この12月に発売になったばかりのクリストファー・ベルトンさんの新刊、英語は多読が一番! (ちくまプリマー新書、筑摩書房。クリストファー・ベルトン[著]、渡辺順子[訳])を読みました。
イギリス人のクリストファー・ベルトンさんは、晴山陽一さん と長年のご友人だそうで、晴山さんからのメールの中に、ベルトンさんのお名前がよく登場します。
ベルトンさんのオフィシャルサイトはこちら(↓)。
Christopher Belton Official Web Site: 作家・翻訳家 クリストファー・ベルトン
その公式サイトを見ていただくとわかると思いますが、ベルトンさんはたくさんの英語関連の本を執筆されていて、「ハリー・ポッター」Vol.1が英語で楽しく読める本 の著者の方です。
この『「ハリー・ポッター」が英語で楽しく読める本』は、Vol.7 まで刊行されていますね。(「ハリー・ポッター」Vol.7が英語で楽しく読める本)
ベルトンさんの「英語は多読が一番!」が近々出版されることは、少し前に晴山さんがメールで教えて下さいました。
「興味があるので是非読みます!」とお返事したところ、晴山さんがベルトンさんにそれをお伝え下さり、書店販売よりも先行して私が読めるように、と、その新刊を私に送って下さることになったのです。
そのようにご配慮下さったベルトンさん、晴山さん、そして本を送って下さった筑摩書房のご担当者の方にお礼申し上げます。ありがとうございました!
英語学習の方法として「多読」を勧めている人は多いですが、ただ「読め! 読め!」と言われても、「何を読んだらいいのか? どう読み進めていけばいいのか? わからない部分はどうしたらいいのか?」と途方に暮れてしまうことって多いですよね。
そういう経験のある方にとって、この本は素晴らしい「多読への入門書」になると思います。
そして、ある程度、英語に慣れてきた方にとっても、英語の本質、英語学習の本質に気付かせてくれるヒントが満載の本です。
以下、私のいつもの書評どおり(笑)、気になった点、そうそう!と思った点について、気付いた部分を挙げていきます。
序章 多読に向けての心の準備
では、「物語の本を読むこと」の意義を語っておられます。
p.8 英語を習得するためには、まだ解決していない事柄どうしを結びつけて何らかの結論を導きだすという作業が不可欠です。
この後、「人間の脳は、コンピューターと同じように、データベースとメインメモリ(主記憶装置)に分かれている」という話の説明があり、以下のように続きます。
物語はあなたのメインメモリを刺激してくれます。物語を読んでいると同じ単語、同じ表現、同じ構文にたびたび出会うので、物語に親しむにつれてあなたの脳は鍛えられ、ますます早い判断を下せるようになります。また、物語を読むときは常に頭のデータベースから必要な情報を探すことになり、同じ情報を何度も用いるうちに、その情報はあなたの頭のなかにしっかりと組みこまれるのです。
データベースとメインメモリの例えはとてもわかりやすいです。
データベースにデータを蓄積するだけではだめだ、というのは、英語学習に時間をかけて知識を蓄積しているのに、なかなかそれが英語力として開花しない、というのと通じる部分があると思います。
英語を時間をかけて学んでいるはず、たくさんの知識を覚えているはずなのに、それが実際に英語を扱う時に生きてこない、と感じるのは、その学んだことがデータベースとして保管されているだけで、その情報を使って何かを判断したり計算したりするような「刺激が足りない」ということでしょう。
物語を読み進めることで、「過去に得た情報を引っ張り出してきて、その情報と照らし合わせて判断する」という作業が行われる、そうしてメインメモリを作動させることで、英語を読むコツのようなものがつかめていく、ということだと思います。
私もこのブログで、「前のエピソードにもこういう表現(もしくは似た表現)がありました。」と度々書いていますが、それは、同じ表現や似た表現と何度も出会うことで、その正しいニュアンスが掴めてくる、と思っているからなのですね。
p.13 日本語をどうやって覚えたか?
(母国語である日本語を学ぶ時)みなさんは状況からすべてを学んだのです。つまり、自分の置かれた状況からことばの意味を想像し、次にもう一度そのことばが現れたときに、それまで推測していた意味を訂正したり確認したりすることによって、ことばの意味を把握したのです。
私もこの点については同感です。ベルトンさんは「テーブル」という言葉をどう覚えるかを例に挙げておられますが、そういう目に見えるものの名前だけではなく、心情を表すような言葉でさえ、子供は「状況」から学んでいるのですね。
拙著でも拙ブログでも、「状況」という言葉は頻出していますが、言葉を学ぶ際に「状況」は不可欠な要素なのです。
状況なしで言葉を覚えようとするのは無理があります。
「生きた英語」である「物語」を使って学ぶ際に、これは大切なことだよなぁ、と思ったこと。
p.16 英語を学ぶとき、自分の脳が知らせてくれることを受け入れることは非常に大切ですが、あとで自分の意見を訂正できる能力を保持することが、さらに大切なことです。
(中略)
英語の文は、すべてが基本5文型にあてはまるわけではありません。ですから、自分が教わった型にはてはまらない表現や文に出会うこともあるはずです。なぜなら英語は生きた言語であり、常に変化しているからです。
(中略)
みなさんには自分が本のなかで出会うものをそのまま受け入れ、それまで大切にしてきた情報のデータベースを、たとえそれが学校で習ったことと相容れなくても、積極的に更新していってほしいのです。
ドラマのセリフを学んでいる時にも全く同じことが言えます。
英語を学ぶ時、ノンネイティブの日本人にとって判断が難しいのは、「この英語はナチュラルな表現なのかどうか?」という部分だと思います。
私は「自然か不自然か」の判断は、「ネイティブがそういう表現を使うかどうか?」で決めます。
そして私が判断する材料は、「ドラマのセリフで聞いたことがあるかどうか?」なのですね。
学校で習ってきたことや文法書に書いてある内容と違っていた、という理由で、その「生きた英語表現」を切り捨てるようなことは絶対にしてはいけない、ということです。
生きた英語のいろんなバリエーションを覚えることが、自分の語彙や表現を増やしていくことになるのですから。
フレンズでの一例を出してみます。
フレンズのジョーイが女の子をナンパする時のセリフに、"How you doin'?" というのがあります。
フレンズ4-13 で初めて登場するのですが、それに関する話を、フレンズ3-1その28 でも少し書きました。
挨拶の決まり文句、"How are you?" の変形バージョンのような感じで、現在進行形になっている形ですが、文法的に言うと、be動詞の are が必要になるはずです。
これが中学校の英語のテストなら、"How are you doing?" と書かないとバツにされてしまうところですが、ジョーイは実際に are を発音していませんし、ネットスクリプトや英語字幕でも、are は書かれていません。
この be動詞のない "How you doin'?" という言い方が、「ネイティブっぽい言い回し」なのですね。
それを、「be動詞がないから、こんな表現おかしい、こんな中途半端な表現ばっかり出てくるドラマは、やっぱり英語学習には使えない」と言ってしまっては本末転倒です。
"How are you doing?" になったところで、are は微かにしか発音されません。
are は情報としてはあまり意味のない言葉で、ただ、現在進行形を作る、という文法上の役目を果たしているに過ぎません。
だから、実際に発音される時も、そこにアクセントは来ないし、場合によっては省略も可、だということです。
それが「生きた英語を学ぶ」ということですね。
省略されているのが「いかにもそれっぽい」と思って、逆に私は嬉しくなってしまうのですが。
ドラマの会話はブロークンだから役に立たない、と思っている人は結構いるように思うのですが、日本人が作るブロークンな英語と、ネイティブが話す「わかりきったことは省略する英語」とは、全然質が違います。
ずっと英語で生きてきたネイティブが、「はしょっても構わない、はしょっても意味が通じるから省略している」わけですから、その「省略のされ方」で、逆にどこは省略できないか、どこははずせないか、というのがわかるのです。
私はドラマのセリフを例に挙げましたが、当然、物語のセリフにも同じことが言えます。
物語を多読することで、生きた英語表現を学ぶことの楽しみも、きっとそこにあります。
第2章 英語の本を読むためのアドバイス
会話の前後に使われている動詞に注目(p.85)では、「said 代用語」についての解説があります。
「said 代用語」というのはベルトンさんの造語で、「会話の直前または直後に使われている動詞」で、「だれかが何かを言ったことを示す動詞 said の代わりに使われる動詞」のことです。
p.88 から、「said 代用語」リストとして、140 もの said 代用語を挙げて下さっています。
これをただ、単語カードを使って丸暗記してもきっと意味はないでしょう。
物語の筋を追いながら、登場人物の状況や心情を推し量りながら、それぞれの said 代用語に出会うことで、その言葉のニュアンスがつかめるようになってくるのだと思います。
日本語に訳すとあまり違いの出ない言葉の使い分けを覚えることはとても難しい、だからこそ、そういうものは、物語の状況を掴みながら覚えていくべきなのですね。
第3章 本の選び方 では、本を5つのレベルに分けて紹介して下さっています。
ここでポイントとなるのは、「語彙ではなく、実際に読むときの難しさに基づく分類」である、ということ。
その「実際に読むときの難しさ」を示す指標として、レベル1から5まで例文が載っているのですが、「例文はどれも基本的に同じ設定、同じ内容になっています。」というところが秀逸です。
晴山さんもこの部分を「同じパッセージを5つのレベルで書き分けてみせるという名人芸」とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思いました。
作家としても活躍されているネイティブスピーカーのベルトンさんだからこそできることだと私も思いました。
第4章 おすすめの本一覧
p.137 英語で本を読む楽しみのひとつは、原作者がネイティブスピーカーに向けて書いたそのままの語で読むことではないでしょうか。
p.138 同じ作家による本をシリーズで読むことは、学習にとって非常に有効です。シリーズ物には同じ登場人物、同じ設定が用いられ、その作家独自の文体を反映した「said 代用語」、形容詞、副詞が頻繁に登場するはずですから、全体的な理解のスピードが上がるにちがいありません。
私がDVDの英語のセリフを英語のまま理解しようとしているのも、「ネイティブが楽しんでいるものをそのまま見て、私も楽しみたい」という思いからです。
「同じ作家による本をシリーズで読む」効果も、私はよくわかります。
ドラマの場合、いろんなジャンルのドラマを見るのももちろん有効だと思うのですが、私がひたすら「フレンズ」に取り組んでいるのは、フレンズというシリーズをずっと見続けることで、ベルトンさんのおっしゃるようなシリーズ物を読むことによる効用と同じ効果を期待できる、ということですね。
以上、いつもの書評どおり超長くなりましたが(笑)、ネイティブの方の書かれた本ということで、本当に様々な気付き、発見がありました。
ベルトンさん、素晴らしい本をありがとうございました!
レベル別に具体的なおすすめの本も挙げられていますので、とても参考になります。
読者の皆様も、ベルトンさんの「英語は多読が一番!」を是非お読みになって、それから、いろんな英語の本に挑戦してみて下さいね!
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2008年12月13日
2008年11月25日
「英語にもっと強くなる本」を読んで
青春出版社から、この9月に発売になった、晴山陽一さんの「英語にもっと強くなる本」を読みました。
アマゾンではこちら(↓)。
英語にもっと強くなる本 (青春新書INTELLIGENCE (PI-212))
本の帯に
英語上達のコツは、「英語特有のクセ」を知ることです!
と書いてあります。
私もその点には全く同感です。
そして、この本では、そういう「英語特有のクセ」、つまり、日本語とは大きく異なっている部分を、日本語と対比する形で紹介しています。
英語という外国語を学ぶ場合に、単語や細かい文法事項、用法など、知識を積み上げていかなければいけない部分は確かにありますが、そもそも「英語とはどういう言語か?」「日本語と根本的にどこが違うのか?」ということが掴めないと、実際に英語を使えるようにはなりません。
英語の試験対策として、問題集や参考書をたくさんこなしているけれど、それが実際に自分が英語を書く、話す時に生きてこない気がする、と思う方は多いかな、と思います。
そういう方こそ、こういう「英語特有のクセ」があることを理解し、「英語の本質」というものを見極めた上で、そういう知識を活用していくようにしていったらよいのでは?と思いました。
日本語とは異なる英語のクセがたくさん挙げられている中で、いくつか典型的なものを取り上げたいと思います。
p.20 物事を動かす主体としての「人間」をできる限り表に出そうとするのが、英語的発想の特徴である。(中略) これに対し、日本語は、主体としての「人間」を隠そう隠そうとする。物事があたかもひとりでに動いているような言い方を好む。「人間中心主義」に対し、「ことがら中心主義」とでも言ったらよいだろうか。
p.29 (無生物主語を例に挙げて) 「物」であれ「人」であれ《行為の主体を重んじる態度》
p.21 では、日本人が英訳をよく間違える「ここはどこ?」が例として挙げられています。
日本人はその日本語を直訳して "Where is here?" などと言ってしまいがちですが、正しい英語は "Where am I?" になります。
これも「ここはどこ?」という日本語では、ここにいるべき「私」という人間が、言葉の中では隠れてしまっているのですね。
第3章 すべての英文の背後には "I" が潜んでいる
p.43 日本語では強調される場合以外は「私」や「あなた」を言葉に出すことは稀である。これに対し、英語の会話では「 I と you 」を使わずにコミュニケーションをとることは不可能に近い。
p.50 英会話とは、中身が何であれ、結局は「 I と you の間に成立するドラマ」なのだ。そのことを、英語の場合は、発言の1つ1つで確かめ合っていると言ってもいい。
p.54 では、英語と日本語の違いを際立たせるため、英語にある I と you を全て「私」「あなた」と訳出した日本語を紹介しています。
これを読むと、「あぁ、確かに日本語では、いちいち、”私”や”あなた”が入ってくると、違和感がある」ということに気づくでしょう。
私もこのブログでフレンズのセリフを訳している時に、そこが英語と日本語の大きな違いの一つだ、ということに気づきました。
何か自分の意見を言う時に、英語では、I think とか、I guess とかが最初につくことが多いですが、それをいちいち、「…と思う」「…と推測する」と日本語の文の最後できっちり訳出してしまうと、日本語として変な感じがしてしまいます。
I think that... のニュアンスをどうしても出したい場合は、あえて訳すならば、I think that... 「僕が思うに、…」みたいになるでしょうが、それも、なんとなく「とってつけたような感じ」も否めません。
これと関係する話が、マーク・ピーターセンさんの 続・日本人の英語 (岩波新書) にも出てきます。
「続・日本人の英語」からの引用部分は、緑色で書きます。
p.121 隠れた意志
「マークも行けば?」
「ええ? 僕も行くんですか?」
英語なら、同じことを
You mean you want me to go, too? (つまり、僕にも行ってほしいってわけ?)
Are you saying I should go, too? (僕も行った方がいいと言うんですか?)
などのように表現し、たいていの場合、人の意志や判断(すなわち、人の「つもり」)を明らかにしようとする。
(中略)
英語では、決して
What? Am I going, too?
あるいは、
What? Will I go, too?
とは言わない。なのに、(日本語の)「僕も行くんですか」を聞くと、単純に "I'm going, too?" や "I'll go, too?" のような英語しか浮かんでこないのである。
(中略)
「僕も行くんですか」という日本語のどこを捜しても、相手の「つもり」は見つからない。いわば、意志が「隠れている」のである。
(中略)
「つもり」をはっきりさせない「美学」は日本語の一部である。
英語を日本語に訳す場合に、I think などといちいち訳さないようにする、というのは簡単な話です。
が、日本語で省略されてしまっているそういう「話者の”つもり”」を、英語を使う時には、隠さずきちんと示さなければならない、という部分が、日本人にとっては盲点なのですね。
ピーターセンさんが訳されたように、You mean... や、Are you saying... で文章を始める、という感覚を、日本人が英語を作る場合にも持たなくてはいけません。
日本語は「…だろ?」「…だよね。」「…だったっけ?」「…じゃないかなぁ。」「…だってば。」みたいに、バリエーションに富んだ語尾変化で、文の最終的なニュアンス、つまりは「話者の”つもり”」を出そうとします。
そこにはいったいどういう「つもり」が隠されているのか、ということを、きちんと英語に訳出しなければ、英語圏の人に話が通じない、ということになるわけです。
第7章 英語動詞の”腕力”
p.125 英語は”変化”を”行為”として表そうとする!
「英語にもっと強くなる本」の p.126 では、SVOの第3文型の例文を挙げて、英語動詞の”腕力”について説明されています。
Steam drives machinery. 蒸気は機械を動かす
Wires conduct electricity. 針金は電気を伝える
これらの文における英語動詞の”腕力”の強さを表すためには、俗な言い方になるが「〜しちゃう」という言葉を補って訳すしかないように思う。たとえば、「蒸気は機械を動かしちゃう」とか「針金は電気を伝えちゃう」といった訳し方だ。
これに対し、日本語はむしろ自動詞的な表現を好むように思う。すなわち、
「機械は蒸気で動く」
「電気は針金を通して伝わる」
といった表現法だ。これでは、主体としての蒸気や針金の”頑張り”は感じられなくなるのである。
「頑張り」という言葉がなるほどなぁ、と思うのですが、何が動かすのか、何が伝えるのか、という、主体が誰・何であるか、という部分を、英語は明確にしようとしますね。
また拙著の話になって恐縮ですが(笑)、拙著 シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の p.35 で、日本語とはまったく異なる「英語のスピリット」のような部分 について触れています。
そこでは、exciting と excited 、annoying と annoyed の違いを説明しているのですが、
他動詞では「何が何に対して作用しているのか」という力の向きが非常に重要なのです。
と私は書いています。
英語ではそういう「腕力のある他動詞」を使うことで、SがOに対して、Vという行為を行っている、ということが明確になるのですね。
英語は「人間中心主義」、日本語は「ことがら中心主義」という晴山さんのお言葉通り、物事を動かす主体としての「人間」(または物も可)をはっきりと示すのが英語の特徴だ、ということになるのですね。
第10章 英語は流れ、日本語は落ちていく!
p.175 日本語は本来「縦書き」の世界だ。つまり重力に従って、下に向かって落ちていく世界である。これに対し、英語は「横書き」の世界で、これは重力に逆らって、横方向に流れていく世界だ。
p.177 英語が横に流れるためには、重力ではなく初期動力(イニシャル・インパルス)が必要となる。それこそ「S+V」というすべての英文が装備している《バネ仕掛け》の正体だったのである。
p.180 「上下の言語」と「左右の言語」
重力に従って下に落ちていく日本語では、「被修飾語」は常にいちばん下ですべての修飾語句を受け止めなくてはならない。これに対し、横に流れる英語では、修飾語の問題は「上下」ではなく「左右」の配置の違いの問題なのだ。軽い修飾語は先行して左に、重い修飾語は後ろに回って右に、というわけである。
晴山さんがおっしゃるように、日本語は「いちばん下ですべての修飾語句を受け止める」という性質がありますね。
今のように横書きが増えている現代においても、「下(あるいは最後)で受け止める」という日本語の基本的構造は変わっていません。
それで、日本語にない関係代名詞を使った文章を日本語らしい文章に直そうとすると、「訳し上げ、後ろから前に訳す」ことが必要になってきたりするわけです。
でも、英語を英語のまま読む場合、「左から右へ流れる」という英文の性質を考えると、そういう「訳し上げ」は非常に不自然な読み方であることがわかりますね。
日本語は「下で受け止める」傾向にあり、修飾語だけではなく、メインの動詞も一番最後に持ってきて、文を締める、という傾向にもあります。
その日本語の感覚を、つまり「縦書き・上下」の感覚を、英語を読む・聞く時に持ち込もうとするから、英語をあの語順ですんなり理解することができなくなるのですね。
英語は左から右へ流れるものだ、ということは、わかりきった事実のようでいて、左から右へという流れは日本語と異なる感覚である、ということをよく認識すべきなのだろうと思います。
p.181 (日本語は「上下の言語」、英語は「左右の言語」という)このような発見をできるのも、やはり「日本語原文とその英訳」をセットにして学習する時である。だから、私は日本語という「補助輪」を付けて英語を考えることに、大きな価値を認めている。どうせ英語を学ぶなら、表層的な翻訳ではなく、このような深いところでの両言語の特質の違いにまで注意を向けたいものだ。
英語と日本語を見比べてみてわかること、というのは確かにあるはずです。
私も、フレンズのセリフに自分なりの日本語訳を付けるという行為を通して、「日本語ではこんな風に言わないなぁ」という「英語らしい表現」にたくさん気づくことができました。
英語を日本語に訳す、ということは英単語を日本語の訳語に置き換えることではないのです。
その英語をイメージし、ニュアンスをつかみ、それを日本語にするとこんな感じ、と訳してみて、それで改めて二者を比較する…そこで、日本語では、I や you をいちいち言わないこと、などを発見するのですね。
私は英語を学んでみて、you という単語は何て便利なんだろう、と思いました。
相手が目上でも使えますよね。
逆に日本語では「あなた」という言葉を使う機会があまりありません。
コメントのやり取りをしている時にいつも思うのですが、英語風に「あなたが言うように」と書いてしまうと、ものすごく傲慢な感じがしてしまいます。
日本語では、相手のことを「あなた」と呼べる間柄は限られているように思います。
それで「誰々さんがおっしゃるように」という書き方にならざるを得ません。
(相手に対して敬意を表したい場合は、このように敬語を使うことにもなります。)
それをただ、you で済ますことができる英語はラクだ…というか、それだけ、英語では you が頻出し、日本語ではそれだけ「あなた」という言葉を使わずに話が進む、ということでもあるのですね。
「日本語だったらこう表現する」と比較することで、普段日本語を使う際には意識しない部分を、英語を使う時には意識していかなければいけない、ということに気づくのです。
英語を習得するためには、単語・文法…といろいろ必要なことがあるでしょう。
でも、一番大切なのは、こういう「英語独特のクセ」を理解した上で、実際に生きた英語に当たり、「これもそうだ、あれもそうだ」と英語独特の感覚、英語的発想を自分のものにしていく、ということです。
文法の穴埋め問題は得意だけど、英語がとっさに口から出てこない、という場合は、まず、「英語とはこういうものだ!」という大きな部分での理解から始めてみてはいかかでしょうか?
