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(CUT TO SAME SCENE)
同じシーンに画面がカット。
ゲラーパパ: Look, there are people, like Ross, who need to shoot for the stars. With his museum and his papers getting published. Other people are satisfied with staying where they are. I'm telling you, these are the people who never get cancer. (いいかい、ロスみたいな人間がいるんだよ、高みを目指す必要がある人間がね。博物館や出版される論文を武器にして(高みを目指すんだ)。他の人間は自分がいる場所に満足している。言っとくが、こういうのは癌(がん)にもならないような人間だよ。)
(AGAIN, CUT TO SAME SCENE)
再び、同じシーンに画面がカット。
ゲラーパパ: And I read about these women trying to have it all, and I thank God, our little Harmonica doesn't seem to have that problem. (すべてを持とう[手に入れよう]とするような女性についての記事を読んだ。そしてありがたいことに、我が小さなハーモニカはそういう問題を持っているようには見えないよ。)
画面が切り替わると、同じシーンではありますが、少しスパゲティが減っています。
スパゲティを食べながら、パパが同じような話を延々と続けていることがわかる描写ですね。
there are people, like Ross, who need to... は「ロスのように〜することが必要な人間が(世の中には、世間には)いる」という感覚。
shoot for the stars は「高みを目指(めざ)す」。
shoot は「撃つ、射撃する」という動詞で、shoot for だと「〜を目指す、目標にする」という意味になるため、「(天高くにある)星々を目指す」→「高みを目指す」という意味になるのですね。
shoot for the stars というフレーズそのものは、英英辞典のロングマン、マクミランなどには載っていませんでしたが、よく似たフレーズの reach for the stars の方は両方に出ていました。
LAAD (Longman Advanced American Dictionary) では、
reach for the stars : to aim something that is very difficult to achieve
つまり、「達成するのが非常に難しいことを目指すこと・目的とすること」。
reach for は「〜を取ろうと手を伸ばす」という意味なので、「星を取ろうと手を伸ばす」から「勝ち取ることが難しいものを目指す」という意味になるわけですね。
With his museum and his papers getting published. について。
この with は「(勤務している)博物館や出版される論文(という実績)で(高みを目指す)」のような感じかなと思います。
もう少し雰囲気を出そうとすると「それらの実績を武器にして高みを目指す」のようなニュアンスにもなるかなぁ、と。
Other people 「他の人」というのは、「ロスみたいに高みを目指す人がいる」との対比で、世間にはそれ以外にもこういう人がいるよねぇ、という話の流れ。
be satisfied with は「〜に満足する」、stay where they are は「自分たちがいる場所にとどまる」ですから、「自分がいる場所にとどまることに満足している人たち」→「現状に満足して、上を目指そうとはしない人たち」のことを言っているわけですね。
get cancer は「(病気の)癌(がん)になる、癌にかかる」ということですから、never get cancer は「決して癌にかからない」ということ。
本来、「癌にかからない」のは本人にとって良いことのはずですが、「高みを目指さないこういう人たちは、癌に決してかからない人々である」のような言い回しから、「向上心のない人は、何もゲットできない、病気の癌すらゲットできない」みたいな軽蔑表現として使っていることが想像されます。
DVDの日本語訳でも「そういうやつらには病気も寄りつかないんだぞ」と訳されていましたが、まさにそういうニュアンスで、「来て困るようなものすら寄ってこない、そういうものすらゲットできない」のような感覚で言っていることになるでしょう。
I read about these women trying to have it all は、「すべてを持とうとするような女性について(の記事を)(何かで)読んだ」という感覚。
欲しいものをすべて、なんでも手に入れようとする女性のことを、本か新聞かで読んだ、という感じですね。
Thank God! は「(〜して)ありがたい! 助かった!」という意味。
Macmillan Dictionary では、
thank God/goodness/heaven(s) : used for saying that you are happy that something unpleasant has stopped or has not happened
つまり、「嫌な(不愉快な)ことがちょうどやめになった、または起こらなかったのが幸せだ、と言うために使われる」。
語義の中の「嫌なこと」というのがポイントで、「嫌なことがなくなって助かった!」というニュアンスだということですね。
今回は独立した Thank God! ではなく、文章中に and I thank God の形で使われていますが、これは、Thank you! が、I thank you. の形になるのと同じ構造ですね。
