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ゲラーママ: Well, at least she had the chance to leave a man at the altar. (まぁ、レイチェルは、少なくとも男性を教会の祭壇に置き去りにするチャンスはあったんだから。)
モニカ: What's that supposed to mean? (それはどういう意味なの?)
ゲラーママ: Nothing. It's an expression. ((別に)何もないわ。一つの表現よ。)
モニカ: No it's not. (いいえ、そんなんじゃないわ。)
ゲラーパパ: Don't listen to your mother. You're independent, and you always have been. Even when you were a kid... and you were chubby, and you had no friends, you were just fine. And you would read alone in your room, and your puzzles.... (ママの言うことは聞くな。モニカは(今)自立してるし、そして今までもずっとそうだった[自立してた]。お前が子供だった時でさえ… お前がぽっちゃりしてて、友達がいなかった時でさえ、お前は大丈夫(平気)だった。そしてお前は自分の部屋で一人ぼっちで読書してたもんだ、パズルとか…)
「レイチェルの結婚式にかかった金額は4万ドルだった」という話をパパがした後のママのセリフ、at least she had the chance to... について。
altar は「教会の祭壇」。at the altar は「祭壇のところに、祭壇のある場所に」という感覚で、at は場所を表す前置詞。
ですからママのセリフは「少なくともレイチェルには、男性を教会の祭壇に置き去りにするチャンスはあった」ということになります。
その言い方には、「4万ドルもかけた結婚式を逃げ出して、かけたお金を無駄にしてしまったけれど、男性が祭壇で待っているという状態までは到達したわけよね」みたいなニュアンスが感じられます。
それを聞いたモニカは、What's that supposed to mean? と返します。
be supposed to は、フレンズ1-1 にも出てきましたが「〜することになっている」。
直訳すると「ママが言った今のセリフは、何を意味することになっているのかしら?」ということで、その今のセリフで、ママは何が言いたいの? ということですね。
あくまでママは she(彼女、レイチェル)のことを言っているだけでモニカのことは何も言及していませんが、「少なくとも彼女にはチャンスがあった」と言ったら、自分の娘モニカにはそのチャンスすらなかった、と言いたいのが嫌でも伝わりますよね。
真意を追及されたママは、単なる一つの表現よ、とあっさり流しています。
ただ、そう言ってみただけで、深い意味なんてないのよ、というところです。
「ママの話・ママの言うことなんか聞くな、聞かなくていい」みたいにパパは言った後、モニカは independent だと言っています。
independent は「独立した、自立した」。
You're independent, and you always have been. は、been の後に independent が省略されていて、「モニカは自立している(現在形)、そしてこれまでもずっとそうであった(現在完了形)」の2つの時制を使って、「今もそうだし、これまでもずっとそうだった。モニカは昔から常に自立していた」ということを言っていることになります。
Even when は、kid, chubby, no friends の3つの文章全体にかかっており、「お前が子供で、ぽっちゃりしてて、友達がいなかった時ですら、お前はただ大丈夫だった」と表現していることになります。
chubby は「ぽっちゃりした、まるまる太った」。
LAAD (Longman Advanced American Dictionary) では、
chubby : fat in a pleasant healthy-looking way
例1)He was this cute, chubby baby. 例2)chubby cheeks
つまり、「好ましく健康に見えるような風で太っている」。例文は「彼はかわいくてぽっちゃりした赤ちゃんだった」「ぽっちゃりした頬」。
you would read alone の would は「よく〜したものだった」。
研究社 新英和中辞典によると、
would=【助動】[過去の習慣・動作などの反復についての回想を表わして] …したものだった、よく…した
同じように過去の習慣を表す表現として、used to というものもありますが、would と used to の違いについては、同じく 研究社 新英和中辞典で、以下のように説明されています。
used to (語法)used to は現在と対照的に過去の動作や状態を述べる時に用いるのに対して、would は特定の人の特性の現われとして過去の習慣的または反復的な行為を述べる時に用い、used to のように客観的な過去の事実や状態を表わすことがない。
「人の特性の現れとしての過去の習慣的行為」という言葉が、今回のセリフのニュアンスをうまく説明しているように思います。
「モニカは自立した性格の子だったから、部屋で一人で本を読んでたもんだった」のように independent という特性の現れとして、「部屋で一人で読書」という習慣的行為を語っている感覚が would になるということですね。
would と used to の違いを英英辞典でも確認してみると、
LAAD では、
would : used to describe what someone used to do a lot or what used to happen a lot
つまり、「ある人がよくしていたものだったこと、またはよく起こったことを描写するために使われる」。
used to : used to say that something happened regularly or all the time in the past, or was true in the past, but does not happen or is not true now.
つまり、「あることが過去に定期的にまたはいつも起こった、または過去にそれが真実だったが、今は起こらない、または今は正しくない、ということを言うために使われる」。
確かに英英辞典でも、used to の方は「昔はそうしていた、そうだったけれど、今はそうではない」という現在との対比が語義の説明の中にありますね。
「お前はずっと自立してた」みたいに言い始めた時は、誉め言葉のようにも聞こえる感じでしたが、お前が子供だった時、の後は、「ぽっちゃり」で「友達がいない」時でもお前は大丈夫だったし、部屋で一人読書したり、パズルとか、、などという話になって行き、「独立、自立」というより「友達がいなくて、ぼっちだったから一人遊びをするしかなかった」みたいなことを言われてしまっているだけというオチになっているわけです。
それを聞いているモニカは、視線を上に泳がせて、ハハ、、と、から笑いするしかないですね。
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