文法の穴埋め問題のような、「ここは、to 不定詞か、-ing か?」というような細かい用法は、ざっとした文章が書けた上で、より正確な文章にするために使うものに過ぎません。
話す、書く場合に必要なことは、「まず出だしを何で始めたらいいか?」、つまりは「基本的な文章の構造をどうしたらいいか?」という大きな部分です。
私がこれまで英語に触れてきて、漠然と感じていたことを、この本で晴山さんがうまくまとめて下さっていると感じました。
とても面白い本でした。
英語と日本語の違いから、英語特有のクセを知りたいという方、是非、晴山さんの「英語にもっと強くなる本」を読んでみて下さい。
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本の帯に
英語上達のコツは、「英語特有のクセ」を知ることです!
と書いてあります。
私もその点には全く同感です。
そして、この本では、そういう「英語特有のクセ」、つまり、日本語とは大きく異なっている部分を、日本語と対比する形で紹介しています。
英語という外国語を学ぶ場合に、単語や細かい文法事項、用法など、知識を積み上げていかなければいけない部分は確かにありますが、そもそも「英語とはどういう言語か?」「日本語と根本的にどこが違うのか?」ということが掴めないと、実際に英語を使えるようにはなりません。
英語の試験対策として、問題集や参考書をたくさんこなしているけれど、それが実際に自分が英語を書く、話す時に生きてこない気がする、と思う方は多いかな、と思います。
そういう方こそ、こういう「英語特有のクセ」があることを理解し、「英語の本質」というものを見極めた上で、そういう知識を活用していくようにしていったらよいのでは?と思いました。
日本語とは異なる英語のクセがたくさん挙げられている中で、いくつか典型的なものを取り上げたいと思います。
p.20 物事を動かす主体としての「人間」をできる限り表に出そうとするのが、英語的発想の特徴である。(中略) これに対し、日本語は、主体としての「人間」を隠そう隠そうとする。物事があたかもひとりでに動いているような言い方を好む。「人間中心主義」に対し、「ことがら中心主義」とでも言ったらよいだろうか。
p.29 (無生物主語を例に挙げて) 「物」であれ「人」であれ《行為の主体を重んじる態度》
p.21 では、日本人が英訳をよく間違える「ここはどこ?」が例として挙げられています。
日本人はその日本語を直訳して "Where is here?" などと言ってしまいがちですが、正しい英語は "Where am I?" になります。
これも「ここはどこ?」という日本語では、ここにいるべき「私」という人間が、言葉の中では隠れてしまっているのですね。
第3章 すべての英文の背後には "I" が潜んでいる
p.43 日本語では強調される場合以外は「私」や「あなた」を言葉に出すことは稀である。これに対し、英語の会話では「 I と you 」を使わずにコミュニケーションをとることは不可能に近い。
p.50 英会話とは、中身が何であれ、結局は「 I と you の間に成立するドラマ」なのだ。そのことを、英語の場合は、発言の1つ1つで確かめ合っていると言ってもいい。
p.54 では、英語と日本語の違いを際立たせるため、英語にある I と you を全て「私」「あなた」と訳出した日本語を紹介しています。
これを読むと、「あぁ、確かに日本語では、いちいち、”私”や”あなた”が入ってくると、違和感がある」ということに気づくでしょう。
私もこのブログでフレンズのセリフを訳している時に、そこが英語と日本語の大きな違いの一つだ、ということに気づきました。
何か自分の意見を言う時に、英語では、I think とか、I guess とかが最初につくことが多いですが、それをいちいち、「…と思う」「…と推測する」と日本語の文の最後できっちり訳出してしまうと、日本語として変な感じがしてしまいます。
I think that... のニュアンスをどうしても出したい場合は、あえて訳すならば、I think that... 「僕が思うに、…」みたいになるでしょうが、それも、なんとなく「とってつけたような感じ」も否めません。
これと関係する話が、マーク・ピーターセンさんの 続・日本人の英語 (岩波新書) にも出てきます。
「続・日本人の英語」からの引用部分は、緑色で書きます。
p.121 隠れた意志
「マークも行けば?」
「ええ? 僕も行くんですか?」
英語なら、同じことを
You mean you want me to go, too? (つまり、僕にも行ってほしいってわけ?)
Are you saying I should go, too? (僕も行った方がいいと言うんですか?)
などのように表現し、たいていの場合、人の意志や判断(すなわち、人の「つもり」)を明らかにしようとする。
(中略)
英語では、決して
What? Am I going, too?
あるいは、
What? Will I go, too?
とは言わない。なのに、(日本語の)「僕も行くんですか」を聞くと、単純に "I'm going, too?" や "I'll go, too?" のような英語しか浮かんでこないのである。
(中略)
「僕も行くんですか」という日本語のどこを捜しても、相手の「つもり」は見つからない。いわば、意志が「隠れている」のである。
(中略)
「つもり」をはっきりさせない「美学」は日本語の一部である。
英語を日本語に訳す場合に、I think などといちいち訳さないようにする、というのは簡単な話です。
が、日本語で省略されてしまっているそういう「話者の”つもり”」を、英語を使う時には、隠さずきちんと示さなければならない、という部分が、日本人にとっては盲点なのですね。
ピーターセンさんが訳されたように、You mean... や、Are you saying... で文章を始める、という感覚を、日本人が英語を作る場合にも持たなくてはいけません。
日本語は「…だろ?」「…だよね。」「…だったっけ?」「…じゃないかなぁ。」「…だってば。」みたいに、バリエーションに富んだ語尾変化で、文の最終的なニュアンス、つまりは「話者の”つもり”」を出そうとします。
そこにはいったいどういう「つもり」が隠されているのか、ということを、きちんと英語に訳出しなければ、英語圏の人に話が通じない、ということになるわけです。
第7章 英語動詞の”腕力”
p.125 英語は”変化”を”行為”として表そうとする!
「英語にもっと強くなる本」の p.126 では、SVOの第3文型の例文を挙げて、英語動詞の”腕力”について説明されています。
Steam drives machinery. 蒸気は機械を動かす
Wires conduct electricity. 針金は電気を伝える
これらの文における英語動詞の”腕力”の強さを表すためには、俗な言い方になるが「〜しちゃう」という言葉を補って訳すしかないように思う。たとえば、「蒸気は機械を動かしちゃう」とか「針金は電気を伝えちゃう」といった訳し方だ。
これに対し、日本語はむしろ自動詞的な表現を好むように思う。すなわち、
「機械は蒸気で動く」
「電気は針金を通して伝わる」
といった表現法だ。これでは、主体としての蒸気や針金の”頑張り”は感じられなくなるのである。
「頑張り」という言葉がなるほどなぁ、と思うのですが、何が動かすのか、何が伝えるのか、という、主体が誰・何であるか、という部分を、英語は明確にしようとしますね。
また拙著の話になって恐縮ですが(笑)、拙著 シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の p.35 で、日本語とはまったく異なる「英語のスピリット」のような部分 について触れています。
そこでは、exciting と excited 、annoying と annoyed の違いを説明しているのですが、
他動詞では「何が何に対して作用しているのか」という力の向きが非常に重要なのです。
と私は書いています。
英語ではそういう「腕力のある他動詞」を使うことで、SがOに対して、Vという行為を行っている、ということが明確になるのですね。
英語は「人間中心主義」、日本語は「ことがら中心主義」という晴山さんのお言葉通り、物事を動かす主体としての「人間」(または物も可)をはっきりと示すのが英語の特徴だ、ということになるのですね。
第10章 英語は流れ、日本語は落ちていく!
p.175 日本語は本来「縦書き」の世界だ。つまり重力に従って、下に向かって落ちていく世界である。これに対し、英語は「横書き」の世界で、これは重力に逆らって、横方向に流れていく世界だ。
p.177 英語が横に流れるためには、重力ではなく初期動力(イニシャル・インパルス)が必要となる。それこそ「S+V」というすべての英文が装備している《バネ仕掛け》の正体だったのである。
p.180 「上下の言語」と「左右の言語」
重力に従って下に落ちていく日本語では、「被修飾語」は常にいちばん下ですべての修飾語句を受け止めなくてはならない。これに対し、横に流れる英語では、修飾語の問題は「上下」ではなく「左右」の配置の違いの問題なのだ。軽い修飾語は先行して左に、重い修飾語は後ろに回って右に、というわけである。
晴山さんがおっしゃるように、日本語は「いちばん下ですべての修飾語句を受け止める」という性質がありますね。
今のように横書きが増えている現代においても、「下(あるいは最後)で受け止める」という日本語の基本的構造は変わっていません。
それで、日本語にない関係代名詞を使った文章を日本語らしい文章に直そうとすると、「訳し上げ、後ろから前に訳す」ことが必要になってきたりするわけです。
でも、英語を英語のまま読む場合、「左から右へ流れる」という英文の性質を考えると、そういう「訳し上げ」は非常に不自然な読み方であることがわかりますね。
日本語は「下で受け止める」傾向にあり、修飾語だけではなく、メインの動詞も一番最後に持ってきて、文を締める、という傾向にもあります。
その日本語の感覚を、つまり「縦書き・上下」の感覚を、英語を読む・聞く時に持ち込もうとするから、英語をあの語順ですんなり理解することができなくなるのですね。
英語は左から右へ流れるものだ、ということは、わかりきった事実のようでいて、左から右へという流れは日本語と異なる感覚である、ということをよく認識すべきなのだろうと思います。
p.181 (日本語は「上下の言語」、英語は「左右の言語」という)このような発見をできるのも、やはり「日本語原文とその英訳」をセットにして学習する時である。だから、私は日本語という「補助輪」を付けて英語を考えることに、大きな価値を認めている。どうせ英語を学ぶなら、表層的な翻訳ではなく、このような深いところでの両言語の特質の違いにまで注意を向けたいものだ。
英語と日本語を見比べてみてわかること、というのは確かにあるはずです。
私も、フレンズのセリフに自分なりの日本語訳を付けるという行為を通して、「日本語ではこんな風に言わないなぁ」という「英語らしい表現」にたくさん気づくことができました。
英語を日本語に訳す、ということは英単語を日本語の訳語に置き換えることではないのです。
その英語をイメージし、ニュアンスをつかみ、それを日本語にするとこんな感じ、と訳してみて、それで改めて二者を比較する…そこで、日本語では、I や you をいちいち言わないこと、などを発見するのですね。
私は英語を学んでみて、you という単語は何て便利なんだろう、と思いました。
相手が目上でも使えますよね。
逆に日本語では「あなた」という言葉を使う機会があまりありません。
コメントのやり取りをしている時にいつも思うのですが、英語風に「あなたが言うように」と書いてしまうと、ものすごく傲慢な感じがしてしまいます。
日本語では、相手のことを「あなた」と呼べる間柄は限られているように思います。
それで「誰々さんがおっしゃるように」という書き方にならざるを得ません。
(相手に対して敬意を表したい場合は、このように敬語を使うことにもなります。)
それをただ、you で済ますことができる英語はラクだ…というか、それだけ、英語では you が頻出し、日本語ではそれだけ「あなた」という言葉を使わずに話が進む、ということでもあるのですね。
「日本語だったらこう表現する」と比較することで、普段日本語を使う際には意識しない部分を、英語を使う時には意識していかなければいけない、ということに気づくのです。
英語を習得するためには、単語・文法…といろいろ必要なことがあるでしょう。
でも、一番大切なのは、こういう「英語独特のクセ」を理解した上で、実際に生きた英語に当たり、「これもそうだ、あれもそうだ」と英語独特の感覚、英語的発想を自分のものにしていく、ということです。
文法の穴埋め問題は得意だけど、英語がとっさに口から出てこない、という場合は、まず、「英語とはこういうものだ!」という大きな部分での理解から始めてみてはいかかでしょうか?
文法の穴埋め問題のような、「ここは、to 不定詞か、-ing か?」というような細かい用法は、ざっとした文章が書けた上で、より正確な文章にするために使うものに過ぎません。
話す、書く場合に必要なことは、「まず出だしを何で始めたらいいか?」、つまりは「基本的な文章の構造をどうしたらいいか?」という大きな部分です。
私がこれまで英語に触れてきて、漠然と感じていたことを、この本で晴山さんがうまくまとめて下さっていると感じました。
とても面白い本でした。
英語と日本語の違いから、英語特有のクセを知りたいという方、是非、晴山さんの「英語にもっと強くなる本」を読んでみて下さい。
(Rach からのお願い)
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2008年11月14日
「捨てる英語、拾う英語」を読んで
井上大輔さんの「捨てる英語、拾う英語」を読みました。
アマゾンではこちら(↓)。
捨てる英語、拾う英語
まず、この本を読ませていただいたきっかけについて書き、その後、本の感想を書かせていただきたいと思います。
実は、この井上さんのご本に、私の著書、シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の名前が登場しているのです。
それも、本文中と巻末に2回も!
一つ目は、「第7章 リスニングの勉強方法」の p.139 に、
DVDを使ったリスニングの勉強法が知りたい人は、『シットコムで笑え!』(エヌティティ出版)も参考になります。
と書いて下さっています。
そして、巻末の 厳選!「捨てる英語、拾う英語」おすすめ参考書 では、本のフルタイトルと著者名もはっきり書いて下さっています。
他の方が書かれた本の中で、拙著をおすすめ参考書として挙げていただけるなんて、本当に光栄です。
井上さん、ありがとうございます!!
井上さんは、ALC Blog で、カメハメハ日記 というブログを書いておられます。
11月11日の記事 では、拙著のことを書いて下さっています。重ね重ねありがとうございます。
10月18日の記事 では、明日香出版社の著者大会で、晴山陽一さんにお会いになったお話が書いてあります。
井上さんとお話をされて、井上さんが著書を出されていることを知った晴山さんは、早速アマゾンで井上さんの「捨てる英語、拾う英語」を購入されたそうです。
晴山さんのご本 12日間で完全マスター 速習英単語1200 も、巻末におすすめ参考書として挙げられているのですが、私の本の名前も出ていることに晴山さんが気付き、それを私にメールで教えて下さったんですね。
晴山さんからは「南谷さんの著書がしっかり浸透してきている証拠だと思い、うれしくなりました。」とも言っていただけました。
そのお話を聞いて、私も早速アマゾンで購入し、こうして読ませていただいた、ということです。
井上さんの本に載せていただけたこと、それを晴山さんが教えて下さったこと、私にとっては、とても幸せなニュースでした。
ちなみに、今回ご本を読んだ後、井上さんのブログに初コメントを入れ、ご挨拶させていただいたのですが、それまでは、井上さんとブログ上でお話させていただいたことはありませんでした。
でも、井上大輔さんのお名前とそのブログは以前から存じ上げていました。
日向清人先生の ビジネス英語雑記帳 の 2008年02月11日の記事 で、井上さんの「カメハメハ日記」が紹介されていて、「TOEIC のスコアが示しているのは TOEIC 力である」などの井上さんのお言葉が載っていたのですね。
「そうそう、まさにあれは、”TOEIC 力”だわぁ〜」と思った私は、井上さんのブログも読ませていただき、そのことが強く頭に残っていたのです。
井上さんのご本にも、p.192 に「TOEIC で測定されるのは TOEIC 力」という章があります。
英語力と TOEIC 力は必ずしも一致しない、ということを説明した上で、では、効率的に TOEIC の点数を上げるにはどうしたらよいか?ということを述べておられます。
ではここから、本を読んで感じたことを、自分の体験と絡めて綴ってみたいと思います。
拙著を紹介して下さっているということで、とても嬉しい気持ちで読んだこともあるのですが、英語を学んできた者として、「TOEIC 力」のお話も含め、共感できる部分が数多くありました。
井上さんの本から引用した部分は、青色で書かせていただきます。
「はじめに」で、この本のメインテーマが書かれています。
それは、「自分にとって必要なところを押さえて、後はあきらめよう」ということです。
そんな風に、いい意味での「見切り」を行なう ことはとても大切なことですよね。
それを「捨てる」というインパクトのある言葉で表現されているのが、心に残りました。
p.4 同じ低レベルな英語でも発展性や広がりに乏しい無勝手流のものと、低レベルながらも将来的に発展していく可能性を持った折り目正しいものの二つに分けられます。
そういう、折り目正しいレベルの低い英語を身につけるための方法を説明しようとして書かれたのがこの本だ、ということです。
それぞれの章では、単語、文法、リスニング、リーディング、スピーキング、ライティングなどに場合分けして、「捨てること」「拾うこと」について説明してあります。
井上さんは、何を捨て、何を拾うべきだと考えておられるのか?
それは、実際にこの本を読んでいただければと思います。
井上さんの本を読んでみて、私は何を捨てているかなぁ?と考えてみました。
真っ先に浮かんだのは、「英検1級レベルの単語」ですね(爆)。
過去記事 Pass単断念 1級一次(語彙編) でも書いたように、一応、「Pass単」という有名な本を使って、暗記しようと試みてはみました。
でも、頭に入らないことがすぐにわかりました。
それがどうしても必要なものであるならば、私も何か工夫をしたり、楽しみを見出したりしてでも覚えようとしたのですが、当時の記事でも書いたように、私はそれをあっさり「捨てた」のです。
実際、英検1級に合格した後は、さらにそれを身につけないといけない「必要性」がなくなりました。
もちろん、知っているに越したことはないし、あのレベルを知っているということは「教養」でもあります。
もちろん、覚えられるものなら覚えたいのですが、井上さんがおっしゃるように、「私達の時間とお金は有限」なのです。
「おわりに」では、「我々の人生は有限である」ことを語った上で、「物事にきちんと優先順位をつける、つまり必要ではないものを捨てることで、本当に必要なことを拾い上げる必要があるのだ。」と語られています。
全くその通りだと思います。
私たちには全てを拾い上げている時間はない、だからこそ、自分にとって今、何が必要であるか?を見極めないといけないのですね。
私、Rach にとって、優先順位の1位に来るものは何だろう?と時々考えます。
英語学習者として学びたいことはたくさんある、でも、今の私にとってはやはり、この「フレンズ」のブログを続けることが、優先順位の1番に来ると思っています。
洋書もバンバン読みたい、他の映画やドラマももっと見たい、英語のライティングももっと練習したい…とそれはもう、いろいろとしたいことがあるのですが、「今の私」にとっては、このブログでいろんな方とやり取りすることが、一番効果的な学習法だと思うのです。
「フレンズ」の英語を解説したブログとして、人気ランキングで上位にいさせていただけることで、多くのフレンズファンの方がブログを読んで下さいます。
私が解釈の間違いをしたら、すかさずどなたかが「それは違うやろ!」とツッコミを入れて下さいますし(笑)、DVDを見てわからなかったところを質問して下さる方もいます。
そういう「フレンズの英語を学ぶのに恵まれた環境」にいさせていただける私は、このブログを読んで下さる方がおられる間は、とことんフレンズをきわめるべきだ!、フレンズで学べることは全て学ぶぞ!くらいの気持ちで臨まないと、もったいないと思うのです。
フレンズの英語について一緒に考えて下さる同志がいる間は、他のことは捨てても、「このブログだけは捨てられない」と思うのです。
いろんな分野をまんべんなく学ぶことも大事だと思います。
そしてまた、ある分野にとことんこだわってみることも大切だと思います。
私は一つのことにこだわって、どこまで自分の英語力を伸ばせるか?というのを見てみたいのですね。
拙著が発売になった直後、週刊STの書評で取り上げていただいたことがあります。(詳しくは、過去記事、週刊STの書評で取り上げていただきました! をご覧下さい。)
その時の書評に以下の文章がありました。
「目標が限定的なのだ。『フレンズ』で語られる英語のみを理解し、活用できればよしとする。
この割り切り方の潔さ。」
私がフレンズにマニアックに取り組んでいる姿(笑)を、「潔い」と表現して下さったことは、とてもうれしかったです。
「潔く割り切る」ということは、「捨てる」ことに通じるかなぁ、と思います。
「捨てる英語、拾う英語」というインパクトのあるタイトル。
英語学習者は、いえ、恐らく、何かを学ぶ人は、もしくは、人間というものは、常に取捨選択しながら生きていかないといけないのかもしれません。
人生は有限だから、自分にとって効果のあるものに時間を費やしていきたいですね。
私も年齢を重ねるにつれて、人生が有限である、時間には限りがある、ということを実感するようになりました。
だからこそ、「捨てる」「拾う」というキーワードが胸に響きます。
何かを学ぶ時にはつい「あれもこれも」と欲張ってしまいがちですが、皆さんも、井上さんの本のタイトルを思い出して、「何を捨て、何を拾うべきか」を自問自答しながら、英語学習を続けていって下さい。
井上大輔さん、素晴らしい本をありがとうございました。
そして、その本で、拙著を言及して下さり、ありがとうございました。
井上さんも、DVD勉強法についての原稿を書かれたとのこと、そのご本を読ませていただける日を楽しみに待っています。
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捨てる英語、拾う英語
まず、この本を読ませていただいたきっかけについて書き、その後、本の感想を書かせていただきたいと思います。
実は、この井上さんのご本に、私の著書、シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の名前が登場しているのです。
それも、本文中と巻末に2回も!
一つ目は、「第7章 リスニングの勉強方法」の p.139 に、
DVDを使ったリスニングの勉強法が知りたい人は、『シットコムで笑え!』(エヌティティ出版)も参考になります。
と書いて下さっています。
そして、巻末の 厳選!「捨てる英語、拾う英語」おすすめ参考書 では、本のフルタイトルと著者名もはっきり書いて下さっています。
他の方が書かれた本の中で、拙著をおすすめ参考書として挙げていただけるなんて、本当に光栄です。
井上さん、ありがとうございます!!
