2006年12月30日

M-1グランプリ2006(今さらですが)

明日はブログをお休みする予定です。(理由は最後に書きますが、別に深刻な話ではありません。)
今日はいつも通り、フレンズ解説を投稿したのですが、おまけの「年忘れ脱線話企画」といたしまして、先日行われた M-1グランプリ2006 についての記事を書いてみたいと思います。
もうかれこれ1週間になるから、今さら、という感じですし、無理に反応して下さらなくてもいいですよ。
ただの私の日記みたいなもんですから…。

実は、先日のM-1グランプリはほとんどリアルタイムで見ていたので、次の日にその感想をブログのおまけに書こうと思ったのですが、いったん断念しました。
でも、書いておかないと年が越せない気がしてきたので、やっぱり書こうかな、と。(どっちやねん。)
どうして断念したかと言うと、感想を書き出すと、録画したビデオで漫才のセリフを一字一句ディクテーションしないと気が済まなくなりそうな気がするんですよ(職業病?か…笑)。
何だか、適当に思い出しながらセリフを書いちゃうと、一生懸命ネタを考えて、一生懸命演じていた出演者の方々に申し訳ない気がする、というかねぇ。

私は漫才好きのわりには、普段はそれほど漫才番組を見ないんです。
だから下馬評とかも知らなくて、直前の情報で、フットボールアワーが参戦することを知って、「過去の優勝者がまた出るなんて、”あり”なんやぁ〜」と驚いていたくらいでして。

第1ラウンドでは、まず、やはり過去の覇者であるフットボールアワーが面白いなぁと思いました。
もちろん、再挑戦するからには、あまり悪い成績になるわけにはいかない、という意味のプレッシャーはあるけれど、でもこれで優勝しないと未来が開けない、というわけでもないですよね。(すでにグランプリ優勝の肩書きを持ってるわけですから。)
そういう意味での余裕が感じられる分だけ、こちらも変な緊張感を持たずに聞くことができて、素直に笑えたのかもしれません。
岩尾さん(のんちゃん)がツッコミを要求しているのに、後藤さんがそれを止めようとしないでずっとボケ続けさせるというネタは、かなりの自信がないと出来ないですよね。
見てるほうがだんだんツラくなってくる可能性もあるのですが、それを手招きしたり、腕を引っ張ったり、「そろそろ」と言ってみたりして、気が弱くなりながらボケ続ける姿に大笑いしてしまいました。
最終決戦(第2ラウンド)のネタ「取り皿の方どうぞぉ〜!」は以前に聞いたことがあって、さらに、やたらと怒鳴る部分が多くてひたすらやかましくて、個人的にはあまり好きじゃないネタなので(ごめんね)、「どうしてこのネタなんやろう?…M-1をマンネリ化させないための再挑戦で、第2ラウンドには進まないといけないけど、優勝するつもりもない、というスタンスなのか?」などと変な勘ぐりをしてしまいました。
でも2003年に優勝した時の「SM系のタクシー運転手さん」のネタも、当時も司会をしていた今田さんに「どうして決勝でこのネタなんや!」と言われたように記憶しているのですが、それでも優勝したわけですしね。
ネタが面白いかどうかは個人の好みにもよりますから、私が疑問を投げかけるのも変なのかもしれませんけど。(あのネタが好き、という人もたくさんおられるでしょうし…)
個人的には、M-1でグランプリを取るずっと前から、フットボールアワーが好きだったので、さすがの貫禄を見ることが出来て良かったと思いました。

M-1をずっと見続けてきた者としては、常連の笑い飯や麒麟に勝たせてあげたい、みたいな気持ちがあるんですよ。
やっぱり面白いし、うまいと思うんですが、爆発的に面白かった!という「何か」が感じられなかったのかなぁ?
あんな風に毎回毎回、「今年こそ」と言われてしまうという立場は難しいですよね。
やっぱり、決め手になるのは、「やられた〜!」みたいな感覚なんでしょう。

で、チュートリアル、なんですが、やっぱり文句なしに面白かったですね。
去年の記事、フレンズ2-7その10 のおまけに、M-1グランプリ2005について書いていて、その時にも、ちょっとチュートリアルのネタについて触れています。(そこで引用したセリフが不正確でした。ごめんなさい、とここで謝っておきます。)
去年のバーベキューネタ、私は結構お気に入りだったので、今回、ちょっと思い出して、録画しているDVDを見直してみました。

