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前回の記事、コースターがなく水滴が木のテーブルの表面に近づく フレンズ1-6改その15 で解説したやりとり
モニカ: Who am I? (私は誰(何者)?)
ロス: Monica, you're Mom. (モニカ、お前はママだよ。)
フィービー: Ree! Ree! (リー! リー!)
について、非公開コメントにてご指摘がありました。
★これ以降、この記事の最後まで、映画『サイコ』の(かなり詳細な)ネタバレになってしまいますので、『サイコ』のネタバレになっても大丈夫という方のみ、続けてお読みください★
非公開コメントでいただいた内容は、以下の通り。
フィービーが2回目に「リーリー」と言っているのは、"Who am I?" "You're Mom." のやりとりによるものです。これは映画「サイコ」を見たことがある人には、すぐに分かります。
そのコメントを読んで、私もようやく気付きました。
この "Who am I?" "Monica, you're Mom." というやりとりは、映画『サイコ』のラストシーンで明かされる事実に基づいたセリフだったのです。
(以下、映画のあらすじとなります)
シャワー中のマリオンを殺害したのは、ベイツ・モーテルを経営する青年ノーマン・ベイツだったのですが、彼は過去に自分の母親を殺した罪の意識から、母親がまだ生きていると思い込もうとし、彼の中にはいつしか彼と母親の人格が同居するようになっていた、そして、マリオンを殺した人格は母親の人格だった、ということがラストシーンで明かされるのです。
Wikipedia 日本語版: サイコ (1960年の映画) に詳しいあらすじが載っていますので、興味のある方は併せてご覧下さい。
そのあらすじを見ていても「母親」という言葉が何度も(しかも、かぎかっこ付きで)出てきますので、あらすじを読めば気付きそうなものだったのですが、そもそも私はこの映画を、大学生時代に映画館のリバイバル上映(シネマアルゴ梅田の「ヒッチコック劇場」という週替わり6作品上映)で実際に見ているんですよね(物持ちの良い私は、当時のチラシを今でも持っていたりする、、)。
ですから、ノーマンが自分と母親との二重人格を持っているということは当然知っていたので、「モニカ=彼女の母親」から「ノーマン=彼の母親」という構図にどうして気付かなかったのかと、我ながら不思議で、、、(←言い訳がましくてすみません)
ネタバレついでにもう少し詳しく語らせていただきますと、映画『サイコ』のラストシーンへの流れは、
1:41:03 母親の後ろ姿が登場
1:41:16 ミイラ化した母親の姿が画面に映る
それを見つけた女性(ライラ)が叫ぶ。ここで「リーリー」の音楽が鳴り(←このシーンにぴったり)
1:41:25 女装した人物が刃物を持って現れる。サムがその人物を取り押さえ、カツラが取れてその人物がノーマンだとわかる。
1:42:12 ノーマンと話した分析医(psychiatrist)が、ノーマンと話した内容を皆に語り始める。
その分析医のセリフから、ノーマン=彼の母、であることがわかるセリフを引用させていただくと、
1:42:18
分析医: I got the whole story, but not from Norman. I got it from his "mother." Norman Bates no longer exists. He only half-existed to begin with. And now the other half has taken over... probably for all time.
(私は全ての話を聞いた。だがそれはノーマンから(聞いたの)ではない。彼の「母親」からそれを聞いた。ノーマン・ベイツはもはや存在していない。そもそも彼は半分だけの存在だった。そして今はもう半分の別の人格が支配してしまっているんだ…恐らく、永遠にね。)
ノーマンが過去に母親を殺してしまったことを、分析医が説明した後、
1:44:49
分析医: So he began to think and speak for her... give her half his life, so to speak. At times he could be both personalities, carry on conversations. At other times, the "mother" half took over completely. He was never all Norman, but he was often only "Mother".
(そしてノーマンは母親のために考え、話し始めた…言ってみれば、母親に自分の人生の半分を与え始めたんだ。ある時は、ノーマンは両方の人格となり、(二人の)会話を続けることができた。またある時には「母親」という半分の人格が完全に支配した。彼は決してノーマンだけになることはなかったが、しばしば「母親」だけにはなった。)
このように「ノーマンの人格が、母親の人格と半々になり、ついには母親の人格だけに支配されてしまった様子」が語られたことになります。
フレンズ1-6 での
モニカ: Stop it! Oh, my God! It's true. Who am I? (やめて! なんてこと! ほんとだわ。私は誰(何者)?)
ロス: Monica, you're Mom. (モニカ、お前はママだよ。)
フィービー: Ree! Ree! (リー! リー!)
というのは「ノーマンの人格は、彼の母親のものであった」という「サイコ」の「衝撃のラストシーン」の内容そのものが元ネタだったわけですね。
それを考えると、このエピソードでフィービーは「リーリー」を2回言っているわけですが、脚本家が一番言いたかったオチは You're Mom. +2回目のリーリー、の部分だったのだろうと思えます。
「同居してた時のモニカは『サイコ』みたいな恐怖だったわ」というのは、あくまで前振りだったと言えるでしょう。
(1回目のリーリーだけだと、絶対に『サイコ』でなければならない、という必然性がない、見事にハマった感がここではあまり感じられない、と言いますか)
ちょうど「モニカとママは神経質なところがそっくり」という設定で、フレンズ1-2 でその様子も描写されていたので、「モニカはママだ」というオチと、「病的な神経質さ」=「恐怖」とが一致することから、『サイコ』のBGMを使おうという流れに(脚本上)なったのだろうと思います。
「お前はママだよ」のところで唐突に「リーリー」を出すのではなく、その前にさらっと「リーリー」を出しておき、『サイコ』のイメージを観客や視聴者に植え付けておいてからの〜、「お前はママだ」+♪リーリー♪ →映画『サイコ』で完全に繋がる、という流れだったのですね。
今回、一連の解説を書きながら、自分の中でも「リーリーの音楽は、恐怖を表すわかりやすいサインではあるけれども、ここで『サイコ』の音楽を使わなければならない必然性が感じられない」という気持ちがずっとどこかにありました。
You're Mom. に持ってくるための伏線と流れであると考えれば、全てが納得いきます。
この脚本書いた人、すごいなぁ^^
これに気付くのと気付かないのとでは、You're Mom. というセリフの面白さと重要性が全く変わってくるので、この件を非公開コメントでご指摘いただけたこと、心より感謝申し上げます。ありがとうございました<(_ _)>
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ここの箇所がいまいちよくわからなかったのですが映画『サイコ』の内容とBGMが絡んでるんですね。私は『サイコ』を観たことがないので非公開コメントとそれに対するRachさんの解説でよくわかるようになりました。ありがとうございます。怖そうな映画みたいなので(^^;)とりあえずYouTubeで音楽を聴いてみました。
>フィービー: Ree! Ree! (リー! リー!)
私には「ウィ〜!ウィ〜!」と聴こえていたのですが、ネイティヴがスクリプトを書くと Ree! Ree! になるんですね。やっぱり R の発音は難しい。
では。
こんにちは。コメントありがとうございます。
この一連のシーンは映画『サイコ』の内容と関連づけて考えると、全てが納得! という感じで、実に面白い流れになっていると思いました。さすがは人気ドラマの脚本というところですね。
日本人には L と R の区別が難しいと言われますが、ネイティブにとっては W と R の発音の方が似ていると感じられるようで、そういうところも興味深いなぁと思います。
コメントありがとうございました(^^)