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19:58
スーザン: Yeah, and we all know what a challenge that is. (そうね、そして今の発言が、挑戦的なものだってことは、私たちみんなわかってるわよね。)
ロス: See, see? (そう? そう?)
キャロル: All right, you two, stop it! (いいわ、二人とも、やめて!)
ロス: No no no, she gets a credit. Hey, I'm in there too! (いやいやいや、彼女は功績を認められて(名前を出してもらって)る。ねぇ、僕も(赤ちゃんの)名前に入れてよ!)
キャロル: Ross. You're not actually suggesting Helen Willick Bunch Geller. 'Cause I think that borders on child abuse. (ロス。あなたは実際に、ヘレン・ウィリック・バンチ・ゲラーって名前を提案してるんじゃないわよね。だって、そんなの児童虐待スレスレだって思うもの。)
「私の赤ちゃんでもあるもの」と言ったスーザンに、「君が精子を作ったって記憶は、僕にはないけどなぁ」という問題発言をしたロス。
それに対してスーザンは、 "Yeah, and we all know what a challenge that is." と返します。
まずは「そうね」と言って、「確かにロスの言うように、女である私には精子は作れないけど」のように言った後、「そして(ここにいる)私たち全員がわかっている、今のロスの発言が、なんて a challenge なものであるかを」と続けています。
日本語のチャレンジは、「トライする、頑張ってやってみる」という感じの意味ですが、英語のニュアンスはそれとは異なり、例えば動詞の場合だと「(人に)挑戦する、挑む(いどむ)、異議を唱える、疑いを抱く」という意味になります。
このセリフでは「挑戦的な態度」という場合の「挑戦」のニュアンスが近いでしょう。
LAAD (Longman Advanced American Dictionary) では、
challenge [noun] : an action or idea which shows that someone refuses to accept something or questions whether it is right, fair, or legal
例1)a challenge to traditional values
例2)The company faces a legal challenge in Seattle.
つまり、「人が何かを受け入れることを拒む、またはそれが正しいか、公正か、合法的かどうかを疑うことを示す、ある行動や思想」。
例文1は「伝統的な価値への挑戦」、例文2は「その会社は、シアトルで、法的異議申し立てに直面している」。
例文1の「伝統的な価値への挑戦」の「挑戦」は「頑張ってやってみる、というトライ」のイメージとは違いますよね。
「すでに存在する価値観に対して、それが本当に正しいものなのかを問い、それにいどむ」というニュアンスです。
例文2の a legal challenge は「(法的)異議申し立て」のことで、これも「トライ」のニュアンスとは異なりますね。
「いどむ」というニュアンスから、a challenge という名詞は、「自分の能力が試される」という意味での「難題、試練」または「やりがい」という意味でも使われますが、ここでは相手が挑発してくる感じの「挑戦(的な行為、発言)」というニュアンスで使っていることになるでしょう。
私だってその子の親よ、と言ったスーザンに対して、女性であることをネタにしてからかうような発言なので、「私のようなレズビアンに対する挑戦的で喧嘩腰なセリフね、喧嘩を売ってるつもりかしら?」と言っているわけですね。
we all know のように、we だけではなく all までつけたのは、we だけだと「私(スーザン)とキャロル」というレズビアンカップルの二人だけを示すように聞こえるからだろうと思います。
we all 「私たち全員」と all をつけることで、ロスも含めるニュアンスとなり、「今の発言が挑発的で挑戦的なものだってことは、発言した当人であるロス、あなた自身もわかっているはずよね。挑戦的なセリフだっていう自覚あるわよね」と言った感覚になるでしょう。
たまたま口が滑った失言とかではなく、私を怒らせるつもりでわざとそんな風に言ったのね、わかってて言うなんて許せない、という気持ちが込められているのでしょう。
she gets a credit. の credit について。
LAAD では、
credit : approval or praise for doing something good
つまり、「何か良いことをしたことに対しての承認、または称賛」。
日本語の単語に置き換えると、credit は「称賛、功績、手柄」などの訳語になります。
過去記事、私と同じようにあなたも知ってるの? フレンズ1-1改その32 で、
フラニー: I take credit for Paul. (私はポールに貸しがあるの[私はポールの恩人なの]。)
というセリフがありましたが、この場合の credit は「功績」で、take credit for は「〜のことで功績がある(と思う)、〜のことで役立ったと思っている、〜のことで手柄がある」という感覚でした。
このセリフは「ポールのためになることを私はしてあげた、私はポールの恩人なのよ」というニュアンスですね。
今回のセリフの get a credit だと「功績を認められる」という意味になるでしょう。
テレビ番組や映画のエンディングなどで番組制作関係者の名前が表示されますが、あれを日本語でもクレジットと言いますね。
credit は「功績があると認めること」で、この番組に貢献してくれたことに対して、あのように名前を出す、だからクレジットなわけです。
エンディングなどのクレジットについては、英語では the credits のように複数形で使われ、意味は LAAD で以下のように出ています。
the credits [plural] : a list of all the people involved in making a television program or movie, usually shown at the end of it
つまり、「テレビ番組や映画を作ることにかかわったすべての人々のリスト、たいていは作品の最後に表示される」。
今回の She gets a credit というのは、彼女は自分の名前を子供の名前に入れてもらうことで、功績・貢献があったと認めてもらっている、という感覚になるでしょう。
実際に貢献があったとして名前を出してもらえる、という意味では、映画のクレジットのニュアンスにも通じるものがありますね。
彼女の名前が子供の名字の中に、貢献があった人の名前としてクレジットされるなら、僕だって間違いなく功績はあったんだから、僕の名前も入れてくれないと不公平だ、ということをロスは言いたいわけですね。
border on は「〜と国境を接する、〜に隣接する」。child abuse は「児童虐待」。
That borders on child abuse. は「そんなこと(3人分の名字を全部つけること)は、児童虐待スレスレ[ギリギリ]だわ」ということで、3人の名字を全部入れ込んだ長い名前をつけるなんて子供をいじめているようなもの、ほとんど児童虐待も同然だわ、と非難していることになります。
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take credit の例もあるように、approval or praise の意味の credit は Uncountable です。一方、ロスの台詞には不定冠詞があります。この a credit は、赤ちゃんの名字全体を the credits と見なしたときの 1 人分の名字と考えられます。つまり、ロスは単に「赤ちゃんの名字に彼女が入っている」と言っているわけです。
ロスの台詞が "She gets credit." ではないことに留意することで、ロスがスーザンの功績を認めていないという話の流れがわかりやすくなると思います。
こんにちは。コメントありがとうございます。
おっしゃるように「功績」という意味の credit は不可算名詞でした。1-2 のセリフも I take credit for Paul. のように、確かに a がありませんでした。
映画のクレジットのような「関係者としてそこに名前が入っている」というニュアンスの「彼女の名字が入っている」という感覚なのですね。
ロスとしては「何の功績もないはずのスーザンの名前が入っているのはおかしい。入れるならむしろ僕の方だろ?」という気持ちですから、ロスのセリフを「功績」と訳してしまってはいけなかったということですね。
貴重なご意見ありがとうございました。