「お前、それ、ニューヨークスタイルやないか、近代バーベキューの父、トーマス・マッコイと一緒やないか。」
「そいつ、誰やねん。」

「お前、ホームページとかあんのけ?」
「ありませんけど! バーベキュー専門のホームページやってないです。」

というやり取りが面白かったのですが、やっぱり今年と見比べてみると、今年の方がずっとうまいと思うし、本人たちの「ノッている感じ」が強いです。
1年で「ものすごく伸びた」という印象を受けます。(素人に「伸びた」と言われても、本人たちはちっとも嬉しくないでしょうけどねぇ…)

去年の紹介では、チュートリアルが2001年の第1回M-1グランプリのファイナリストであったことを説明しているのですが、
福田「もう世の中の人の記憶にないですからね、僕らがM-1ファイナリストという記憶が」
徳井「こりゃ忘れ物取りに行かなあかんなー」
とリベンジを誓う姿が映っていました。
去年は5位でしたが、その2001年のリベンジを、今年とうとう果たしたわけですね。
2001年と言えば、私ごとで恐縮ですが、私が英語のやり直し学習を始めた年です。
振り返ると、随分と前の話ですし、その頃の私は、自分が英語に関するブログを書いて、何かを発信する人間になっているなんて想像もしていませんでした。
その頃から今までの長い間、「いつかきっと!」と思いながら、彼らは頑張ってきたのだろうなぁ、と思うと、ちょっと自分の英語学習暦と重ね合わせて、とても感慨深いものを感じますね。(もちろん、彼らだけではなく、M-1に出場するそれぞれのコンビに、そういうドラマは存在するわけですが。)

今年は本当にネタの完成度が高くて、ちゃんと盛り上がる展開になっていたし、ただただ「うまいなぁ〜」と感心しながら見ていました。
ああいうナンセンスな話で笑わせるのは非常に難しいですよね。
お客さんが「何じゃそりゃ?」と思ってヒイてしまうと、目も当てられなくなったりしますけど、それをあそこまで盛り上げて笑わせることができるのは、やはり二人のしゃべくりやその間(ま)が絶妙なのと、徳井さんの「暴走する妄想男」と福田さんの「それにあきれながらかなりヒイている友人」というキャラがしっかり立っているから、見ている方は安心して笑えるんだと思います。
徳井さんのキャラクターのなりきり具合がすごい、というのはもちろんあるのですが、やっぱりツッコミの福田さんも、ものすごくうまいですよね。
ただうなずくとか、同じ言葉を繰り返すとかじゃなくて、的確なタイミングで、無駄のない言葉でつっこむというのは、やっぱりすごいテクニックなんですよ。

第1ラウンドと最終決戦(第2ラウンド)は、キャラのパターンは同じですが、最初は「冷蔵庫を買い換えたことを、すごいと”喜ぶ”ネタ」、2回目は「チリンチリンが盗まれて、ショックで”悲しむ”ネタ」と、感情面で違いがあるわけです。
その組み合わせがまた絶妙だったと思います。
最終決戦も、去年のバーベキューネタみたいに、何かに対して「すごい!」と興奮する第1ラウンドと同じパターンのネタだったら、結果はどうなっていたでしょうね?
去年のブラマヨが1ラウンド、2ラウンドを全く同じパターンのネタで通して優勝したわけですから、同じパターンでもやっぱりチュートリアルが優勝しただろう、とは思うのですが、やっぱり「たかがチリンチリン」であれだけ悲しめる、というその妄想具合がすごい、その世界に引き込める力がすごい、と思います。
さらに終始、自転車のベルのことを”チリンチリン”などという軽々しい呼び名で呼んでいて、重みが感じられない分だけ、さらにおかしいわけですね。
テレビの前でみんなは絶対につっこみたくなるんです。
「チリンチリン、て何やねん。お前は小学生か!」みたいに(笑)。

冷蔵庫の話では、

「うちの冷蔵庫、右も左もどっちも開くねん」
「おぉぉ…」(と気のないそぶり)
「それには食いつかんのかい!」

のしばらく後で、

「お前の冷蔵庫、こっちもこっちも開くんやろがい。さっき俺、大したリアクションせえへんかったけども、それはすごいぞ!」
「どないやねん、食いついとけや、それやったら、さっき。」

