということがわかるわけです。
観客や視聴者には、台本の内容はわかりませんので、レイチェルが Kiss me. と言った瞬間には、「レイチェルは台本の続きを読んでいるんだろう」と思えるのですが、ジョーイが「え?」と驚いた顔で What? と言った時に初めて、「Kiss me. なんてセリフは脚本には書いてない」ことがわかる仕組みになっているのですね。
ジョーイが What? と言っても、レイチェルはもう一度、Kiss me. と言っています。
その次のジョーイの it doesn't say that! は、「それ(脚本)はそんなこと言ってない」→「その脚本にはそんなセリフ書いてない」という意味になります。
このように say は、「(本などが)〜と書いてある」という意味で使われますね。
No, I'm saying it. は「いいえ、私がそれを言っているの」ということですから、これはまさに「言う」の意味で、「脚本には Kiss me. なんて書いてないよ」と言ったジョーイに対して、「Kiss me. は(脚本を読んでるんじゃなくて)私自身がそう言ってるの」と返したことになります。
日本語だと、「本にはそんなこと”書いて”ないよ」「いいえ、私がそう”言って”るの」となりますが、英語ではどちらも同じ動詞 say で表現されるということで、そのことが「脚本じゃなくて、私自身がそう言っている」という対比を際立たせることにもなりますね。
「私が”キスして”って言ってるの」ということですから、「キスして」と言われたことになるジョーイは、「でも…」と言葉に詰まっています。
Just... don't talk. は、「ただ(もう)話さないで」で、そう言ってレイチェルは、ジョーイの顔を手で挟んで、自分からジョーイにキスすることになります。
衝撃の展開に、観客からも「おぉ〜」というどよめきのような歓声が上がっていますが、そんなどよめきが上がった直後に、画面がレイチェルの寝室に切り替わり、白いタンクトップ姿で一人で寝ているレイチェルが驚いて飛び起きる様子を映します。
そのシーンが映し出されたことで、「レイチェルがジョーイにキスしたのは、レイチェルの夢の中の話だった」ということ、つまりは「夢オチ」だったことがわかるわけですね。
飛び起きたレイチェルは、Well, that's new! と言っています。
直訳すると、「さっきの(今の)は新しい」ということで、つまりは、「今見た夢は(これまでにない)新しいタイプのものね、斬新だわ」と言っている感覚になるでしょう。
DVDの日本語字幕では、「新手(あらて)の夢ね」と訳されていましたが、まさに「新手」というニュアンスがぴったりですね。
「ロマンティックなセリフを読み合っているうちに、私(レイチェル)の方からジョーイにキスしてしまう」という内容について、自分が見た夢ながら「思いがけない展開だった」と驚いているのがよくわかるセリフです。
今回のこの夢オチは、レイチェルの寝室が映るまでは「夢オチかもしれない」というような気配はほとんど感じられませんでした。
レイチェルがジョーイのドラマのスタジオ見学に行って、ロマンティックなシーンを演じるジョーイにうっとりと見とれていた、というシーンがあったため、二人きりで情熱的なセリフを読み合わせしているうちに、レイチェルに恋愛感情に似た気持ちが芽生えてしまう、、というのも、あり得るかもと思わせる展開になっていたからでしょう。
二人がキスした時に、観客も視聴者も「えーっ?!」となったはずですが、そのキスシーン自体はあまり長くはなく、すぐに寝ているレイチェルのシーンに移行したので、驚きの時間はそれほど長くはなかった、という感じですね。
「夢オチ」だというネタばらしが、ちょっと早すぎたような気もして、せっかくの「観客がどよめくほどの衝撃の展開」だったので、あともう1秒くらい長くキスシーンを見せてからのぉ〜オチ、でも良かったんじゃないかなぁ、、などと個人的には思ったりもしたのですが^^
ジョーイが言っていたセリフも、レイチェルの言った言葉、No, I'm saying it. Just... don't talk. も、どちらもとてもロマンティックですし、そういう表現にうっとりできればできるほど、夢オチとわかった後のレイチェルのセリフ、Well, that's new! が面白く感じられる気がしますね。
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