井上さんは、ALC Blog で、カメハメハ日記 というブログを書いておられます。
11月11日の記事 では、拙著のことを書いて下さっています。重ね重ねありがとうございます。
10月18日の記事 では、明日香出版社の著者大会で、晴山陽一さんにお会いになったお話が書いてあります。
井上さんとお話をされて、井上さんが著書を出されていることを知った晴山さんは、早速アマゾンで井上さんの「捨てる英語、拾う英語」を購入されたそうです。
晴山さんのご本 12日間で完全マスター 速習英単語1200 も、巻末におすすめ参考書として挙げられているのですが、私の本の名前も出ていることに晴山さんが気付き、それを私にメールで教えて下さったんですね。
晴山さんからは「南谷さんの著書がしっかり浸透してきている証拠だと思い、うれしくなりました。」とも言っていただけました。
そのお話を聞いて、私も早速アマゾンで購入し、こうして読ませていただいた、ということです。
井上さんの本に載せていただけたこと、それを晴山さんが教えて下さったこと、私にとっては、とても幸せなニュースでした。
ちなみに、今回ご本を読んだ後、井上さんのブログに初コメントを入れ、ご挨拶させていただいたのですが、それまでは、井上さんとブログ上でお話させていただいたことはありませんでした。
でも、井上大輔さんのお名前とそのブログは以前から存じ上げていました。
日向清人先生の ビジネス英語雑記帳 の 2008年02月11日の記事 で、井上さんの「カメハメハ日記」が紹介されていて、「TOEIC のスコアが示しているのは TOEIC 力である」などの井上さんのお言葉が載っていたのですね。
「そうそう、まさにあれは、”TOEIC 力”だわぁ〜」と思った私は、井上さんのブログも読ませていただき、そのことが強く頭に残っていたのです。
井上さんのご本にも、p.192 に「TOEIC で測定されるのは TOEIC 力」という章があります。
英語力と TOEIC 力は必ずしも一致しない、ということを説明した上で、では、効率的に TOEIC の点数を上げるにはどうしたらよいか?ということを述べておられます。
ではここから、本を読んで感じたことを、自分の体験と絡めて綴ってみたいと思います。
拙著を紹介して下さっているということで、とても嬉しい気持ちで読んだこともあるのですが、英語を学んできた者として、「TOEIC 力」のお話も含め、共感できる部分が数多くありました。
井上さんの本から引用した部分は、青色で書かせていただきます。
「はじめに」で、この本のメインテーマが書かれています。
それは、「自分にとって必要なところを押さえて、後はあきらめよう」ということです。
そんな風に、いい意味での「見切り」を行なう ことはとても大切なことですよね。
それを「捨てる」というインパクトのある言葉で表現されているのが、心に残りました。
p.4 同じ低レベルな英語でも発展性や広がりに乏しい無勝手流のものと、低レベルながらも将来的に発展していく可能性を持った折り目正しいものの二つに分けられます。
そういう、折り目正しいレベルの低い英語を身につけるための方法を説明しようとして書かれたのがこの本だ、ということです。
それぞれの章では、単語、文法、リスニング、リーディング、スピーキング、ライティングなどに場合分けして、「捨てること」「拾うこと」について説明してあります。
井上さんは、何を捨て、何を拾うべきだと考えておられるのか?
それは、実際にこの本を読んでいただければと思います。
井上さんの本を読んでみて、私は何を捨てているかなぁ?と考えてみました。
真っ先に浮かんだのは、「英検1級レベルの単語」ですね(爆)。
過去記事 Pass単断念 1級一次(語彙編) でも書いたように、一応、「Pass単」という有名な本を使って、暗記しようと試みてはみました。
でも、頭に入らないことがすぐにわかりました。
それがどうしても必要なものであるならば、私も何か工夫をしたり、楽しみを見出したりしてでも覚えようとしたのですが、当時の記事でも書いたように、私はそれをあっさり「捨てた」のです。
実際、英検1級に合格した後は、さらにそれを身につけないといけない「必要性」がなくなりました。
もちろん、知っているに越したことはないし、あのレベルを知っているということは「教養」でもあります。
もちろん、覚えられるものなら覚えたいのですが、井上さんがおっしゃるように、「私達の時間とお金は有限」なのです。
「おわりに」では、「我々の人生は有限である」ことを語った上で、「物事にきちんと優先順位をつける、つまり必要ではないものを捨てることで、本当に必要なことを拾い上げる必要があるのだ。」と語られています。
全くその通りだと思います。
私たちには全てを拾い上げている時間はない、だからこそ、自分にとって今、何が必要であるか?を見極めないといけないのですね。
私、Rach にとって、優先順位の1位に来るものは何だろう?と時々考えます。
英語学習者として学びたいことはたくさんある、でも、今の私にとってはやはり、この「フレンズ」のブログを続けることが、優先順位の1番に来ると思っています。
洋書もバンバン読みたい、他の映画やドラマももっと見たい、英語のライティングももっと練習したい…とそれはもう、いろいろとしたいことがあるのですが、「今の私」にとっては、このブログでいろんな方とやり取りすることが、一番効果的な学習法だと思うのです。
「フレンズ」の英語を解説したブログとして、人気ランキングで上位にいさせていただけることで、多くのフレンズファンの方がブログを読んで下さいます。
私が解釈の間違いをしたら、すかさずどなたかが「それは違うやろ!」とツッコミを入れて下さいますし(笑)、DVDを見てわからなかったところを質問して下さる方もいます。
そういう「フレンズの英語を学ぶのに恵まれた環境」にいさせていただける私は、このブログを読んで下さる方がおられる間は、とことんフレンズをきわめるべきだ!、フレンズで学べることは全て学ぶぞ!くらいの気持ちで臨まないと、もったいないと思うのです。
フレンズの英語について一緒に考えて下さる同志がいる間は、他のことは捨てても、「このブログだけは捨てられない」と思うのです。
いろんな分野をまんべんなく学ぶことも大事だと思います。
そしてまた、ある分野にとことんこだわってみることも大切だと思います。
私は一つのことにこだわって、どこまで自分の英語力を伸ばせるか?というのを見てみたいのですね。
拙著が発売になった直後、週刊STの書評で取り上げていただいたことがあります。(詳しくは、過去記事、週刊STの書評で取り上げていただきました! をご覧下さい。)
その時の書評に以下の文章がありました。
「目標が限定的なのだ。『フレンズ』で語られる英語のみを理解し、活用できればよしとする。
この割り切り方の潔さ。」
私がフレンズにマニアックに取り組んでいる姿(笑)を、「潔い」と表現して下さったことは、とてもうれしかったです。
「潔く割り切る」ということは、「捨てる」ことに通じるかなぁ、と思います。
「捨てる英語、拾う英語」というインパクトのあるタイトル。
英語学習者は、いえ、恐らく、何かを学ぶ人は、もしくは、人間というものは、常に取捨選択しながら生きていかないといけないのかもしれません。
人生は有限だから、自分にとって効果のあるものに時間を費やしていきたいですね。
私も年齢を重ねるにつれて、人生が有限である、時間には限りがある、ということを実感するようになりました。
だからこそ、「捨てる」「拾う」というキーワードが胸に響きます。
何かを学ぶ時にはつい「あれもこれも」と欲張ってしまいがちですが、皆さんも、井上さんの本のタイトルを思い出して、「何を捨て、何を拾うべきか」を自問自答しながら、英語学習を続けていって下さい。
井上大輔さん、素晴らしい本をありがとうございました。
そして、その本で、拙著を言及して下さり、ありがとうございました。
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2008年10月09日
「読書進化論」を読んで(その2)
昨日の記事 に引き続き、今日も、勝間和代さんの 読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~ (小学館101新書) (小学館101新書 1) について語ります。
第四章 「売る」仕組みを進化させる
出版業界は「プレイス」と「プロモーション」が弱い では、マーケティングの4P「プロダクト(商品)、プライス(価格)、プレイス(流通チャネル)、プロモーション(広告宣伝)」という基本的なフレームワークを使って、「売る仕組み」について説明されています。
p.169 出版社のプロモーションはどうしても新聞広告や書評が中心なのですが、それ以外の方法もいろいろ、複層的に使うことが効果的だと思います。
拙著でも、「新聞広告」や「書評」などのプロモーションがありました。
伝統的な手法とは言え、やはりこれはそれなりの効果が見込めるものです。
特に、最初に日経新聞に広告を出した時は、アマゾンの順位が115位まで上昇しました。(関連記事 アマゾンで115位!?)
この頃、ちょうど、紀伊國屋書店のキノビジョンで紹介され、本来の本籍地である「語学・英語コーナー」以外に、全国の紀伊國屋さんにある「キノビジョンコーナー」というところにも何冊も置いてもらいました。(関連記事 紀伊國屋書店キノビジョンで紹介されます!)
私の行きつけの紀伊國屋書店梅田本店でも、それぞれのコーナーにたくさん並べてもらっているのをこの目で見ました。本当に感動しました。
日経の広告1回目と、キノビジョンでの紹介時期が重なった時は、アマゾンでも、リアル書店でも(紀伊國屋さん以外にもジュンク堂さんなどでも)たくさん売れた、という話を、週明けに編集者さんから聞きました。
ですから私は、数少ない私の体験談(笑)から、プロモーションが大事だ、ということはいやというほどわかっていますし、そのようにいろいろなプロモーションをさせていただけたことを、とてもありがたいと思っています。
また、書評に載る、というのもとても嬉しいことです。
私は英語を職業とする「英語のプロ」ではないけれども、その私の本が、ジャパンタイムズ発行の英語学習紙「週刊ST」の書評に載った、ということは、素人の私にとって大きな自信となりました。(関連記事 週刊STの書評で取り上げていただきました!)
決して、おちゃらけた本でも、うさんくさい本でもないんですよ!(笑)というのを訴えるのに、英語専門紙での書評、これほど効果的なプロモーションはありません。
(最近の週刊STの書評では、ベストセラーとなっている村上憲郎さんの 村上式シンプル英語勉強法 (ダイヤモンド社)も載っていました。そういう本と同じように扱ってもらえた、ということがとても嬉しいのです。)
p.171 本は、「いかに人に知ってもらうか」ということに、実は読者の方々が思っているよりも、ずっとコストがかかります。
(中略) ネットのほうで本に誘導するような動線を設計し、ネットユーザーの本へのタッチングポイントを増やしていけばいいのです。
本当にその通りなんですよね。
出版不況にも関わらず、出版点数が増えている、というこの現状では、本の存在を知ってもらうのが至難のわざなのです。
私の基本はブロガーなので、私もご覧のように、ブログのサイドバーなどに、アマゾンの拙著へのリンクをはっています。
本を出しているブロガーなら誰でもやっていることとは言え、これもネットから本に誘導する動線の一つですね。
勝間さんは、「ネット書店のアマゾンは、ネットユーザーにとって、共通カタログとして機能している」「データベースの役割を果たしている」と表現しておられますが、全くその通りで、私もできるだけそのアマゾンが「カタログ、データベース」として充実したものになるように、できる限りたくさんの情報を表示するように努めています。
p.204 ウェブには、コンテンツは無料という文化がありますので、今、ウェブ上で1500円のものを買わせるのは至難の業です。
(中略) それに対して、書籍の形を取っただけで、プライスがつくのは面白い現象です。
情報を得る側の立場から見ると、お金を払うことは「面白くない」かもしれませんが(笑)、やはりその現象は「興味深い」という意味で「面白い」ですね。
私の場合もブログの書籍化ということで、無料で見ることのできるブログを本にするにあたっては、当然、プライスをつけるだけのプラスアルファがないといけないと思いました。
ですから、メインのDVD学習法については、ブログの記事を元に書いたのですが、編集者の方と相談しながら、「読者がもっと深く知りたいと思う部分」を掘り下げ、それ以外の、ポリシーとか哲学、学習に対する考え方のようなものについては、ブログでは話題にしたこともないことを含め、新たに書き下ろしました。
ウェブとの棲み分けについては、「本でやった方が良いこと」と「ウェブでやった方が良いこと」というのがありますので、それを上手に使い分けていくべきなのでしょう。
私の学習法は、パソコンを使う方法ですので、実際に私が学習する様子を追体験するには、私がブログでやっている様子を、パソコン上で直接見てもらうのが早いのです。
理屈も説明しながら、きちんと順序立てて、方法論を語るものが本で、具体的な例に当たって、実際にやっているのをお見せするのがブログ、という使い分けですね。
勝間さんも本のことをブログでフォローされていますが、本を読んだ方がブログで質問して下さったり、ブログをいつも読んでいる方が本を購入して下さったりと、相互に良い方向に働く、というのが、今後のウェブと紙媒体の本との望ましい関係なんだろうと思います。
終章 これから「読みたい」「書きたい」「売りたい」と思っているみなさんへ
すべての人にフェア(公平)な可能性を秘めている「読書」の世界
ここでは、「出版のようなコンテンツビジネスでは、マイノリティに対する差別は限りなくゼロに近い」という内容の話が書いてあります。
そういう意味で、すべての人にフェアである、と。
確かにそうだと私も思いました。
今のようにブログという形で素人でも自分の意見を発信できる時代になったことで、フェアであることがより鮮明になった気がします。
私は出版社などに何のコネもない人間で、自分が本を出版することになるなんて、以前は想像もしていませんでした。
もう、「私がノーベル賞をとる」のと同じくらい、あり得ない話だと思っていました。(←ちょっとタイムリーなネタ…笑)
それが、ブログを書くようになり、読者の方が増えてきて、ブログランキングで上がってくると、本という可能性が少しずつ見え始めてくる…。
p.130 に「知り合い以外の人にも面白い、と思ってもらえるようになれば、商業用にも通じる可能性が出てきます。」という勝間さんの言葉がありますが、私もブログを続けることで、自分でその可能性を感じられるようになってきた、ということです。
私は英語を職業としていないけれど、私の言っていることは私の書いた文字で多くの人に伝わっている、それを読んで何かを感じて下さった方がいて、それがコンテンツビジネスとして成り立つと判断してくれる…。
私にとっては、英語で何か仕事をしたというキャリアがなくても、この3年間で書いてきたことすべてが「私の履歴書」なわけですね。
何かの課題や問題にぶつかった時に、私がどう対処してそれを切り抜けていくか、という様子が、ブログ上で読者の方々とコメントのやり取りをすることで、はっきりと見えるということなのでしょう。
勝間さんがこの本の中で、読書を通じて、著者も読者もみんなが一緒に進化していくのを望んでおられる、というのがよくわかりました。
そのためにウェブ版の専用サイトを設け、読者とのさまざまなコミュニケーションができることを望んでもおられます。
私も今回、この書評を、勝間さんのブログ Book Lovers にトラックバックすることで、私の考えが、著者の勝間さんに伝わることをとても嬉しく思います。
また、私も、ブログで意見を発信する者として、そして英語学習法の本の著者として、英語学習者の方々と活発に意見交換をし、みんなが一緒に英語学習を楽しく続けられるように、みんなが一緒に英語の使い手として進化するように、意見を発信し続けたいと思っています。
「読書進化論」は、ブロガーとして、著者として、これから私はどうあるべきか?ということをじっくり考えさせてくれた本でした。
勝間さん、素晴らしいご本をありがとうございました。
今後ますますのご活躍を、心よりお祈り申し上げております。
(Rach からのお願い)
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第四章 「売る」仕組みを進化させる
出版業界は「プレイス」と「プロモーション」が弱い では、マーケティングの4P「プロダクト(商品)、プライス(価格)、プレイス(流通チャネル)、プロモーション(広告宣伝)」という基本的なフレームワークを使って、「売る仕組み」について説明されています。
p.169 出版社のプロモーションはどうしても新聞広告や書評が中心なのですが、それ以外の方法もいろいろ、複層的に使うことが効果的だと思います。
拙著でも、「新聞広告」や「書評」などのプロモーションがありました。
伝統的な手法とは言え、やはりこれはそれなりの効果が見込めるものです。
特に、最初に日経新聞に広告を出した時は、アマゾンの順位が115位まで上昇しました。(関連記事 アマゾンで115位!?)
この頃、ちょうど、紀伊國屋書店のキノビジョンで紹介され、本来の本籍地である「語学・英語コーナー」以外に、全国の紀伊國屋さんにある「キノビジョンコーナー」というところにも何冊も置いてもらいました。(関連記事 紀伊國屋書店キノビジョンで紹介されます!)
私の行きつけの紀伊國屋書店梅田本店でも、それぞれのコーナーにたくさん並べてもらっているのをこの目で見ました。本当に感動しました。
日経の広告1回目と、キノビジョンでの紹介時期が重なった時は、アマゾンでも、リアル書店でも(紀伊國屋さん以外にもジュンク堂さんなどでも)たくさん売れた、という話を、週明けに編集者さんから聞きました。
ですから私は、数少ない私の体験談(笑)から、プロモーションが大事だ、ということはいやというほどわかっていますし、そのようにいろいろなプロモーションをさせていただけたことを、とてもありがたいと思っています。
また、書評に載る、というのもとても嬉しいことです。
私は英語を職業とする「英語のプロ」ではないけれども、その私の本が、ジャパンタイムズ発行の英語学習紙「週刊ST」の書評に載った、ということは、素人の私にとって大きな自信となりました。(関連記事 週刊STの書評で取り上げていただきました!)