と、「忘れた頃に」フォローが入る、という、その構成の妙にも感動しました。

彼らの言葉の選択の意外性が面白いですね。
「お前、いったん落ち着かせろよ。」「やんちゃやなぁ。」「なんぼか包むわ。」「そろそろ冷蔵庫買い換えるそぶり、って何やねん。」「内々にことを運んだな。」「オーナー。」「へぇ〜、昼は漫才して、夜はポン酢冷やしてか。」「山が動いたなぁ。」などなど…。
「このこと、ブログに書いていいけ?」は、去年の「お前、ホームページとかあんのけ?」を彷彿とさせるもので、オオウケしてしまいましたね。

チリンチリンが盗まれた話の冒頭、

「それ、ご両親に言うたんか?」
「いや、言うてないですよ、そりゃ。」(→言うほどのことやないし…という意味で言っている)
「いや、そりゃ言わんほうがええ。」(→そんな重大なこと言うたら、親がびっくりして悲しむ…という意味で言っている)

というやり取りを聞いて、「あぁ、このネタも絶対に面白いわ!」という確信のようなものを感じました。
審査員の方が言っておられたように、あの怒涛の「夜ベロンベロン、朝チリンチリン。」「行きずりの女と寝たよ!」「何かを求めてインドへ行ったよ!」辺りでは涙が出るほど笑って、「決まったな!」と思いましたね。
今回のM-1を見て大満足した、という気持ちになれて、あぁ、これで今年も無事年を越せるなぁ、と(笑)。
間違いなく、「やられたぁ!」と思いました。これですね、この感覚なんですよ。
本当に、チュートリアル、おめでとう! 良かったね!

出演者の皆さん、素人が勝手なことをたくさん書いて申し訳ありませんでした。
また来年も頑張って下さいね。今から(?)楽しみにしています。
それから、漫才のネタを引用しすぎたかも…これってマズいんですかねぇ? ごめんなさい。

(変なおまけ)
かなり前の、我が家の会話
テレビでネズミが走り回っているCMを見ていて

ダンナさん:なー、なー、あれって、チュートリアルみたいやなぁ。
私:それを言うなら、スチュアート・リトルやろ。

それ以来、テレビでチュートリアルを見る度に、「あ、スチュアート・リトルやで!」と言うのが恒例になったのですが(笑)、でも、こんな風に思ったのは、うちの主人だけではないらしいです。
試しに「チュートリアル スチュアートリトル」でグーグル検索してみると、同じように「似てる、間違えた」という意見をたくさん発見しました…誰でも同じことを考えるのね(笑)。
我が家のオリジナルジョークとして売り出そうかと思ったのにぃ…実に残念やわ。


ということで脱線話はここまでです。
これが今年最後の記事になります。
明日お休みするのは、「大晦日やから、むっちゃ忙しいねん!」という理由ではなく、何とこんな押し詰まった年の瀬に、一泊旅行をするのです、今日から明日まで。
ずっと旅行に行こう、行こう、と言っていたのに、主人の仕事が忙しくて、なかなか都合がつかなかったんです。
年末年始のお休みは、今日12月30日から来年1月3日までで(そういう方、多いでしょうか?)、お正月はそれぞれの実家に日帰りで行ったりするし、年末しかチャンスがなかったんですよ。
車で近場に行くだけなので、そんな大層なものでもないし、きっと明日はそんなに遅くない時間に家に帰ってくると思うんです。
が、家族旅行で「楽しかったねぇ〜」と余韻を楽しんでいる時に、「ちょっとブログの更新してもいい?」とパソコンを立ち上げるのは、「母としてどうよ!」と思うので、ここは潔く(?)、今日で終了宣言をして、明日はパソコンを触らないことにします。
(自分であらかじめこう宣言しておかないと、「あ、投稿するくらいなら出来そうだし…」と思ってしまいそうな自分がイヤだわ…)

過去記事「ブログ1周年」でも書きましたが、2005年6月26日から今日まで、毎日休まず更新してきているんです。
でもその時も「お泊り旅行に行く時には休む」と書いたので、すんなり休めるのかもしれません。
私は記事を書き溜めしているわけだから、毎日更新することが別にえらいわけでも何でもないんですが、ブログはもう私の生活の一部になってしまっているので、休むのが寂しいのね、きっと…(笑)。

