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養子縁組の親となる面接で、その赤ちゃんを妊娠しているエリカという女性と対面したチャンドラーとモニカ。
養子縁組斡旋業者(エージェンシー)のシステム上のミスで、エリカは「チャンドラーが医者で、モニカが牧師である」と勘違いしています。
チャンドラーは間違いを訂正しようとするのですが、モニカは、"Let her finish, doctor." 「彼女の話を最後まで聞きましょう、ドクター」とチャンドラーに呼び掛けて、医者と牧師のふりをし続けようとしています。
[Scene: The Adoption Agency in Ohio. Monica and Chandler are still talking with Erica.]
オハイオの養子縁組斡旋業者。モニカとチャンドラーはまだエリカと話をしている。
チャンドラー: So the fact that I am a doctor and my wife's a reverend, that's important to you? (それで、僕が医者で、僕の妻が牧師だという事実、それはあなたにとって重要なんですか?)
エリカ: Yeah. I read some great applications, but then I thought, "Who better than a minister to raise a child?" (ええ。私は素晴らしい申請書をいくつか読みましたが、その時、思ったんです、「子供を育てるのに、牧師以上の人なんているかしら?」って。)
モニカ: Amen. (アーメン。)
エリカ: Plus, I thought the baby would be in good hands with a doctor! (それに、赤ちゃんはお医者さんにお世話してもらえたらな、と思ってました。)
モニカ: Uh, good hands. (she holds Chandler hands) Healing hands. (えぇ、安心よ。[モニカはチャンドラーの手を握る] 癒しの手なの。)
エリカ: Reverend, can I ask? Does the Bible say anything about adoption? (牧師さん、質問していいですか? 聖書には養子(に出すこと)について、何か書いてありますか?)
モニカ: It says, "Do it!" "And behold, she did adopt unto them a baby. And it was good." (聖書にはこう書いてあります、「それをせよ!」と。「そして、見よ、彼女はまさに彼らに赤ちゃんを養子に出した。そしてそれは良きことだった」。)
エリカ: Wow. (ワォ。)
チャンドラー: Yeah, wow. (あぁ、ワォだ。)
チャンドラーが医者、モニカが牧師(reverend)だと勘違いしているエリカに、チャンドラーは「僕が医者で、モニカが牧師だという事実、それはあなたにとって重要ですか?」と尋ねています。
実際にはそれは事実(the fact)ではないわけですが、エリカがそう信じ込んでいるので、そのことがどれほど重要であるかを確認するために、わざと「二人が医者と牧師であるという”事実”」と強調した感じになるでしょう。
I read some great applications, but then I thought は、「私はいくつかの素晴らしい申請書を読んだけれど、でもその時、こう思ったんです」という感覚。
いくつかの書類を読んだ後で思った内容の、"Who better than a minister to raise a child?" を直訳すると、「子供を育てるのに、牧師(a minister)よりも良いのは誰?」になるでしょう。
つまり、「子供を育てる人として、牧師さんよりも良い人なんていないわ。牧師さんが最適だわ」と言っていることになりますね。
「子供を育ててもらえる人として、牧師さんは最高」と言われたモニカは、とってつけたような感じで、Amen. と言っています。
日本語では「アーメン」と表記されることが多いですが、モニカの英語の発音は「エイメン」となっているところにも注目しておきましょう。
in good hands は「安全に保護されて、よく世話をされて」という意味。
hands はご存知「手」ですが、そこから「管理、監督、世話、保護」という意味となり、「良き手の中に」→「良い管理・保護の中に(ある)」という意味になるわけです。
LAAD (Longman Advanced American Dictionary) では、
in good/safe/capable etc. hands : being dealt with or taken care of by someone who can be trusted
例) Every parent wants to make sure they're leaving their child in safe hands.
つまり、「信頼できる人によって扱われている、または、世話されていること」。例文は「全ての親は、自分の子供を信頼できる人に任せられるようにしたいと願う」。
good hands という表現を使ったエリカに同意するように、good hands と言った後、モニカはチャンドラーの手を掴み、「この手は、healing hands (癒しの手)なの」と言っています。
相手が勘違いしたまま、こちらのことを褒め続けることに、一緒に乗っかっているのがよくわかる感じですね。
その後、エリカはモニカに、「聖書では、養子(に出すこと)について何か言っていますか? 聖書にはそのことについて何か書いてありますか?」と尋ねています。
say は「言う」ですが、"書物 says" だと、「書物に…だと書いてある」という意味ですね。
モニカも、It says 「聖書には〜と書いてあります」と say を使って、聖書には養子についてどう書いてあるかを、牧師さん風の口調で語ることになります。
"Do it!" の it = adoption で、「養子については、”養子に出すということをせよ(養子に出せ)”と聖書には書いてある」というニュアンス。
その後の、"And behold, she did adopt unto them a baby. And it was good." も、聖書っぽい口調で語られているのがポイントですね。
behold は「見る」という動詞ですが、間投詞として「見よ!」という意味で使われることがあります。
古い言葉で、聖書などにもよく登場する単語です。
研究社 新英和中辞典では、その間投詞の意味として、以下のように説明されています。
behold=【間】
[注意を促すのに用いて] 見よ
Lo and behold! 《戯言》 いや(はや)これは驚いた。
Behold, the man! ⇒ecce homo.
Behold, the man! の参照先の ecce home. を見てみると、
ecce homo 【名】【C】 エッケホモ 《イバラの冠をいただいたキリストの肖像画》
語源:ラテン語 ‘Behold the man! (見よ、この人を)' の意
と説明されています。
このエッケホモという言葉の説明からも、キリストや聖書との関連性の深さが感じられますね。
LAAD では、
behold : (literary or old use) to see or to look at something (SYN: see)
つまり、「(文語的、または古い使用) 何かを見ること。(類義語: see)
ですから、see 「見る」と同じ意味で、それの古い表現、文語的表現の単語、ということになりますね。
behold 「見よ」の後の文章、she did adopt unto them a baby. について。
ここでは unto という前置詞が使われていますが、研究社 新英和中辞典では、
unto=【前】《古・詩》 …に、…のほうへ、…まで (注: to と同義の古い形)
Come unto me, all ye that labour. すべて労する者われに来たれ (注:聖書「マタイ伝」から)
と説明されています。
この説明からも、unto は、to と同じ意味の前置詞で、例文のように、聖書で使われるような古語であることがよくわかります。
And it was good. は、DVDの日本語訳では、「よき行いだった」と訳されていましたが、まさにそんな感じの聖書的な表現を使って、モニカは「牧師のふりをし続けている」というのがわかる面白さということですね。
エリカは、「養子に出すことを神様はどうおっしゃっているのかしら?」と不安だったはずですが、(エリカが信じているところの)”牧師のモニカ”に「そうしなさい、と神は言っている。養子に出すことは良きことである」と言われ、感動した様子で、Wow. と声に出します。
それを聞いたチャンドラーは、隣のモニカをあきれた様子で見ながら、Yeah, wow. と言っていますが、これは「牧師であると偽り続け、そんなでたらめなことまで言って、相手に Wow. って言わせるなんて、俺の方が、Wow. って言いたいよ」という気持ちなわけですね。
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