決して、おちゃらけた本でも、うさんくさい本でもないんですよ!(笑)というのを訴えるのに、英語専門紙での書評、これほど効果的なプロモーションはありません。
(最近の週刊STの書評では、ベストセラーとなっている村上憲郎さんの 村上式シンプル英語勉強法 (ダイヤモンド社)も載っていました。そういう本と同じように扱ってもらえた、ということがとても嬉しいのです。)
p.171 本は、「いかに人に知ってもらうか」ということに、実は読者の方々が思っているよりも、ずっとコストがかかります。
(中略) ネットのほうで本に誘導するような動線を設計し、ネットユーザーの本へのタッチングポイントを増やしていけばいいのです。
本当にその通りなんですよね。
出版不況にも関わらず、出版点数が増えている、というこの現状では、本の存在を知ってもらうのが至難のわざなのです。
私の基本はブロガーなので、私もご覧のように、ブログのサイドバーなどに、アマゾンの拙著へのリンクをはっています。
本を出しているブロガーなら誰でもやっていることとは言え、これもネットから本に誘導する動線の一つですね。
勝間さんは、「ネット書店のアマゾンは、ネットユーザーにとって、共通カタログとして機能している」「データベースの役割を果たしている」と表現しておられますが、全くその通りで、私もできるだけそのアマゾンが「カタログ、データベース」として充実したものになるように、できる限りたくさんの情報を表示するように努めています。
p.204 ウェブには、コンテンツは無料という文化がありますので、今、ウェブ上で1500円のものを買わせるのは至難の業です。
(中略) それに対して、書籍の形を取っただけで、プライスがつくのは面白い現象です。
情報を得る側の立場から見ると、お金を払うことは「面白くない」かもしれませんが(笑)、やはりその現象は「興味深い」という意味で「面白い」ですね。
私の場合もブログの書籍化ということで、無料で見ることのできるブログを本にするにあたっては、当然、プライスをつけるだけのプラスアルファがないといけないと思いました。
ですから、メインのDVD学習法については、ブログの記事を元に書いたのですが、編集者の方と相談しながら、「読者がもっと深く知りたいと思う部分」を掘り下げ、それ以外の、ポリシーとか哲学、学習に対する考え方のようなものについては、ブログでは話題にしたこともないことを含め、新たに書き下ろしました。
ウェブとの棲み分けについては、「本でやった方が良いこと」と「ウェブでやった方が良いこと」というのがありますので、それを上手に使い分けていくべきなのでしょう。
私の学習法は、パソコンを使う方法ですので、実際に私が学習する様子を追体験するには、私がブログでやっている様子を、パソコン上で直接見てもらうのが早いのです。
理屈も説明しながら、きちんと順序立てて、方法論を語るものが本で、具体的な例に当たって、実際にやっているのをお見せするのがブログ、という使い分けですね。
勝間さんも本のことをブログでフォローされていますが、本を読んだ方がブログで質問して下さったり、ブログをいつも読んでいる方が本を購入して下さったりと、相互に良い方向に働く、というのが、今後のウェブと紙媒体の本との望ましい関係なんだろうと思います。
終章 これから「読みたい」「書きたい」「売りたい」と思っているみなさんへ
すべての人にフェア(公平)な可能性を秘めている「読書」の世界
ここでは、「出版のようなコンテンツビジネスでは、マイノリティに対する差別は限りなくゼロに近い」という内容の話が書いてあります。
そういう意味で、すべての人にフェアである、と。
確かにそうだと私も思いました。
今のようにブログという形で素人でも自分の意見を発信できる時代になったことで、フェアであることがより鮮明になった気がします。
私は出版社などに何のコネもない人間で、自分が本を出版することになるなんて、以前は想像もしていませんでした。
もう、「私がノーベル賞をとる」のと同じくらい、あり得ない話だと思っていました。(←ちょっとタイムリーなネタ…笑)
それが、ブログを書くようになり、読者の方が増えてきて、ブログランキングで上がってくると、本という可能性が少しずつ見え始めてくる…。
p.130 に「知り合い以外の人にも面白い、と思ってもらえるようになれば、商業用にも通じる可能性が出てきます。」という勝間さんの言葉がありますが、私もブログを続けることで、自分でその可能性を感じられるようになってきた、ということです。
私は英語を職業としていないけれど、私の言っていることは私の書いた文字で多くの人に伝わっている、それを読んで何かを感じて下さった方がいて、それがコンテンツビジネスとして成り立つと判断してくれる…。
私にとっては、英語で何か仕事をしたというキャリアがなくても、この3年間で書いてきたことすべてが「私の履歴書」なわけですね。
何かの課題や問題にぶつかった時に、私がどう対処してそれを切り抜けていくか、という様子が、ブログ上で読者の方々とコメントのやり取りをすることで、はっきりと見えるということなのでしょう。
勝間さんがこの本の中で、読書を通じて、著者も読者もみんなが一緒に進化していくのを望んでおられる、というのがよくわかりました。
そのためにウェブ版の専用サイトを設け、読者とのさまざまなコミュニケーションができることを望んでもおられます。
私も今回、この書評を、勝間さんのブログ Book Lovers にトラックバックすることで、私の考えが、著者の勝間さんに伝わることをとても嬉しく思います。
また、私も、ブログで意見を発信する者として、そして英語学習法の本の著者として、英語学習者の方々と活発に意見交換をし、みんなが一緒に英語学習を楽しく続けられるように、みんなが一緒に英語の使い手として進化するように、意見を発信し続けたいと思っています。
「読書進化論」は、ブロガーとして、著者として、これから私はどうあるべきか?ということをじっくり考えさせてくれた本でした。
勝間さん、素晴らしいご本をありがとうございました。
今後ますますのご活躍を、心よりお祈り申し上げております。
(Rach からのお願い)
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2008年10月08日
勝間和代さんの「読書進化論」を読んで(その1)
ブロガーから本の著者になることができた人間の一人として、発売前に発表された目次を見た時から注目していました。
それが、勝間和代さんの「読書進化論−人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか」です。
アマゾンではこちら(↓)。
読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~ (小学館101新書) (小学館101新書 1)
このサブタイトルにもあるように、この本は、「新しいウェブ時代の読書論」です。
「はじめに」でその読書論の「3つの新しい基軸」について説明されています。
それは、
1.ウェブによる本というコンテンツの読み方の進化
2.ウェブによる著者と読者の関係性や書き方の進化
3.ウェブによる本の売り方と書店の進化
です。
キーワードは「進化」。
ウェブというテクノロジーの登場で、本の立ち位置が難しくなってきている、ということはよく指摘されますが、勝間さんは、ウェブとの関係で本を語るにおいて、「変化」ではなく、「進化」という言葉を使っておられます。
ウェブの登場で本の存在が脅かされるのではなく、ウェブの発達と共に、読書も読者も著者も進化していくのだ、進化していくべきだ、という論調ですね。
私はその考え方に共感を覚えました。
共感を覚えると言えば…。
個人的な話になりますが、勝間さんは私と同い年(厳密に言うと同学年)のようです。(私は1969年の早生まれ)
同世代の女性が活躍されている姿を見るのは嬉しいものですね。
本とウェブとの関係を考えるという本なので、それに連動して、勝間さんはウェブ上で、いろいろな先進的な企画を立ち上げておられます。
ウェブ版『読書進化論』
『読書進化論』ブログ 【勝間和代のBook Lovers】
「読者のみなさんと、一緒に進化していきたい」という勝間さんのメッセージが、このような新しい試みにも表れているなと思いました。
以下、特に印象に残った部分について、私自身の経験や考えと絡めながら、語っていきたいと思います。
私が考える「書評」というものは、本の宣伝でもなければ、本の要約でもありません。
3年間ブログをやってきたブロガーとしての私、そのブログの書籍化として本を出すことができた著者としての私、その私というものを背負いながら、「読書進化論」を読んで何を思い、何を感じたかを語らないと、私が自分のブログで書評を書いている意味がないと思うのですね。
勝間さんは、「本は他者の人生の疑似体験」だと表現されています。
「読書進化論」を読んで、勝間さんの人生を疑似体験しながら、私はブロガー、著者としての自分のこれまでの経緯を振り返り、それと比較しながら、今後の「進化」を期待したいと思うのです。
勝間さんも、「書く技術」の一つとして、「自分の事例を利用して、親しみを持たせる」ことを挙げておられます。
p.137 ブログを読む目的は著者の体験の疑似体験ですから、一般論ではなく、読者は「あなたの体験をしっかり話してください」ということを望んでいるのです。
ですから、今回の書評でも、私の経験談が多くなってしまうことをお許し下さいませ。
また、私という別の人間の経験を語ることで、「読書進化論」で語られている内容が、勝間さんというユニークな人材だからこそできたことなのか、それとも、他の人にも一般的に通用する話なのか、というのがわかるのではないか、とも思いました。
「読書論」というと、これまでは「本の読み方」について語るものが多かったように思いますが、上の2.と3.の部分についてここまで詳しく語られた本はあまりなかったように思いました。
今回、私が特に興味を抱いたのは、2.の「ウェブによる著者と読者の関係性」の部分です。
「はじめに」の p.5 でその部分についての説明があります。
ウェブの発展により、メルマガ・ブログなどの新しいテクノロジーが出てきて、読者と著者の距離がどんどん近づいています。具体的には、読者が著者に対して、書評やブログのコメントという形で直接メッセージを発したり、あるいは読者がブログなどの発展段階を通じて、著者になるケースも増えてきました。
私は自分のこととして体験しているだけに、その「著者と読者の関係性の進化」の部分は、よくわかります。
私は2005年6月にこのブログを始めましたので、もう3年以上ブログを続けていることになります。
このブログを書いていたことで、2008年3月に、私がおすすめしている「海外ドラマのDVDを利用した英語学習法」をまとめた本、シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 (NTT出版)を出版することができました。
私も「著者」の仲間入りをすることができたわけですね。
ウェブというテクノロジーがなければ、ブログというツールがなければ、私が著者になることは決してありませんでした。
(拙著については、過去記事、学習法の本を出版しました! で詳しく触れており、拙著に関係する記事のリンク一覧もそこにあります。)
また、「読者が著者に対して、直接メッセージを発する」という部分についても、経験があります。
拙著を出版した後の話になるのですが、2008年7月に、私はこのブログで、晴山陽一さんの「英語ベストセラー本の研究」(幻冬舎)を読んだ感想を書きました。
すると、晴山さんがネット検索でその記事を発見して下さり、そこから交流が始まったのです。
このブログにコメントを下さり、晴山さんのサイトで拙著を紹介していただき、サイン本まで送っていただける間柄になりました。
お互いの近況をメールで報告し合うなど、今でも、頻繁にメールのやり取りをさせていただいています。(詳しくは、過去記事、晴山陽一氏が拙著を紹介して下さいました をご覧下さい。)
私はそれまであまり書評を書いたことがなかったのですが、このことをきっかけに、ブログで書評を書けば、著者ご本人がそれを読んで下さるチャンスがある、ということを知りました。
それも、書名や著者名で検索すれば、その本について書いてある記事が簡単に見つかる、という、検索機能が発達した現代だからできることですよね。
また、こんな風に晴山さんとお近づきになれたのも、私が本を出していた、というのが大きな理由の一つだろうと思います。
ブログの記事というのは膨大で(現時点で、1149件あります)、サイドバーのプロフィールなどで、ある程度のことはわかるけれど、その人の考え方の全体像をパッと知りたい場合には、どこを見たらいいのか困ってしまう、ということもあるように思います。
その点、私のように、つい最近、それも「初めての本」を出したばかりの人間の場合は、その本を一通り読めば、その著者の言いたいこと、ポリシー、普段のものの考え方、がすっとわかるだろうと思うのですね。
晴山さんが「気になる本は、どんどんアマゾンカートに入れる」というフットワークの軽い方だったことが幸いして、私の本もすぐに読んでいただけて、私のことをすっかり理解していただけた、ということはとてもラッキーだったと思います。
これが逆に、私が何十冊も本を書いている人間だったら、どの本を読めばいいのか迷われたかもしれませんし、そういう意味でも、絶妙のタイミングで、素晴らしい出会いだったなぁ、と思っています。
勝間さんも「本」について、こう述べておられます。
p.28 本は、自分を表現し、流通させるメディアとして、ウェブよりもはるかにフォーマットが安定している
p.29 私は、本というものは、「著者が書店を通じて見知らぬ人たちに名刺を配っている」イメージに近い、と思っています。
勝間さんも私も、流通している本の部数に大幅な違いはあれども(笑)、どちらも自分を表現するメディアとして使っていることは同じだということですね。
第二章 進化している「読む」技術
この章で面白いな、と思ったのは、以下の部分。(印象的な部分を抜粋してあります。)
p.120 私は基本的に本というのは、学術書以外は、ある意味、著者の「与太話」、もう少しいいことばで言うと、著者たちの経験談だと思っています。
「与太話」ですから、その信憑性をきちんと調べるのは自分の責任になります。
とりあえず、やってみて信憑性を調べてみようと思ったのです。
やらないうちからインチキだと断言してしまってもいけませんし、逆に鵜呑みにして魔法の杖のように考えて行うのも危険だと思っています。著者の与太話に対しては、すべてに好奇心と健全な疑いを持ちつつ、調べたり、体感することが、著者との体験談の共有です。
私も拙著で、
まずは「人の意見」に耳を傾けてみる、次に「自分で」やってみる、ある程度やってみて、それから自分なりに「カスタマイズ」する
ということを書いています。
世の中には「極論」好きの人がいて、崇拝するか、徹底的に糾弾するかの二派に分かれることがよくあるけれども、まずは「ある人の意見として」先入観を持たずに素直に聞いてみて、それから自分でやってみよう、ということを書いたのですが、私が言う「人の意見」というのも数多くの本から得た情報のことですね。
勝間さんの「すべてに好奇心と健全な疑いを持ちつつ」という姿勢は、人の意見を聞く上で、本を読む上で、最も大切だと思います。
第三章 「書く」人も進化する
本の発売前から、私が一番注目していた部分です。
想像通り、興味深い内容がたくさん書いてありました。
勝間式「相手がわかりやすく読みやすく書く」ための4つの技術 の技術3に以下の記述があります。
p.143 思想は大事なことなのでしっかりと伝えますが、このような思想を伝えた後に、行動を常にセットで説明し、実行してもらう必要があります。
この点は、私も拙著を書く際に、意識していました。
拙著でも、第1章で、ドラマを使って学ぶのはこれほど効果的ですよ、という私の「思想」を伝え、その次の第2章で、Rach流DVD学習法について、具体的な方法を細かく説明する、という方法をとっています。
学習法はその方向性の正しさについて理解してもらうことがまずは先決で、それを頭に入れた上で、実際の行動を起こしてもらわないといけない、と私も思ったからですね。
ウェブで発見されて著者に進化するには では、勝間さんが実際に進化してこられた様子が、具体的に細かく書かれています。
ここは、是非、実際に本を手にとっていただいて、勝間さんご自身の言葉で語られるのを直接読んでいただきたいです。
その部分の冒頭に、私にとって印象的なことが書いてありました。
p.152 ブログを書いている人は何百万人もいます。しかし、その中で出版社が見つけて声をかけ、商業出版デビューできるのは、年間に数十人か、せいぜい100人単位でしょう。
その人数から考えると、私が商業出版デビューできた、ということは本当に「幸運」だったとしかいいようがありません。
勝間さんは「運」という言葉に、もしかしたら違和感をお感じになるかもしれませんが、「時代の流れ」とか、「人との巡り合わせ」とか、そういうものも無視できないような気が、私自身はしています。
勝間さんの本では、ディスカヴァー21社の干場弓子社長との出会いについて語られていますが、そういう方に出会えたことはやはり幸運だったといえるのでしょう。
そういう方に発見してもらえるほど書き手として進化していたことが、その幸運を引き寄せた、ということは言うまでもありませんが。
勝間さんの本は、現代の人々が求めるものにマッチしていた、だから、こんなに数々のベストセラーを生み出しておられるのだと思います。
普段から、インプットとアウトプットで自分を磨いていて、自分の中に引き出しをたくさん持っていた、それが、最大の理解者との出会いで、その持っているものが花開いた、という考え方もできるのかな、と思います。
ずっと蓄積されていたものがあるからこそ、その中から「時代にマッチするもの」を探し、それを提供することができるのだと思うのですね。
今の時代はこれを求めているだろうから、今からそれについて学び、それについて本を書いてみよう…ではきっと遅すぎるのです。
日頃から問題意識を持ち、大いに考えているからこそ、運やチャンスが到来した時に、スッとそれに乗ることのできる準備ができていた、と言えるのではないでしょうか。
一方、私の話になりますが、私が商業出版デビューできたのは、今の「勉強法・学習法ブーム」のお陰だろうと思っています。
おこがましいですが、私も、勉強法ブームが起こる前から、自分のブログで、Rach流DVD学習法、という言葉を使い、それを実際にブログ上でやってみせていました。
勉強法ブームが来た時に、私は英語を職業とする「英語のプロ」ではないながらも、ブログの中で読者と共にDVD学習法で学び合ってきた、という実績があったからこそ、それを本にすることができたのだろうと思います。
ちなみに、私も商業出版デビューし、本の著者となった人間ではありますが、私の場合は「ウェブで発見されて」というのとは少し違います。
私は「本にしませんか?」と出版社から直接依頼を受けたのではなく、「企画のたまご屋さん」という出版エージェント会社に企画書を提出、それをたくさんの出版社に配信してもらいました。
その企画書を読んで手を挙げて下さった出版社が複数あり、その中で一番熱心にアプローチして下さったのが、NTT出版さんだった、ということです。
「企画のたまご屋さん」について、詳しくはこちら(↓)
企画のたまご屋さん トップページ
その時の詳しい経緯については、書き出すと長くなるので今回は割愛しますが、私の場合も、企画書を読んで編集者の方が気に入って下さった後も、社内での企画会議に通らないといけないなど、いくつものハードルがありました。
出版社が本を出版することを決めて下さった!と聞いた時は、それはもう本当に嬉しかったですね。
私の書いたものが「価格のついた商品」として通用すると認めて下さったわけですから。
「読書進化論」の p.39-40 に、「本を出すと人生のステージが変わる」という話があります。
人生のステージが変わる、というのは、そういう出版のプロがゴーサインを出してくれた、というお墨付きが、自分の自信となるし、それで、自分の作品に対価が発生するからなんだろうと思います。
世俗的な言い方になってしまいますが、「世間の見る目が変わる」というのもあります。
ブログを書いていて、たくさんの人が読んでくれているとか、ブログの人気ランキングで高順位だとか言っても、あまりブログに詳しくない人は「へぇ、そうなんだ」で終わってしまうのですが、本を出すとなると、そしてそれが有名書店で実際に何冊も並んでいたりすると、やはり誰でも驚いて下さるものです。
(私の場合は、夫や私の両親などの身内が一番驚いていた、というのが面白い…笑)
そこが本を出すことによる、劇的な変化の一つですね。
やはり今でも「本」というメディアの威力はすごい、それが本を出せた私の実感です。
長くなりましたので、続きは、次回 にします。
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それが、勝間和代さんの「読書進化論−人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか」です。
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このサブタイトルにもあるように、この本は、「新しいウェブ時代の読書論」です。
「はじめに」でその読書論の「3つの新しい基軸」について説明されています。
それは、
1.ウェブによる本というコンテンツの読み方の進化
2.ウェブによる著者と読者の関係性や書き方の進化
3.ウェブによる本の売り方と書店の進化
です。
キーワードは「進化」。
ウェブというテクノロジーの登場で、本の立ち位置が難しくなってきている、ということはよく指摘されますが、勝間さんは、ウェブとの関係で本を語るにおいて、「変化」ではなく、「進化」という言葉を使っておられます。
ウェブの登場で本の存在が脅かされるのではなく、ウェブの発達と共に、読書も読者も著者も進化していくのだ、進化していくべきだ、という論調ですね。
私はその考え方に共感を覚えました。
共感を覚えると言えば…。
個人的な話になりますが、勝間さんは私と同い年(厳密に言うと同学年)のようです。(私は1969年の早生まれ)
同世代の女性が活躍されている姿を見るのは嬉しいものですね。
本とウェブとの関係を考えるという本なので、それに連動して、勝間さんはウェブ上で、いろいろな先進的な企画を立ち上げておられます。
ウェブ版『読書進化論』
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「読者のみなさんと、一緒に進化していきたい」という勝間さんのメッセージが、このような新しい試みにも表れているなと思いました。
以下、特に印象に残った部分について、私自身の経験や考えと絡めながら、語っていきたいと思います。
私が考える「書評」というものは、本の宣伝でもなければ、本の要約でもありません。
3年間ブログをやってきたブロガーとしての私、そのブログの書籍化として本を出すことができた著者としての私、その私というものを背負いながら、「読書進化論」を読んで何を思い、何を感じたかを語らないと、私が自分のブログで書評を書いている意味がないと思うのですね。
勝間さんは、「本は他者の人生の疑似体験」だと表現されています。
「読書進化論」を読んで、勝間さんの人生を疑似体験しながら、私はブロガー、著者としての自分のこれまでの経緯を振り返り、それと比較しながら、今後の「進化」を期待したいと思うのです。
勝間さんも、「書く技術」の一つとして、「自分の事例を利用して、親しみを持たせる」ことを挙げておられます。
p.137 ブログを読む目的は著者の体験の疑似体験ですから、一般論ではなく、読者は「あなたの体験をしっかり話してください」ということを望んでいるのです。
ですから、今回の書評でも、私の経験談が多くなってしまうことをお許し下さいませ。
また、私という別の人間の経験を語ることで、「読書進化論」で語られている内容が、勝間さんというユニークな人材だからこそできたことなのか、それとも、他の人にも一般的に通用する話なのか、というのがわかるのではないか、とも思いました。
「読書論」というと、これまでは「本の読み方」について語るものが多かったように思いますが、上の2.と3.の部分についてここまで詳しく語られた本はあまりなかったように思いました。
今回、私が特に興味を抱いたのは、2.の「ウェブによる著者と読者の関係性」の部分です。
「はじめに」の p.5 でその部分についての説明があります。
ウェブの発展により、メルマガ・ブログなどの新しいテクノロジーが出てきて、読者と著者の距離がどんどん近づいています。具体的には、読者が著者に対して、書評やブログのコメントという形で直接メッセージを発したり、あるいは読者がブログなどの発展段階を通じて、著者になるケースも増えてきました。
私は自分のこととして体験しているだけに、その「著者と読者の関係性の進化」の部分は、よくわかります。
私は2005年6月にこのブログを始めましたので、もう3年以上ブログを続けていることになります。
このブログを書いていたことで、2008年3月に、私がおすすめしている「海外ドラマのDVDを利用した英語学習法」をまとめた本、シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 (NTT出版)を出版することができました。
私も「著者」の仲間入りをすることができたわけですね。
ウェブというテクノロジーがなければ、ブログというツールがなければ、私が著者になることは決してありませんでした。
(拙著については、過去記事、学習法の本を出版しました! で詳しく触れており、拙著に関係する記事のリンク一覧もそこにあります。)
また、「読者が著者に対して、直接メッセージを発する」という部分についても、経験があります。
拙著を出版した後の話になるのですが、2008年7月に、私はこのブログで、晴山陽一さんの「英語ベストセラー本の研究」(幻冬舎)を読んだ感想を書きました。
すると、晴山さんがネット検索でその記事を発見して下さり、そこから交流が始まったのです。
このブログにコメントを下さり、晴山さんのサイトで拙著を紹介していただき、サイン本まで送っていただける間柄になりました。
お互いの近況をメールで報告し合うなど、今でも、頻繁にメールのやり取りをさせていただいています。(詳しくは、過去記事、晴山陽一氏が拙著を紹介して下さいました をご覧下さい。)
私はそれまであまり書評を書いたことがなかったのですが、このことをきっかけに、ブログで書評を書けば、著者ご本人がそれを読んで下さるチャンスがある、ということを知りました。
それも、書名や著者名で検索すれば、その本について書いてある記事が簡単に見つかる、という、検索機能が発達した現代だからできることですよね。
また、こんな風に晴山さんとお近づきになれたのも、私が本を出していた、というのが大きな理由の一つだろうと思います。
ブログの記事というのは膨大で(現時点で、1149件あります)、サイドバーのプロフィールなどで、ある程度のことはわかるけれど、その人の考え方の全体像をパッと知りたい場合には、どこを見たらいいのか困ってしまう、ということもあるように思います。
その点、私のように、つい最近、それも「初めての本」を出したばかりの人間の場合は、その本を一通り読めば、その著者の言いたいこと、ポリシー、普段のものの考え方、がすっとわかるだろうと思うのですね。
晴山さんが「気になる本は、どんどんアマゾンカートに入れる」というフットワークの軽い方だったことが幸いして、私の本もすぐに読んでいただけて、私のことをすっかり理解していただけた、ということはとてもラッキーだったと思います。
これが逆に、私が何十冊も本を書いている人間だったら、どの本を読めばいいのか迷われたかもしれませんし、そういう意味でも、絶妙のタイミングで、素晴らしい出会いだったなぁ、と思っています。
勝間さんも「本」について、こう述べておられます。
p.28 本は、自分を表現し、流通させるメディアとして、ウェブよりもはるかにフォーマットが安定している
p.29 私は、本というものは、「著者が書店を通じて見知らぬ人たちに名刺を配っている」イメージに近い、と思っています。
勝間さんも私も、流通している本の部数に大幅な違いはあれども(笑)、どちらも自分を表現するメディアとして使っていることは同じだということですね。
第二章 進化している「読む」技術
この章で面白いな、と思ったのは、以下の部分。(印象的な部分を抜粋してあります。)
p.120 私は基本的に本というのは、学術書以外は、ある意味、著者の「与太話」、もう少しいいことばで言うと、著者たちの経験談だと思っています。
「与太話」ですから、その信憑性をきちんと調べるのは自分の責任になります。
とりあえず、やってみて信憑性を調べてみようと思ったのです。
やらないうちからインチキだと断言してしまってもいけませんし、逆に鵜呑みにして魔法の杖のように考えて行うのも危険だと思っています。著者の与太話に対しては、すべてに好奇心と健全な疑いを持ちつつ、調べたり、体感することが、著者との体験談の共有です。
私も拙著で、
まずは「人の意見」に耳を傾けてみる、次に「自分で」やってみる、ある程度やってみて、それから自分なりに「カスタマイズ」する
ということを書いています。
世の中には「極論」好きの人がいて、崇拝するか、徹底的に糾弾するかの二派に分かれることがよくあるけれども、まずは「ある人の意見として」先入観を持たずに素直に聞いてみて、それから自分でやってみよう、ということを書いたのですが、私が言う「人の意見」というのも数多くの本から得た情報のことですね。
勝間さんの「すべてに好奇心と健全な疑いを持ちつつ」という姿勢は、人の意見を聞く上で、本を読む上で、最も大切だと思います。
第三章 「書く」人も進化する
本の発売前から、私が一番注目していた部分です。
想像通り、興味深い内容がたくさん書いてありました。
勝間式「相手がわかりやすく読みやすく書く」ための4つの技術 の技術3に以下の記述があります。
p.143 思想は大事なことなのでしっかりと伝えますが、このような思想を伝えた後に、行動を常にセットで説明し、実行してもらう必要があります。
この点は、私も拙著を書く際に、意識していました。
拙著でも、第1章で、ドラマを使って学ぶのはこれほど効果的ですよ、という私の「思想」を伝え、その次の第2章で、Rach流DVD学習法について、具体的な方法を細かく説明する、という方法をとっています。
学習法はその方向性の正しさについて理解してもらうことがまずは先決で、それを頭に入れた上で、実際の行動を起こしてもらわないといけない、と私も思ったからですね。
ウェブで発見されて著者に進化するには では、勝間さんが実際に進化してこられた様子が、具体的に細かく書かれています。
ここは、是非、実際に本を手にとっていただいて、勝間さんご自身の言葉で語られるのを直接読んでいただきたいです。
その部分の冒頭に、私にとって印象的なことが書いてありました。
p.152 ブログを書いている人は何百万人もいます。しかし、その中で出版社が見つけて声をかけ、商業出版デビューできるのは、年間に数十人か、せいぜい100人単位でしょう。
その人数から考えると、私が商業出版デビューできた、ということは本当に「幸運」だったとしかいいようがありません。
勝間さんは「運」という言葉に、もしかしたら違和感をお感じになるかもしれませんが、「時代の流れ」とか、「人との巡り合わせ」とか、そういうものも無視できないような気が、私自身はしています。
勝間さんの本では、ディスカヴァー21社の干場弓子社長との出会いについて語られていますが、そういう方に出会えたことはやはり幸運だったといえるのでしょう。
そういう方に発見してもらえるほど書き手として進化していたことが、その幸運を引き寄せた、ということは言うまでもありませんが。
勝間さんの本は、現代の人々が求めるものにマッチしていた、だから、こんなに数々のベストセラーを生み出しておられるのだと思います。
普段から、インプットとアウトプットで自分を磨いていて、自分の中に引き出しをたくさん持っていた、それが、最大の理解者との出会いで、その持っているものが花開いた、という考え方もできるのかな、と思います。
ずっと蓄積されていたものがあるからこそ、その中から「時代にマッチするもの」を探し、それを提供することができるのだと思うのですね。
今の時代はこれを求めているだろうから、今からそれについて学び、それについて本を書いてみよう…ではきっと遅すぎるのです。
日頃から問題意識を持ち、大いに考えているからこそ、運やチャンスが到来した時に、スッとそれに乗ることのできる準備ができていた、と言えるのではないでしょうか。
一方、私の話になりますが、私が商業出版デビューできたのは、今の「勉強法・学習法ブーム」のお陰だろうと思っています。
おこがましいですが、私も、勉強法ブームが起こる前から、自分のブログで、Rach流DVD学習法、という言葉を使い、それを実際にブログ上でやってみせていました。
勉強法ブームが来た時に、私は英語を職業とする「英語のプロ」ではないながらも、ブログの中で読者と共にDVD学習法で学び合ってきた、という実績があったからこそ、それを本にすることができたのだろうと思います。
ちなみに、私も商業出版デビューし、本の著者となった人間ではありますが、私の場合は「ウェブで発見されて」というのとは少し違います。
私は「本にしませんか?」と出版社から直接依頼を受けたのではなく、「企画のたまご屋さん」という出版エージェント会社に企画書を提出、それをたくさんの出版社に配信してもらいました。
その企画書を読んで手を挙げて下さった出版社が複数あり、その中で一番熱心にアプローチして下さったのが、NTT出版さんだった、ということです。
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その時の詳しい経緯については、書き出すと長くなるので今回は割愛しますが、私の場合も、企画書を読んで編集者の方が気に入って下さった後も、社内での企画会議に通らないといけないなど、いくつものハードルがありました。
出版社が本を出版することを決めて下さった!と聞いた時は、それはもう本当に嬉しかったですね。
私の書いたものが「価格のついた商品」として通用すると認めて下さったわけですから。
「読書進化論」の p.39-40 に、「本を出すと人生のステージが変わる」という話があります。
人生のステージが変わる、というのは、そういう出版のプロがゴーサインを出してくれた、というお墨付きが、自分の自信となるし、それで、自分の作品に対価が発生するからなんだろうと思います。
世俗的な言い方になってしまいますが、「世間の見る目が変わる」というのもあります。
ブログを書いていて、たくさんの人が読んでくれているとか、ブログの人気ランキングで高順位だとか言っても、あまりブログに詳しくない人は「へぇ、そうなんだ」で終わってしまうのですが、本を出すとなると、そしてそれが有名書店で実際に何冊も並んでいたりすると、やはり誰でも驚いて下さるものです。
(私の場合は、夫や私の両親などの身内が一番驚いていた、というのが面白い…笑)
そこが本を出すことによる、劇的な変化の一つですね。
やはり今でも「本」というメディアの威力はすごい、それが本を出せた私の実感です。
長くなりましたので、続きは、次回 にします。
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2008年10月04日
ウルトラ語彙力主義(ウーゴ)、おすすめです
人気ブログランキングでおなじみの神崎正哉先生のブログ、TOEIC Blitz Blog で、
ウーゴ宣伝キャンペーン という記事が掲載されました。
神崎先生の自信作、「ウルトラ語彙力主義(通称:ウーゴ)」をもっと多くの人に知ってもらいたい!という企画です。
私もウーゴを持っていて、活用させていただいておりますので、そのキャンペーンに参加させていただきます!
アマゾンではこちら(↓)
新TOEIC TEST ウルトラ語彙力主義 [CD付]
著者の神崎先生による、この本のセールスポイントはふたつで、
ひとつめは、
「この本の単語、TOEICによく出る」
ということ、
ふたつめは、
「無料音声レッスンがある」
ということです。
ひとつめの、「この本の単語、TOEICによく出る」 について。
神崎先生のブログの記事、ウーゴ宣伝キャンペーン にも書いてありますように、本当にこの本から出た語句は多いですね。
私も過去記事で due という単語が登場した時に、フレンズ3-15その1 のコメント欄 で、Unit 24 (p.75-76) の文章を引用させていただいたことがあります。
W: Isn't the quarterly report due soon? (四半期の報告書はもうすぐ締め切りではなかったですか?)
M: Yes, the deadline is the day after tomorrow. (はい、締め切りはあさってです。)
こういう問答は TOEIC によくあるパターンです。
「同じ意味を別の単語で言い換えていく」という英語の感覚を身に付けることにもなりますし、due 「期限である、締め切りである」という形容詞を覚える時に、deadline 「締め切り」という名詞も同時に覚えてしまえるわけですね。
単語は関連づけて覚えた方が覚えやすいし忘れにくいですから。
TOEIC では、リスニングでもリーディングでも、本文中に出てきた言葉がそのまま正解になることは少なく、答えの選択肢では、同じ意味を言い換えた別の言葉で表現されていることも多いですよね。
ウーゴはそういう語彙の幅を広げるのにも役立つ構成になっています。
ウーゴには巻末に INDEX がありますので、それをざっと見て、「知らないなぁ」「見慣れないなぁ」「どんなシチュエーションで登場する単語かわからないなぁ」という単語があれば、その単語が登場する Unit をじっくり読んでみる、というのもいいですね。
どういう「状況」の話で登場する単語か、というのがわかっていると、リスニングなどで内容を掴むのに有利になります。
ウーゴでは、空欄に入る正解の語彙を解説するだけではなく、その派生語についても触れられています。
また、ここが大事な部分だと思うのですが、「間違いの選択肢」として登場したものも TOEIC の頻出語句であり、この問題では間違いである選択肢の語句が、本来はどういう文章の中で使われるものなのか、という説明が書いてある、というのも丁寧で親切だと思います。
その例文も、わかりやすくシンプルで、なおかつ、どういう状況で使われるかがイメージしやすい内容になっているのも学習者にとってはありがたいです。
何度も TOEIC で満点を取っておられる神崎先生がまとめられた本ですから、やはり説得力があります。満点を何度も取った人だからわかること、というのがあるんですね。
ふたつめの、「無料音声レッスンがある」について。
神崎先生のブログのサポートページから、音声ファイルが無料でダウンロードできます。
(ダウンロードの方法については、神崎先生のブログをご覧になって下さい。)
ウーゴには元々 CD がついているのですが、ブログのサポート音声ファイルでは、その CD のナレーションを使いながら、神崎先生が優しい語り口で、その語彙についての詳しい説明をして下さっています。
先生に促されるままに(笑)、Listen & Repeat の練習を10回繰り返しましょう。
レッスンを繰り返す目的について、神崎先生がブログの過去記事に書いておられたお言葉を引用させていただくと、
1.英語の音になれる。
2.TOEIC 的な文のパターンになれる。
3.TOEIC 頻出語句を音と一緒に覚える。
とのことです。
そうですね、「TOEIC 的な文章に乗せて、TOEIC 頻出語句を音で覚える」ということ、とても大切ですよね。
試験中に、「あ、これこれ!」と思えたらしめたもの。
「TOEIC って、本当にこういう表現がよく出るよなぁ、こういうパターンの問題が好きだよなぁ…」と楽しめるようになれば、点数もそれに合わせて上がっていくのではないでしょうか。
私は自分で自分を追い詰めるのは苦手なので(笑)、いつまでに何点取る!という宣言は出来ないタイプなのですが、私もいつか満点を取れるように頑張ります。
TOEIC で高得点を目指すだけではなく、英語力を着実につけるためにも、ウーゴ(ウルトラ語彙力主義)は「いい本」ですよ。おすすめです!
(Rach からのお願い)
神崎先生の本をおすすめする記事で、自分のランキングのお願いをするのもなんですが…(笑)
神崎先生も参加されている
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神崎先生は参加されていませんが(笑)
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ウーゴ宣伝キャンペーン という記事が掲載されました。
神崎先生の自信作、「ウルトラ語彙力主義(通称:ウーゴ)」をもっと多くの人に知ってもらいたい!という企画です。
私もウーゴを持っていて、活用させていただいておりますので、そのキャンペーンに参加させていただきます!
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著者の神崎先生による、この本のセールスポイントはふたつで、
ひとつめは、
「この本の単語、TOEICによく出る」
ということ、
ふたつめは、
「無料音声レッスンがある」
ということです。
ひとつめの、「この本の単語、TOEICによく出る」 について。
神崎先生のブログの記事、ウーゴ宣伝キャンペーン にも書いてありますように、本当にこの本から出た語句は多いですね。
私も過去記事で due という単語が登場した時に、フレンズ3-15その1 のコメント欄 で、Unit 24 (p.75-76) の文章を引用させていただいたことがあります。
W: Isn't the quarterly report due soon? (四半期の報告書はもうすぐ締め切りではなかったですか?)
M: Yes, the deadline is the day after tomorrow. (はい、締め切りはあさってです。)
こういう問答は TOEIC によくあるパターンです。
「同じ意味を別の単語で言い換えていく」という英語の感覚を身に付けることにもなりますし、due 「期限である、締め切りである」という形容詞を覚える時に、deadline 「締め切り」という名詞も同時に覚えてしまえるわけですね。
単語は関連づけて覚えた方が覚えやすいし忘れにくいですから。
TOEIC では、リスニングでもリーディングでも、本文中に出てきた言葉がそのまま正解になることは少なく、答えの選択肢では、同じ意味を言い換えた別の言葉で表現されていることも多いですよね。
ウーゴはそういう語彙の幅を広げるのにも役立つ構成になっています。
ウーゴには巻末に INDEX がありますので、それをざっと見て、「知らないなぁ」「見慣れないなぁ」「どんなシチュエーションで登場する単語かわからないなぁ」という単語があれば、その単語が登場する Unit をじっくり読んでみる、というのもいいですね。
どういう「状況」の話で登場する単語か、というのがわかっていると、リスニングなどで内容を掴むのに有利になります。
ウーゴでは、空欄に入る正解の語彙を解説するだけではなく、その派生語についても触れられています。
また、ここが大事な部分だと思うのですが、「間違いの選択肢」として登場したものも TOEIC の頻出語句であり、この問題では間違いである選択肢の語句が、本来はどういう文章の中で使われるものなのか、という説明が書いてある、というのも丁寧で親切だと思います。
その例文も、わかりやすくシンプルで、なおかつ、どういう状況で使われるかがイメージしやすい内容になっているのも学習者にとってはありがたいです。
何度も TOEIC で満点を取っておられる神崎先生がまとめられた本ですから、やはり説得力があります。満点を何度も取った人だからわかること、というのがあるんですね。
ふたつめの、「無料音声レッスンがある」について。
神崎先生のブログのサポートページから、音声ファイルが無料でダウンロードできます。
(ダウンロードの方法については、神崎先生のブログをご覧になって下さい。)
ウーゴには元々 CD がついているのですが、ブログのサポート音声ファイルでは、その CD のナレーションを使いながら、神崎先生が優しい語り口で、その語彙についての詳しい説明をして下さっています。
先生に促されるままに(笑)、Listen & Repeat の練習を10回繰り返しましょう。
レッスンを繰り返す目的について、神崎先生がブログの過去記事に書いておられたお言葉を引用させていただくと、
1.英語の音になれる。
2.TOEIC 的な文のパターンになれる。
3.TOEIC 頻出語句を音と一緒に覚える。
とのことです。
そうですね、「TOEIC 的な文章に乗せて、TOEIC 頻出語句を音で覚える」ということ、とても大切ですよね。
試験中に、「あ、これこれ!」と思えたらしめたもの。
「TOEIC って、本当にこういう表現がよく出るよなぁ、こういうパターンの問題が好きだよなぁ…」と楽しめるようになれば、点数もそれに合わせて上がっていくのではないでしょうか。
私は自分で自分を追い詰めるのは苦手なので(笑)、いつまでに何点取る!という宣言は出来ないタイプなのですが、私もいつか満点を取れるように頑張ります。
TOEIC で高得点を目指すだけではなく、英語力を着実につけるためにも、ウーゴ(ウルトラ語彙力主義)は「いい本」ですよ。おすすめです!
(Rach からのお願い)
神崎先生の本をおすすめする記事で、自分のランキングのお願いをするのもなんですが…(笑)
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2008年09月21日
村上憲郎氏の「村上式シンプル英語勉強法」を読んで(その2)
前回 に引き続き、米 Google 副社長(兼日本法人社長)の村上憲郎氏の書かれた、
村上式シンプル英語勉強法 について語ります。
Chapter 3 英語を聴く
p.92 1日1時間×3年。生の英語を1000時間聴く
とあります。
やはり、「1000時間」は必要だろうな、と私も思います。
有名な教材、「アルクのヒアリングマラソン」も、1000時間、なんですよね。
アルク・オンラインショップ 1000時間ヒアリングマラソン
アルクが「1000時間」という時間を設定しているのは、やはり、それだけの時間が必要である、と多くの人が考えていることの証だろうと思います。
私はこの教材を試したことはないのですが、良い素材をこれだけの時間聞き続ければ、必ず英語が聞こえるようになるはずだと思います。
「英語が聞けるようになりたい!」と思う人は、これくらいの時間をかけなければいけない、という覚悟は絶対に必要だと思いますね。
私も、耳が空いている時間は、DVDプレーヤーをリピートモードにしてひたすら聞いていました。
そして、1年半くらいでプレーヤーを壊してしまいました(笑)。
が、それを聞いている時はいつでも、「アルクのヒアリングマラソンも1000時間と言っているのだから…」と、それくらいの時間、英語を耳にすることができるようにできるだけ努めました。
Chapter 4 英語を書く
p.104 日本人には英作文は無理。あきらめて”英借文”を。
p.106 ただ、上手に英借文するためには、準備も必要です。
つまりコピー元になる文章の手持ちを増やすことが大切になるんです。
p.108 英借文用のテンプレートをストックせよ
とにかく常に「これは、いつか使えそうだな」という視点で英語の文章を見る習慣、そしてそれをストックしておく習慣をつけるんです。
これは本当にその通りですね。
私も全く同意見です。
拙著でも、
p.93 私は問題集に出てきた表現でも、これは使えそうだな、と思ったものを、自分のパソコンにメモしています。自分で英語を書く時に、これはかなり使えるデータベースとなります。
p.105 インプットしている時に常に思うこと、それは「これをいつか使ってやろう」という気持ちです。使うことのない言葉なら、はっきり言って覚える必要がありません。
究極を言うと、言葉というのは全て、最初は「借り物」だ、と私は思っています。
「こんにちは、ありがとう、さようなら」という簡単な言葉ですら、そうです。
自分が子供の頃、初めて何らかの言葉を発した時、その言葉を自ら生み出したわけでも、作り出したわけでもないはずです。
ずっと大人の会話を聞いていて、こういう状況の時、こういう言葉を使う、というのを知り、その状況になった時に、その大人が使っている言葉を「借りて」使ってみた、ということですね。
借り物として使っているうちに、だんだん自分の心情とリンクしてくる、そうして自分の気持ちを直接伝える言葉となっていくのだろうと。
これは、自分の子供たちが日本語を覚えていく様を目の当たりにしていて感じたことです。
子供はうまく大人の言葉を「借りながら」、自分の言葉を覚えていくのです。
英語を学ぶ日本人も、ネイティブの英語を上手に「借りながら」英語を覚えていきたいですね。
p.110 作文より、借文より、まずはタイピング
そもそも英語を手で書くというスキルなど必要ないのです。
そうですね。タイピングのスキルは大切ですね。
私は、こんな風にブログを書いているせいで、日本語・英語ともお陰様でタイピングはかなり早くなりました。
パソコンでタイピングしている時が、一番ものを考えるのがスムーズになります。
考えるスピードとタイピングのスピードがほとんど同じだからです。
手書きだと、スピードがものすごくトロくて、頭の回転速度も一緒に下がってしまう感じがします(笑)。
鉛筆で書くのに慣れてなくて…(?) 1級一次(英作文) でも書きましたが、1級一次試験のライティングでは、ほんとに手書きで書けなくなっていて困りました。
手書きではなくタイピングだったなら、あまりスペルの間違いもしなかっただろうし、時間もそれほどかからなかっただろうと思っているのですが。
そういう意味では、学生さんが大学受験をする際には、今でもまだやはり手書きの部分があるでしょうから、学生さんの場合は、「ある程度書ける」ことは必要かもしれません。
ただ、社会人になってからの場合は、手書きで書く機会は本当に少ないでしょうね。
英検1級ライティングは手書きですが、他のライティングのある試験、TOEFL iBT(Internet-based Testing) や、TOEIC Speaking & Writing Tests は、コンピュータ上で文字を入力するんですよね?(受けたことないので、詳しくは知りません)
そして、ビジネスでは、書類は手書きではなくワープロでしょうし、連絡も e-mail でしょうから、なおさら、手書きが登場する出番はありませんね。
村上氏がおっしゃるように、ビジネスの世界では、英文タイピングの能力がものを言うことになるでしょう。
Chapter 5 英語を話す
p.120 自分に関する100の話題を丸暗記する
p.122 英語では話題を事前に準備できていないだけです。
p.124 話すことで「マイ・ストーリー」を磨く
p.126 自分の周囲の「関心事」も、英語で言えるようにしておく
話すためには、話すためのネタのストックが大切、ということですね。
私はネイティブと話すチャンスがないので、この「話す」というスキルを磨くことについては、いつも頭を悩ませています。
私の場合は、村上氏がおっしゃったようなことを、「ネット上で書く」ことで、代用しようとしています。
それが、Karen という別のハンドルネームで書いている、Karen's blog supplemental という英語日記です。
(この英語日記については、過去記事、もう一つの私のブログ で詳しく語っています。)
これはアウトプットの練習としてやっていることですが(今は更新頻度がものすごく低くて、ちっとも練習になっていないのですが…笑)、こんな風に、自分の日記を書く、ということは、自分に関する話題、自分の関心事を英語でまとめることの良いきっかけになるかな、と思います。
何か書け!と言われると、結局は、自分の身近な話題を書くことになるわけですよね。
私の英語日記も、子供の話か、ある日の出来事か、趣味の話か、もしくは英語学習者としての悩みや考えなど…になるでしょうか。
同じような日常を過ごしているので、どうしても似たりよったりの内容になってしまうのは否めませんが、それでも、自分のことを語る世間話としてのネタのストックにはなっているのかな、と思います。
これを書いているからと言って、それがネイティブ相手にすいすいと会話となって流れ出るか、というと、これまた少々別問題のような気もするのですが、少なくとも、何も用意していないよりはましかな、と思います。
ネイティブの友達が読んでくれていると想像して、その人に語りかける気持ちで、その人に伝わるように、自分のことを英語で綴ってみれば、それが、実際に会話する時の大きな材料になるのではないか、と。
話は戻りますが、こういう「英語日記」は、Chapter 4 英語を書く の「英借文」の話にも関係がありますね。
自分の日記に使えそうなフレーズを探しながら英語を見る習慣ができますし、それを実際に「英借文」してアウトプットする貴重な場となるわけです。
村上氏の本について長々と語ってきましたが、タイトルに「シンプル」と銘打っているだけのことはあって、部門ごとに、「着実でもっともだ」と思える方法が、わかりやすく具体的に書いてありました。
私が多くの勉強法の本を読んでいつも勇気付けられること、それは、「こんなにすごい人も、こんなに時間をかけて、こんなに努力をして、英語を身につけてきたんだ!」という事実です。
見たこともない単語が読めるはずはない。聞いたこともない単語が聞けるはずもない。
やはり、「大量の英語を読む、聞くことが大切」というのは、この村上氏の本でも強調されていました。
私もそれだけは絶対に譲れないと思っています。
帯には「必要なことしかやらない」と書いてありますが、裏を返せば「必要なことは必ずやらなければならない」ということでしょう。
村上氏が英語を学ぶ過程で、何を「必要なこと」だと思ったのか、何を「不必要なこと」だと思ったのか、それを知り、さらには自分が目指している英語との兼ね合いを考えて、自分にとっての「必要なこと」とは何かを探して行くべきなんだろうと思います。
Google がなければ、このブログを書けない、と私は前回の記事で書きました。
Google を始めとする、ネット環境の整備があってこそ、Rach というブロガーが存在し得ると思っています。
Google の村上氏は、パソコンやネットがない時代に、自力で英語を身につけた。
私は、その村上氏の会社 Google のツールを使って、こうして今、英語の勉強を続けている。
時代によって、使うツールはいろいろと変わってくるのかもしれません。