今年もたくさんの方に読んでいただいて、たくさんの方とお話ができて、とても有意義な一年でした。本当に楽しくて幸せな毎日でした。ありがとうございました!
また、来年も、だらだらと駄文を書き続けると思いますが、あきれずにこれからもよろしくお願いいたします。

来年も皆様にとって良い年になりますように。

(Rach からのお願い)
今回の記事、面白いと思われた方は、下のランキングサイトをクリックして下さい。
人気blogランキング
にほんブログ村 英会話ブログ
posted by Rach at 07:53| Comment(13) | 脱線話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

「しゃべれる」か「しゃべられる」か?

今日は、「しゃべれる」または「しゃべられる」のどちらが正しい日本語か?という話です。
まさに、究極の脱線話。(新たに「脱線話」というカテゴリーを追加しました・・・笑)
英語にしか興味のない方は、また明日お会いしましょう(笑)。

昨日の記事で「英語を話せますか?」というフレーズが出てきたのですが、最初は「英語をしゃべれますか?」と書こうとしていました。
そこで、ふと、「しゃべれる」ってもしかして、今流行の「ら抜き言葉」!? でも「しゃべられますか?」って何か変だよなぁ・・・と思ったら、すごく気になってしまって・・・。
で、調べ物をしていたら、それにすっかりハマってしまいました。
そういう場合には、何らかの形で考えをまとめておかないと先に進めないタチなもので、これは私の単なる覚書なんですが(そんなものを読ませてすみません。)

英語の勉強に夢中の私ですが、やはり私も日本人。
英語を勉強するにしても、日本語の気になるところは無視できないんですね。
英語の三単現の s などは気になるのに、日本語の活用形はどーでもいい、ちゅーのも何だか変な話だと思いますし。
ということで、ちょびっとでも興味のある方のみ、下にお進み下さいませ。

「しゃべれる」と「しゃべられる」のどちらが正しいかは、Google で検索して、検索結果の数が多い方を正しいとみなす、のが一番手っ取り早い方法だと思います。(絶対に正しいと断言はできませんが・・・)
ちなみに検索してみると、しゃべれる 約 840,000 件、しゃべられる 約 38,100 件で、圧倒的に「しゃべれる」が勝ち!です。
本のタイトルなどに使われているのも、ほとんどは「しゃべれる」なので、やはりこちらが正しいということは間違いないようです。
自分でも「しゃべられる」とは言いませんし、「しゃべれる」の方が自然な感じがします。

でも、どうして「しゃべれる」なんだろう?

「しゃべれる」という言葉を聞くと、「ら抜き言葉」か?と思う人も結構いるようなんですが、実は
「しゃべれる」は、「ら抜き言葉」ではなく「可能動詞」
というものらしいのです。(自分でいろいろ調べた結果、そういう結論に達したのですが、それが違っている可能性ももちろんありますので、「らしいのです」と書いています。)
「可能動詞だってことは、とうの昔に知ってるよ〜ん!」という方は、ここでさようならですね。

これ以下は、日本語の文法の話です。
こんな説明は嫌いだ!という方は、(→→→ここまでワープ!)までお進み下さい。(ワープしても、先はまだまだ長いんですけどね。)

可能を表す助動詞「れる」「られる」というものがありますが、この使い分けは、

「れる」は、五段、サ変の未然形に接続
「られる」は、五段・サ変以外の動詞(上一、下一、カ変の動詞)の未然形に接続

となっています。
ここでは五段と書いていますが、五段活用は四段活用とも言われることもあります(広辞苑ではすべて「四段活用」と書いてあります)。
未然形とは、下に「ない」をつけた時の語尾変化で判断するといいんですよね。

よく「ら抜き言葉」の代表として言われるのは「来れる」「見れる」ですが、これは正しくはそれぞれ「来られる」「見られる」になります。
「来る」はカ変動詞(カ行変格活用動詞)なので、活用は「こ、き、く、くる、くれ、こい」で、上の規則に則って考えると、カ変は未然形の形で「られる」に接続するので、「こ」+「られる」なので、「こられる」。
「見る」は上一段活用動詞なので、活用は「み、み、みる、みる、みれ、みよ(or みろ)」で、未然形「み」+「られる」で、「みられる」、が正しいわけです。
その可能を表す助動詞「られる」の「ら」が抜かれているので、「ら抜き言葉」として誤った乱れた日本語とされているわけですね。