「ありがとう」の Thank you. は、「人に感謝する」という他動詞 thank を使った文、I thank you. 「私はあなたに感謝する」が慣用的に主語の I を省いて使われているもので、本来の文の形は、I thank you. になるわけです。
それと同じく、神に対して感謝を述べる「ありがたい」は通常 Thank God! の形で使われるわけですが、今回は文章として主語の I が入った形になっているのですね。
our little Harmonica は「ハーモニカ」という音からも想像できるように、娘の名前「モニカ」に少し音を加えて「ハーモニカ」という愛称で呼んでいる感覚ですね。
「私たちの(小さな、幼い)ハーモニカことモニカ(ちゃん)は」のような感じでしょう。
doesn't seem to have that problem は「そんな問題を抱えているようには見えない・思えない」。
「すべてを欲しがる女性がいるという記事を読んだが、ありがたいことに(助かったよ)」のような話の流れの後、「うちのハーモニカちゃんは、「すべてを欲しがる病」にはかかってないみたいだな」と言っていることになるでしょう。
「すべてを手に入れようとする女性」は野心・向上心が強いイメージでしょうが、うちの子はそういう問題はなさそうだね、と言うことで、「モニカには向上心のかけらもない」と言っていることになります。
その前に「ロスは高みを目指すべきだ」と兄のロスの方を向上心がある人として持ち上げておいてからの、「モニカにはそんな向上心は全くないみたいで、父さんありがたいよ」という発言ですから、パパがモニカに何も期待していないことが見てとれる発言だと言えますね。
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今回の記事でちょっと引っかかったところがありましたのでご教示いただければ幸いです。
>I read about these women trying to have it all は、
>「すべてを持とうとするような女性について(の記事を)(何かで)読んだ」という感覚。
I read が音声では「アイ レッド」ではなく「アイ リード」と聞こえるんです。
ここでの「read」は現在形なのか過去形なのか字面では分からないですよね。
私には何回聞いても「リード」と聞こえるのでここは現在形だと思うのです。
そうすると私自身の中学英文法的思考でいくと日本語にした場合、「(何かで)読んだ」ではなく「(何かで)読んでる」としなくちゃいけないんじゃないかとか思ってしまうんですよね。(^^ゞ
でも「この間週刊誌で○○という記事を読んだけど私は※※と思う」というような会話で「読んだけど」を「読んでるけど」というのはちょっと不自然ですよね。やっぱり日本語では「読んだけど」が自然だと思います。
ここからは私の解釈ですがこういうときの「読んだけど」は形は過去形ですが過去に読んだことを現在に引き寄せて現在のことを言ってるから英語の場合「読んだ」の部分は現在形になるのかなぁと思ったりするのですがいかがでしょうか?
そう考えると現在完了形 I've read about these women trying to have it all.というのも考えられるのではないかと思ったりします。
音声の聞こえ方、解釈の仕方が心もとないのでRachさんのご意見をよろしくお願いします。
こんにちは。コメントありがとうございます。
私も音声を確認してみましたが、ご指摘の通り「リード」つまり現在形で発音していますね。
read は現在形も過去形も綴りは read なので、私は話の内容から勝手に「読んだ」という過去だと判断して、訳を書いてしまったようです。貴重なご指摘に感謝です。
ここで現在形にしているニュアンスは、「そういうことを最近あちこちでよく読むが」のような「日常的にそういう記事をよく目にする」というニュアンスなのかも、と思ったりします。
DVDの日本語訳では「(字幕)近ごろの女は 野心的で欲張りだが/(音声)近ごろの女は野心家で、仕事と家事を両立するなどとぬかすが」と訳されていましたが、その「近ごろの」という表現に現在形のニュアンスが出ているように思うのですね。
「新聞や雑誌でそういう記事を読んだ」という「過去の行為」であることはポイントではなく、「近頃、日頃、日常的に、そういう記事をよく読む・見るが」というニュアンスから現在形にしているような気がしました。
ここを過去形にしてしまうと「そういう記事を(過去に一度)読んだ」のような感じに聞こえてしまうような気もしますので、今の風潮としてそういう記事をよく見かけるという意味での「現在形」を使っているんだろうなぁ、と。
何となく過去形で訳してしまったけれど、よく見ると現在形だ! という場合には、やはり「現在形でなければならないニュアンス」というのが存在すると思いますし、今回の場合もまさにそういうものの一つだったのだろうと思います。
貴重なご指摘に感謝です。ありがとうございました!<(_ _)>
早速のご返答、ありがとうございます。
>ここで現在形にしているニュアンスは、「そういうことを最近あちこちでよく読むが」のような「日常的にそういう記事をよく目にする」というニュアンスなのかも、と思ったりします。
なるほど。「最近ちまたでは○○ということが言われている」というようなニュアンスは貴著「なるほど英文法」にある解説『現在形は「習慣・習性」を表す』に相当すると考えていいんでしょうね。
Rachさんの解説ですっきりしました。
ありがとうございました。(^^)
こちらこそ、ご丁寧なお返事ありがとうございます。
拙著でも現在形についての解説を書きましたが、今回のセリフもそういう現在形のニュアンスの一環で「日頃そういうものを読む」という感覚なのだろうと思いました。
すっきりしました、と言っていただけて良かったです♪
お返事ありがとうございました(^^)