ただ、間違いなく言えることは、どんなにツールが進化しても、「時間をかけて、大量の英語を浴びる」ということが重要であることに変わりはない、ということです。
改めてそれを多くの人に伝えて下さった村上氏に感謝したいと思います。
ありがとうございました。
そして、英語学習をサポートしてくれる Google のツールが、今後ますます発展してくれることを心より願っています。
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村上式シンプル英語勉強法 について語ります。
Chapter 3 英語を聴く
p.92 1日1時間×3年。生の英語を1000時間聴く
とあります。
やはり、「1000時間」は必要だろうな、と私も思います。
有名な教材、「アルクのヒアリングマラソン」も、1000時間、なんですよね。
アルク・オンラインショップ 1000時間ヒアリングマラソン
アルクが「1000時間」という時間を設定しているのは、やはり、それだけの時間が必要である、と多くの人が考えていることの証だろうと思います。
私はこの教材を試したことはないのですが、良い素材をこれだけの時間聞き続ければ、必ず英語が聞こえるようになるはずだと思います。
「英語が聞けるようになりたい!」と思う人は、これくらいの時間をかけなければいけない、という覚悟は絶対に必要だと思いますね。
私も、耳が空いている時間は、DVDプレーヤーをリピートモードにしてひたすら聞いていました。
そして、1年半くらいでプレーヤーを壊してしまいました(笑)。
が、それを聞いている時はいつでも、「アルクのヒアリングマラソンも1000時間と言っているのだから…」と、それくらいの時間、英語を耳にすることができるようにできるだけ努めました。
Chapter 4 英語を書く
p.104 日本人には英作文は無理。あきらめて”英借文”を。
p.106 ただ、上手に英借文するためには、準備も必要です。
つまりコピー元になる文章の手持ちを増やすことが大切になるんです。
p.108 英借文用のテンプレートをストックせよ
とにかく常に「これは、いつか使えそうだな」という視点で英語の文章を見る習慣、そしてそれをストックしておく習慣をつけるんです。
これは本当にその通りですね。
私も全く同意見です。
拙著でも、
p.93 私は問題集に出てきた表現でも、これは使えそうだな、と思ったものを、自分のパソコンにメモしています。自分で英語を書く時に、これはかなり使えるデータベースとなります。
p.105 インプットしている時に常に思うこと、それは「これをいつか使ってやろう」という気持ちです。使うことのない言葉なら、はっきり言って覚える必要がありません。
究極を言うと、言葉というのは全て、最初は「借り物」だ、と私は思っています。
「こんにちは、ありがとう、さようなら」という簡単な言葉ですら、そうです。
自分が子供の頃、初めて何らかの言葉を発した時、その言葉を自ら生み出したわけでも、作り出したわけでもないはずです。
ずっと大人の会話を聞いていて、こういう状況の時、こういう言葉を使う、というのを知り、その状況になった時に、その大人が使っている言葉を「借りて」使ってみた、ということですね。
借り物として使っているうちに、だんだん自分の心情とリンクしてくる、そうして自分の気持ちを直接伝える言葉となっていくのだろうと。
これは、自分の子供たちが日本語を覚えていく様を目の当たりにしていて感じたことです。
子供はうまく大人の言葉を「借りながら」、自分の言葉を覚えていくのです。
英語を学ぶ日本人も、ネイティブの英語を上手に「借りながら」英語を覚えていきたいですね。
p.110 作文より、借文より、まずはタイピング
そもそも英語を手で書くというスキルなど必要ないのです。
そうですね。タイピングのスキルは大切ですね。
私は、こんな風にブログを書いているせいで、日本語・英語ともお陰様でタイピングはかなり早くなりました。
パソコンでタイピングしている時が、一番ものを考えるのがスムーズになります。
考えるスピードとタイピングのスピードがほとんど同じだからです。
手書きだと、スピードがものすごくトロくて、頭の回転速度も一緒に下がってしまう感じがします(笑)。
鉛筆で書くのに慣れてなくて…(?) 1級一次(英作文) でも書きましたが、1級一次試験のライティングでは、ほんとに手書きで書けなくなっていて困りました。
手書きではなくタイピングだったなら、あまりスペルの間違いもしなかっただろうし、時間もそれほどかからなかっただろうと思っているのですが。
そういう意味では、学生さんが大学受験をする際には、今でもまだやはり手書きの部分があるでしょうから、学生さんの場合は、「ある程度書ける」ことは必要かもしれません。
ただ、社会人になってからの場合は、手書きで書く機会は本当に少ないでしょうね。
英検1級ライティングは手書きですが、他のライティングのある試験、TOEFL iBT(Internet-based Testing) や、TOEIC Speaking & Writing Tests は、コンピュータ上で文字を入力するんですよね?(受けたことないので、詳しくは知りません)
そして、ビジネスでは、書類は手書きではなくワープロでしょうし、連絡も e-mail でしょうから、なおさら、手書きが登場する出番はありませんね。
村上氏がおっしゃるように、ビジネスの世界では、英文タイピングの能力がものを言うことになるでしょう。
Chapter 5 英語を話す
p.120 自分に関する100の話題を丸暗記する
p.122 英語では話題を事前に準備できていないだけです。
p.124 話すことで「マイ・ストーリー」を磨く
p.126 自分の周囲の「関心事」も、英語で言えるようにしておく
話すためには、話すためのネタのストックが大切、ということですね。
私はネイティブと話すチャンスがないので、この「話す」というスキルを磨くことについては、いつも頭を悩ませています。
私の場合は、村上氏がおっしゃったようなことを、「ネット上で書く」ことで、代用しようとしています。
それが、Karen という別のハンドルネームで書いている、Karen's blog supplemental という英語日記です。
(この英語日記については、過去記事、もう一つの私のブログ で詳しく語っています。)
これはアウトプットの練習としてやっていることですが(今は更新頻度がものすごく低くて、ちっとも練習になっていないのですが…笑)、こんな風に、自分の日記を書く、ということは、自分に関する話題、自分の関心事を英語でまとめることの良いきっかけになるかな、と思います。
何か書け!と言われると、結局は、自分の身近な話題を書くことになるわけですよね。
私の英語日記も、子供の話か、ある日の出来事か、趣味の話か、もしくは英語学習者としての悩みや考えなど…になるでしょうか。
同じような日常を過ごしているので、どうしても似たりよったりの内容になってしまうのは否めませんが、それでも、自分のことを語る世間話としてのネタのストックにはなっているのかな、と思います。
これを書いているからと言って、それがネイティブ相手にすいすいと会話となって流れ出るか、というと、これまた少々別問題のような気もするのですが、少なくとも、何も用意していないよりはましかな、と思います。
ネイティブの友達が読んでくれていると想像して、その人に語りかける気持ちで、その人に伝わるように、自分のことを英語で綴ってみれば、それが、実際に会話する時の大きな材料になるのではないか、と。
話は戻りますが、こういう「英語日記」は、Chapter 4 英語を書く の「英借文」の話にも関係がありますね。
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やはり、「大量の英語を読む、聞くことが大切」というのは、この村上氏の本でも強調されていました。
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帯には「必要なことしかやらない」と書いてありますが、裏を返せば「必要なことは必ずやらなければならない」ということでしょう。
村上氏が英語を学ぶ過程で、何を「必要なこと」だと思ったのか、何を「不必要なこと」だと思ったのか、それを知り、さらには自分が目指している英語との兼ね合いを考えて、自分にとっての「必要なこと」とは何かを探して行くべきなんだろうと思います。
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私は、その村上氏の会社 Google のツールを使って、こうして今、英語の勉強を続けている。
時代によって、使うツールはいろいろと変わってくるのかもしれません。
ただ、間違いなく言えることは、どんなにツールが進化しても、「時間をかけて、大量の英語を浴びる」ということが重要であることに変わりはない、ということです。
改めてそれを多くの人に伝えて下さった村上氏に感謝したいと思います。
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2008年09月19日
「村上式シンプル英語勉強法」を読んで(その1)
米 Google 副社長(兼日本法人社長)の村上憲郎さんが書かれた本として話題の、
村上式シンプル英語勉強法 を読みました。
私がこのブログを書くのに、なくてはならない存在の Google。
そのトップの方が書かれた本としても、英語勉強法の本としても、とても面白く、一気に読み終えてしまいました。
まず最初に、「私が勝手に親近感を覚えてしまった点」(笑)を3点挙げます。
一つ目。
著者略歴によると、村上氏は、1970年京都大学工学部をご卒業、とのこと。
私事で恐縮ですが、私は、1969年生まれで(このブログでは、初めてはっきりと年齢を書くことになりますが…笑)、1992年に京都大学農学部を卒業しました。
(学部は違いますが、私も理系出身ということになります。)
…ということで、村上氏は、「私が生まれた頃に大学を卒業された大先輩」ということになります。
二つ目。
本の帯にも紹介されていますが、村上氏は31歳で外資に転職、そこから自力で英語を身につけられたそうです。
過去記事、学習暦 でも語ったことがありますが、私が子持ち専業主婦になってから、英語のやり直し学習を始めたのが、2001年4月。
それは年齢で言うと、私が32歳の時になります。
同じような年齢で英語学習を始めた、という点でも、共感を覚えます。
さらにもう一つ。
Amazon.co.jp: 村上式シンプル英語勉強法 の「商品の説明」に、「週刊ST」のレビューが書いてありますね。
僭越ながら、私の著書 シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 も、週刊STのレビューで取り上げていただきました。
そのことについて触れた記事はこちら(↓)。
週刊STの書評で取り上げていただきました!
「同じように週刊STの書評欄で紹介された!」というのが、私にとってはとても嬉しいです。
「勝手に親近感を抱く」話はこのくらいにして(笑)、以下、この本を読んで思ったことを書いてみます。
この本を読んで、私はやってないなぁ、と思うこともたくさんありました。
また、私と考え方が全く同じ!と思う部分もたくさんありました。
私は、どんな方の勉強法・学習法の本を読ませていただく場合でも、必ず「自分の方法とどこが同じで、どこが違うか」という視点で、その本を読ませていただきます。
以下、村上氏の本について語らせていただくにおいて、どうしても「私の本、私の方法、私の考え」との比較で語ることになってしまいますが、その点はお許し下さいませ。
英語学習者であれば誰でも、自分の方法や考え方と比較しながら他の方が語る勉強法の本を読んで、「何を取り入れるか?」を決めていくべきだと思うからです。
引用部分については、
村上氏の本からの引用
私の本からの引用
と、色分けして区別させていただきます。
まずは、この本を読んで、意外であり、また同時に面白いと思った部分。
p.14 私が Google のトップだから、Google のツールを駆使した勉強法を紹介するのでは……と期待をしていた読者の方には申し訳ありませんが、モバイルやパソコンを駆使した勉強法なども、本書ではほとんど紹介していません。
そうなんですよ。私も「それ」を期待していた読者の一人でした(笑)。
私はこのブログを、Google なしでは書けません。
私のブログに何度「ぐぐる」という動詞が登場することか。
フレンズに頻出する固有名詞などのサブカルネタは、必ず Google で検索する私です。
アメリカで暮らしたことのない私が、アメリカのドラマの解説を書けるのも、Google があってこそ!です。
拙著では、サブカルネタの調べ方、自分のデータベースを検索する方法などの項目で、Google の『画像』検索や Google デスクトップというツールについて説明しています。
米 Google 副社長の村上氏の本よりも、私の本の方が、Google についての言及が多いのです(笑)。
それだけ、私の英語学習には、パソコンもネットも必要不可欠なものなのに、村上氏の本に書いてある方法はそうではない。
それが、まさに「意外」だったんですね。
その理由は、まだそういうツールが存在しない、村上氏が自力で英語を身につけた30年前の方法が、この本では述べられているからです。
Chapter 1 英語を読む
p.31 「英語を読む」とは、英語を、英語のまま、「内容を英語で読む」ということなんです。
全く同感です。拙著も、それと同じことをリスニングの話として語っています。
p.23 長い文章が聞こえたままの姿で頭に入ってきて、当然その語順のまま頭の中でイメージされていく、それが「英語を英語のまま理解する」ということです。
村上氏は「多読」を勧めておられるのですが、そのジャンルの話で、
p.47 SFものは×。
一般の小説には出てこない、何とも言い難いへんてこりんな単語がいっぱい出てくるんです。
これには笑いました。
私はトレッキー(Trekkie=スタートレック・ファン)で、スタートレックのDVDを見ながらの英語学習もやったのですが、確かに「へんてこりんな単語」は多いですね。
よりSFチックに見せるために、余計にそういう「わけわかんない」単語が多くなってしまう、というのもあるでしょう。
そんな中でも、人間同士の普通の会話はあるとは言え、日常会話で使う単語・表現を覚える、という意味では、効率は悪いだろうな、と思っていました。
時々、このブログでも脱線して、トレックネタを披露することもありますが、とにかくあの世界観を知らない人には何のことやらわからないでしょうから、そういう意味でも、効率が悪いのです。
私は、スタートレックを見ている時は、英語学習の一環ではあるけれど、限りなく「趣味として」(笑)見ていた気がします。
「フレンズ」よりも「スタートレック」の方が、より詳しい英語ブログを書ける自信があったりするのですが(笑)、スタートレックの場合だと、「使える生きた英語表現を学ぶ」よりも、「マニアックな専門用語に酔いしれる」ようなブログになってしまいそうな気がします。
でも、英語がある程度わかるようになると、そういう専門的なものでも英語でチャレンジすることは良いことですね。
自分の「趣味」が英語で楽しめるというのは、とても楽しいことですから。
村上氏も、
初心者にはSF小説はオススメしません。
と書かれていて、「初心者には」という限定がついています。
ご自身は「実はSFモノは大好きで何冊も読んだ」とのことです。
スタートレックはお好きかしら?(笑)
Chapter 2 単語を覚える
では、語彙を増やすことについての方法を述べておられます。
恥ずかしながら、私は語彙については全く自信がありません。
過去記事、Pass単断念 1級一次(語彙編) で書いたように、英検1級向けの単語を覚えることをさっさとあきらめてしまった私なので、ボキャビルに関しては大したことは言えません。
そんな私ですが、村上氏のおっしゃる、
「ひたすら眺める」「毎日1万語、全部を見る」「その単語に何回も出会う」
というのは面白い方法だな、と思いました。
拙著では、ボキャビルの話ではなく、頻出表現に関する話で出てくるのですが、「単語に出会う」ことについて書いています。
p.47 何度も何度も出てくる表現が、日常生活でもよく使われる表現だということですね。一つのエピソードで出てきた単語を全部覚えても、そのうちのいくつかは普段はあまり使わない単語かもしれません。そういう頻度の低い単語を完璧に覚える時間があったら、何度も出会う単語を覚える方に力を注ぐべきです。
私の場合は、「ドラマでよく使われる英語表現をどう覚えるか?」という話なのですが、「何度も出会うと覚える」という部分は同じかな、と思います。
私が本で言いたかったのは、日常会話として、覚える単語に優先順位をつけるのであれば、出会う頻度の高い単語を優先的に覚えるべきだ、ということです。
村上氏の場合は、本を早く読むためには、語彙を増やすべきだ、というお考えのもと、覚えるべき単語に「毎日、強制的に出会うようにせよ。」とおっしゃっているような気がします。
長くなりましたので、続きは 次回 にします。
(Rach からのお願い)
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村上式シンプル英語勉強法 を読みました。
私がこのブログを書くのに、なくてはならない存在の Google。
そのトップの方が書かれた本としても、英語勉強法の本としても、とても面白く、一気に読み終えてしまいました。
まず最初に、「私が勝手に親近感を覚えてしまった点」(笑)を3点挙げます。
一つ目。
著者略歴によると、村上氏は、1970年京都大学工学部をご卒業、とのこと。
私事で恐縮ですが、私は、1969年生まれで(このブログでは、初めてはっきりと年齢を書くことになりますが…笑)、1992年に京都大学農学部を卒業しました。
(学部は違いますが、私も理系出身ということになります。)
…ということで、村上氏は、「私が生まれた頃に大学を卒業された大先輩」ということになります。
二つ目。
本の帯にも紹介されていますが、村上氏は31歳で外資に転職、そこから自力で英語を身につけられたそうです。
過去記事、学習暦 でも語ったことがありますが、私が子持ち専業主婦になってから、英語のやり直し学習を始めたのが、2001年4月。
それは年齢で言うと、私が32歳の時になります。
同じような年齢で英語学習を始めた、という点でも、共感を覚えます。
さらにもう一つ。
Amazon.co.jp: 村上式シンプル英語勉強法 の「商品の説明」に、「週刊ST」のレビューが書いてありますね。
僭越ながら、私の著書 シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 も、週刊STのレビューで取り上げていただきました。
そのことについて触れた記事はこちら(↓)。
週刊STの書評で取り上げていただきました!
「同じように週刊STの書評欄で紹介された!」というのが、私にとってはとても嬉しいです。
「勝手に親近感を抱く」話はこのくらいにして(笑)、以下、この本を読んで思ったことを書いてみます。
この本を読んで、私はやってないなぁ、と思うこともたくさんありました。
また、私と考え方が全く同じ!と思う部分もたくさんありました。
私は、どんな方の勉強法・学習法の本を読ませていただく場合でも、必ず「自分の方法とどこが同じで、どこが違うか」という視点で、その本を読ませていただきます。
以下、村上氏の本について語らせていただくにおいて、どうしても「私の本、私の方法、私の考え」との比較で語ることになってしまいますが、その点はお許し下さいませ。
英語学習者であれば誰でも、自分の方法や考え方と比較しながら他の方が語る勉強法の本を読んで、「何を取り入れるか?」を決めていくべきだと思うからです。
引用部分については、
村上氏の本からの引用
私の本からの引用
と、色分けして区別させていただきます。
まずは、この本を読んで、意外であり、また同時に面白いと思った部分。
p.14 私が Google のトップだから、Google のツールを駆使した勉強法を紹介するのでは……と期待をしていた読者の方には申し訳ありませんが、モバイルやパソコンを駆使した勉強法なども、本書ではほとんど紹介していません。
そうなんですよ。私も「それ」を期待していた読者の一人でした(笑)。
私はこのブログを、Google なしでは書けません。
私のブログに何度「ぐぐる」という動詞が登場することか。
フレンズに頻出する固有名詞などのサブカルネタは、必ず Google で検索する私です。
アメリカで暮らしたことのない私が、アメリカのドラマの解説を書けるのも、Google があってこそ!です。
拙著では、サブカルネタの調べ方、自分のデータベースを検索する方法などの項目で、Google の『画像』検索や Google デスクトップというツールについて説明しています。
米 Google 副社長の村上氏の本よりも、私の本の方が、Google についての言及が多いのです(笑)。
それだけ、私の英語学習には、パソコンもネットも必要不可欠なものなのに、村上氏の本に書いてある方法はそうではない。
それが、まさに「意外」だったんですね。
その理由は、まだそういうツールが存在しない、村上氏が自力で英語を身につけた30年前の方法が、この本では述べられているからです。
Chapter 1 英語を読む
p.31 「英語を読む」とは、英語を、英語のまま、「内容を英語で読む」ということなんです。
全く同感です。拙著も、それと同じことをリスニングの話として語っています。
p.23 長い文章が聞こえたままの姿で頭に入ってきて、当然その語順のまま頭の中でイメージされていく、それが「英語を英語のまま理解する」ということです。
村上氏は「多読」を勧めておられるのですが、そのジャンルの話で、
p.47 SFものは×。
一般の小説には出てこない、何とも言い難いへんてこりんな単語がいっぱい出てくるんです。
これには笑いました。
私はトレッキー(Trekkie=スタートレック・ファン)で、スタートレックのDVDを見ながらの英語学習もやったのですが、確かに「へんてこりんな単語」は多いですね。
よりSFチックに見せるために、余計にそういう「わけわかんない」単語が多くなってしまう、というのもあるでしょう。
そんな中でも、人間同士の普通の会話はあるとは言え、日常会話で使う単語・表現を覚える、という意味では、効率は悪いだろうな、と思っていました。
時々、このブログでも脱線して、トレックネタを披露することもありますが、とにかくあの世界観を知らない人には何のことやらわからないでしょうから、そういう意味でも、効率が悪いのです。
私は、スタートレックを見ている時は、英語学習の一環ではあるけれど、限りなく「趣味として」(笑)見ていた気がします。
「フレンズ」よりも「スタートレック」の方が、より詳しい英語ブログを書ける自信があったりするのですが(笑)、スタートレックの場合だと、「使える生きた英語表現を学ぶ」よりも、「マニアックな専門用語に酔いしれる」ようなブログになってしまいそうな気がします。
でも、英語がある程度わかるようになると、そういう専門的なものでも英語でチャレンジすることは良いことですね。
自分の「趣味」が英語で楽しめるというのは、とても楽しいことですから。
村上氏も、
初心者にはSF小説はオススメしません。
と書かれていて、「初心者には」という限定がついています。
ご自身は「実はSFモノは大好きで何冊も読んだ」とのことです。
スタートレックはお好きかしら?(笑)
Chapter 2 単語を覚える
では、語彙を増やすことについての方法を述べておられます。
恥ずかしながら、私は語彙については全く自信がありません。
過去記事、Pass単断念 1級一次(語彙編) で書いたように、英検1級向けの単語を覚えることをさっさとあきらめてしまった私なので、ボキャビルに関しては大したことは言えません。
そんな私ですが、村上氏のおっしゃる、
「ひたすら眺める」「毎日1万語、全部を見る」「その単語に何回も出会う」
というのは面白い方法だな、と思いました。
拙著では、ボキャビルの話ではなく、頻出表現に関する話で出てくるのですが、「単語に出会う」ことについて書いています。
p.47 何度も何度も出てくる表現が、日常生活でもよく使われる表現だということですね。一つのエピソードで出てきた単語を全部覚えても、そのうちのいくつかは普段はあまり使わない単語かもしれません。そういう頻度の低い単語を完璧に覚える時間があったら、何度も出会う単語を覚える方に力を注ぐべきです。
私の場合は、「ドラマでよく使われる英語表現をどう覚えるか?」という話なのですが、「何度も出会うと覚える」という部分は同じかな、と思います。
私が本で言いたかったのは、日常会話として、覚える単語に優先順位をつけるのであれば、出会う頻度の高い単語を優先的に覚えるべきだ、ということです。
村上氏の場合は、本を早く読むためには、語彙を増やすべきだ、というお考えのもと、覚えるべき単語に「毎日、強制的に出会うようにせよ。」とおっしゃっているような気がします。
長くなりましたので、続きは 次回 にします。
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2008年09月05日
「知的生産のためのすごい!仕事術」を読んで
晴山陽一さんが私に送って下さった2冊のサイン本のうちの1冊目「使える英語すごいノウハウ―「英語がスラスラ出てくる」ようになる本」(三笠書房)についての記事を先週書きました(↓)。
晴山陽一さんの「使える英語すごいノウハウ」を読んで(その1)、(その2)
(サイン本をいただくことになった経緯については、上の記事で説明しています。)
今日は、もう1冊の本について語ります。
それがこちらの本です(↓)。
知的生産のためのすごい!仕事術 (青春新書INTELLIGENCE 206) (青春出版社)
晴山さんの「英語ベストセラー本の研究」(幻冬舎)を読んだ時、多くの英語ベストセラー作家への尊敬のまなざしと、多くの英語学習者の人々への温かい視線を感じました。
また、先日ご紹介した「使える英語すごいノウハウ」は、英語初心者向けの本ということで、言葉遣いも大変優しいものになっていました。
それらと比較すると、今回ご紹介する「知的生産のためのすごい!仕事術」は、厳しい言葉がたくさん並んでいました。
目次を見るだけでも、
「言われたことしかできないタイプ」「有能で忙しい人と無能で忙しい人」「序文ばかりの人生」
などなど…。
晴山陽一氏が拙著を紹介して下さいました のコメント欄で、晴山さんと初めてお話させていただいたのが、2008年7月13日。
まだそれから2ヶ月弱しか経っていないのですが、それ以来、コメントやメールを通じてやりとりさせていただいている私の晴山さんのイメージは「常に優しい方」でしたので、その晴山さんの違った一面を見た気がして、非常に興味深かったです。
驚異的なペースで本を出版されている「仕事人」としての晴山さんの姿を、この本で知ることができました。
晴山さんの語る「仕事術」は、私が日常生活を送るに当たって、家事や子育てなどの主婦業を行なう際にも関係のある話ですが、この記事では特に、英語学習ブロガーの私にとっての「英語学習の進め方」と結びつけて考えてみたいと思います。
以下、私の感想を交えながら語っていきます。
第4章 ストレスフリーの仕事術
p.60 私は予定を組みすぎることには反対である(もちろん職種にもよるが)。なぜなら、予定を組みすぎると、予定したことしかできなくなるからだ。
予定に縛られる人は、どこか受動的な生活に甘んじている人だと思う。
これは、「予定を立てて、それに合わせることで充足感を得る」ことを指しているように思います。
この晴山さんのおっしゃること、よくわかります。
私も予定を立てるのは好きではありませんし、予定に縛られることは極力避けようとします。
もちろん、私のような専業主婦でも、「いついつまでにやらなければいけないこと」という期限付きの事項があって、そういうのはカレンダーには書いていますが、自分が好きでやっている趣味としての英語学習では、ほとんど予定は立てません。
いつまでにこの問題集を終わらせようとか、一日何ページやろうとか、今日は何時間勉強しようとか、そういう予定は全くと言っていいほど立てないのです。
また、今日は何時間勉強したか、ということを振り返ることもしません。
ただ、自分の気の向くままやっているだけなんですね。
何かを行なう場合に、予定通りにことが進むことだけを喜ぶべきではないのだろうと思います。
それは何かを始める前から、自分を縛って、自分の限界を決めているような気がするのです。
何かを「こなす、処理する」ことが仕事なのではなく、そこで何かアイディアが思い浮かんでいるか、学習であればそこで何かが身に付いているか、が大事なのかなぁ、と。
自分で立てたつもりの予定であっても、それに振り回されすぎてしまうと、結局は「受動的」なものとなってしまう。
仕事や学習を進めながら、臨機応変に自分のペースを決めていきたいものだと思います。
第5章 仕事のコンディションを整える
人は気分で生きている
p.74 自分の中のボルテージと言えばいいだろうか、どうにもクリエーティブな仕事に向かない時があるのだ。そのような時は、さっさとあきらめて、単純作業に精を出したほうがいい。
p.75 人は気分の中で生きている。この何でもない事実を見つめることからすべての仕事術は始めなくてはならない。人間、絵に描いたようにはいかないものだ。残念ながら。
ほんと、その通りですねぇ…。
気分の乗らない時は何をしてもうまくいかない。だから、「そんなこともあるさ」とそれを受け入れる気持ちも大事なのでしょう。
気分の乗らないことを気にしている暇があったら、気分の良し悪しにあまり左右されないような作業をした方がいい、ということですね。
そのためにも、普段から自分のやっていることを、「これは頭が冴えてる時の仕事」「これはイマイチな時の作業」に仕分けておく必要があるのです。
ページが戻りますが、第4章に以下の文章がありました。
「仕事」と「作業」を分ける
p.62 私はまず、自分の仕事をクリエーティブな部分とそうでない部分に分ける。これを私は「仕事」と「作業」と呼んでいる。言い方を変えると、「能動的な仕事」と「受動的な作業」とも言える。
自分にとっての「仕事」と「作業」は何か?を常に考えながら、自分の気分に合った方をやっていく、というやり方が大切だということですね。
やはり人間ですから、どんなにすごい人でも、気分が乗らない時、頭がイマイチ回転しない時、というのはあるはずです。
仕事を進めるのが早い人は、そういう「自分の気分との付き合い方」「自分の気分とマッチするもの(仕事 or 作業)の選び方」をよくわかっている人なんじゃないかな、と思います。
p.78 自分の調子に合わせて仕事の内容を変えれば、ストレスも減るし、時間の無駄も防げる。
そう、仕事するのも勉強するのも自分なのだから、「自分の調子」をよく知らなければいけません。
会社勤めの場合は、自分の調子をそれほど考慮してもらうわけにもいきませんが、自分が英語力を伸ばすために英語学習をしている場合には、この「自分の調子に合わせて」という言葉は大きな意味を持ってくるはずです。
調子の悪い時には自分を責めない、調子の良い時は自分でブレーキをかけない、という風に、うまく自分の気分の波に乗る術を身に付けたいものですね。
第8章 仕事は「問う」ことから始めよ!
p.134 教育の最も大きな弊害は、子供たちに「答えはひとつ」と信じさせてしまうことだろう。たしかに学校で与えられる問題の多くは答えがひとつになるように作為されている。このようなテストに慣れてしまうと、世の中なんでも答えはひとつきり、という幻想を持ってしまうのである。ひとつ答えが見つかると、それで片付いたことにしてしまう淡白な子供(長じては大人)を大量に生み出すことになる。
そうそう、「淡白」!
何か見つけて、「そうか、これか!」で終わってしまう人は確かに淡白だと思います。
でも、そういう淡白な人は、人から聞いたことを覚える、知識として頭に入れるだけで終わってしまう気がします。
逆に、それが例えその道の権威の言ったことであっても、「そうなのかなぁ?」と疑問符を打てる人、そこから考えを広げられる人はすごいなぁと思います。
今のネット依存に警鐘を鳴らしている人も、そういう淡白な人が多いことを危惧しているのですね。
ですから私は出来るだけ「淡白にならないように」心がけています。
(それで、私のフレンズ解説記事は「しつこい」わけですね…笑)
私はネットで調べ物をしても、絶対にそれが「正解だ」とは思いません。
全て「そういう意見がある」という参考意見としてしか聞いていません。
世間ではどう思われているのか、どう思っている人がいるのか、という意見をまとめるツールとして便利だから活用しているのです。
会ってもいない人の意見を聞くことができるのがネットの利点で、その人の意見を聞いて、自分の考えを構築していく、という行為が大事なのだろうと。
私自身、答えが見つからないことを気持ち悪いとは思いません。
答えを見つけることが最終的なゴールではないからです。
答えは何?何?ということばかり気にしていると、私がこのブログでやっているような、海外ドラマを使った英語学習は出来ません。
はっきりとした答えがどこにも書いていないからです。
「早く答えを知ること」だけを目標にしてはいけません。
大切なのは、答えを導き出す論理的過程を身に付けることです。
TOEIC などの問題集をたくさんこなすのは得意だし、楽しいけれど、映画や海外ドラマのDVDを題材にして英語を学ぶのはどうしたらいいかわからない、という方も多いですよね。
その二つには、「ある答えがあって、そこに到達する」という行為と、「何がわからないかを探して、それについて自分なりに仮説を立ててみる」という行為の違いがあるのかもしれません。
その立てた仮説を答え合わせすることができない、というところが、問題集の答え合わせをするみたいな達成感も得られないし、自分がどれだけわかったかも計りにくいということかもしれません。
でもあらかじめ答えが与えられているものをこなしているだけでは、本当に「自分で考える能力」というのが身に付きにくい気がします。
答えを知っているものは解けるけれど、答えを知らないものはお手上げ、ということになってしまう。
問題集として「問い」が与えられているものをこなすだけではなく、自分で「問い」を発見し、それに対する答えを探すことができるようになった時、身の回りのあらゆるものが、自分の教材となり得ます。
何事もそんな風に学んでいけるといいですね。
第12章 果報は仕組んで待て!
p.191 私の著作のほとんどは、思いついたアイディアの売り込みである(悠長に執筆依頼を待っていたら生活が成り立たない)。
p.194 こちらから働きかけなければ、世の中は何も答えを出してくれない。しかし、働きかければ、必ず答えが返ってくる。必ず。
p.200 迷ってやめたら、何も残らない。
やれば必ず結果が残る。
「仕組む」というのは、あまりずるい意味ではなく、ぼーっと待っているだけではダメだ、自分が強い明確な意志を持って動かないといけない、ということですね。
晴山さんのようにたくさんの本を出版されている方でさえ、「悠長に執筆依頼を待っていたら生活が成り立たない」とおっしゃっているのを聞いて、くすっ、と笑ってしまうと同時に、非常に納得できる気がしました。
どんなにすごい人でも、ただじっと待っているだけじゃないんだと。
自分の思う方向に進むように、自分で積極的に動き、多くの人に働きかけているんだと。
「こうしたら、こうなるはずだ」という信念のようなものも必要ですね。
私もブログを始めて、本を出版するなど、いろいろと未知の分野に進出してきましたが、「今の自分にできることは何でもやってみる」という気持ちでやってきました。
「後悔だけはしたくない」という気持ちでここまで来ました。
「死ぬ時に自分の人生を振り返って、後悔するような人生は送りたくない」というのもありますが、死ぬという最期の瞬間にそう思うだけならまだいい、私はどちらかと言うと、10年後に「あと10年若かったら、こうすることができたのに!」というような後悔の仕方をしたくなかったのです。
人間はどんどん歳を取ります。
歳を取ることが悪いことだとは思っていませんが、その歳でなければできないこと、というのもあるような気がします。
若い時に留学していれば…!などと今さら思ってもしょうがないので、それならそれで、「留学しないで、日本にいながらにして、英語を学ぶ方法」を見つければいいと私は考えました。
自分が過去に手を出さなかったことを悔やむのではなく、今のこの年齢で、今の境遇だからこそ言えること、を探求し、それを多くの人に伝えられればいい、と思ったのですね。
今、目の前にあるかもしれないチャンスを逃すようなことはしたくない、とも思うのです。
「だめもと」でもいいからとりあえずやってみる、それに挑戦してみて、失敗したり、思った通りにならなかったりしても、「やらないよりはずっといい」んじゃないかと思うのです。
「本を出版する」という夢が叶った私が言っても説得力がないかもしれませんが、「やれば必ず結果が残る」というのは、私の場合、必ずしも成功した話だけのことではありません。
「やってみてだめだった」ということでもいいのです。
「やってみてだめだった」なら、あきらめもつくから。
何年後かに、「あの時こうしていれば、人生が変わっていたかもしれない…」などと思いたくないのです。
これからの私の人生がどうなるかはわかりませんが、私も晴山さんのお言葉通り「迷ってやめたら、何も残らない。やれば必ず結果が残る。」という言葉を胸に、全力でいろんなことにぶつかっていきたいと思っています。
以上、私が「特に」反応した部分について、語ってみました。
この「知的生産のためのすごい!仕事術」という本は、タイトル通り、「仕事術」について語られている本ですので、ビジネススキルを紹介する本として、多くのブロガーの方に取り上げられています。
超有名な書評ブログ、smoothさんの マインドマップ的読書感想文 でも、この本が紹介されています。
その記事はこちら(↓)。
【知的仕事術?】「知的生産のためのすごい!仕事術」晴山陽一:マインドマップ的読書感想文
私の今回の記事は、内容の取り上げ方が偏ったものとなってしまっていますが(笑)、smoothさんの記事は、本の内容を全般に渡って、わかりやすくまとめて下さっています。
興味のある方は是非そちらもご覧下さい。
なお、今回ご紹介した本と同じシリーズ、青春出版社の青春新書INTELLIGENCE から、この9月2日に晴山さんの最新刊 英語にもっと強くなる本 が発売されました。
本当に驚異的なペースですね。
まさに「すごい!」です。
晴山さん、いろいろとありがとうございました!
(2008.9.6 追記)
この「知的生産のためのすごい!仕事術」以外にも、晴山さんのご本は、多くのブロガーの方に取り上げられています。
超有名書評ブログ、聖幸さんの 俺と100冊の成功本 では、「英語ベストセラー本の研究」(幻冬舎)が紹介されています。
その記事はこちら(↓)。
「英語ベストセラー本の研究」英語学習法の黄金律とは:俺と100冊の成功本
(私の過去記事、晴山陽一氏の「英語ベストセラー本の研究」を読んで(その1) からもリンクをはらせていただきました。)
興味のある方は是非、聖幸さんの記事をご覧下さい。
(追記はここまで)
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(サイン本をいただくことになった経緯については、上の記事で説明しています。)
今日は、もう1冊の本について語ります。
それがこちらの本です(↓)。
知的生産のためのすごい!仕事術 (青春新書INTELLIGENCE 206) (青春出版社)
晴山さんの「英語ベストセラー本の研究」(幻冬舎)を読んだ時、多くの英語ベストセラー作家への尊敬のまなざしと、多くの英語学習者の人々への温かい視線を感じました。
また、先日ご紹介した「使える英語すごいノウハウ」は、英語初心者向けの本ということで、言葉遣いも大変優しいものになっていました。
それらと比較すると、今回ご紹介する「知的生産のためのすごい!仕事術」は、厳しい言葉がたくさん並んでいました。
目次を見るだけでも、
「言われたことしかできないタイプ」「有能で忙しい人と無能で忙しい人」「序文ばかりの人生」
などなど…。
晴山陽一氏が拙著を紹介して下さいました のコメント欄で、晴山さんと初めてお話させていただいたのが、2008年7月13日。
まだそれから2ヶ月弱しか経っていないのですが、それ以来、コメントやメールを通じてやりとりさせていただいている私の晴山さんのイメージは「常に優しい方」でしたので、その晴山さんの違った一面を見た気がして、非常に興味深かったです。
驚異的なペースで本を出版されている「仕事人」としての晴山さんの姿を、この本で知ることができました。
晴山さんの語る「仕事術」は、私が日常生活を送るに当たって、家事や子育てなどの主婦業を行なう際にも関係のある話ですが、この記事では特に、英語学習ブロガーの私にとっての「英語学習の進め方」と結びつけて考えてみたいと思います。
以下、私の感想を交えながら語っていきます。
第4章 ストレスフリーの仕事術
p.60 私は予定を組みすぎることには反対である(もちろん職種にもよるが)。なぜなら、予定を組みすぎると、予定したことしかできなくなるからだ。
予定に縛られる人は、どこか受動的な生活に甘んじている人だと思う。
これは、「予定を立てて、それに合わせることで充足感を得る」ことを指しているように思います。
この晴山さんのおっしゃること、よくわかります。
私も予定を立てるのは好きではありませんし、予定に縛られることは極力避けようとします。
もちろん、私のような専業主婦でも、「いついつまでにやらなければいけないこと」という期限付きの事項があって、そういうのはカレンダーには書いていますが、自分が好きでやっている趣味としての英語学習では、ほとんど予定は立てません。
いつまでにこの問題集を終わらせようとか、一日何ページやろうとか、今日は何時間勉強しようとか、そういう予定は全くと言っていいほど立てないのです。
また、今日は何時間勉強したか、ということを振り返ることもしません。
ただ、自分の気の向くままやっているだけなんですね。
何かを行なう場合に、予定通りにことが進むことだけを喜ぶべきではないのだろうと思います。
それは何かを始める前から、自分を縛って、自分の限界を決めているような気がするのです。
何かを「こなす、処理する」ことが仕事なのではなく、そこで何かアイディアが思い浮かんでいるか、学習であればそこで何かが身に付いているか、が大事なのかなぁ、と。
自分で立てたつもりの予定であっても、それに振り回されすぎてしまうと、結局は「受動的」なものとなってしまう。
仕事や学習を進めながら、臨機応変に自分のペースを決めていきたいものだと思います。
第5章 仕事のコンディションを整える
人は気分で生きている
p.74 自分の中のボルテージと言えばいいだろうか、どうにもクリエーティブな仕事に向かない時があるのだ。そのような時は、さっさとあきらめて、単純作業に精を出したほうがいい。
p.75 人は気分の中で生きている。この何でもない事実を見つめることからすべての仕事術は始めなくてはならない。人間、絵に描いたようにはいかないものだ。残念ながら。
ほんと、その通りですねぇ…。
気分の乗らない時は何をしてもうまくいかない。だから、「そんなこともあるさ」とそれを受け入れる気持ちも大事なのでしょう。
気分の乗らないことを気にしている暇があったら、気分の良し悪しにあまり左右されないような作業をした方がいい、ということですね。
そのためにも、普段から自分のやっていることを、「これは頭が冴えてる時の仕事」「これはイマイチな時の作業」に仕分けておく必要があるのです。
ページが戻りますが、第4章に以下の文章がありました。
「仕事」と「作業」を分ける
p.62 私はまず、自分の仕事をクリエーティブな部分とそうでない部分に分ける。これを私は「仕事」と「作業」と呼んでいる。言い方を変えると、「能動的な仕事」と「受動的な作業」とも言える。
自分にとっての「仕事」と「作業」は何か?を常に考えながら、自分の気分に合った方をやっていく、というやり方が大切だということですね。
やはり人間ですから、どんなにすごい人でも、気分が乗らない時、頭がイマイチ回転しない時、というのはあるはずです。
仕事を進めるのが早い人は、そういう「自分の気分との付き合い方」「自分の気分とマッチするもの(仕事 or 作業)の選び方」をよくわかっている人なんじゃないかな、と思います。
p.78 自分の調子に合わせて仕事の内容を変えれば、ストレスも減るし、時間の無駄も防げる。
そう、仕事するのも勉強するのも自分なのだから、「自分の調子」をよく知らなければいけません。
会社勤めの場合は、自分の調子をそれほど考慮してもらうわけにもいきませんが、自分が英語力を伸ばすために英語学習をしている場合には、この「自分の調子に合わせて」という言葉は大きな意味を持ってくるはずです。
調子の悪い時には自分を責めない、調子の良い時は自分でブレーキをかけない、という風に、うまく自分の気分の波に乗る術を身に付けたいものですね。
第8章 仕事は「問う」ことから始めよ!
p.134 教育の最も大きな弊害は、子供たちに「答えはひとつ」と信じさせてしまうことだろう。たしかに学校で与えられる問題の多くは答えがひとつになるように作為されている。このようなテストに慣れてしまうと、世の中なんでも答えはひとつきり、という幻想を持ってしまうのである。ひとつ答えが見つかると、それで片付いたことにしてしまう淡白な子供(長じては大人)を大量に生み出すことになる。
そうそう、「淡白」!
何か見つけて、「そうか、これか!」で終わってしまう人は確かに淡白だと思います。
でも、そういう淡白な人は、人から聞いたことを覚える、知識として頭に入れるだけで終わってしまう気がします。
逆に、それが例えその道の権威の言ったことであっても、「そうなのかなぁ?」と疑問符を打てる人、そこから考えを広げられる人はすごいなぁと思います。
今のネット依存に警鐘を鳴らしている人も、そういう淡白な人が多いことを危惧しているのですね。
ですから私は出来るだけ「淡白にならないように」心がけています。
(それで、私のフレンズ解説記事は「しつこい」わけですね…笑)
私はネットで調べ物をしても、絶対にそれが「正解だ」とは思いません。
全て「そういう意見がある」という参考意見としてしか聞いていません。
世間ではどう思われているのか、どう思っている人がいるのか、という意見をまとめるツールとして便利だから活用しているのです。
会ってもいない人の意見を聞くことができるのがネットの利点で、その人の意見を聞いて、自分の考えを構築していく、という行為が大事なのだろうと。
私自身、答えが見つからないことを気持ち悪いとは思いません。
答えを見つけることが最終的なゴールではないからです。
答えは何?何?ということばかり気にしていると、私がこのブログでやっているような、海外ドラマを使った英語学習は出来ません。
はっきりとした答えがどこにも書いていないからです。
「早く答えを知ること」だけを目標にしてはいけません。
大切なのは、答えを導き出す論理的過程を身に付けることです。
TOEIC などの問題集をたくさんこなすのは得意だし、楽しいけれど、映画や海外ドラマのDVDを題材にして英語を学ぶのはどうしたらいいかわからない、という方も多いですよね。
その二つには、「ある答えがあって、そこに到達する」という行為と、「何がわからないかを探して、それについて自分なりに仮説を立ててみる」という行為の違いがあるのかもしれません。
その立てた仮説を答え合わせすることができない、というところが、問題集の答え合わせをするみたいな達成感も得られないし、自分がどれだけわかったかも計りにくいということかもしれません。
でもあらかじめ答えが与えられているものをこなしているだけでは、本当に「自分で考える能力」というのが身に付きにくい気がします。
答えを知っているものは解けるけれど、答えを知らないものはお手上げ、ということになってしまう。
問題集として「問い」が与えられているものをこなすだけではなく、自分で「問い」を発見し、それに対する答えを探すことができるようになった時、身の回りのあらゆるものが、自分の教材となり得ます。
何事もそんな風に学んでいけるといいですね。
第12章 果報は仕組んで待て!
p.191 私の著作のほとんどは、思いついたアイディアの売り込みである(悠長に執筆依頼を待っていたら生活が成り立たない)。
p.194 こちらから働きかけなければ、世の中は何も答えを出してくれない。しかし、働きかければ、必ず答えが返ってくる。必ず。
p.200 迷ってやめたら、何も残らない。
やれば必ず結果が残る。
「仕組む」というのは、あまりずるい意味ではなく、ぼーっと待っているだけではダメだ、自分が強い明確な意志を持って動かないといけない、ということですね。
晴山さんのようにたくさんの本を出版されている方でさえ、「悠長に執筆依頼を待っていたら生活が成り立たない」とおっしゃっているのを聞いて、くすっ、と笑ってしまうと同時に、非常に納得できる気がしました。
どんなにすごい人でも、ただじっと待っているだけじゃないんだと。
自分の思う方向に進むように、自分で積極的に動き、多くの人に働きかけているんだと。
「こうしたら、こうなるはずだ」という信念のようなものも必要ですね。
私もブログを始めて、本を出版するなど、いろいろと未知の分野に進出してきましたが、「今の自分にできることは何でもやってみる」という気持ちでやってきました。
「後悔だけはしたくない」という気持ちでここまで来ました。
「死ぬ時に自分の人生を振り返って、後悔するような人生は送りたくない」というのもありますが、死ぬという最期の瞬間にそう思うだけならまだいい、私はどちらかと言うと、10年後に「あと10年若かったら、こうすることができたのに!」というような後悔の仕方をしたくなかったのです。
人間はどんどん歳を取ります。
歳を取ることが悪いことだとは思っていませんが、その歳でなければできないこと、というのもあるような気がします。
若い時に留学していれば…!などと今さら思ってもしょうがないので、それならそれで、「留学しないで、日本にいながらにして、英語を学ぶ方法」を見つければいいと私は考えました。
自分が過去に手を出さなかったことを悔やむのではなく、今のこの年齢で、今の境遇だからこそ言えること、を探求し、それを多くの人に伝えられればいい、と思ったのですね。
今、目の前にあるかもしれないチャンスを逃すようなことはしたくない、とも思うのです。
「だめもと」でもいいからとりあえずやってみる、それに挑戦してみて、失敗したり、思った通りにならなかったりしても、「やらないよりはずっといい」んじゃないかと思うのです。
「本を出版する」という夢が叶った私が言っても説得力がないかもしれませんが、「やれば必ず結果が残る」というのは、私の場合、必ずしも成功した話だけのことではありません。
「やってみてだめだった」ということでもいいのです。
「やってみてだめだった」なら、あきらめもつくから。
何年後かに、「あの時こうしていれば、人生が変わっていたかもしれない…」などと思いたくないのです。
これからの私の人生がどうなるかはわかりませんが、私も晴山さんのお言葉通り「迷ってやめたら、何も残らない。やれば必ず結果が残る。」という言葉を胸に、全力でいろんなことにぶつかっていきたいと思っています。
以上、私が「特に」反応した部分について、語ってみました。
この「知的生産のためのすごい!仕事術」という本は、タイトル通り、「仕事術」について語られている本ですので、ビジネススキルを紹介する本として、多くのブロガーの方に取り上げられています。
超有名な書評ブログ、smoothさんの マインドマップ的読書感想文 でも、この本が紹介されています。
その記事はこちら(↓)。
【知的仕事術?】「知的生産のためのすごい!仕事術」晴山陽一:マインドマップ的読書感想文
私の今回の記事は、内容の取り上げ方が偏ったものとなってしまっていますが(笑)、smoothさんの記事は、本の内容を全般に渡って、わかりやすくまとめて下さっています。
興味のある方は是非そちらもご覧下さい。
なお、今回ご紹介した本と同じシリーズ、青春出版社の青春新書INTELLIGENCE から、この9月2日に晴山さんの最新刊 英語にもっと強くなる本 が発売されました。
本当に驚異的なペースですね。
まさに「すごい!」です。
晴山さん、いろいろとありがとうございました!
(2008.9.6 追記)
この「知的生産のためのすごい!仕事術」以外にも、晴山さんのご本は、多くのブロガーの方に取り上げられています。
超有名書評ブログ、聖幸さんの 俺と100冊の成功本 では、「英語ベストセラー本の研究」(幻冬舎)が紹介されています。
その記事はこちら(↓)。
「英語ベストセラー本の研究」英語学習法の黄金律とは:俺と100冊の成功本
(私の過去記事、晴山陽一氏の「英語ベストセラー本の研究」を読んで(その1) からもリンクをはらせていただきました。)
興味のある方は是非、聖幸さんの記事をご覧下さい。
(追記はここまで)
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2008年08月30日
「使える英語すごいノウハウ」を読んで(その2)
前回 に引き続き、晴山陽一さんの最新刊、使える英語すごいノウハウ―「英語がスラスラ出てくる」ようになる本 (三笠書房) について語りたいと思います。
第4章では、英語の「音」の大切さについて述べられています。
p.66 実際の会話では、同じ文でも読み方によってまったくニュアンスが変わってしまう場合がある
p.67 文字からだけの学習は危険を伴う
p.73 何回聞けばいいか、という問いに対する私の答えは、「文字から音が流れ出るまで」ということになります。
p.74 スクリプトを見て音読した時に、耳に残っている音が文字から聞こえてきたらしめたものです。
この部分のお話は、ドラマという「生きた英語」を使って英語を学んでいる私にとって、とてもよくわかる部分です。
「スクリプトを見て、文字が聞こえてくる」という感覚、わかります。
時々、「フレンズ」の今扱っているエピソードとは別のエピソードのスクリプトを、調べ物のついでに読むことがあります。
ざっとスクリプトを見ることで、そのシーンやら、その時のセリフの言い方などを思い出す時があります。
レギュラーのキャラクターの場合は、声やイントネーション、言い回しをよく知っているだけに、余計にそれを思い出しやすいですね。
フレンズを何度も見ている人なら、わざわざDVDを引っ張り出して見返すこともなく、スクリプトだけで、実際にフレンズたちがやり取りしている様子が想像できる…自分の中に音声の記憶として残っているということですね。
「文字からだけの学習は危険を伴う」のも全くその通り。
ブログでネットスクリプトを使うようになってから、きちんとDVDの画面で実際のシーンを確認することなく、「スクリプトの文字だけ」で内容を判断していることが時々あります。
そういう場合は、セリフの解釈を間違えることが多い(笑)。
Come on! や Hello! などのような簡単なフレーズでも、その言い方が違うと、ニュアンスも全然違ってきてしまうのです。
相手につっかかるような言い方で言っているのを聞けば、例えそれが英語であったとしても、何となくニュアンスはわかります。
それが、come on や hello という文字でしか見ていないと、なかなか「カモン」「ハロー」のイメージから抜け出せません。
ある程度そのドラマやキャラのセリフに慣れて来た人が陥りやすい罠が、「何となくわかるから、ネットスクリプトという文字だけで学ぶ」ということかもしれません。
せっかく生の人間がしゃべっているドラマを利用して学習するんだったら、その「音」を聞かないともったいないです。
音源があるものであれば、その「音」は積極的に活用していくようにしましょう。
第5章の「3秒レスポンス」というのは、付属のCDを聞きながら行なうトレーニングです。
これは p.90 にも書かれているように、「日本語に訳して判断するのではなく、イメージを使って瞬時に判断する」訓練になります。
続けて読まれる5文の中に必ず2文、内容の間違った英文があり、その間違っているものはどれかを当てる、という訓練です。
ゆっくり読んで、それぞれの単語を日本語に置き換えたら、その間違いはすぐにわかると思うのですが、それを音として流れるのを聞いただけで、その間違いに気付くか?ということを確かめるテストです。
単語を「聞いた瞬間にイメージする」訓練はとても大切です。
TOEIC のリスニングなどでは必ずその能力が必要になってきますね。
「聞いたままの順番で、聞いた瞬間にイメージする」ということがどういうことか、今いちよくわからない、という方は、このトレーニングに挑戦してみて下さい。
TOEIC のような文章をいきなりイメージしろ、と言われても難しい、という方は、まずは簡単な短い文章でイメージ化する訓練をすべきです。
どんなに長い英文でも、結局は、切れ目切れ目でイメージしていくことになるので、まずは短い文から始めた方がいいですね。
第7章では、「補助輪付き英語学習法」について語っておられます。
p.140 聞き取れないものは100回聞いても聞き取れないケースが多く…
それには全く同感です。
わからない音は、いつまで経っても「音の洪水」でしかありません。
私のおすすめする Rach流DVD学習法では、一番最初に、「英語音声、字幕なし」でトライすることをすすめていますが、それを何回も繰り返すことはすすめていません。
「わからないものは、何回聞いてもわからない」からです。
わからないものをわかるまでひたすら聞くよりは、「内容やニュアンスをわかってそれをイメージしながら何回も聞く」方がずっといいですね。
その「補助輪付き英語学習法」の一つとして、
p.153 「洋画・海外ドラマ」を徹底活用!
という項目があります。
p.157 に、私がこのブログで扱っている海外ドラマ「フレンズ」の名前が出てきます。
一方、テレビドラマでおすすめなのは『フレンズ』あたりでしょうか。シリーズを追って見ていると、登場人物が隣人になったような親しみを覚えます。キャラクターが立っているので、「この人だからこの表現だよな」といった納得もできるようになります。
私も拙著、シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の 1.3 ドラマを使う意義 の p.14 に、「キャラ立ち」してくる。 という項目で、同じような内容を述べています。
セリフもより「らしい」セリフになり、キャラに合わないセリフを言っているのは、あまり聞きませんね。
「こんなの、チャンドラーらしくないよ」とか言って、スタッフの誰かがダメ出しをするのでしょう。
そうして、英語のセリフが「彼ららしい」と思えるところまできたら、英語を日本語と同じような感覚で受け止められている、ということになるのです。
言葉は、その言葉を発した人間と密接な関係があります。
ですから、その人間のキャラクターがはっきりしているほど、そのセリフのニュアンスも掴みやすいはずです。
理屈っぽい人、ちょっと人と感覚がずれた人、誰かの言葉にチャチャを入れずにはいられない人、など、いろんなキャラがいるからこそ、バラエティーに富んだセリフが生まれ、聞いている方もいろんな種類の言葉を覚えることができるのですね。
キャラクターが立っている、キャラ立ちしている、ということは、その人の発する言語を深く理解するのに、大いに役立つのです。
何かしらの構文やキーワードを覚えるために、よくありがちな一般的な設定で作ったスキットよりも、ずっと言葉が「生きて」いる、だから、覚えやすいのですね。
p.159 多くの人は、自分が上達していることを知らずに、無用な失望を味わい、学習意欲をなくしているように思います。
p.172 一番大事なのは、少しずつでも学習が進んでいるという充実感と期待感ではないでしょうか。
全くその通りだと思います。
私も拙著の p.79 で以下のように述べています。
あの頃(初めてフレンズを見た頃)に比べれば、随分わかるようになった……その思いの積み重ねがあって、今の私があります。
大切なのは、試験の点数ではなくて、自分で「わかるようになった」という実感です。人にそれが上手く説明できなくてもいい、自分で「あの頃よりもわかるようになった」と思えることが大切です。
ですから、私は TOEICという試験の点数以外にも、自分で上達しているのを実感できる部分があるから、こうしてブログも英語学習も続けていられるのですね。
「TOEIC の点数だけ」を指標にしていると、点数が頭打ちになったり、下がったり、もしくは逆に、もし万が一、満点を取れた場合に(笑)、そこで英語学習をやめてしまうかもしれません。
「自分が英語を使えるようになるかどうか」が問題なので、自分の中での実感が一番大切な判断基準なのです。
こうして、ブログを続けて行って、もっともっとフレンズのセリフを深く分析できるようになったら、もっと英語力が上がっているはず…という期待感で続けているのですね。
相変わらず、晴山さんの本を語りながら、自分の本の話もたくさん混ぜてしまいましたが(笑)、「人が書いた本を読む」ことは、自分のやり方を見つめ直すことでもあります。
私の本のタイトルのキーワードである「楽しく」という部分は、晴山さんの本にも溢れています。
(おこがましいですが)物事に対する価値観も似ているのかな、と思います。
ですから、晴山さんの本を読ませていただいて、「すごく”晴山さんらしい”本だわ!」と思いつつ、自分の方向性が間違っていなかったことも再確認できました。
晴山さん、ありがとうございました!
また、来週くらいに、もう1冊いただいた本、「知的生産のためのすごい!仕事術」をご紹介したいと思います。
(2008.8.31 追記)
晴山陽一さんのホームページ、晴山陽一オフィシャルサイト の INFO に、
2008.8.30 『使える英語 すごいノウハウ』が刊行されました。もうすぐ『英語にもっと強くなる本』が刊行されます。『英語ベストセラー本の研究』を課題図書に選んでくださった出版社があります。
という記事が追加されました。
そこで、私がこのブログで「使える英語すごいノウハウ」の紹介記事を書いたことを紹介して下さっています。
このブログへのリンクもはってくださっています。
晴山さん、いつもありがとうございます!
(追記はここまで)
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第4章では、英語の「音」の大切さについて述べられています。
p.66 実際の会話では、同じ文でも読み方によってまったくニュアンスが変わってしまう場合がある
p.67 文字からだけの学習は危険を伴う
p.73 何回聞けばいいか、という問いに対する私の答えは、「文字から音が流れ出るまで」ということになります。
p.74 スクリプトを見て音読した時に、耳に残っている音が文字から聞こえてきたらしめたものです。
この部分のお話は、ドラマという「生きた英語」を使って英語を学んでいる私にとって、とてもよくわかる部分です。
「スクリプトを見て、文字が聞こえてくる」という感覚、わかります。
時々、「フレンズ」の今扱っているエピソードとは別のエピソードのスクリプトを、調べ物のついでに読むことがあります。
ざっとスクリプトを見ることで、そのシーンやら、その時のセリフの言い方などを思い出す時があります。
レギュラーのキャラクターの場合は、声やイントネーション、言い回しをよく知っているだけに、余計にそれを思い出しやすいですね。
フレンズを何度も見ている人なら、わざわざDVDを引っ張り出して見返すこともなく、スクリプトだけで、実際にフレンズたちがやり取りしている様子が想像できる…自分の中に音声の記憶として残っているということですね。
「文字からだけの学習は危険を伴う」のも全くその通り。
ブログでネットスクリプトを使うようになってから、きちんとDVDの画面で実際のシーンを確認することなく、「スクリプトの文字だけ」で内容を判断していることが時々あります。
そういう場合は、セリフの解釈を間違えることが多い(笑)。
Come on! や Hello! などのような簡単なフレーズでも、その言い方が違うと、ニュアンスも全然違ってきてしまうのです。
相手につっかかるような言い方で言っているのを聞けば、例えそれが英語であったとしても、何となくニュアンスはわかります。
それが、come on や hello という文字でしか見ていないと、なかなか「カモン」「ハロー」のイメージから抜け出せません。
ある程度そのドラマやキャラのセリフに慣れて来た人が陥りやすい罠が、「何となくわかるから、ネットスクリプトという文字だけで学ぶ」ということかもしれません。
せっかく生の人間がしゃべっているドラマを利用して学習するんだったら、その「音」を聞かないともったいないです。
音源があるものであれば、その「音」は積極的に活用していくようにしましょう。
第5章の「3秒レスポンス」というのは、付属のCDを聞きながら行なうトレーニングです。
これは p.90 にも書かれているように、「日本語に訳して判断するのではなく、イメージを使って瞬時に判断する」訓練になります。
続けて読まれる5文の中に必ず2文、内容の間違った英文があり、その間違っているものはどれかを当てる、という訓練です。
ゆっくり読んで、それぞれの単語を日本語に置き換えたら、その間違いはすぐにわかると思うのですが、それを音として流れるのを聞いただけで、その間違いに気付くか?ということを確かめるテストです。
単語を「聞いた瞬間にイメージする」訓練はとても大切です。
TOEIC のリスニングなどでは必ずその能力が必要になってきますね。
「聞いたままの順番で、聞いた瞬間にイメージする」ということがどういうことか、今いちよくわからない、という方は、このトレーニングに挑戦してみて下さい。
TOEIC のような文章をいきなりイメージしろ、と言われても難しい、という方は、まずは簡単な短い文章でイメージ化する訓練をすべきです。
どんなに長い英文でも、結局は、切れ目切れ目でイメージしていくことになるので、まずは短い文から始めた方がいいですね。
第7章では、「補助輪付き英語学習法」について語っておられます。
p.140 聞き取れないものは100回聞いても聞き取れないケースが多く…
それには全く同感です。
わからない音は、いつまで経っても「音の洪水」でしかありません。
私のおすすめする Rach流DVD学習法では、一番最初に、「英語音声、字幕なし」でトライすることをすすめていますが、それを何回も繰り返すことはすすめていません。
「わからないものは、何回聞いてもわからない」からです。
わからないものをわかるまでひたすら聞くよりは、「内容やニュアンスをわかってそれをイメージしながら何回も聞く」方がずっといいですね。
その「補助輪付き英語学習法」の一つとして、
p.153 「洋画・海外ドラマ」を徹底活用!
という項目があります。
p.157 に、私がこのブログで扱っている海外ドラマ「フレンズ」の名前が出てきます。
一方、テレビドラマでおすすめなのは『フレンズ』あたりでしょうか。シリーズを追って見ていると、登場人物が隣人になったような親しみを覚えます。キャラクターが立っているので、「この人だからこの表現だよな」といった納得もできるようになります。
私も拙著、シットコムで笑え! 楽しくきわめる英語学習法 の 1.3 ドラマを使う意義 の p.14 に、「キャラ立ち」してくる。 という項目で、同じような内容を述べています。
セリフもより「らしい」セリフになり、キャラに合わないセリフを言っているのは、あまり聞きませんね。
「こんなの、チャンドラーらしくないよ」とか言って、スタッフの誰かがダメ出しをするのでしょう。
そうして、英語のセリフが「彼ららしい」と思えるところまできたら、英語を日本語と同じような感覚で受け止められている、ということになるのです。
言葉は、その言葉を発した人間と密接な関係があります。
ですから、その人間のキャラクターがはっきりしているほど、そのセリフのニュアンスも掴みやすいはずです。
理屈っぽい人、ちょっと人と感覚がずれた人、誰かの言葉にチャチャを入れずにはいられない人、など、いろんなキャラがいるからこそ、バラエティーに富んだセリフが生まれ、聞いている方もいろんな種類の言葉を覚えることができるのですね。
キャラクターが立っている、キャラ立ちしている、ということは、その人の発する言語を深く理解するのに、大いに役立つのです。
何かしらの構文やキーワードを覚えるために、よくありがちな一般的な設定で作ったスキットよりも、ずっと言葉が「生きて」いる、だから、覚えやすいのですね。
p.159 多くの人は、自分が上達していることを知らずに、無用な失望を味わい、学習意欲をなくしているように思います。
p.172 一番大事なのは、少しずつでも学習が進んでいるという充実感と期待感ではないでしょうか。
全くその通りだと思います。
私も拙著の p.79 で以下のように述べています。
あの頃(初めてフレンズを見た頃)に比べれば、随分わかるようになった……その思いの積み重ねがあって、今の私があります。
大切なのは、試験の点数ではなくて、自分で「わかるようになった」という実感です。人にそれが上手く説明できなくてもいい、自分で「あの頃よりもわかるようになった」と思えることが大切です。
ですから、私は TOEICという試験の点数以外にも、自分で上達しているのを実感できる部分があるから、こうしてブログも英語学習も続けていられるのですね。
「TOEIC の点数だけ」を指標にしていると、点数が頭打ちになったり、下がったり、もしくは逆に、もし万が一、満点を取れた場合に(笑)、そこで英語学習をやめてしまうかもしれません。
「自分が英語を使えるようになるかどうか」が問題なので、自分の中での実感が一番大切な判断基準なのです。
こうして、ブログを続けて行って、もっともっとフレンズのセリフを深く分析できるようになったら、もっと英語力が上がっているはず…という期待感で続けているのですね。
相変わらず、晴山さんの本を語りながら、自分の本の話もたくさん混ぜてしまいましたが(笑)、「人が書いた本を読む」ことは、自分のやり方を見つめ直すことでもあります。
私の本のタイトルのキーワードである「楽しく」という部分は、晴山さんの本にも溢れています。
(おこがましいですが)物事に対する価値観も似ているのかな、と思います。
ですから、晴山さんの本を読ませていただいて、「すごく”晴山さんらしい”本だわ!」と思いつつ、自分の方向性が間違っていなかったことも再確認できました。
晴山さん、ありがとうございました!
また、来週くらいに、もう1冊いただいた本、「知的生産のためのすごい!仕事術」をご紹介したいと思います。
(2008.8.31 追記)
晴山陽一さんのホームページ、晴山陽一オフィシャルサイト の INFO に、
2008.8.30 『使える英語 すごいノウハウ』が刊行されました。もうすぐ『英語にもっと強くなる本』が刊行されます。『英語ベストセラー本の研究』を課題図書に選んでくださった出版社があります。
という記事が追加されました。
そこで、私がこのブログで「使える英語すごいノウハウ」の紹介記事を書いたことを紹介して下さっています。
このブログへのリンクもはってくださっています。
晴山さん、いつもありがとうございます!
(追記はここまで)
(Rach からのお願い)
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