では「喋る(しゃべる)」は?
「喋る」は五段活用動詞です。
活用は、「ら(orろ)、り、る、る、れ、れ」なんですが、これは
未然形 しゃべら(ない) or しゃべろ(う)、
連用形 しゃべり(ます)
終止形 しゃべる(。)
連体形 しゃべる(時)
仮定形 しゃべれ(ば)
命令形 しゃべれ(!)
と活用してみればわかりますよね。(五段が四段とも言われるのは、「しゃべろう」という場合のオの段を含めないとすると、四段になるわけです。)

(→→→ここまでワープ!)
つまり「しゃべる」の未然形は「しゃべら」、それに可能を表す助動詞「れる」をつけるわけだから、動詞活用表によると、本当は「しゃべられる」が正しいということになるのです。
時々、「しゃべれる」が正しい理由として「”しゃべる”は五段活用だから、”られる”ではなくて”れる”がつくのだ」という解釈を聞くことがあるのですが、その説明では、「しゃべ」に「れる」がくっついたことになり、「未然形につく」という動詞の活用の原則からすると、おかしなことになります。
つまり、「五段活用だから」と言うだけでは「しゃべれる」になることは説明できないのです。

そもそも、何故「れる」と「られる」の差があるのかを考えてみると、五段の動詞は未然形が「アの段」になります(サ変は特殊だからこの場合は外します)。
だから、ここに「られる」をくっつけると、「しゃべら」+「られる」で、「しゃべらられる」になり、他にも「行かられる」などとアの段が続く不自然な言葉になってしまいます。
だから、五段動詞には「られる」ではなくて「れる」がつく、ということだと思うんですね。

では、本来は「しゃべられる」のはずなのに、当たり前のように使われている「しゃべれる」とは何なのか?
見た感じは「来れる」「見れる」の「ら抜き言葉」に似ているように見える「しゃべれる」、これは実は「可能動詞」というものです。

広辞苑の定義によると、
可能動詞=四段(五段)活用の動詞が下一段活用に転じて、可能の意味を表すようになったもの。「読める」「書ける」の類。命令形を欠く。

Wikipedia 可能動詞
では、実際の可能動詞の例、詳しい説明が書かれています。
(残念ながら、可能動詞の例の中に「喋れる(しゃべれる)」は入っていないのですが・・・泣)

どうして下一段活用に転じたのか、については、以下に引用した Wikipedia の説明がわかりやすいと思います。

「行ける」のような可能動詞は、「行き得る」といった「連用形+得る」の表現が変化したもの。(Wikipedia より)

これを「しゃべれる」に当てはめると、「しゃべり」+「得る(える)」→「しゃべりえる」→「しゃべれる」になった、ということになりますね。
確かに広辞苑にも、
得る(える)=(動詞の連用形に付いて)可能とする。・・・できる。
と書いてあり、例としては、「禁じえない、言いえて妙」などが挙げられています。
(現在の「ら抜き言葉」と同じように、「しゃべられる」が「しゃべれる」になった、という可能性もゼロではありませんが、この可能動詞の話の方が私は説得力があるように感じました。)
今の文法では、”五段活用だけ”が可能動詞になるのですが、それを上一段に応用するとどうなるのか?
例えば、上一段の「見る」だと、連用形「み」+「得る」→「見える」になって、「見れる」にはなりませんよね。
だから、「見れる」はやはり間違いだと言うことになるんだろうか・・・?(これを考え出すと果てしないので、やめときましょう。)

つまり「しゃべれる」は、
動詞「しゃべる」+可能の助動詞「れる」の「ら」が抜けた形、ではなく、
「しゃべることができる」という意味の、ひとつの「可能動詞」である

ということです。(全く別物なんですね。)

可能動詞の「読める」(読むことができる)、「行ける」(行くことができる)などはちゃんと広辞苑にも載っています。
本来はどちらも「読む」「行く」という五段活用の動詞なので、「れる」をつけて可能を表そうとすると「読まれる」「行かれる」になるはずですが、「読める」「行ける」で正しい言葉として認識されているわけです。
残念ながら「しゃべれる」という単語は広辞苑には載っていないのですが、「読める」と同じように「五段活用が下一段活用に転じたもの」とみなすことができると思うので、やはり誤用ではない、立派な可能動詞と言い切っても良いと思います。

現在の時点ではっきりと言えるのは、「五段活用の動詞から派生した可能を表す可能動詞」は、文法上ちゃんと認められた正しい日本語だと言うことですね。
それが、「ら抜き言葉」の問題が出てきた余波で、本来正しいはずの「しゃべれる」までが誤用と見なされてしまっているようです。
「読める」「行ける」と違って「しゃべ”れる”」と「れる」がついているので、「られる」の「ら」を抜かしたように見えてしまうから余計でしょう。

確かに上に書いたように、助動詞「れる」をつける場合は「しゃべられる」で正しい形なので、「しゃべられる」が間違っているわけでもありません。
ただ、「しゃべれる」は「ら抜き言葉」で間違いだからという理由で、わざわざ「しゃべれる」に「ら」を追加して「しゃべられる」にする、というのはやはりおかしいわけですね。
「しゃべれる」という可能動詞があるために(あるいは出来たために)、「しゃべられる」という動詞+助動詞を使う頻度が減って、廃れてきた、のが現在の姿なのかもしれません。

そもそも問題なのは、「れる」「られる」には、「自発、可能、受身、尊敬」という4つの意味があり、「見られる」と聞いただけではその4つの意味のどれかがはっきりしませんよね。
「ら抜き言葉」が流行る背景には、「可能」を表す意味だけ、他のものとは明白に区別したいという意識が表れているのだと思います。
そして何故だか、五段活用だけは「可能動詞」として「可能」だけを区別することが可能(笑)なんですね。

「しゃべられる」という言い方がなんとなくしっくり来ないのは、「しゃべる」というのは意志を持った行為だから「自発」にはそぐわないし、受身では「しゃべりかけられる」とは言うけど「しゃべられる」とはあまり言わないし、「しゃべる」は「くっちゃべってる」って感じで尊敬のニュアンスとも合わないし、だからそもそもあまり耳にしない言い回しなんですね。
最初に「しゃべれる」か「しゃべられる」かでぐぐった結果、「しゃべられる」が少なかったですが、これがもし「自発、受身、尊敬」の意味としても使われる言い回しだったのなら、もっと「しゃべられる」の数が増えたでしょうし、単純にどちらが正しいかを比較できなかったかもしれません。

今は「ら抜き言葉」は間違いだということになっていますが、「見られる」では4つのどれかが判別できなくなるために、わざわざ「見ることができる」と言い直すよりも、可能動詞として「ら抜き言葉」の「見れる」が標準化する方が、自然な感じが私はするのですが。
将来的にはそれが標準になって行くのではないでしょうかねぇ。

それに、方言という点で考えると、「見れる」が普通だ、という地域もあるでしょう。
私もこれを書いているうちにだんだんわからなくなってきましたけど、大阪弁を話す時に、
「今日、あの子、来れるかなぁー?」「来れへんて言うてたよ。」
「今すぐ家に帰ったら、その番組、見れるんとちゃう?」とか何気なく言いそうな気がするんですけど。(確かに、「来られる」「来られへん」「見られる」と言っても、変じゃないけど・・・。結局、上の例も「ら抜き言葉」の大阪弁version に過ぎないのか?)

それにしても、ここまで英語に無関係な話を書いたのは初めてです。
ここまで読んで下さった方は果たして何人いらっしゃるのでしょう?
まぁ、私と同じようなことにひっかかった人が、いつか調べ物をしていて、この記事を見て何か思って下さればいいかな、って程度なんですけども。
でも、日本語を学んでいる外国人の方って、意外とこういう部分をムキになって文法書調べて勉強してるのかもしれない、とか思ったりして。
そう考えると、ちょっと楽しい、かも?(←強引な理由づけ・・・笑)
明日は、フレンズ解説に戻ります、絶対!

(Rachからのお願い)
今回の記事、面白いと思われた方は、下のランキングサイトをクリックして下さい。
人気blogランキング
にほんブログ村 英会話ブログ

posted by Rach at 20:21| Comment(6) | 脱線話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする